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死神少女が生きてるだけ  作者: ゲパード
第一章 大鷲篇
42/75

第四二話「毒霧を超えて」

かなり長めです。


 

 

 

 クームの大庭園に紫紺の津波が押し寄せる。

 それは毒霧でできた津波だった。


 畑も果樹も草も川も、それらを飲み込んで毒霧は拡がっていく。これをけしかけたのはマンティコア。奴の尾である大蛇が毒霧を吐き、それをマンティコア本体が風の魔法で操り、こんな大範囲の侵食が成っていた。


 そして毒霧に追われるいる人物が二人いた。ロッシとケイティスだ。


「はぁ、はぁ……!」

「大丈夫ですかケイティス!」

「はぁ……っ……はい、なんとか」


 ケイティスは先程、氷柱群の中に入ったせいで体の至る所が凍りついており、それでなくとも子どもゆえに体力のなさ、オルゼの街からエリューに付き合ってきたことによる強行軍も相まって彼の体力は限界を迎えようとしていた。

 走るロッシとケイティスの間には3歩分程度の距離が空いていて、ケイティスが遅れていた。


「─────! ────────!」


 そのとき彼らの真上から声が降ってくる。

 余裕がないケイティスはそれに気づかなかったが、まだ余裕のあるロッシは気づいて、見上げて彼の視界には、ヒポグリフが螺旋のような軌道を描いてこっちへと降りてくる光景が写った。

 

「ロッシさん! ケイティス君! 大丈夫ですかー!」

 

 距離が近づき、ロッシの耳にはその声が確かに届く。

 赤髪を靡かせライラが声を張り上げていた。彼女は風に声が流されないように半ば叫ぶような調子で必死に声を届かせていた。

 そうして今にも毒霧に呑まれそうな二人の側へとヒポグリフが降りて来る。ヒポグリフは翼を強く羽撃はばたかせ、そうして生まれたドーム状の旋風が毒霧を押し返す。その隙にヒポグリフは地上に降り立った。

 ヒポグリフにはライラとオリヴィエの二人が騎乗していた。


「────《ディヴァイン・トーチ》」


 即座にオリヴィエが魔法を発動。三角帽子に収納していた魔法陣の一つだ。彼女の雪結晶の大杖スタッフの先端に邪を祓う聖灯が灯り、毒霧の侵入を食い止める。光の届く範囲内の安全は一応確保された。といってもマンティコア側からの対応で容易く掻き消える頼りないものなのだが、まぁ急場にしては上出来だろう。彼女は大杖スタッフごとブンブンと聖灯を振り回し毒霧を退かせる。


「ライラさん、オリヴィエさんっ! 来てくれたんですね!」

「うんっ! さすがに捨て置くわけにはね! とりあえず乗って!」

「いえ、私は大丈夫です。足でもなんとか逃れられます。ひとまずケイティスを乗せてください!」


 ロッシの後ろでぜぇぜぇと息を吐いていたケイティス。彼は体の節々が凍りついていて放っておけば凍傷もかくやという状態だった。ロッシはそんな彼を不意打ちざまに担ぎあげて差し出す。


「え、ちょロッシさんっ?」

「ん」

「頼みます」


 息も絶え絶えのケイティスは事態を把握しきれていないようで、なすがままにヒポグリフに跨がさせられる。場所はオリヴィエの後ろ。

 ケイティスは少しだけ抵抗しようとしたが、ヒポグリフが羽ばたきだすと状況を理解したようで大人しく跨っていることにしたらしい。


 ヒポグリフが再び浮き上がり、その際に発生する旋風がまた毒霧を押し返す。

 そうして4人と1匹は毒霧の喉元から飛び立つ。


 中途半端に食い止めたせいで、上方が垂れ下がるようになった毒霧津波が前方を遮ろうとするが、オリヴィエが《ディヴァイン・トーチ》を前方へと投擲、淡い燐光を放ちながら聖灯が毒霧を祓い放物線を描いていく。

 それをなぞるようにヒポグリフは翔駆して毒霧から飛び出た。紫に遮られた視界からいきなり太陽に元へと飛び出したため、ライラは目をしばたかせる。けれどそれで切り抜けたわけじゃない。とりあえずロッシとケイティスを拾うことができただけで、毒霧津波の脅威は未だ健在。


