第8話 いつかきっと・・・
8.いつかきっと・・・
「早く教えてよ、真奈ちゃんのメアド」
目の前にご褒美をチラつかされて血気付く動物の様な大澤に、勇吾が首を横に振った。
「もう一回、真奈美ちゃんに確認してから」
「何でだよ!OK貰ったんだよ。『先輩から聞いて下さい』って」
「そうかもしれないけど、念の為、もう一回確認してからだよ」
「何でもう一回なんだよ。一回は聞いてくれたんだろ?」
「聞いたけど・・・ちょっと気に掛かる言い方だったから」
「どんな?」
「・・・どうぞご自由に的な」
「え~?!そんな感じ?」
「そうだよ。だから、もう一回ちゃんと会って聞いてみてからって思ってんの」
「会って?わざわざ会わなくても、確認なら今電話すればいい事でしょ?」
「顔見なきゃ、本当はどう思ってんのか分かんないだろ?」
「そこまで俺の事疑う?」
返事をしない勇吾に、しびれを切らした大澤が言った。
「早くこの前のお礼とか、次の誘いとかしたいんだよ。だから急ぎ目で頼む!」
両手を合わせて拝む大澤だった。
『この間のドタキャンのお詫びに、一緒に行きたい所あるんだけど、誘ったら迷惑かな?』
あの泣き腫らした夜から一週間近くが経っていた。勇吾からのメールに、また身構える。こんな内容だけど、今度は単純に騙されたりしないと心に蓋をする。
『お詫びなんて・・・気にしないで下さい。もう終わった事ですから』
そう返信した。しかし、勇吾からは又返事が返ってくる。
『今度は大澤とか居ないから』
そう言われ、微妙に心が揺らぐ。信じてみたい気持ちに傾く自分を、また私は自分に鞭を打つ。
『二人でって事ですか?』
『嫌かな?』
急にドキドキし始める自分の正直な心臓を恨んだ。そして深呼吸を一つして、返事を送る。
『彼女に悪いから、お断りします』
送信し終えて、もしかしたら今度こそ本当のチャンスだったかもしれない機会を破り捨てた自分に肩を落として、携帯を置いた。すると、割合すぐに その携帯がメールの着信を知らせる。力なくメールを開いてみて固まる。
『彼女とは別れちゃったよ。だからお気遣い無用です』
別れた・・・どうして?そして私と一緒に行きたい所があるって・・・どうなっているのだろう。大澤も来ない。彼女とは別れた先輩と二人きり・・・今度は信じてもいいかもしれないと、心が段々と緩もうとする。しかし同時にダメダメと頭の隅で囁く自分もいる。するともう一通勇吾からのメールだ。
『スキマスイッチのイベントがあるから、一緒に行きたいと思ったんだ』
二人の思い出だ。東高の文化祭で聴いた軽音楽部のライブ、そして帰りの電車でイヤホンを一つずつ分け合って聴いたあの曲。今度こそ、誰かの為の約束じゃない。きっと違う。そう思うと、心が勝手に走り出しそうになる。私は嬉しい気持ちそのままに、返信をした。
『私も行きたいです。連れて行って下さい』
日曜日のイベント会場は凄い混雑で、でもそれが私には高校時代の朝の通学電車を思い出させた。ぴったり横にいる勇吾が、時々動く人の波に呑まれてはぐれてしまわない様に、私の背中に遠慮がちに手を回してくれているのを、ちゃんと気が付いていた。ステージにスキマスイッチの二人が姿を現すと、会場には割れんばかりの歓声が響き渡る。今日はアルバム完成記念イベントだから、その中のシングルカットされた曲が一番目だ。そして少しテンポの良い曲が続いた後で流れてきた、思い出のあの曲。イントロが始まった瞬間に、私は先輩の方を見ると、彼もこっちを見てニコッと笑った。覚えていたのだ。彼もきっとあの時の光景を、ずっと覚えていてくれたのかもしれないと勘違いしたくなる様な程、気持ちが重なって感じた。私は恥ずかしさで耳まで真っ赤に熱くなったが、今日は髪の毛を下ろしているから多分気付かれない。会場中がその歌声に包まれて聞き入っていると、ふと右手に触れた暖かい感触。彼の左手とぶつかって触れてしまったみたいだ。タイミングが良すぎて勘違いしそうになって、思わず彼の横顔を見上げると、勇吾も一瞬こっちを向いた。
「ごめん・・・」
