第七話「4年ぶり」
────ューさん────
ん……うん……何だ?
自分はパチパチと目を瞬かせた。
寝てたのか自分。そういえば盗賊が難癖つけてくる直前は眠かった気がしたけど、そのイベントのせいで目が覚めて、その後また睡魔が襲ってきて眠っちゃったのか。
誰かに呼ばれて目が覚めたような気がしたので、キョロキョロと馬車の中を見渡すと一頭分小さい高さからの視線と目が合った。
ケイティス君だ。
「エリューさん。次の街に着きましたよ。起きてください」
あぁ、もう?
馬車の窓から外の様子を伺うと、夕焼けに染まった街の光景が見えた。
昼過ぎにあの街を出発したはずで、この時刻に着くのか。
まぁ夜に乗り合い馬車が運行するわけがないから、当然だね。
だとしたら自分達が乗ったこの馬車は最終便なんだろう。
一日はこの街に逗留しないと。
「それであの……エリューさん……」
どうしたのケイティス君そんな引きつった顔して。
馬車から降りるとケイティス君の他にあの母娘が待っていた。
そしてケイティス君がおずおずと口を開いた。
「お金って残ってます……?」
自分は固まった。
残金230シュペーしかない。
そうだ。考えなしで使っちゃったけど230シュペーじゃまともな宿なんて取れないし、そもそも明日の乗合馬車にも乗れないぞ。
「ない……です……」
自分はサッと顔が青くなった。あの盗賊のアジトからまだそんなに離れていないのに……
「エリューさん大丈夫です。とりあえず今日の分の宿は確保できてます」
おぉ!?
ケイティス君有能過ぎない?
しかしお金は無いのに一体どうやって。なんてことを思っている、あのとき助けたお母さんと視線が合って、ニコりと微笑まれた。
あ、もしかして。
「この街にリエーレさんの家があるから、そこで泊めてもらえることになったよ」
「そうだ。ウチに来るのだー!」
ケイティス君の手が女の子に引かれておっとっと、と姿勢が崩れる。
おー自分が寝てる間に随分仲良くなって。
リエーレさんはあのお母さんの名前だろう。
そこに泊めてもらえるみたい。これは僥倖ってやつだね。
「ありがとうございます」
「いえいえ。むしろこれくらいさせていただかなければ私どもの気持ちが収まらないので。こちらです」
リエーレさんはそういってクルッと踵を返し、「ソフィー。ほらケイティス君が困っているでしょう?」と言いながら先導しだした。
娘さんの方はソフィーちゃんって言うのね。
あ、そういえばツインテールにしていた髪留めを自分にくれてバランスが悪くなったからかポニーテールになってる。
自分は背負った大鎌の刃が片方に突き出てるから、なんとなくサイドテールだと落ち着くんだけどね。
◆
案内された家は、家というよりかは宿屋みたいだった。
招き入れられるままに中へと入ると、そこにはまず目に入ったのはカウンター。
その後ろの棚には酒瓶が所狭しと並べられている。
カウンターの左手にはいくつかのテーブルが並んでいて、更に左、入り口のすぐ横の壁には二階へと上がる階段があった。
「ようこそ、『夜明けのオーロラ亭』へ 一日限りの営業再開です」
リエーレさんはカウンターの下から、少しばかり年季の入った看板を抱えて出した。
その木の看板には横書きで確かに『夜明けのオーロラ亭』と描かれていた。
ホントに宿屋だったし。
ということはここの客室にタダで泊めてもらえるのかな?