「それで、なんでロッシさんとケイティス君はここに?」


 ライラがヒポグリフを匍匐飛行させながらロッシに問いかける。


「──えぇっと私達はあるものを取りに来たんですが、あの毒霧に阻まれてしまったんです」

「──あるものって?」

「──エリューさんの大鎌です。あれがどうやらマンティコアの目的らしくてですね……」


 駆けあるいは翔けながら情報を共有しあう。今むこうのエリューの状態はまるで死んでいるようだということ。エリューの大鎌を届ければなんとかなるかもしれないということ。そのために《アスポート》の護符を持ってきたということ。


 その情報を受け取ったライラは、今までのマンティコアの動きを振り返る。

 確かに追尾魔法やさっきの毒霧は相手をそこから動かしたいような印象を受けなくもない。揺さぶりをかける意味も込めて大鎌を確保しにいくのは悪くないんじゃないかとライラは思った。

 その間にも彼らの後ろに毒霧の津波が迫ってくるが、次第に彼我の距離は開いていく。まるで特定の地点から人を離れさせようとしているようだった。


「ん、もうよさそうライラ」

「あ、まじ? ほんとだ。だいぶ距離取れたね」


 ライラとロッシが情報を共有していた間に十分な距離が取れたと彼女らは判断した。いつの間にか毒霧を大分引き離すことに成功していた。匍匐飛行の速度が緩んでいく。


「ロッシさん、ケイティス、じゃあ反撃に出るよ。心づもりしてね」


 ライラはそう呼びかける。

 といっても具体的な作戦があるわけではない。毒霧の向こうにいるマンティコアが何をするか分からない以上その一つ一つに頭突き合わせて対策を話し合うことなんてできない。

 なら各々の判断で動く方がいいということだ。


 そうして4人と1匹は足を止めて、迫り来る毒霧を迎え撃つ。


 先程稼いだ距離なら毒霧に呑まれるのには十数秒かそこら程度の猶予がある。つまりそれはちょうど大魔法一つの詠唱がすっぽり収まる時間だった。


「じゃあ。頼むね」

「おうよっ。全霊使いきるよ」


 ヒポグリフからオリヴィエが降り、状況にあまりついていけていないケイティスが半ば強引に降ろされる。

 それを見届けたライラはスパンッと手綱を鳴らし、ピュゼロがいなないた。

 羽撃き、その馬身がふわりと浮かぶ、また一つ羽撃く。地表すれすれを滞空しながらピュゼロは何度も何度も羽撃く。

 羽撃くたびに風が束ねられていき、その風にライラの詠唱が乗せられ、陣風に跳ねるように軽妙な、けれども力強い詠唱が風にのって、魔法が編まれだす。


「“応えて甚風ウェンティ”」


 周囲を逆巻く旋風に彼女の赤髪が揺さぶられる。オリヴィエは三角帽子が飛ばされないように鍔を掴む。


「“その激しきコーテス束ねて強嵐と化し(プロチェーラ”」


 ライラは両手を広げて、風を手繰るような動作で詠唱を続ける。ピュゼロは尚も風を生み出し、次第に旋風は勢いを増していく。


「“その強嵐重ねてチェーラット)砲弾を成す(クルスタ”」


 もはや嵐とでもいうべき旋風に、ロッシやケイティスらは吹き飛ばされないようにしゃがんだり、膝をついたりせねばならないほどだった。


「“刹那の禍災エグジプルク”・“天裂き地抉るディスラソレーエ”」


 けれどその身引きちぎるような旋風が突然穏やかになる。まるで台風の目の中に入っているときのように。だが周りでは畑や果樹の葉が千切れ飛んでいる。旋風の渦巻く範囲が外側に広がったのだ。


