第4話 素敵なアナタ
食事が終ると、私は再び風呂にぶち込まれました。無論赤ずきんは死守です。
「赤ずきん様は」
様なんてつけられると体中がかゆくなる気がします。
「とても綺麗な御髪をしてらっしゃいますね」
……はっ!
気がつけば頭巾はメイドキャサリンの手の中にありました。ガッと手をやった頭に触れるのは布の感触ではなく自分の髪。
「か、返してください!」
「この頭巾、どなたが縫ったものですか?」
メイドキャサリンは、微笑んだまま頭巾を撫でます。やめてください、返してください。声が出ません。
のどがカラカラに乾いています。
「……返してください」
変な声が出ました。でも声、出ました。がんばりました。
「失礼しました」
メイドキャサリンは微笑んだまま、私に頭巾を被せました。頭巾が私の頭をすっぽりと覆います。視界がずいぶん狭くなります。
私はほっと息を吐きました。
「……赤ずきん様の御髪は、本当に綺麗だと思いますわ」
「……ありがとうございます」
メイドキャサリンがふかふかのタオルで私を包みます。
着替えを手伝ってもらいながら、私は何度も頭巾を確認しました。せずにいられませんでした。
着替えを終えて部屋に案内されます。見たこともないような大きな部屋でした。まったく、ここに来てから驚きの連続です。世の中にこんなに贅沢なベットがあるなんて思いもよりませんでした。
「今日からしばらくは、この部屋でお休みください」
「しばらく、ですか? 明日の朝ごはんは食べられると聞きましたが……成人男子はいつ私を食べる気でいるのでしょうか」
「それは、あの方のお心しだいですが、少なくとも一か月は……」
「そんなにですか!」
びっくりです。そんなに間があるなんて。
「あの方は他の魔物たちと違い、食事に非常に気を使っておいでなのです」
そういえば自分はグルメなんだとかほざいていた気がします。なんだか侮辱された気分です。むかむか。
「詳しいことは、ご本人にお聞きください」
それでは、おやすみなさいませ。とメイドキャサリンは去っていきます。私は明かりの消えた部屋のふかふかベットの上で目を閉じました。
……眠れません。
このふかふかベットはとても素晴らしいと思うのです。素晴らしいのですが、素晴らしすぎて目が冴えてしまいました。もとから眠くはありませんでしたが、さらに冴えてもうギンギンです。
仕方がありません。ベタな方法で行きましょう。
……羊が一匹、羊が二匹。羊が三匹。羊が四匹。
……羊が。
じゅるり。
はっ! いけません。羊さんなんて数えていたらお腹がすいて眠れなくなります。
それにしてもなんて広いベットでしょうか。私が五人くらい寝れそうです。
くるりと一回転。二回転。三回転。四回転目でベットから落ちました。
立ち上がります。
布団にもぐりこみます。
一回転。二回転。三回転。四回転。五回転。六回転目でぼとり。
端から始めたので結構回りました。目も回りました。
……眠れません。
私は、本当なら既に永遠の眠りについているはずだったのです。それなのに今、眠れなくて困っています。それは、あの成人男子にすべての原因があります。
私は立ち上がりました。これは、責任を取ってもらうしかありません。
部屋から出て、右、左、右、左。
はい、誰もいません。
そういえば、この家はとてつもなく広いです。村長さんの家10個分は軽くあります。そのくせ、メイドさんはメイドキャサリン一人しか見かけていません。ちょっと変です。もしかしたら他の方は今日お休みなのかもしれません。
ぽつぽつと足元を確認できる程度の明かりがともされた廊下を当て勘で進んでいきます。はてさて、成人男子はどこでしょうか。もしかしてもう部屋でぐっすりというオチでしょうか。いくら私でも、眠っている人の部屋へ押し入るのは気がひけます。これでも『れでぃー』ですから。はい。
あてもなくさまよっているうちに、いつの間にか私は屋根の上にいました。不思議です。
