3
「アーサーは、私の婚約者でした。」
ブリギッドは寂しげに、そうつぶやいた。
「2年前のノーマン人との戦いでなくなったのです。私との結婚を一週間後に控えていました。」
「そうでしたか。」
ガウディは姫の数歩後ろを歩きながら、優しい声でこたえた。
「それから、負傷した父も病気がちになり、今では一族の中も足並みがそろわずにいます。死の森の南にはノーマン人が腹をすかせた野獣のように迫ってきているというのに。」
ビビとガウディがキルト人の城へやってきて3日がたった。
姫君はすっかりガウディのことを信用しており、なにかにつけて訪れるようになった。
今日はこの地域には珍しく心地の良い青空だった。なので姫に誘われるがまま朝から遠出の散歩に出かけていた。
一面に広がる、黄金の小麦の稲。
それらは異常に背丈が高く、大人の姿がすっぽり隠れてしまうぐらいはある。
「ぷあっ追いついた!」
誘われてもいないのに、ビビはしっかりふたりにくっついて来ていた。
あれからガウディは思いっきりビビのことを無視している。
もう我慢も限界だった。
「もう!ガウディったら!」
ビビは思いっきりガウディが着ている黒いマントを引っ張った。
きっちりとなでつけられていた黒い髪は無造作に垂らされ、服装も19世紀のジェントルマンから、キルト人のゆったりとした黒い民族衣装を身に着けている。
ビビはといえば、相変われず真っ赤なドレスだった。着替えさえも貸してもらえなかったのだ。
ガウディはたったビビがいたことに気付いたように振り向くと、いつもより幾分冷たい態度で短くこたえた。
「なんです?」
不機嫌そうに、眉間にしわがよっている。
知らない人みたいな態度に一瞬たじろいだが、負けじと続ける。
「ちょっと!あたしはどうしたらいいのよ?」
「お好きなようにされたらいいんじゃないですか?」
「おすきなようにって、そんなこと言われてもあたしは何にもわかんないんだよ!どうにかしてよ、自分ばっかりお姫様と仲良くでれでれしちゃってさ。」
「今の私は、あなたにとやかく言われる状況ではありませんが?」
「なによそれ。」
ガウディは、マントを引っ張りビビの手を無理やり離した。
「この世界では、私は19世紀の貴族に仕える執事ではありません。」
見下したような瞳で、ビビをみすえた。
「あなたも、ここでは高貴な人間でなどありません。ただの小娘ですよ。」
ガウディの態度の急変に、しばし呆然としていた。
もともと、あたしに対して優しい人ではなかったけど、こんなに突き放したような態度は取らなかった。
「3日たって、あなたは何も考えなかったんですか?我々は19世紀に帰れるかわからないんですよ。1年後か10年後か、いえ、きっと帰れないんです。だったらこの世界で生きていくしかないでしょう。」
帰れない?
そんなこと、ちっとも考えてなかった。
きっとまた、元に戻れると、ガウディと一緒に19世紀で暮らすのだと、漠然とそう思っていた。
突然突きつけられた厳しい現状に、頭が真っ白になる。
「だから、わたしはここで生きていくと決めたんです。またここで、1から登り詰めてやります。」
「ガウディ、でも、あたしと一緒にいてくれるよね?」
ビビはすがるように詰め寄った。
怖かった。
この世界にも、ガウディにも、すべてに拒絶されているようで、体が震えた。
ガウディは、唇を歪めて苦笑した。
「なぜ間抜けなあなたとこの世界でまで一緒にいないといけないんです?厄介払いができてせいせいしますよ。」
足元が崩れるような感覚に襲われる。
今までいた世界が、ガラガラと音をたてて壊れていく。
「やだよ!あたしはガウディといっしょにいたい!」
「離せ!」
再び掴んだ手を乱暴に引き離される。
「もうあんたに振り回されるのは、うんざりだ!貴族に生まれたというだけで、あんたみたいな人間に媚びへつらうのはもう我慢ならない!イライラする!どこへでもすきな所へいってしまえ!」
その言葉は、どんな凶器よりもビビを深く傷つけた。
心臓をナイフでえぐられるほどの傷。
あまりの衝撃に、言葉が出ない。
どうして?