「“嵐の魔砲カタリヴェス”・“ここにイネオ”!」


 そして遂に、毒霧は目の前に迫りくる。今にも紫紺の津波に呑まれようとしたそのとき。


「────《テンペストカノン》!!」


 放たれた轟砲。


 その一撃は毒霧に文字通り風穴を穿った。

 それはさながらそそり立つ壁にトンネルが開通したかのような光景。


 騎獣ピュゼロの巻き起こした風を、騎手であるライラが一つの砲弾へと凝縮し、放つ魔法。第三階位ウェンティといえど毒霧を撃ちぬく分には十分すぎる威力があった。

 毒霧のトンネルの向こうにはマンティコアの巨体が見える。制御を失った毒霧は次第に薄れていくことだろう。


「ぐっじょぶライラ」

「どーも、って! ちょっ」

「あーそう来たか」


 トンネルの向こう側にいたマンティコアは熱線を凝縮チャージしていた。毒霧が破られたときのために布石を打っておいたのだろう。

 押し固められた炎球は今にも張り裂けそうな危険な光を放っていて、放たれる熱線は人の身一つ分程度容易く消滅させてしまうだろう。


「ひーっどうするのーオリヴィエー!」


 勇ましく毒霧を貫いたライラはどこへやら。下にいたオリヴィエへと即助けを求める始末だ。

 それを受けてというわけではないが、オリヴィエは杖を振るう。


 開くは魔法陣の花弁。魔女はただ一言呟くだけ。

 その一連のプロセスはひたすらに早かった。まるで早送りの映像を見ているのかと錯覚するほど。


「《ペネトレイター》」


 そして放たれた魔法は世界で早い魔法。光線だった。

 一瞬。ほんの瞬きの間にその光は世界を串刺しにして、その一瞬の間に光線は消えてしまう。本当にそんな魔法が放たれたのか。そんなことを思ってしまうほどに一瞬で光線は駆け抜けていった。

 けれどそれが確かに走り抜けたと証明するものがあった。


 あなだ。

 マンティコアの老面、その額には小さな孔が穿たれている。


 ふらりとマンティコアの巨体が揺らいだ。


 魔獣マンティコアがちんたらと詠唱を紡ぐ間に、魔女オリヴィエは魔法陣をを高速展開し光線で撃ち勝った。そんな単純な事実。

 けれどそれはマンティコアにとって予想外に過ぎた。


 まさか己の詠唱を追い越して魔法が飛んでくると奴は思っていなかったし、それで額を撃ちぬかれることになるとは露にも思っていなかったのだ。

 だからその驚愕と、体を光線に串刺しにされたという決して小さくないダメージが相まって、マンティコアは集中を乱した。詠唱の最中に、それも熱線の凝縮チャージ中にだ。

 制御を失った魔法。それが行き着く先は、暴発と相場は決まっている。


「伏せてライラ」

「え、え? ちょっ」


 オリヴィエに引きずり降ろされるライラ。言われるがまま姿勢を低くし、それを受けてピュゼロも足を畳んで伏せる。ロッシとケイティスもそれに倣った。


 そして二条の熱線が暴発する。


 一条は今さっきライラがいた位置を。

 もう一条はだいぶ前方に着弾した。


 そこは偶然にもエリューの大鎌を捕らえていた氷柱群のところで、着弾爆発して氷柱達はことごとく薙ぎ払われていた。


「ああっぶなっ!」

 

 先程までいた位置でふんぞり返っていたら間違いなく命はなかったライラは、顔を引きつらせて恐々としていた。


「はいはい、騒がない。ライラとケイティスはもう魔力ないから少し休んでて」

「えぇ、私もう用済み!?」

「僕だってまだいけますよ!」

「今は休んだ方がいい、魔力が少ないと意識を持たせるのもきついはず。ピュゼロを駆って落馬でもされたらたまらない。ケイティスだってマンティコア相手に前衛させるわけにいかない、凍傷だってある」

「……折角ここまで来たのに」

「それは……確かにそうかもしれないけど。じゃオリヴィエはあれと真正面から撃ちあうつもりなの?」


 ケイティスは悔しそうにうつむき、ライラは不安そうに問いかける。それに対してオリヴィエはすっと遠くを見つめた。気づけば先程までそこにいたはずのロッシの姿がなくなっていた。


「一応ロッシが前衛についてくれるから。むしろこっちがいつもの感じ」


 言葉通り、ロッシは剣盾を携えて突撃を開始していた。

 その背中をライラは唖然と見つめる。だって、そうだろう。


 マンティコアは見上げるほどの大きさの巨獣。人の身一つで挑みかかるのは傍目に見れば無謀にも映るのは仕方がない。


 けれどオリヴィエの目にはその背中がとても頼もしく写った。彼はいつもそうなのだ。剣と盾だけ・・でどんな敵だろうが食い止めてしまう。だから彼女はただ詠唱をして魔法を放つ。それだけでいい。