見たところ安宿じゃなくて、ほんとにちゃんとした宿屋っぽいし、これは嬉しいなぁ。
「うわぁ。すごい。ちゃんとした宿屋だよ! こんな所に止まらせてもらって良いんですか?」
「もちろんよ。エリューちゃんとケイティス君は私達の命の恩人だからね。シュペー分をきっちりお返ししないといけないわ」
ケイティス君は童心に返って喜んでいる。
いや、そういや元々子どもだった。
うん? でも一日限りの営業再開って言ってたな
言われてみればカウンターやテーブルも埃が積もっていて、しばらくの間使われていないらしい。
何か込み入った事情がありそう。
リエーレさんはカウンターの上にドンッとその看板を立てかけて、じゃあ部屋に案内しますね。と言って自分達を二階へと案内した。
案内された客室は、自分が前世で見た部屋の内装となんら遜色ないように見えた。
……少し埃っぽいけど。
まぁでも少し長めの旅行から帰ってきたときの感じだ。別に煙たくなったり、咳き込んだりするほどじゃない。
「しばらく帰ってなかったものですから、少し埃っぽくてすみません……夕食ができたらお呼びしますので、ちょっとだけ待っててくださいね」
リエーレさんはそう言って、ケイティス君を隣の部屋に案内していった。
自分は部屋に取り残された格好になった。
宿屋をやってる、いや過去形か、やってたから料理も期待できるんだろう。
買い込んだ保存食が無駄になった気がしないでもないけど、やっぱり暖かいご飯のがいいしね。
◆
部屋の内装はベッドや丸テーブル、タンス、ドレッサーといったごくありふれたものが配されていた。
日もとっぷり落ちて、淡いランプの光が部屋を照らしていた。
自分はベッドに腰をドカッと下ろして、後ろに手を着いて、天井を仰いだ。
昨日からいろいろあった。
前世の記憶を持ったまま死神になったり。
ケイティス君と出会ったり。
盗賊のアジトから大脱出。
それから……始めて人を殺したり……。
あのときの情景が頭のなかに反芻する。
溢れだす血液、裂けた肉、声にならない悲鳴。
自分はどんな表情をしていたのだろうか。
あのときのケイティス君の表情は強張っていたような気がする。
自分はどんな感情で大鎌を振り下ろしていたのだろうか。
どうか躊躇いを握りしめたままでありたい。
化物になってしまうから。
『何言ってんだァ? お前はとうに化物だろう』
「バロル……久しぶりな気がするね」
ここなら一人で誰の目をはばかることもない。
自分はバロルに恨み節を含ませながら話しかけた。
『あァ、昼の間は俺ァ寝てるからな』
そうなのかい。はじめに言っておけって。
────ぷつん、と思考が途絶えた。
天井を仰いでいるのはさっきと変わりなかったけど、背中に毛布の柔らかい感触を感じた。
自分は布団に体を沈み込ませたまま、また思考に埋没していく。
「うん……? バロル。自分寝てた?」
『あァ? んなこたァねェが?』
「そう。ならいいけど……」
あのときのことを考えないようにして、その次の話を思い浮かべる。
馬を駆って街に着いたんだ。……なんて名前の街だっけ? ステルス? いや違うな。ステルン? んーまぁいいや。この街にとっては隣町の街に着いた。
盗んだ馬は即お金に変えて……、そのお金は有効活用した。うん間違いないね。
いや、話が微妙に飛んだ。
それから服屋に行ったんだ。思えばあのときは服がなくて、裸の上にローブを羽織ってるだけだった。今にして思うと恥ずかさで憤死しそう……。
でもそんなことに気を配る暇がないほど余裕がなかったんだ。
あの店員さん。最初は少しムカッと来たけど、なんだかんだで良くしてくれたな。
この大鎌カバーだって即席で作ってくれた。
ベージュ色のシックなやつで、大鎌と中々合っているんじゃないだろうか。
「そういえばこのカバーどうよ?」
『あァ? どうでもいい。俺はこれに覆われてても周りが見えるしなァ。お前の都合で付けたいなら付けとけ』
むぅ。無関心はちょっと悲しいな。
まぁいいや。次は……
そうだ。串焼き屋のおっちゃんからロック鳥の串焼きを買って食べたんだ。
あれは美味しかった。
しかしあのおっちゃん筋肉隆々で強そうだったなぁ。
案外ロック鳥もおっちゃんが直接倒したものだったりして。
……ないか。
そんで壊滅した冒険者ギルドへ行ったんだ。
しかし今でも信じられない。
冒険者ギルドと言えば前世の創作物の中ではある意味不可侵な存在なのが定番だ。
それに手を出して、あまつさえ撤退にまで追い込むなんてどうかしてる。
化物を従えてるなんて話もあったけど、それは真実だった。見るもだに恐ろしい化け物は確かにいた。
でもやっぱり違和感は拭えない。
あの盗賊は元実験場を根城にしてた。
実験場には自分みたいな、悪魔や魔物が研究開発されてた……
まさか……
────トントンッ!
