第16話 追いかけっこ、終了
「って、あれ? ファーじゃん」
侵入者さんは自分の下にいるお客様に気づき、あ、と私に目を向けました。
「もしかして、お前ヤバかった?」
「はい」
かなりヤバかったです。
「やっぱファー、赤ずきんのこと狙ってたんだな。こいつカーティのことで頭いっぱいだから時々すげぇ馬鹿になるんだ。お前を勝手に食ったらカーティに怒られるどころじゃすまないってことくらい考えればわかることなのにな」
侵入者さんはお客様の上からどくと、私の前にしゃがみこみました。
「つかさ、俺、お前担いでたよな。途中で気がついてさ、どっかに落としたかと思ってたんだけど」
「大丈夫です。親切な庭師さんに拾われました」
「そっかー、そりゃよかった」
がしがしと頭巾ごしに頭をなでられます。さっきまでちょっとした危機的状況だったのでとてもなごみます。
そんななごみの時間に剣呑過ぎる声が割り込んできました。
「ジーグーザーっ! ようやく見つけたぞ、赤ずきんもっ、いい加減観念しろっ!」
狼さんの登場です。
いつも整えられた服装は皺だらけでところどころほつれています。さらさらの髪もぐちゃぐちゃで木の枝が絡まり、葉っぱも引っかかっています。いつもの紳士然とした面影はありません。でも、あの怒った顔は間違いなく狼さんです。なんだかほっとしてしまいます。
狼さんはずかずかと近づいてきて侵入者さんを見下ろしました。なんだかわくわくしてしまいます。狼さんのお説教を心待ちにする日が来るとは思いませんでした。胸を高鳴らせる私をよそに狼さんはおもむろに口を開き、そのまま閉じました。
ふと何かに気がついたように私の方をじっと見下ろしています。
侵入者さんよりも私を怒るのが先ということでしょうか。いいです。受けて立ちます。私はもう逃げも隠れもしません。大人しく怒られます。逃げ回るよりもそっちのほうが絶対にマシだと学習したのです。何より今私は狼さんに怒られたい気分なのです。
いつでもどうぞと構える私に狼さんは眉を寄せました。いかにも不機嫌そうな顔です。
「怪我をしているのか」
「……はい?」
怪我。そういえばしています。さきほどお客様に引っかかれたのもありますし、その前にも転んだり転んだり引っかけたり転んだりでわりと傷だらけです。でも舐めときゃ治るレベルです。
……さきほどお客様に舐められたことを思い出してしまいました。そういえば先生が、舐めて消毒するくらいなら清潔な水で洗った方がいい。口の中は決して清潔じゃないんだ。今日食べたものを思い返してみればわかると思うけどね。せめて口を洗ってからにしなさい。悪化させないためにも、と以前怪我した時に言っていました
とにかく、今はあんまり傷口舐めたくない気分です。ここは先生の言うとおり水で洗った方がいいのでしょうか。でもここに水はありません。
どうしましょうと考える私を狼さんは顔をしかめたまま抱きあげました。今日はよく抱きあげられる日です。村ではこんなことほとんどされたことがないので、落ち着きませんがちょっと面白いです。
「……とにかく手当だ」
そのまま狼さんは歩きだします。狼さんの抱き方はお母さんが子供を抱き上げる抱き方にそっくりです。狼さんの首を回してぎゅっと抱きつきます。安心します。ドキドキします。不思議な感覚ですが、なんだか嬉しくなりました。
「なー、カーティ。ファーはこのまま置いとくか?」
「……ファラ?」
狼さんはくるりと振り返り、そしてビックリしました。心臓の鼓動がこっちまで伝わってきます。バクバクです。面白いです。
「ファラっ、いったい何が!?」
「俺の着地地点になぜかいたんだ。なんで避けなかったんだろうな」
「それはたぶん私に意識が集中してたからだと思います」
私と侵入者の言葉に狼さんはため息をつきました。
「とにかくこのままにしておくわけにはいかないだろう。ジグザ」
侵入者さんは面倒くさそうに首を鳴らしてお客様を担ぎました。お客様、お腹が苦しそうです。
「つーか、走りまわって腹減った」
私もです、と言おうとして狼さんの顔を窺います。お腹はすきました。久しぶりに魔力を使ったのでもう背中とお腹がくっつきそうです。本当にお腹すきました。ご飯食べたいです。
でも、今狼さんの機嫌を損ねたら下ろされてしまうかもしれません。
私は狼さんにぎゅう、と抱きつきました。
お腹がぐぅ、と鳴りました。
「………」
「………」
「………」
私は狼さんから身を離して顔を合わせます。
私のお腹はまたぐぅ、となりました。
「……わかった。わかった。食べてもいいからそんな泣きそうな顔で見ないでくれ」
侵入者さんの笑い声が耳に響きました。