 きっと今回もそうなるのだろう。

 いくらマンティコアが巨獣といえど、先の魔法戦で受けた傷は相当なもの。

 氷槍を十ほどに、吹雪と氷縛による凍傷も重なって、奴の体はもはやボロボロのはずである。そんなものにロッシが遅れを取るはずがない。

 オリヴィエはそうして彼を信頼し、また一つ詠唱を紡ぎだすのだ。


「“氷牙スカジ”────」







 ロッシは剣盾を構え、走る。

 彼の役割は二つ。


 マンティコアをオリヴィエのところまで行かせないようくい止めること。

 氷の檻から解放されたエリューの大鎌に《アスポート》の護符を貼り付けること。

 この二つだ。


 大鎌はロッシとマンティコアのちょうど中間に転がっていた。

 盾をかざして走りこんでくるロッシを見て、マンティコアも目論見に気づいたのだろう。即座に大地を蹴り、蝙蝠羽が空を叩き、ひとっ飛びで大鎌の元へと辿り着く。


「近づけ、させんぞ、“土塊ギー”・“人形プーパ”・“オーレ”・“陣形クエスティ”──《ウォークウォール》」


 マンティコアが詠唱をし、発動させたのは。土属性のゴーレムを生み出す魔法。ただしただのゴーレムではなく、長方形の壁そのものに足が生えているといった風体のものだった。ただ歩く壁として運用するためだけのゴーレムだ。高さは2mほど。

 それが大鎌を取り囲むように陣形を組んで侵入を拒んでいた。


「んん」


 マンティコアに先を越されたロッシは、壁ゴーレムに阻まれ足を止める。

 けれど彼は即座に判断を下す。迷いは一瞬もなく、彼は右手に握っていた剣をゴーレムの向こうへと投げた。


 タンッと彼の騎士剣が向こう地面に突き立つ。それはちょうどマンティコアの足元だった。

 そして彼は両手で円盾を握り、ググッと腰を落とす。まるでタックルをしかけようとしているような動作であり、その実ほとんどそれで合っているのであるが、彼はそれにあるものを用いようとしていた。


「《クロイツェム戦盾法──打ち崩す鋼の猛進》」


 盾を構え、激突。

 するとぶつかられたゴーレムはまるで軟土やわつちでできているかのようにバラバラと砕けてしまった。

 彼は土塊でできたとはいえ、相当の重量があろう壁ゴーレムをいとも容易く粉砕する。それで止まるロッシではなく、二重三重の防壁をも打ち崩し、遂にはゴーレムの防衛ラインを真正面から打ち破ってしまった。


「小賢しいっ」


 マンティコアは懐まで飛び込んできたロッシを叩き潰さんと、獣脚を持ち上げる。


「おっと、それはついさっき弾いてみせましたよ?」


 振り下ろされた獣脚をロッシは一瞬だけ受け止め。


「《クロイツェム戦盾法──受け流す鋼の輝き》っと」


 また受け流パリィしてみせた。ズドォンッ!と彼の真横に獣脚が落ちる。彼はその勢いのまま体を回転させ、すぐ側に突き立っていた己の騎士剣を左手で引き抜き、盾は右に移り。

 つまり最初とは逆側に剣と盾を持った。

 ロッシへと二つの『御手』が迫る。彼はそれを見て、一歩踏み込みながら右の盾を振るって御手を払いのけ、スナップをきかせて左の剣を突き出した。

 

「《ルシアス貴流刺剣術──白の刺突ブランピアシング》」

 

 その鋭い刺突は見事に御手の手の平を刺し貫く。

 エリューによって六つから二つまで減らされた御手を更に一つ、それもエリューのような神器レベルの武器によってではなく、ただの騎士剣によって貫かれた。

 その事実がまたマンティコアを驚愕させる。


 そして驚愕は隙を生む。

 ロッシがその隙を見逃すはずもない。彼は素早く御手から剣を引き抜いて、マンティコアの足元へと走りこむ。


 目的はエリューの大鎌。

 マンティコアもそれに目ざとく気づいて、残り一本の御手を伸ばしてくる。けれどそこに飛び込んでくるものがあった。


 オリヴィエの魔法だ。

 彼女の大氷槍が飛来してきて、マンティコアは御手をそれの防御へと咄嗟に回してしまう。それは反射的な判断だったろうが、結果的にロッシはエリューの大鎌へと辿り着くことができた。


