第六三話「友達のために」
とりあえずまとまった分を。
短めです。
──マグマスライムはスライム種の中でも郡を抜いて危険な魔物である。
学生時代の図書館で広げた本に記されていた、そんな記述をライラは思い返していた。
階下に広がるは地獄絵図。
そこかしこに冷え固まって黒くなった溶岩が散らばり、その溶岩にのしかかられ、真黒に焦げた芝生がパラパラと風に舞い、高熱で発火した草木が燻って、朝の空に靄をかける。
そこは生命の姿はない荒涼の大地だった。
それはつまり魔獣達は為す術なく溶岩に飲み込まれていったといことだった。
彼らは「宿を包囲しろ」という命令の元、そこに出現した異物に愚かにも襲いかかってしまったのだ。
一匹の 大熊が《ハウルスク》に飲み込まれると、その体積が3割ほど膨れ上がる。
次に近くにいた大爪鼬へ溶岩の触手が伸ばされ、次の犠牲者となり、また体積が膨れ上がる。
スライムは十分なエサを摂取吸収した場合体積が膨れ上がる。それはマグマスライムとて例外ではない。むしろ超高温で獲物をドロドロに溶かしてしまうマグマスライムの場合、吸収までの時間なんてあってないようなものだった。
そして問題はエサの量が多すぎたということ。
魔獣の巨躯を4つも5つも喰らえば、あっという間に体積は膨れ上がる。
そうして宿の裏手に配置された魔獣達が全て《ハウルスク》に呑み込まれた。
呼び出したときはCランク相当であった《ハウルスク》がBランク相当。納屋ほどの大きさにまで育ってしまった。
そうして獲物のいなくなったハウルスクは草原を真黒に焼き焦がしながら、エサを求めて膨れ上がった巨体を這いずっていった。
「まずい……」
誰にでもなくライラはそう呟いた。
ずるずると這いずり、宿の表へと消えていく《ハウルスク》。
それはライラが指示したものではない。本能に突き動かされた結果だ。
「す、すごいじゃないですかライラさん。あんな隠し玉があったなんて……」
表情を曇らせるライラと対称的に、ケイティスは《ハウルスク》の暴れっぷりに声が上ずっていた。
彼はひとまずピュゼロの応急処置を終えて、外の様子を見下ろしてみると、あれほど恐ろしかった魔獣の姿は影もなかったというわけだ。それは絶望的状況に差し込んだ光明に他ならないだろう。
「まずい……」
「ライラさん……?」
けれどライラの心中では警笛が鳴り響いていた。
原因は《ハウルスク》が僅か数分でランクを一つ繰り上げるほど肥大化してしまったこと。
それのせいで《ハウルスク》はライラの制御を離れつつあった。
使い魔として召喚された生物は、ようは主である魔術師に支配されているわけだ。
ライラは魔術師としては異端の部類で、使い魔に対して友愛の精神を唱えているものの、だからといってそこに魔法を介する契約関係がある以上、大なり小なりの支配力強制力が存在する。
スライム種のような意識などほとんど存在しない生物であればあるほど、魔法による契約がなければ使い魔として振る舞わせることができない。
だが魔法で縛り付けた契約は、そのときの力関係が崩れれば成立しなくなってしまう。
例えば老衰で魔力の衰えた魔術師が扱いきれなくなった使い魔を手放すことがある。
また逆にまだ幼い使い魔と契約し、それが成長するにつれて魔術師の扱える両分を超えてしまい、やはり契約を破棄せざるを得ないことがある。
今回は後者だ。
《ハウルスク》は6匹もの魔獣を喰らい、それを己が糧とした。
そうして瞬く間に成長した《ハウルスク》はライラの手綱を今にも引きちぎろうとしている。
──溶岩と同質の成分で構成される粘体に呑み込まれれば生き延びる術は皆無。
──生半可な魔法では太刀打ちできない莫大な熱量。
──近縁種のスライムと比較しても、あまりにも猛烈な吸収・成長速度。
──以上の点を以て、マグマスライムは数ある魔物の中でも最大級の警戒を払うべき魔物である。
ライラの脳裏でいつかの本の記述が反芻される。