目を合わせてはくれなかったが、その言い方から、ちょっと意識をしてしまいそうになる。『彼女と別れた』と聞いただけで、こんなにも心が軽い。好きな人の痛みより自分の幸せを喜ぶ卑しい自分を醜いなと思いながらも、私は嬉しい気持ちにブレーキが掛けられない。でも良く考えたら、この間まで好きな彼女がいた彼だ。そう簡単に他の人に気持ちなんか向く訳がない。慌てるな慌てるなと自分に言い聞かせる。ここから少しずつ始めればいいんだ。今日から少しずつ自分を知ってもらって、同じ時間を少しずつ重ねて行って、いつかそれが一本の線になればいいな・・・そんなロマンチックな気持ちになったのは、やはり聞こえてくるラブソングのせいかもしれない。
イベント会場を出て、ご飯屋さんに入る。会場の近くはどこも混んでいて、電車の乗り換えの為下りた池袋で、勇吾に大学時代良く行った定食屋さんへと案内される。
テーブル席がいっぱいでカウンターに並んで座る。二人っきりで向かい合ったら照れ臭いから、カウンターで少しホッとするのだった。勇吾がお薦めだと言う アスパラの肉巻定食と生姜焼き定食を一つずつと、それに生ビールを付けて注文する。
ビールで乾杯すると、もう私は夢心地に近い。
「先輩の大学って、この近くだったんですか?」
「池袋からバス乗って通ってた」
「じゃ、ここはお友達とよく来てたんですね」
そう言ってみて、ハッと思い出す。彼女とは大学の同級生だと言っていた事を。それを思い出すと、急に楽しい筈のこの時間が落ち着かないものになっていく。もしかしたらこの席に座って過ごしたかもしれない とか、お薦めと注文した定食も 彼女のお気に入りだったのかもしれないとか、そんな余計な事ばかりが頭をかすめる。
学生が御用達というだけあって、出てくるまでが早い。アスパラの肉巻の一部と生姜焼きを少し交換して、大盛りのご飯を片手におかずを頬張る勇吾の姿に、大学時代を想像してみたりする。
電車に揺られ、家への距離を縮める。吊革につかまって、隣に並ぶ長身の勇吾を見上げて話す。こんな仕草さえ嬉しい。そして目の前の席が二つ同時に空いて、目を見合わせて微笑み 腰を下ろす。そんな何気ない仕草も、まるで夢を見てるみたいだ。少しして、勇吾が切り出す。
「この前のメールでさ、大澤にアドレス教えていいかって聞いた時の真奈美ちゃんの返信が、ちょっと気になってね。本当は嫌なのかなって。嫌なら無理しない方が良いんじゃないかなと思って・・・。俺がこんな事言うのおかしいけど」
「・・・・・・」
あの時の気持ちが、心に甦ってくる。
「あいつには何て返事したの?」
「・・・『先輩に聞いて下さい』って」
「ふ~ん。あいつもそう言われたって言ってた」
勇吾が携帯を取り出しながら、聞いた。
「じゃ、『どうぞご自由に』って、どんな気持ちで言ったの?」
「・・・先輩に間に入ってもらうの、もう迷惑掛けたくないなと思って」
「あぁ・・・。じゃ、大澤とは、また連絡取ったり会ったりしてもいいなと思ってるの?」
私は、心の中に確固たる答えがあるにも拘らず、それを慎重に表現しようと、遠慮がちに首を横に振った。
「でも教えちゃったら、多分じゃんじゃん連絡来て、デートにも誘われるよ。いいの?」
「嫌なら、返事しなくていいって・・・」
「そう・・・。ま、真奈美ちゃんがいいならいいんだけど」
「・・・・・・」
結局結論の出ないまま、勇吾はそれ以上はっきりさせるのを待った。
車内のアナウンスで、次が南ヶ丘駅だという事を知る。
「じゃ、俺次下りるね。今日はありがとう。楽しかったよ」
「こちらこそ」
「とりあえず、あいつにはまだ教えないでおくから、本当にいいって思ったら、俺にメールちょうだい。大澤には、断れなかったんだってって言っとくから」
電車にブレーキが掛かるのを体で感じる。そして勇吾が立ち上がると、私も一緒に立ち上がった。
「私も、一回下ります」
ホームに降りた彼に、私は一言言った。
「ちょっと、一緒に来てもらっていいですか?」
そう言って向かったのは、卒業式の日、私が間違えて2時間待っていた“第一なかよし公園”だ。あの日とは違って、もう真っ暗だ。
「ちょっとだけ、お時間もらえますか?」
少し改まった私の様子に、彼は少しだけ姿勢を正した。
「私・・・先輩の事、今でも好きです。ずっと、ずっと好きでした。だから偶然に駅で久し振りに会えて、本当に嬉しかったです。その後、どんな理由にしろ先輩に会えたりメールしたり、凄く夢みたいでした。だけど素敵な彼女と楽しそうにしてる先輩見ちゃったから、気持ちは言わないつもりだったんだけど・・・」