「これですね!」


 すかさず彼は盾の裏から《アスポート》の護符を取り出して、大鎌の大刃へと貼り付ける。貼り付けられた護符から魔法陣が這っていき、大鎌全体に絡みついていく。


 だがそれを放っておくマンティコアではない。


 真上からの気配にロッシが飛び退く。さすがに大鎌はそこに置いたままだったゆえに獣脚に下敷きになってしまう。


「させぬぞ」


 マンティコアは大鎌を踏みつけ、そこに這い回る魔法陣めがけてデタラメな魔力を流しこんだ。その魔力は淡い波動が溢れて可視できるほどだった。

 魔法陣は適正量の魔力を流し込まねば暴走したり壊れてしまう。それが分かった上でマンティコアは《アスポート》の魔法陣を潰しにかかったのだ。


「そんなっ!」

「気づいて、いないと、思ったのだがな、まぁ、いい、この大鎌は、渡さんぞ」


 そう言いながらマンティコアは尻尾の大蛇をロッシへとけしかける。

 大蛇はよくしなる鞭のようにロッシへと喰らいつき、彼はそれをなんとか避ける。大蛇の大口は地面を抉り、ぱっくりと掬い取られたそこからはほのかに煙が上がっていた。牙から滴る毒が大地を焼いているのだろう。


 次いで大蛇は引き戻され、またロッシへと襲いかかり彼は後退を余儀なくされる。

 ここで蛇の相手をしていてはオリヴィエへと攻撃が飛んでいってしまう。彼はそちらにも注意を払わねばならなかった。

 オリヴィエの方へ視線をやると彼女はどっしりと構えて杖を構え、詠唱をしていた。ロッシは彼女とアイコンタクトを取り、行かせるものかと全速で足を動かす。


 そうして回りこむようにマンティコアの全面へと出ながら、彼はまた剣と盾を持ち替える。今度は剣を右に、盾を左に。

 そして斜め左からマンティコアの顔めがけ、飛び上がりざまに斬りかかる。


「《ヴォロス王国騎士剣術──鷹爪斬ようそうざん》!」


 ジャンプの勢いをそのまま斬撃へと転化した一撃。

 それをマンティコアは御手で受け止め、ロッシの騎士剣はグッと握りしめられる。ジャンプの慣性がなくなれば彼は宙吊りになってしまうことだろう。

 それを逃れる方法は二つ。御手に騎士剣を離させるか、もしくは彼が騎士剣を手放すか。

 ロッシは後者を選択した。パッと騎士剣を手放し、着地する。あまりにも判断が早すぎてマンティコアが反応できなかったほどだ。


 彼は両手で盾を持ち、また流派を切り替えて・・・・・いく。右剣左盾の《ヴォロス王国騎士剣術》から両手盾の《クロイツェム戦盾法》へと。


「《打ち砕く鋼の一打》!!」


 マンティコアの頭の真下で垂直に飛び上がり、顎に向け、思いっきり円盾で殴りつける。

 彼は超大型獣にの顎に向けてシールドバッシュを見舞ったのだ。


 それで恐ろしいことに、マンティコアはその一撃で顔を弾き飛ばされ、エビ反るようにしてのけぞってしまう。

 体格差なんて何百倍というレベルの相手にそんな成果を出してみせた。遠巻きに戦闘の行く末をみつめていたライラなどは「はぁ?」と思わず声を漏らしたほどだ。


 そうして無防備に晒されたマンティコアの喉。たてがみに覆われているとはいえ、胴体の付近は防護が大分薄い。


 そこへと氷槍が突き刺さった。オリヴィエの魔法だ。


 首と胸のちょうど中間。マンティコアの身体構造なんて分からないが、気管がそこを通っていると考えるのが自然だろう。


「──、──、──っ!」


 夥しい量の血液が、ボタボタと大地を汚していく。御手がそんなもの掴んでいる場合かと騎士剣を放り投げ、氷槍を引き抜き、また多量の血液が滝のように流れ落ちていく。

 間違いなく急所を撃ち抜いていた。これではもはや満足に詠唱を紡ぐこともできないだろう。

 マンティコアは痛みに呻き、平静を失って狂乱していた。そこへ無慈悲にもオリヴィエの氷槍が次いで突き刺さっていく。


 その隙にロッシは投げ捨てられた騎士剣を取りに行く。《クロイツェム戦盾法》を修めている以上盾のみでも戦えるが、《ヴォロス王国騎士剣術》《ルシアス貴流刺剣術》《ラグラン流剛断剣》といった剣術も修めている以上、剣を持っていなければ切れる手札の数も限られてしまう。


