黄泉帰りの少年②
台所から水が噴き出し、それが蛇となり一郎目掛けて突進してきた瞬間、少年が動いた。一郎を突き飛ばし、蛇の攻撃を避けた。
蛇は倒れこむ二人を一瞥もしなかった。にょろにょろと動き、玄関へと向かった。玄関の方から、カチリと鍵を開ける音が聞こえた。
扉が開き、誰かが土足のまま歩いてきた。
「礼儀がなってねぇなぁ新入り。先輩に挨拶しに来るのがこの世の常識だぜ。一度死んで忘れちまったか?」
一人の男が蛇の頭を引き連れリビングに入ってきた。小柄な年配の男だ。
男は狐のように目を細め、少年を睨みつけた。その瞳は不自然なほど赤く輝いていた。一朗と少年は得体のしれない恐怖を感じた。
部屋の中ではテレビがCMに入り、場違いにも陽気な音楽を流していた。
「おい、ガキ。名前は?」
「分からないです」
「分からない?記憶が戻ってねぇのか?」
「おそらく」
男は鼻を鳴らした。
「まぁいい。要件だけ言わせてもらう。ここは俺の、安徳のテリトリーなんだ。とっとと出て行け」
「安徳。それが貴方の名前なんですか?」
「分かったら、とっととここから出てけ」
「それは困ります」
「は?何でここから出て行きたくないんだ?」
強い口調の安徳に対して、少年が顔を引きつらせた。
「上手く言えませんが、僕にはここでやらなければいけないことがあるような気がするんです」
安徳は粘り気のある瞳で少年を見つめた後、部屋をジロジロと見回し、それから尻もちをついている一郎に視線を固定した。
「お前がここの住人か?」
「はい。一郎と言います」
「お前は嫌だろ?「黄泉帰り」と一緒に暮らすのは?」
「いえ、問題ないですよ」
「はぁ?何でだよ。こいつは死人だぜ?気味が悪いっのが普通の考えだろ?」
「そんなことないです。この子は悪い子じゃなさそうだし、それに俺、一日一善するって決めてるんです。今、この子は困っていて、それに対して俺は協力できる立場にいます。なら、協力してもいいかなと思います」
「偽善者が!」と安徳は小さく吐き捨てた。
「それよりも、どうして安徳さんはこの子が同じテリトリーにいるのが嫌なんですか?」
一郎が訊ねると安徳は再び鼻を鳴らした。そして部屋をジロジロと眺めた。
「そう言えば昔、この部屋で少年が自殺したって話があったの知っているか?」
「え?」
突然話題を変えられ一郎はキョトンとした顔を見せた。
「死にたかった奴が何故か蘇った。そんな奴はろくな奴じゃねぇ。反吐がでるって思わねぇか?」
「つまり安徳さんはこの子の死に方が気にくわない。だから安徳さんの目の届かないところに消えろと言うのですか?」
「違う。そのガキの死に方になんか興味ねぇよ」
「なら、どうして」
安徳が獰猛な笑みを浮かべた。
「そいつが近くにいると俺がどこで何をしているかばれちまう。隠れて人間を喰うのが俺にとって最高の愉しみなんだ。邪魔されたくねえだろ?」
「人間を?どうして?」
「良い質問だ。理由は二つ。人間の肉が、血が、魂が美味いのがまず一つ。そして二つ目は、人間を喰えば喰うほど「黄泉帰り」の能力「呪い」がレベルアップするんだよ。ゲームみたく経験値を貯めるみたいで面白いんだぜ」
「そんなの嘘だ。そんな話聞いたことがない」
「本当だよ。世の中には広まらないよう、上役の黄泉帰り達が情報操作してるんだよ」
「それは一般人の俺に話てもいいのですか?」
水の蛇が突如動き、ぐるりと一郎を一巻きしてから少年へと巨大な口を開きながら近づいていった。
安徳が芝居がかった様子で両手を虚空に広げた。
「テレビではきっとこう説明されるだろう。ある日、アパートの一室で「黄泉帰り」の少年が蘇った。錯乱した少年がアパートの住人を殺害。異常に気付いた正義の味方の「黄泉帰り」安徳がかけつけた時には住人は殺されていた、と」
ひひ。安徳から笑いが漏れる
「まぁ実際、お前は俺に喰われ、ガキは俺に殺されるんだがねぇ」
笑い声が止まる。
安徳は据わった目つきで少年を見つめた。
「俺が黄泉から持ち帰った「呪い」は「八岐大蛇」。簡単に言えば、水から蛇を造る能力だ。ガキ。お前も「呪い」を発動しないと、折角蘇ったのに何も成すことできず死ぬぜ」
「そいつは困る」少年は呟き、即座に距離をとる。机の上に置いてあったビニール袋を掴み、ビール缶を蛇に投げつけた。鈍い音を立て缶が弾きとばされた。
「無駄だぜ。俺の造った蛇の硬さは鉄に匹敵する。人間の力じゃどうすることもできねぇよ」
少年は蛇から距離を取る以外の選択肢を思い浮かべることができなかった。しかし、リビングの広さは十畳ほど。じりじりと迫る蛇に追い詰められていく。
一朗の方も蛇によって少しずつ絞めあげられ、胴体に激痛が走った。
その時、一朗の耳にある音が聞こえてきた。テレビの音だ。いつの間にかCMが終了し、再び「黄泉帰り特集」という番組が再開していた。テレビの中でMASAと呼ばれる「黄泉帰り」が喋っていた。
「「黄泉帰り」の「呪い」はけっこう弱点が多いんですよ。例えば、俺の友人の「黄泉帰り」に水から蛇を造る「呪い」を持つ奴がいるんです。そいつが造る蛇は強力で軍隊にすら匹敵する力があります。だけど、蛇の口にアルコールを入れてやると力が使えなくなるんです。面白いでしょ?」
それを聞いた瞬間、一朗は叫んでいた。
「ビールを蛇の口に投げろ」
少年はすぐに蛇の口に向かってビニール袋ごと残りのビール缶を投げつけた。蛇がビール缶を噛み砕いた。缶から液体が溢れだし、蛇の喉を通って入った。
再び一朗はMASAの声を聞いた。
「と、いうのもですねぇ。そいつが黄泉から持ち帰った「呪い」は「八岐大蛇」と言って八岐大蛇伝説を基にしているんです。知っていますか?八岐大蛇。神代の時代、酒を呑んで眠らされたところ対峙されてしまった化け物ですよ」
蛇が悲鳴を上げた。蛇の形が歪み、ただの水へと戻っていった。
「崇徳の野郎ぉ。何、考えてやがる!」
安徳の身体がよろめいた。その瞳は蘭欄と輝き、テレビを憎々しげに見つめていた。
「くそがぁ。お前ら、覚えていろ。必ず殺してやる」
そう言い残し、安徳はよろよろとした足どりで逃げて行った。
台所からは水が噴水のように噴き出し、テレビに大量にかかり唐突に映像が消えた。
「こういう時は不動産会社に電話すればいいんですかねぇ? それとも警察でしょうか?」
少年が首を傾げながら言った。