第11話 侵入者は雨とともに
口元をそっとナプキンでぬぐいます。
「とてもおいしかったです」
にっこり笑顔も忘れずに。
「……完璧だ」
「素晴らしいです、赤ずきん様」
ぼうっとしている狼さんと、惜しみない拍手とともに褒め称えてくれるメイドキャサリン。
「あれだけどうしようもなかったのに、まさかここまでちゃんと……」
狼さんは不意に言葉を切って目元を抑えました。
「カーティム様、よかったですね」
メイドキャサリンがさりげなく白いハンカチを差し出します。狼さんはそれを身ぶりだけで断ると、私に向きなおりました。目がばっちり赤いです。
「よくやった、赤ずきん。本っ当によくやった」
なにも泣くほどのことでしょうか。確かに私はがんばりました。いくらでも褒めてください。称えてください。でも泣かれるとちょっと引きます。
連日のマナー特訓の成果は、今日ようやく狼さんに認められるレベルに達したようです。
「ああでもよかった。――間に合って」
狼さんがほっと息を吐きます。
……間に合う?
いったい何のことでしょうか。
私の頭の上のはてなマークが見えたかのように、狼さんはくすりと笑いました。狼さんが笑ったのを見るのはとても久しぶりな気がします。初めてかもしれません。レアです。ナマ焼けではありません。レアです。
「明日、私の知人が訪ねてくるんだ。どこから聞きつけてきたのか赤ずきんを見たいと言ってきていてね。最低限のマナーくらいは身につけておいてもらはないと困るところだった。君は一応かわいらしい顔立ちをしているのだからあとは黙って余計な事をしないでいてくれさえすれば何の問題もないはずだ」
今、私は褒められたのでしょうか。けなされたのでしょうか。
「キャサリン、明日はあいつが来る前に赤ずきんに何か食べさせておいてやってくれ。空腹だと何をしでかすかわからない」
「かしこまりました」
けなされている気がします。
「さて、赤ずきん。注意しておきたいことがいくつか……いや、かなりある」
……なんかいやーな感じです。
まるでお説教される直前のようなだるさがあります。聞く前からもういいですーと言いたくなってしまいます。
「それでは、お茶の用意をさせていただきます」
いつの間にか机の上の料理はちゃんと下げられていました。目にも見えぬ早業! さすがはメイドさんです。
「クッキーもお願いします!」
「申し訳ありません、今日の用意したのはマドレーヌなのですが」
「大歓迎です!」
それではお持ちしますねと微笑み、メイドキャサリンは去って行きました。わくわくです。マドレーヌ楽しみです。わくわく、そわそわ、わくわく、そわそわ。
「君、今しがたフルコースを食べきったばかりだったはずだけど……いや、私としたことが愚問だった」
「ぐもん?」
甘いものは別腹のことでしょうか。もちろんこれは物の例えです。甘くなくとも、おいしいものはもれなく別腹です。常識です。わくわくです。どきどきです。期待に胸が膨らみます。そわそわします。
「では赤ずきん、心して聞くように」
……マドレーヌのためだと思えば、耐えきれるはずです。
それから狼さんの注意事項を右から左へ華麗に受け流し、晩ごはんをお腹いっぱい食べさせてもらい、お風呂に放り込まれ、ようやく一息、明日のためにもゆっくりと寝ましょうとベットにもぐりこみました。
夕方辺りから雨が降り始めて、窓に水滴がたくさん流れています。そういえば晩ごはんの時に魔界は雨は血の雨だと思っていましたと言ったら、そんなことあるわけがないと言い切られてしまいました。また一つ幻想が消えてしまいましたが血が降ってきたらお掃除が大変ですとメイドキャサリンが言ったので、普通の雨でもよしとすることにしました。
うとうとしていると、窓がコンコンと音をたてた気がしました。どうせ雨音でしょう。眠いです。