勢いに任せて、息継ぎもせずに一気に話すが、気が付くと変な空気が立ち込めている。
「ごめんなさい。急にこんな話して、本当にごめんなさい。でも、もう・・・言うだけ言っちゃおうって・・・」
「・・・・・・」
「先輩の気持ちとか、返事とかそんなの要らないんです。ただ・・・そう、卒業式の日に言おうと思ってたみたいな・・・けじめっていうか、区切りっていうか・・・」
段々不安が膨らんできて、遅ればせながら声が震えてくる。
「あっ、でもこんな事言っちゃったら、次から気まずいですよね。どうしよう・・・」
さっきから私しか喋っていない。それに気付いて、更に不安が膨れる。しかし黙っていたら、必要でない彼からの答えが返ってきてしまいそうで、私は急に怖くなる。
「あの・・・やっぱり大澤さんには私から謝ります」
「真奈美ちゃん・・・俺の事、ずっとそんな風に思っててくれて、ありがとう。出来れば俺も・・・真奈美ちゃんと又今日みたいに出掛けたり・・・楽しいと思うんだけど・・・」
「先輩!だから、要らないですって。そういうの」
私は慌てて遮った。だって先輩の語尾に、僅かに『けど』って聞こえたから。
「そういう訳にいかないよ。真奈美ちゃんが真剣に気持ち伝えてくれてるのに」
「でも・・・分かってるからいいんです」
「分かってるの?」
「あえて、曖昧でいいんです」
「曖昧・・・」
「私、先輩の事好きな気持ちが、毎日の原動力なんです。だからフラれたりしたら、エネルギーの源泉が無くなっちゃうじゃないですか」
最後の方は、笑って言ってみせる。
「今までみたいに、町でばったり会ったら挨拶して、時間があれば少し立ち話でもして、笑って、さよならして・・・またいつもの日常に戻る・・・そんな感じで」
「・・・うん」
「で、ホントたま~に、今日みたいなライブに一緒に行ったりして・・・ご飯食べて帰ってきたり・・・」
「真奈美ちゃん・・・それは・・・もう今日でおしまい・・・かな。二人で出掛けたりは・・・」
暗がりに灯る外灯の明かりだけで、勇吾の表情を見る。私は取り繕う様に言った。
「あっ、いいんです。例えばの話ですから。そうですね、二人でとかは・・・やっぱダメでした。ごめんなさい。分かってます。大丈夫です」
また前みたいに胸がぎゅーっと縛り付けられる。
「俺は・・・いいんだけど・・・ごめんね」
その言葉の意味は分からない。分からないが、考えている余裕など無い。見た目以上にテンパっているのだから。
し~んと静まり返った空間に、電車の通る音が響く。勇吾が電車が通り過ぎるのを見届けてから言った。
「もしかして、線路沿いの公園って・・・ここ?」
「・・・はい。ごめんなさい」
「いや、そういう意味じゃなくて。・・・それ言ったら、俺もごめんなさい」
二人が下げた頭を上げる。目が合った途端、二人は同時に吹き出した。
フラれてるのに、あまりフラれた感じがしないのは、多分勇吾の優しさのお陰だと思った。またどこかでバッタリ会うのも怖くない。きっと笑顔で今まで通り『どうも』って言える。メールはそうそう気軽には出来ないが、何かあればきっと送るのに抵抗はない。充分だ。それで充分だ。私には、これだけあれば笑顔の充電が出来るから。
ただ一つ・・・ただ一つ、線路沿いの公園で彼の言った、
『俺はいいんだけど・・・ごめんね』
これが引っ掛かる。あれだけは未だに解読出来ないでいる。もしかしたら、いつかその内分かる日が来るかもしれない。それまで、これも曖昧にしておこう。
秋が過ぎて冬を越えて また春がやって来る様に、次の桜の季節が巡ってくる頃には、何かが変わっているかもしれない。高校の時もそうだった。春に彼に一目惚れして、秋の学園祭から話す様になった。半年で急な展開もあり得なくない。しかし はたまた、何も変わっていないかもしれない。どっちでもいい。今のままでも幸せだ。でも、暖かくなった頃に、もっと心が通い合っていたら 尚嬉しい。そんな僅かでささやかな期待を胸に秘め、電車から見える 色づき始めた木々の葉を眺めながら、私は今日も変わらず南ヶ丘駅に通う。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
初めはここで完結しておりましたが、その続きを書きましたので、もう一話お付き合い頂けたら嬉しいです。