 そうしてロッシが距離を取り、マンティコアは内心一息をついた。そして同時に思う、あの達人業を受け続けてはたまらないと。

 そして断続的に撃たれてくる氷槍もなんとかする必要があった。


 しかしマンティコアは喉をやられ長い詠唱を紡ぐことは難しい。

 だから奴はまた毒霧に頼ることにした。


 蛇の尾から紫紺の煙が撒き散らされ、奴は獣脚でそれを乱暴にかき混ぜて。周囲へと振りまく。自分は耐性があるのだろう。これではマンティコアに近づくことができない。


「っ! ここで毒霧ですか! 時間を稼いで傷を治すつもりですね!」

「ロッシとりあえず下がって! 祓う」


 いくらロッシが達人業を持っているといっても毒霧が相手ではどうしようもない。おのずと彼は後退せざるをえなくなり、後衛であるオリヴィエの側まで戻ってきてしまった。


「大丈夫? 私いらない?」

「ライラは休んでて」

「……はい」


 ここぞとばかりにアピールしてきたライラだが、こともなく一蹴されしょぼくれて引っ込み、オリヴィエは毒霧をどうするかと思案しライラ達のことは埒外に置かれた。

 ぶすっとした顔で彼女はそれを見つめていると何かに引っ張られる感覚がして振り返る。


「すみませんライラさん。ちょっと頼みがあるんですが……」

「ん? ケイティス君。どしたの?」


 その感覚というのはケイティスがマントを引っ張る感覚だった。自分に何の用かとライラは問う。


「えーと。そのマントちょっとだけ貸してもらえませんか……?」

「え? これ? まぁ、いいけど……」


 何に使うのだろうと思いながらも、今必要なわけではないということで彼女はマントを外す。このマントは先日購入したばかりの新品で、ユークの手によって風除けの魔法陣が刻まれている代物だ。この風除け効果は騎手だけでなく同乗者にも働き、だからこそ素人のオリヴィエが乗っても吹き飛ばされることがなかったわけだ。

 そんなものを何に、とケイティスにマントを渡して観察していると、彼はおもむろにそれを口元を覆うようにして巻きつけていく。さながら何か危険なものが充満している所へ赴くような格好だ。


「じゃあすみません。僕はちょっと行ってきます」

「え、何言ってるの君も大人しくしてないとダメだよ。ちょっとっ!?」


 ライラが諭して止めようとするも、彼は意にも介さなかった。

 まるで彼は即席のマスクをし、ナイフを両手に携えて、まるで毒霧渦巻くマンティコアの元へ向かおうとしているように見える。

 ライラが声を上げたことでオリヴィエが後方の異変に気づく。


「ケイティス、何するつも────」

「すみませんオリヴィエさん。後でたぶんお世話になります!」


 だが問い詰めようとしたオリヴィエをも振り切り、彼は真っ直ぐ駆け出す。その方向には紛れも無く紫紺の毒霧が立ち込めていた。


「ちょっ待つ。ケイティスっ!」


 オリヴィエが制止しようと手を伸ばすも、彼は既に先に行ってしまっていて、伸ばした手は虚しく空を掻く。

 ロッシも少し離れた位置にいて間に合いそうになかった。

 そのことを計算に入れていたのか、彼は後ろの様子を一顧だにせず詠唱を紡ぐ。


「“湖精のリムニ”・“加護ディヴィーラ”・“瘴気をもミャズマ”・“退けるレペリレ”・“賦活をアクティベイ”────《レジストブレス》」


 ケイティスは己に毒耐性を持たせる魔法をかけた。


 彼は危惧したのだ。もしこの隙にエリューさんの大鎌が持ち去られてしまったらどうしようと。そして同時に思ったのだ。今ならば大鎌を《アスポート》で持ち去ろうとしても気づかれないのではないかと。

