第14話 確保せよ!
状況を見極めて、素早く行動をすること。
とても大事なことです。
だから私は、駆け出しました。とにかく走りました。
目指すはただ一つ――台所です。
「ちょ、待てどこへ行く!」
食事抜きと言われたからには何をおいても食料を確保しなければなりません。この家において食糧があると思われるのはそこだけなのです。庭には食べられるものがないのです。あるかもしれませんがわからないのです。村にいたときのように食事を抜かれたからと言って自力調達ができないのなら、屋敷の中からちょいといただくしかありません。大丈夫、本来なら私が食べるはずだったものをちょっともらうだけです!
後ろから追いかけてくる足音と、それを止める声。そして足に絡みつくドレスのせいで転んでしまった痛みも完全無視の全速力で台所に到着です。
「よぉ」
侵入者さんがいました。
さすが侵入者さん、と思わず唸ってしまいます。
「どうしたんだ、お前もやっぱり足んなかったか?」
これ食うか? と食べかけのパンを差し出してきます。それは素直に受け取り、まだ何かないかと見渡します。
「……どしたんだ。腹減ってるならそれ食べればいいだろ。なんか探してるのか?」
「さらなる食料を探しています」
ワイン発見です。重いのでいりません。水はたぶんもらえる気がします。パンさらに追加でゲットです。チーズも見つけました。
「あ」
「どした」
……しまった。盲点でした。
「これ以上、持てません……」
どうして私の手はこんなに短くて小さいのでしょうか。ドレスのすそをつまんでみても、やっぱり大した量はもてなそうです。でも、出直す時間があるとは思えません。
「おい、何泣きそうな顔してんだよ」
「……侵入者さん」
「それ俺のことか? ジグザって名乗っただろ」
「私、餓死してしまうかもしれません」
私が望まない死に方堂々の第一位です。そうなる前に狼さんに食べてもらうしかありません。こうなったらいさぎよく諦めて、私の美味しさを狼さんにアピールしにいくべきでしょうか。食べたことないので美味しいかどうかわかりませんが。
「餓死ってお前、パン抱えて何言ってんだ。……ん?」
いきなり鳩尾に圧迫感。と思えばなぜか侵入者さんの肩に担ぎあげられていました。
「……なんですか?」
「カーティが来る。逃げるぞ。あいつ盗み食いにはうるさいんだ」
それは大変です。食事抜きと言われたばかりで食べ物を取りに来たとばれれば、頭巾をとっても食事抜きかもしれません。いえ、取りませんけど何があっても。
侵入者さんは素早い動きで庭へとつながる扉へ動きます。お腹が侵入者さんの肩に当たって苦しいです。もっと持ち方を変えてくださいと頼もうとしたら舌を噛みました。痛いです。泣きそうです。
侵入者さんが扉から出ると同時に狼さんが現れました。私たちを見るなり顔をひきつらせ「何をしているんだ!」と叫びます。逃げようとしている以外の何に見えるのでしょうか。
「捕まってろよ!」
無理です!
舌が痛くて返答できない代わりに心の中で叫びました。だって、私の手にはパンが握られているのです。私の生命線です。チーズは落としてしまいました。せめてこれは死守しなければいけません。
侵入者さんは私の心の叫びを聞いてもくれず、すごいスピードで走り抜けていきます。狼さんはあっという間に見えなくなってしまいました。それでもまだ走り続けます。とても揺れます。私はパンを離さないように必死です。怖いです。本当に怖いです!