ガンガンガンと音が大きくなりました。雨がひどくなってきたみたいです。うるさいです。眠いんです。
ガンガンゴンゴン……ガッシャーン。雨、ひどくなりすぎです。風が吹きこんできました。ちょっと寒いです。でも眠いです。眠いったら眠いんです。村にいたころは外で寝たこともいっぱいあります。ここは屋根の下。ベットにふわふわ掛け布団付きです。余裕です。寝れます。眠いです。おやすみなさいです。
唐突に眠りの世界へ旅立とうとした私の首根っこをつかむように部屋の中に誰かが入ってくる音がしました。魔力を感じます。狼さんじゃありません。多分知らない人です。
ごろんと転がって窓のほうに目を向けてみます。やっぱり知らない人です。
「おい、そこのお前!」
びしっと指を突き付けつつ、得体のしれない侵入者はとてもよく通る声をしていました。とてもとてもです。眠い頭にだってばっちりです。すごくよく響きます。それはもう嫌になるくらいです。
「赤ずきんか? そうだろ、当たりだろ。その赤い頭巾が何よりの証拠だ!」
「……その通りですが」
「だろ? さすが俺!」
侵入者は子供のように無邪気満面の得意な笑みを浮かべます。
……用が終ったのなら眠りたいです。いいですよね。いいに違いません。
「おやすみなさい」
「は、何言ってるんだ! 俺は客だぞ。そんでお前はカーティのペット……だっけ? 食うんだから家畜か? あーでも色々教えてるって言ってたから……とにかく、カーティの赤ずきんだろ?」
「……はぁ。確かに私は赤ずきんですが」
ペットだか家畜だか知りませんが、私は赤ずきんです。でも、カーティってどなたでしょうか。
私が疑問を口にする前に侵入者は私の方へズカズカと歩み寄ってきます。
「なのに俺を放って寝るなんてダメに決まってるだろ!」
なぜですか。
「俺も寝たい!」
納得です。
そう言うなり侵入者は私の横に寝っ転がってきました。布団の中に入ってきたわけではなく掛け布団の上に乗ってきたので私は押しつぶされないように横に転がりました。ゴロゴロゴロ。三回転して落ちました。ふぐ、と変な声をあげてしまいます。真ん中から転がったのが敗因です。
「何やってるんだ? お前馬鹿なのか?」
馬鹿なのでしょうか。そうでないと信じています。私だけは私のことを信じてあげるのです。
私はベットによじ登りました。侵入者とは違い、ちゃんと掛け布団の中にもぐりこみます。本来なら私が六回転できるベットなだけはあって大の大人と私が寝ころんでも余裕です。さすがです。一回転ゴロリと転がってベットの淵から生還です。ベストポジション確保なのです。
侵入者はそんな私をおもしろそうに見ながら枕を引き寄せ、その上に頭を置きました。
「準備できたな? よし、許可する。寝てもいいぞ。俺も寝るからな」
そう言った3秒後に侵入者は寝息を立てはじめました。私はびっくりして侵入者の寝顔にしか見えないツラを見ます。だって、寝るの早すぎです。3秒ですよ、3秒。本当に寝ているのかと鼻をつまんで確かめたいです。ついでに口も押えれば永遠の眠りへ直行です。でも、この際、対象が動けないようにしておかないとほぼ100%起きちゃいますよ、気をつけて。と私の記憶の中で先生がお茶目に囁きます。深呼吸です。すーはーすーはー……好奇心よ、鎮まるのです。我慢です。我慢。
そんなことよりも、睡眠です。これで私の眠りを妨げるものは何もないのです。起こしたら私の眠りが遠ざかります。優先すべきことはちゃんと見極めなきゃいけないのです。私は今とても眠いのです。
割れた窓から吹き込んでくる雨音はとても眠気を誘います。眠いです。入ってくる風が冷たいです。
でも……温かいです。
自分でない者の体温は、とても温かいのです。ほかほかします。ぬくぬくです。
おやすみなさい。