黄泉帰りの少年
やっぱり酒はよくないなぁと一朗は思った。
最近、酒の量が増えた。
昔は一日一缶だったのが、今では倍になった。今日は六缶。おそらく全部飲み干すだろう。
『無趣味で仕事人間の人ってアルコール中毒になりやすいんだってさ』ふと彼女の責めるような声が頭をよぎった。
ヤバいなぁという思いはいつも心にある。
コンビニ袋に入ったビールをいっそのこと捨ててしまおうかなとも考えた。数歩先にある自販機の取り出し口にでもビール缶を入れてみるのも面白いかもしれない。そんな妄想をしながらも結局は「まだ大丈夫」と自分を誤魔化し、ビール缶を手にしたままアパートに戻った。
一人暮らし用の1LDK。リビングの電気をつけた。
見知らぬ少年がソファーに座っていた。
「あれ?」
予期せぬ先客に一朗の脳が反応する。
この部屋は一朗の部屋で間違いない。何故なら一朗が所有する鍵で解錠したのだから。スペアキーはもう一本あるが、部屋の中にある。誰かが使用するのは無理だろう。ならば目の前の少年は誰だ?
泥棒、にしては様子が違う。一朗を見ても慌てふためいていない。
「えっと、君は誰?」
一朗は答えを導き出すことができず、訊ねた。少年は困ったような笑みを浮かべ言った。
「えっと、僕は誰なのでしょうか?」
「いや、それを俺が訊いているんだけどねぇ。ちなみにここは俺の部屋。君は泥棒じゃないよね?」
「泥棒ではない、です。目が覚めたらここにいたんです。何故ここにいるのか分からないんです。というか僕が誰なのかも分からないんです」
弱気な声で少年が説明した。一朗は溜息を吐いた。
「気付いたら、ここにいた? そんな理屈が通るわけないだろう」
「ですよねぇ」
「一昔前までは」
「え?」
「今の御時世、君みたいのがうじゃうじゃ出る御時世だからねぇ」
一朗は空いているソファーに座り、テレビをつけた。
画面に「黄泉帰り特集」というテロップが現れた。その番組内では、昨今、国内で死者が蘇る事例が多発し、蘇った者達を「黄泉帰り」と呼称しているとアナウンサーが述べた。
一人の男が映し出された。端正な顔付きで、黒いスーツを身に付けていた。
『今日のゲストは本物の「黄泉帰り」であり、俳優、歌手としても大活動しているMASAさんです』
アナウンサーが言うと、テレビから歓声が上がる。
「MASAは4年前に蘇った「黄泉帰り」だ。今じゃ、ドラマでも主役を務めるほどの役者だし、歌も上手い。あと女性の人気が高い」
そう言いながら一朗がビニール袋からビール缶を取り出した。
「飲むか?」
「いえ、僕は未成年ですから」
少年が首を振ると、一朗が苦笑した。
「そいつはすまなかった」
一朗が喉をならしながらビールを飲み干し「さいっこうだぜぇ」と叫んだ。
少年が「あの、ちょっといいですか?」と訊ねた。
「うん?何?あぁ、喉が渇いたのか?腹が減ったのか?」
「違います。その、警察とかに僕を知らせなくていいんですか?」
「何で?」
「だって、僕は貴方の部屋に不法侵入した不審者ですよ?」
「そうなんだよなぁ。だから俺もどうすればいいか困っているんだ。どう対応するのがベストなんだろう?ちなみに、君はこの部屋を出ていきたいのか?」
「いえ、そういうわけでは」
「そうなると、どうすればいいのかねぇ」
一朗がビールをあおった。しばらく考え込むように黙り込んだ。
テレビの音だけが部屋に満ちた。MASAという芸能人の声が少年の耳に入りこんでくる。
『蘇った瞬間は、目が覚めたって感覚に近かったですよ。っていうか同じでした。死ぬ時も、何と言うか眠るのと同じだったなぁ。思ったよりも怖くなかったです。ただ「黄泉」での記憶はありませんでした。稀に、「黄泉」の記憶を持つ「黄泉帰り」もいるらしいですがねぇ。あぁ、それと、死ぬ前の記憶が無い「黄泉帰り」もけっこう多いようです。まぁ、時間が経てばもとに戻るケースが多いですけどねぇ。あ、俺が死んだ理由は言えないですよ。事務所からとめられているんで。はは。すみませんねぇ。「黄泉帰り」の特集番組なのに具体的な俺の「黄泉帰り」体験のことは話せなくって。そうだ。蘇る場所についてだけど、大抵「黄泉帰り」が死んだ場所か、一番思い入れのある場所で甦るんですよ。だから、アパートに住んでいる人は気をつけた方が良いかもしれませんね。もしかしたら以前の住人が蘇るかもしれない。なぁんて冗談ですけど』
それからもMASAは「黄泉帰り」について話していた。
「「黄泉帰り」は保護してもらうのが一般的なんだよなぁ」
「はぁ。やっぱり僕は「黄泉帰り」なんですか?」
「さぁね。それを調べてもらうためにも専門の人に保護してもらった方がいいとおもうけどねぇ。君はどうしたい?」
「できればしばらく、この部屋にいたのですが」
「それはこの部屋がもともと君の部屋だから?」
「いえ」
少年の表情が歪んだ。それは己の感じているものをどうやって言葉にして良いか分からず苦しんでいる表情に似ていた。
言い淀む少年の言葉を一朗は辛抱強く待つ。再びテレビの音が部屋に満ちた。
『あぁ、言い忘れていました。「黄泉帰り」の特徴としてまだ二つほど面白いのがありました。一つ目は超能力のような「呪い」という力を持つこと。二つ目は』
画面の中でMASAが少し間を置いた。
沈黙を縫うように少年が口を開いた。
「部屋の外に、別の「黄泉帰り」がいるんです。それもものすごく」
何かが爆発する音がした。台所から水が飛び出し部屋を水浸しにした。
『二つ目は「黄泉帰り」は近くにいる別の「黄泉帰り」を感じることができるんですよねぇ』
楽しげにMASAが言った。
「外に邪悪な「黄泉帰り」がいるって分かるんです。だから俺はずっとここで息をひそめていたのですが」
それを先に言ってくれよ、と一朗はキレそうになった。だが、一朗が口を開く前に台所から噴き出る水に異変が起こる。水が蛇の姿に変化したのだ。
人の頭をまるまる呑みこめるほど巨大な口を蛇が開いた。
一朗は迫りくる蛇の頭をぼんやりと見つめながら、酒の飲み過ぎで頭がおかしくなっちまったのかなぁと現実逃避していた。
やっぱり酒は良くないなぁと一朗は思った。