迂闊だったとは言わない。それしか選択肢がなかったのは事実だ。
だがこれでは脅威が数十体の魔獣から1体のマグマスライムに移行しただけなのも事実である。
もし更に魔獣を食らって、完全にライラの制御を離れたら、次に餌食になるのは自分たちかもしれない。そんな恐ろしい考えが彼女の脳裏に飛来する。
「止めないと……!」
「ちょ、ライラさん!」
ライラはその結論に行き着くやいなや、弾かれたように走り出す。
責任は自分にあるのだと。だからあれを止めるのも自分の役割なのだと。
彼女は宿の廊下を疾走する。
《ハウルスク》との間にある、もはや微かな繋がりを頼りに。
◆
「──この子は、《ハウルスク》は責任を持って、私がなんとかするから」
そうしてライラ・アルトフォスは己の使い魔の不始末をつけるために、《ハウルスク》の前へと立ちはだかった。
彼女は溶岩の発する膨大な熱量に対して、《ミサイル・プロテクション》による風の防壁を作り出したものの、それでも余りある莫大な熱量は防壁を貫いてが彼女の肌をジリジリと焦がす。
部屋は赤光に照らされ、燃え上がるする建材や調度品はガラガラと崩れ落ち、溶岩の壁が押し迫ってくる。さながら地獄のような光景。
だがそんな状況でも彼女は一歩も引かなかった。
不退転の覚悟で、彼女はこの場にいる全てのために立ちはだかった。
それはなぜか?
後ろにいる友達を傷つけさせないために。
目の前の「この子」を傷つけさせないために。
前にも後ろにも大切なものがあるから、ただの魔物学者の彼女がこんな地獄の只中に立つことができた。
だがそんな彼女の心中を後ろの面々は知るよしもない。
むしろ戦闘員ではない彼女が一番危ない位置に飛び出してきたのだ、当然止めようとする。
「ライラさん! 今すぐ下がってください! あれは危険です! 今もミノタウロスが一瞬で……!」
「うん分かってるよ」
エリューが危険を訴えるがそんなことは重々承知。彼女は振り向きもせず、気丈な態度で己の使い魔をジッと見つめる。
それから少しだけ後ろを振り向いて。
「エリューちゃん達はそこで見ててほしいな。これは私とハウルスクの──飼い主とペットの問題なんだから」
そうしてライラ・アルトフォスの戦いが始まった。
◆
「さて……、ハウルスク。おっきくなったね。……ちょっと大きすぎて私の手には余るくらいだけど」
対話。
それが彼女の《ハウルスク》に対して選んだ手段。
知性がないと言われるスライムに対して、彼女はそのスタンスを押し通そうとした。
一般論で考えれば、愚かしいことである。けれど。
「魔獣たちはおいしかった? うんまぁ、おいしかったからそんなおっきくなったんだよね」
冗談めかし、はにかむ彼女は気のおけない友人に話しかけるようだったし、事実彼女にとってはそうなのだろう。マグマスライムの《ハウルスク》といえどもだ。
その常識の埒外にある光景に後ろの面々は、ライラを止めることも忘れて、大人しく見守ってしまう。
「ほんとはあの子たちも助けたかったんだけど、悪魔になっちゃったらもう無理。せめて終わらせてあげるのが優しさだと私は思ってる。だってあの子たちの声、とても苦しそうだったから」
ライラの中では、普通の生物と悪魔の間には明確な線引きがなされていた。その線引きは召喚なんかに携わる職業柄、悪魔は最も気をつけるものと認識しているがゆえであった。
だからそれの元が、ただの魔物であった魔獣であろうと、そこにかける情けは彼女にはなかった。
「それをあなたにやらせてしまったのは、謝らなくちゃね。こっちの都合で、……なんかそれはそれでむしろ喜んでそうだけど」
また彼女は冗談を飛ばして微笑む。
まぁ事実として《ハウルスク》は喜々として魔獣を食らい、ランクを2つ繰り上げるほどの成長を遂げた。それは魔獣がエサとして「美味しい」という証拠にほかならないのだろうが。