あたしはガウディのこと、好きなのに。
こんなひどい言葉を投げつけられるほど嫌われているなんて。
信じられなかった。だって、つい数日前までは、多くの時間を共にしてきた仲なのに。
それなのに、彼はこんなにも冷酷にその時間を切り捨て、いままで全く知らなかった人間達のほうを選ぶなんて。
「ガウディ・・・。」
「私はガウディではありません。ガーディアです。」
やっと搾り出した呼びかけも、心無い言葉に打ち消された。
「ガーディア?どうしたのです?」
遠くから、彼を呼ぶ声がした。
「今参ります。」
ビビに目を合わせることなく背を向けると、すたすたと歩き出していった。
彼の大きな背中が、ぼやけて見えない。
関を切ったように涙が溢れてくる。
苦しかった。
「ガ、、ガウディなんか大っ嫌い!!!あんたなんかこっちから願い下げよ!!!」
ここに1秒でも居たくなかった。
ビビはふたりに背をむけ、反対の方向へ逃げるように走っていった。
わけもわからず、ただ走ってきた。
もう、どれだけ歩いただろう。
足が棒になった。
もう、何がなんだか、わけがわからなかった。
「はあ。」
ぼろ雑巾にでもなったみたいだ。
近くにあった切り株に腰をかけた。
「よっこいしょ。」
履いていた黒いハイヒールを脱ぎ捨てる。
「いたたた・・・。」
足の先が豆がつぶれ血が出ていた。かかともすれて皮が剥けている。これならば、裸足で歩いたほうがましだ。
このまま、ここで寝てしまおうか。
そうすれば、きっと目覚めればいつもの客間のソファで目が覚めて、ガウディにしかられるのだ。
「ううん。もう元の世界に戻っても、ガウディのことなんか知らないよ!あの薄情もの!」
ひざをかかえてうずくまるが、最悪の気分だ。あのビビが寝る気を失っていた。
それに、少し肌寒い。
木々がうっそうとしていて元々薄暗い上に、日も暮れかかってきている。
いつの間にか森に入り込んでしまったようだ。
人の気配どころか、生き物がいる気配さえしなかった。
こんな孤独は今まで味わったことがない。
また涙がこぼれてきた。
「これからどうしよう・・・。」
はあ。
ため息をついた。
ぐー。
同時に腹の虫が鳴いた。
食欲だけは失われなかったようだ。
「とにかく、何か食べたい。」
何かしていないとおかしくなりそう。
我慢できなくなりふらふらと歩き始める。
「木の実とかないのかな。」
しかし、果実が成っているような木は生えていない。
「知らなかった。泣くとお腹がすくのね。」
ここでビビの驚異の嗅覚が何かを察知した。
「はっこれは、、、香ばしい肉のかおり、、、。」
こんな世界の終わりのような森の中に、ローストされたミートが落ちているわけがない。
しかし、それは確かにビビの目の前に存在していた。
「肉!」
何の疑問も抱かずに、魅惑の塊に野獣のように飛びつき、両手でがっしり抱え込む。
「獲ったどー!」
ガッツポーズで喜びの雄たけびを上げた瞬間、身動きが取れなくなった。
「なにこれー?くもの巣に引っかかったのー?」
もがけばもがくほど網が体に絡みつく。
同時にシャンシャンッと鈴の音が響きわったった。
「おや、これはこれは。こんな何もいない死の森で何が掛かるかと思ったら、天の御使いが釣れた。」
声のするほうに振り返ると、背の高い金髪の男が腕組みをして木に寄りかかりながらこちらを面白そうに眺めていた。
男は重そうな甲冑と深紅の長いマントを身に着けている。
獲物を狙う鷹のように鋭いハシバミ色の瞳だが、口角がぐっと上がった大きな口がどこかいたずら好きな少年のような雰囲気を作り出している。
男は大またでビビに近づいてくると、絡まっていた網をはがした。
「どうした、太陽神に怒られて地上にでも逃げてきたか?早く帰らないともうすぐ月の女王の時間が来るぞ。」
歳はまだ若い。20代半ばぐらいに見える。なのに、圧倒的な存在感がある。
「この肉は、わたしのだよ!わたしが取ったんだもん!」
ビビはひしっと肉に抱きついた。
「そうか。肉が好きか。」
「お腹がすいて死にそうなの!」
ビビは我慢できずに肉にかぶりついた。
おいしい!
謎の男が見ているが、お構いなしに食べ続ける。
「そんなにあわてて食べるほどうまいか、そのしし肉は。」
「え?これライオンの肉?初めて食べた。おいしいね。さすが百獣の王だけはあるよ。」
「らいおん?なんだそれは?天上の生き物か?」
「ライオン知らないの?でもこれ、獅子の肉だって、、、。ほら、あのこう、たてがみがあって、大きな猫みたいな。」
「ぶあっはははは!ああ、獅子と勘違いしたのか。これはイノシシの肉だ。」
「イノシシの肉かぁ。どっちにしろ初めて食べたよ。でも、そうなら始めからイノシシの肉だって言ってよ。」
「そうだな。すまんすまん。」
男は豪快に、にかっと笑った。
ビビはすぐに子猫ぐらいはある肉の塊を食べてしまった。
「すごい食欲だな。まだ食べたいか?」
「まだあるの?」
ビビは目を輝かせて詰め寄った。
「ああ、いっぱいあるぞ!よし、嫌というほど食べさせてやろう。お前の食べっぷりを見ていたら気持ちがいい。俺の部下たちもさすがにあんな大口じゃ食べんぞ。」
ビビはやすやすと男の肩に担がれた。
「いっぱい、食べ物あるの?」
「ああ、なんと言っても地上の太陽の臣下だからな。天上の王よりもいい暮らししてるぞ。ただし、城にはむさくるしい野郎どもしかおらんがな。」
にやり、と人を食ったような笑みを浮かべる。
「歓迎するぞ、肉好きの天使。」