しかしその恐怖は唐突に終わりました。
侵入者さんではない人の手が私の体を掴み、引き上げたのです。侵入者さんはそのまま駆けていきました。ちょっとは気付いてください。
「大丈夫ッスか」
私を救ってくれたのは庭師さんでした。高めの木に登っていたところらしく、上からひょいと持ち上げてくれたようです。助かりました。本当に助かりました。
「ありがとうございます」
感謝のしるしに、パンを少しちぎって差し出します。今の私にはこんなことしかできません。でも、最大限の感謝を示したいのです。だってもう少しで私はこのパンを手放す選択をするところでした。恐怖のあまり。
「いえ、結構ッス。ところで何してたんッスか。赤ずきん様が今にも死にそうな顔をしてたんでつい引き上げちゃったんッスけど、よかったんッスか?」
「全然大丈夫です。命の恩人です」
庭師さんに遠慮されてしまったパンをかじります。命の味がします。
「はぁ……」
庭師さんははて、と首を傾げていましたが、ならいいッスけどと言いながら木から飛び降りました。ちょっとぎょっとします。どれだけ高さがあると思っているんでしょうか。庭師さんは危なげなく着地して、私に手を伸ばしました。
「赤ずきん様も飛び降りてくださいッス。受け止めるんで」
「わかりました」
私はえいや、と庭師さんの上に飛び降りました。地面に飛び降りる勇気はありませんが、庭師さんに飛び降りるなら大丈夫です。高さの差があまりないのです。つくづく庭師さんは大きい人なのです。
庭師さんはあっさりと受け止めてくれました。侵入者さんのようにぐえ、となるようなことのない持ち方に感動です。
「ところで庭師さんは何をしていたんですか?」
「ちょっと休憩ッス。そろそろ昼飯の時間なんで」
……お昼ごはん。
私はパンを見つめました。私はこのパンで何食分耐えなければいけないのでしょうか。悲しいです。切ないです。
「どうしたんッスか?」
黙り込んだ私を気遣い、庭師さんは私の顔を覗き込みます。
「ごはん……」
「はい?」
「私、食事抜きなんです……」
ええっ!?、と庭師さんは飛び退りました。そして、えーえー、と声を上げます。
「赤ずきん様が食事抜き!? 無理じゃないッスかそれ。ていうかならそのパンはいったい」
「庭師さんはこれからお昼ごはんなんですね……」
「え、ええ。まぁ」
「ごはんなんですねぇ……」
「………」
「………」
「………えーっと」
「………」
「……俺も、腹減ってるんッスけど」
「………」
訴えるように見上げると庭師さんは視線をさまよわせた挙句、昨夜とは打って変わって晴れ渡った空を見上げてため息をつきました。
「ちょっとだけッスよ?」
庭師さんはお人よしです。
食事を取りに行くという庭師さんに手をひかれながらパンを少しずつ齧ります。
「赤ずきん様、いったい何したんッスか? メシ抜きなんて」
「頭巾を取れと言われました」
「取りゃいいじゃないッスか」
「絶対嫌です」
つないでない方の手で頭巾を押さえます。取られてしまうんじゃないかと不安になりました。
「……なら仕方ないッスけど。って、あ゛」
庭師さんの声に顔をあげると、なんと侵入者さんが見えました。そしてその後ろを猛烈な勢いで追いかけているのは……狼さん!
「待てー―っ!!」
「誰が待つかー―っ!!」
すごい勢いで通り過ぎていきます。その後ろ姿を眼で追っているとふと狼さんが振り返りました。目が、会いました。
「……っああ!!」
そういえば、私も逃亡中の身でした!
まだ手の中に残っているパンをとっさに隠し、そのまま庭師さんの手を振り払って逃げ出します。だって狼さんが路線変更して私の方に来たら大変です。
庭師さんの呼びとめる声がしましたが、それを振り切って走り回ります。走って、走って、走りました。
びたん、と転びました。パンは死守です。
体を起こして狼さんの気配を探りますが、どうやら近くにはいないようです。ほっとしました。ほっとしたら膝が痛くなってきました。急ぐ必要もないので地面に座ったまま周りを見回します。
目の前に広がる景色にはまったく見覚えがありませんでした。どうしましょう。
適当に大きな木を探してよじ登ればたぶん大丈夫だと思うのです。でもそれは狼さんに見つかるという危険もあるということです。
どうしましょう。
私は途方にくれました。
しばらく、じっとしていました。誰の声も聞こえません。風の音だけ聞こえていました。
ふと、風の音の中に違う音が混ざりました。これは……誰かの足音!?。
狼さんが追いかけて来たのでしょうか。逃げるべきでしょうか。ああでも、距離的に無理です。それにもう走りたくありません。膝がジンジン痛いです。
私は深呼吸を一回、パンを千切って一口食べて、覚悟を決めました。そしてそっと振り返った先にいたのは、狼さん――ではありませんでした。
そこにいたのは、金の瞳と、茶色の長くて綺麗な髪の。
「こんにちは、赤ずきんちゃん」
やわらかく微笑む、お客様。