「ほんとに今日はありがとね。あんな急ごしらえの魔法陣でちゃんと出てきてくれて。あなたがいてくれてよかった」
そして彼女は屈託のない笑みを浮かべ、《ハウルスク》に感謝した。
何の打算もない、心情の吐露。
そのあまりにも真っ直ぐで、キラキラとした尊いものに、いつの間にかハウルスクは嘘のように大人しくなっていた。
「おかげで悪い魔獣達はお腹の中。私達は安心、あなたはお腹いっぱいで大団円……のはずだったんだけど……」
ライラの誤算は、ハウルスクが急速に成長しすぎたこと。
お陰でハウルスクはもはやライラの使い魔ではない、今こうして足を止めていてくれていること自体が奇跡のようなものだ。
あるいはそれは知性のないスライムのただの気まぐれなのかもしれない。
だがライラはそれでも言葉を投げかけ続ける。
「まだ足りない? そんなことはないと思うんだけど……」
そしてハウルスクはライラの投げかけた問いへの回答のように、またドロドロと動き始める。
「……ダメだよハウルスク。わたしはエサじゃないよ。それともずっと私が食べたかったの……?」
ハウルスクは宿を半ば呑み込みながら、押し迫ってくる。
溶岩の壁が近づく度に、膨大な熱量が押し寄せ、彼女の額に汗が浮かんではそれが瞬く間に乾いていく。
けれども彼女はその足に根が張っているかのように、一歩も物怖じしなかった。
「さすがに全部をあなたにあげるのはダメだけど……、ちょっとぐらいならいいよ? 髪とかどう? それとも腕とかじゃないとダメかな?」
彼女は譲歩の条件として、体の一部を差し出そうとする。
癖っ毛のある赤髪はそれなりのボリュームがあり、それを手でぐいっと束ねて前に出す。
体の一部を差し出すなんて悪魔的な発想でハウルスクが満足する根拠などどこにもなかったが、彼女に支払えるものはこの位しかなかった。
それに、その程度で全員助かるなら、支払ってもいい犠牲だとライラは思っていた。
そのタイミングで図ったように《ハウルスク》は幾本もの触手を伸ばし始める。
ウネウネと蠢きながら溶岩の雫が滴り、床板がジュウと音を立てて焼け焦げる。
「……ッ!」
ライラは迫りくる触手に、思わず目をつぶった。
さしもの彼女もそこまで恐怖心を殺し切ることはできなかった。むしろこれが健全な反応だろう。
「…………?」
だが目をつぶった暗闇の中で感じるのは、周りを取り巻く溶岩触手からの煮沸音のサラウンドと、オーブンの中に放り込まれたかのような全方位からの放射熱。
十分極限状態ではあった。だが。
髪を焼き切れられる感覚も、あるいは腕を引きちぎられるような感覚もなかった。
「えっと……」
恐る恐るライラは目を開ける。
その視界一杯に広がるは溶岩触手。
だがその触手は彼女を完璧に避けて、後ろにあるモノへと伸ばされていた。
ライラが振り向いた先には、事の成り行きを静観してくれていた友達の姿があり、そこでライラは全てを理解した。
「もしかして私を守ろうとしてくれてたの? それは嬉しいけど……ダメだよ」
ライラはハウルスクの行動の意図をこう解釈した。
ハウルスクは今も使い魔のときに受けた命令を遵守している。
その命令とは、意訳してしまえば「魔獣をエサとして食べろ」ということだ。
結果としてハウルスクは魔獣を食い荒らした。副次的に使い魔としての契約が破れてしまったが。
そしてハウルスクは魔獣の操作権限があるアルコンとリィゼ、そして死神であるエリューを主の指示した魔獣の仲間として認識してしまう。
だからハウルスクは、主であるライラを避けてその後ろにいる3人に触手を伸ばしたのではないか。
そういう推測をライラは立てた。
「うぅ……ハウルスク、ダメ!」
ライラは自分を取り巻く触手を器用にかいくぐりながら後退し、エリュー達を守るように腕を広げる。
ライラがそうして立ちはだかったことで、武器を構えて交戦体勢に入ろうとしたエリュー達も武器の構えを解き、事の成り行くを見守る。ただいつでも介入できるよう気を張ってはいるようではあった。
