第3話 成人男子と最後の晩餐
最後の晩餐は、私の想像をはるかに超えた料理の数々でした。いいえ、違います。私の想像を超えていたのは料理ではありません。メイドキャサリンのミラクルな料理の腕です。
まず最初に、舌がとろけそうになりました。おいしさの余り、泣き出しそうになりました。そして、神様に感謝の祈りをささげようとして、やめなさいと怒られました。そういえばここは一応魔界です。
でも、魔界でもかまいません。私にとっては天国です。楽園です。パラダイスです。幸せです。
最後の一口を飲みこみ、私はほぅ、とため息をつきました。
「ああ……もう思い残すことはありません」
「デザートをまだお出ししていませんが?」
「それは大変です。死んでも化けて出てしまいます」
デザート! なんてすばらしい響きでしょう。恍惚としている私の方を、成人男子は一度たりとも見ようとしません。下を向いて黙々と食べています。その額には心なしか青筋が立っているようにも見えました。
「っ、それはまさか! 噂に聞くケーキというやつですか!」
「ええ、そのとおりですよ」
「食べてもいいですか!」
「どうぞ」
丸い円に魅惑のクリーム。どこもかしこもおいしそうで、じゅるりとよだれが垂れそうになります。
「では、いただきま……」
「ストップ」
さっきから一言も発しなかった成人男子が待ったをかけました。まさかこのタイミングで私をデザートにするつもりでしょうか。いくらなんでもそれは承服しかねます。本気で化けて出ます。でも、化けて出ても、きっとケーキは食べられません。私はケーキに対する無念ゆえに現世にとどまり続けることになるでしょう……。
「なんでケーキを食べるのを待てと言ったくらいで、この世の終わりみたいに悲しそうな顔をするんだ。君の感性は本当にわからない」
成人男子は優雅なしぐさでナイフとフォークを置きました。
「君は、今、どうやってケーキを食べようとした」
どうと言われましても。
「まずおもむろにケーキを手に取り、齧り付きま……」
ものすごい速度で、ナプキンが私の顔に直撃しました。痛いです。暴力反対です。
「君は、マナーというものが根本からわかっていない!」
「それは食べられるものですか?」
軽いジョークのつもりだったのですが、ものすごい目でにらまれてしまいました。おそろしや、おそろしや。
「……マナーくらい知っています。もちろん。言葉は。でも、そんなものは習ったことがありませんし、必要としたこともないのです」
どうせ田舎育ちですから。けっ。
「とにかく、私と食事をともにするからにはちゃんとしたマナーを身につけてもらう。そうでなければ、気持ちよく食事することもできない」
「食事をともにも何も、私はこれからあなたの血となり肉となるんですよ? マナーを身につけたとしても、それをどう役立てればいいんですか?」
それともこの成人男子は、自分の血肉となるものがマナーを身につけていないのが我慢ならないのでしょうか。今日のご飯に入っていたお肉たちも、マナーを身につけさせられたのでしょうか。最後の最後に、そんなこと。あんまりです。
「……成人男子は残酷な人ですね」
「その言葉を否定するつもりはないけど、妙に引っ掛かるな……」
成人男子は、メイドキャサリンに目配せをしました。心得たようにナイフを持ったキャサリンがケーキをきれいに切り分けていきます。
「あと、勘違いしているようだが、私は君をすぐに食べるつもりはない」
思いもよらない言葉に、ちょっと考えました。すぐに食べるつもりはない、とわざわざ言うということは、もしや、もしや!
「それはもしかして、明日の朝食も食べられるということですか?」
「……まあ、そうだね」
私は喜びに打ちふるえました。この世のものとも思えない食事を再び堪能できるとは!
「ありがとうございます、成人男子!」
「さっきから気になっていたんだが、その呼び方はどうにかならないのか」
「ありがとうございます、成人男子様!」
「違う、そういう意味じゃない! そもそも君は……」
メイドキャサリンがことりと切り分けたケーキを私の前に置いてくれました。先ほどよりもだいぶ体積は減りましたが、私を誘惑するその魅力に変わりはありません。
「君聞いているのか? こら、手づかみで食べるんじゃない! フォークを使いなさい、フォークを!」
成人男子の声は、ケーキのすばらしさに夢心地となる私の耳には届きません。なぜなら、すべての感覚を味覚に集中しているから!
「幸せですー」
「……なんかもう、食べてしまおうか。いやいや落ち着け、これを食べる方がもっと嫌だ……」
成人男子はぶつぶつと呟いています。ヤバいオーラバリバリです。目が軽く座っています。軽く危機感を覚えます。
「食べないならケーキ全部食べてもいいですか?」
「……好きにしなさい」
成人男子はがく、とうなだれました。