「ごはんだよー!」
自分の思考は、はつらつとしたノックの音で中断された。
ノックの位置とあの声は自分に髪留めをくれたソフィーちゃんだ。
あと他の二人、ケイティス君とリエーレさんは自分に敬語で話しかけてくるしね。
リエーレさんに敬語で話しかけられるとなんかむず痒いんだけど、あれはお客さんだからなのか、それとも元来からそういう人となりなのか……
「ん。わかったー!」
自分はドア越しに返事をすると、ソフィーちゃんの気配がドアから遠のいていくのを感じた。
そして直ぐ様隣の部屋からノックの音が聞こえてくる。
ケイティス君にご飯を知らせに行ったみたいだ。
自分はベッドから体を起こした。
そのときに視界の端にちらっとドレッサーが目に入った。
ふと思った。服屋さんでやたらフリルだらけの服を似合うと勧められたり、串焼きのおっちゃんに美人だって褒められたりした。
あれはお世辞だと思っていたけど、冷静に考えたら自分は幼少期に奴隷として攫われてから鏡を見たことがないじゃないか。
だって実験体だ。
起きてから失神するまで自由なんてないし、そのうちに心身を喪失してしまった自分は自分の今の外見を知らない。
自分はおっかなびっくりして鏡の前に自分を置いた。
思わずギュッと目をつぶってしまう。
変化が怖い。自分の記憶にある昔日の自分と今の自分はかけ離れているだろう。それを直視するのが怖かった。
おまけに自分はもはや人間ですらない、死神なのだ。
恐る恐るまぶたを持ち上げる。
視界が開いていって、鏡の中で縮こまっている美少女を目にした。
これ……誰……?
これを自分とするのはなんだか申し訳ないような気がした。
だって綺麗過ぎるのだ。
夜の闇に浸して染めたような黒髪はたおやかに流れて。
星の光のように白く透き通った肌はどこか神秘的。
空の月みたいな金色を湛えた両の眼からは目が離れない。
稀代の細工師が宝石を散らしたみたいに芸術的に仕上がった顔形に、ほっそりと伸びた四肢はどこか蠱惑的で。
何の文句のない美少女が鏡の中にいた。
自分はこの鏡そのものが疑わしく思えて、ジリッと鏡面とその内に在る虚像ににじり寄った。
でもそんな動作を鏡の向こうの美少女がそっくりそのままやっていて、それにびっくりして満月みたいにまんまるに見開いた表情まで全く同じ。
自分はペタペタと己の顔を触る。
鏡の中の美少女もおんなじことをする。
これが自分……?
確かに記憶の中にある自分の姿からは面影が見て取れる。
でも4年くらいでここまで綺麗になるのか。
あんな凄惨な目に遭い続けたというのに。
あるいは自分が奴隷として売り払われたのはこうなることを奴隷商人に見透かされたからなのかも、結局行き着いた先はひどいものだったけど。容姿なんて関係ない。
あ、いや鬼種の興奮剤くらいにはなってたかも。
もう一度鏡を見る。
うん美少女だ。
普通に生きて死ねたなら人生勝ち組だよこれ。
◆
自分はそれからケイティス君が呼びにくるまで鏡を見続けていた。
「何やってるんですか……エリューさん」
ノックから間髪も入れずに開いたドアの音に、首をまわして自分は固まる。
何をやってた。と聞かれると。
うん、自分があまりに美少女だから見惚れてた?
……うん……うん……
……自分に見とれてたとか恥ずかしすぎるだろぉーーー!!!
結局ケイティス君には身なりを整えてたで通した。
うん。女の子の準備には時間がかかるんだ。そう。そうに違いない。
自分は真っ赤な顔のまま一階に顔を出した。