「この子は確かに死神だけどっ、わたしの友達で、悪い死神さんじゃないのっ」
そしてライラは勘違いを正させるために、また説得を始める。
けれどハウルスクは触手をウネウネと伸ばすのを止めようとしない。
「この人たちはゴハンじゃないよ。だから食べちゃダメ……」
だが、ハウルスクにライラの声は届かない。
あくまでハウルスクは使い魔のときの命令の延長線上のことをしているだけなのだ。もう使い魔ではないハウルスクはライラのことを害してはならないと認識しつつも、だからといって新たな命令を受け付けるわけではない。
「っ……!」
触手が伸びる。
エリュー達は自分の方へ伸ばされる触手を迎え撃つために、大鎌の刃に指を這わせ、その切れ味を確かめる。
もはや一触即発。
ダメだ。このままじゃ戦いになってしまう。
戦わなくてもいいんだ。この子とエリューちゃんは戦わなくてもいいんだ。些細なすれ違いが起きてるだけなんだ。
止めないと。
そうしてライラはある決断をした。
「メッ!」
平手が振るわれる。
溶岩の触手に向かって。
彼女は真っ赤に煮えたぎる溶岩触手に向かってビンタを喰らわせた。
触手に衝撃が伝わり、その軌道が大きくブレる。
溶岩に触れた手に、どろりした粘体が付着しそのあまりに高熱に皮膚を肉が焼き焦がされる。
「う、ぐぅうううぅう」
ライラは悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げる。
けれども彼女は右手を抑え、痛みに喘ぎながらも、決して倒れるようなことはなかった。
「ライラさん!」
不測の事態にエリューはライラに駆け寄る。だが溶岩で焼ける手の治療法に心当たりなんてなく、おろおろとした挙句、一応は敵であるリィゼの方を見て助けを求める。
リィゼはぎょっとして一瞬固まるものの、かと言ってライラの手が骨まで溶けきってしまうのを看過できるわけもなく、ライラの側にまで駆け寄る。
だがそんな風に自分を心配する周りをよそに、ライラはハウルスクへ再び言葉を投げかける。
「ダメ、だよ。ハウルスクもうゴハンの時間は終わりだよ」
その言葉が届いたのかどうかは分からない。
けれど。
弾き飛ばされた触手は、路頭に迷う孤児のように目指すべきところもなく蠢き、あるいは何処ともしれぬ虚空に首をもたげてていた。
明らかに先程とは動きが異なる。
それはライラのビンタが、《ハウルスク》に何かしらの衝撃を与えたということだろう
「だからその触手をしまって、外に出よ、……ね?」
熱さとか痛さとかが臨界点を超えてよく分からなくなってしまった状態で、ライラはそれでも言葉を投げかけ続ける。
「分かって……くれた……?」
その言葉に応じるように、触手がシュルシュルと引き込まれていく。
部屋に溶岩の壁を作っていた《ハウルスク》の本体もズリズリと後退していき、溶岩の赤光ではない、白く眩しい朝日が差し込んでくる。充満していた熱気が外へと抜けていき、それと入れ替わるように朝の心地よい風が吹き込んでくる。
それはつまり《ハウルスク》にもう敵意がないことの証。
「これで、大丈夫、もう、安心、だよ……」
そうして彼女はとうに限界点を超えていたのだろう。
ライラは足をふらつかせ、そこをエリューの手によって抱きとめられる。
そのまま、リィゼが水魔法で治療を始める。
とりあえず危機が去ったことで安心したのだろう。
その表情はとても安らかで満足げで、つまり彼女の理想は他ならぬ彼女の手で守りぬかれたのだ。
だが彼女にはまだ仕事が残っている。
ハウルスクから害意を取り除いたのはいいが、あれをこのままクームの地に置いておくわけにはいかないのだ。
だが何をするにしても、手の治療が終わってから。
ライラは手の平を包み込む水の冷感と、それでも拭いきれない溶岩熱の火照りという相反する不思議な感覚を味わいながら、治療が終わるのを待った。