初めて見る魔界の夜空には、いかにも不吉そうな赤い月が浮かんでいました。ぎゃーぎゃー、と変な鳴き声を上げる鳥も飛んでいます。不気味です。
私がここに来るのは、あのおばあさんの家から一瞬でした。気がつけばこの家の一室にいて、いろいろ注意をされて、そしてクッキーと紅茶を与えられました。
いろいろな注意については、その後のクッキーや紅茶や、もろもろの食べ物の印象が強すぎてあまり思い出せないのですが……確か、この家には決壊? が貼ってあるから? 外に出ちゃダメ? みたいな感じだった気がします。
決壊をどうやって貼るのかは知りませんが、とにかく外出は禁止、ということですよね、たぶん。でも、どこまでが家なのでしょうか。ここも外と言えなくもないですが、一応、家の中とも言えます。うーん、難しい。
まあ、ここはおとなしく引っこんでおいたほうがいいでしょう。注意を聞かなかったと食事を抜かれてはたまりません。
でも、いったいどうすれば戻れるのでしょうか。なにせ自分の直感にすべてを委ねて突き進んできてしまいましたから、道なんてさっぱりおぼえていないのです。
困った私はとりあえず周りを見ました。キョロキョロキョロキョロ。
しかし、本当に広いです。ちょっと遠くに塀が見えました。門らしきものもあります。あの辺りまでが家ということでしょうか。あの辺りまでは行ってもよいのでしょうか。明日、聞いてみることにしましょう。
しかし、本当に私はどこから来たのでしょうか。あ、なんだか今の私は哲学的です。カッコイイ、私!
自分で自分に満足しつつ、キョロキョロキョロキョロ。
「……君、こんなところで何をしている」
どっきん。
心臓が胸を突き破って出てくるかと思いました。軽くスプラッタです。
周囲に注意を払う私に気づかせず、気配さえ感じさせずに声をかけるなんて……やりますね。
私は慎重に声の方向へ振り向きました。
「―――」
そして、思わず声を失いました。
赤い月に照らされ、黒々と艶を放つ毛並み。静かでありながら、今すぐにでも私の喉元を噛み切ることができるだろうと予感させるしなやかな体躯。むき出しの牙は一本一本が私を殺すのに十分だとわかる鋭さを秘め、そしてその大きな瞳は恐ろしげでありながら確かな知性を感じさせる光を灯していました。
私は我知らず、ため息をもらしました。
私がこれほどの感動を覚えるなんて、食事以外では何年振りでしょうか。初めてかもしれません。
なんて素敵で、美しく、恐ろしく、魅力的な――ワンちゃん。
じっと見つめる私に視線を合わせ、ワンちゃんはその大きなお口を開きました。
「………君、今とても失礼なことを考えているだろう」
なんと、ワンちゃんは喋りました。さっきも話しかけてきたのもこのワンちゃんだったのですね。ちょっと聞き取りにくいですが、脳髄に直撃する美声です。
「そんなことはありません。ワンちゃん、あなたの魅力に惚れ惚れしていたところです」
「やっぱり失礼だ」
赤い月に照らされた大きな犬さんは牙を剥き、唸り声をあげました。怒ってしまったのでしょうか。
「あの、怒らせてしまうつもりはなかったのです。あなたはとても素敵だと言いたかったのです」
なぜだか焦って言い募ります。ワンちゃんは少しの沈黙ののち「怒っているわけじゃない」と言ってくれました。なんだかとてもほっとしました。
「それよりも、君はここで何をしている。キャサリンが部屋に案内したはずだろう」
「え? あ、はい。ふかふかベットでした。でも、眠れなくて成人男子を探していたのです」
そしたら、こんなに素敵なワンちゃんを見つけてしまいました。
「私を探していた? 何か用でもあったのかい?」
「……はい?」
私は首を傾げました。話がなんだか食い違っています。
「私が探していたのはワンちゃんではなく、成人男子ですよ? 正直なところワンちゃんに会えたので成人男子はもういいやって感じですけど」
「……君の言うところの『成人男子』は私だ」
………。
………。
………はい?