 マンティコアは己の傷を治すことに必死で、先の刺し合いでオリヴィエ・ロッシの両名がただならぬ実力者であることを知った。そうなれば傷を癒やすだけ癒やし、大鎌だけ持って逃げようとすることは十分ありえる。


 だが逆に考えればこの毒霧の最中ならばマンティコア自身も満足な視界を確保できておらず、その中で隠行に秀でるケイティスが潜り込んでもバレないかもしれない。

 そんな打算を組み立てて、彼は毒霧の中へと身を投じようというのだ。

 魔法で耐性をもたせたといえ、マンティコアの毒霧がとてつもなく強力であったり、毒の方向性が違ったりするかもしれない。例えば精神に異常をきたす毒であったり、魔力に干渉する毒の可能性だってありえた。

 けれどケイティスはその可能性に思い至った上で、毒霧の中へと身を投じる覚悟を持った。

 その原動力はさっきから変わらない。

 エリューのために何かしたい。その一点だ。


 ケイティスは微塵の迷いもなく、毒霧へと突っ込んでいった。







 毒霧の中では光が遮られて、まるで深海から太陽を見上げたような、そんな頼りない光が僅かに染みこんでくるだけだった。

 喉はおろし金で擦りおろされているような痛みを訴え、眼窩には砂を練りこまれているのような異物感が延々と付き纏う。頭が内側から破裂しそうな感覚に苛まれ、全身の皮膚をナイフで削がれているような、そんな苦痛の饗宴の中でもケイティスは足を止めなかった。

 霧を吸い込まないよう即席マスクを作ってはいる。《風除けウィンドブレーカー》の魔法陣が機能しているので、持ち主に害なす気体をある程度を退けてくれてはいるが、それでもどうしても毒霧を吸い込んでしまう。それがじわじわと彼の体を蝕んでいく。


 その中でケイティスはひたすらに邁進する。

 彼の頼りはマンティコアの唱える詠唱。治療魔法は水属性、ゆえに聞き慣れたその響きだけを頼りに毒霧の中を進む。それでいて己の存在を気取られてはいけない。


 そうして彼は巨獣のそばにまでなんとか辿り着いた。大鎌まではもう少しだ。

 

 マンティコアは未だに毒霧に隠れて傷を癒やしているようだった。先程受けた喉の傷だけではなく、他の傷も直してしまう魂胆のようだ。

 ケイティスは気づかれぬよう、そろりそろりと足を進める。朦朧とする意識をなんとか繋ぎ止め、いっそ走って手早く目的を果たしてしまおうという誘惑をねじ伏せ、姿勢を低くし、物音を立てぬよう、歩みを進める。


 そんなときおぼろげに霧中に映る、マンティコアのシルエットが蠢く。

 まさか気づかれた!? とケイティスの心臓が跳ねる。


 体を強張らせるケイティス。その真上へと大蛇の尾がやってくる。

 けれどその大蛇は彼のことを見つけて排除しにやってきたわけではなかった。


 大蛇は口をカパァと開けると、そこからまた毒霧を吐き出す。こうして奴は毒霧の覆いが途切れぬよう維持していたのだ。

 ただ運が悪かったのはケイティスのいた位置がそれの直撃を受ける場所だったことだろう。


「──ッ!?」


 毒霧、いや気化する前のほぼ毒液を直接浴びせかけられて、ケイティスの全身を焼くような痛みが走る。

 ここで息をしてはいけない。ここで息を吸えば間違いなく命はない。そう思った彼は体を灼かれる痛みに耐えて、必死に口元を手で覆う。


 おそらく体の状態はエリューの負った全身火傷と遜色ない、あるいは内側の侵食度合いによってはそれ以上かもしれなかった。

 それでも、彼は歩みを止めはしなかった。


 ただの意地だ。

 それだけで彼は体を動かし続ける。


 よろよろとした弱々しい足取りでマンティコアの足元に潜り込む。その巨体で影がさして、毒霧で頼りない光すら見つからなくなってしまう。ここで奴が何かしらの理由でちょっと足を動かせばケイティスなどは蟻のように踏み潰されてしまうだろう。


 けれどケイティスは導かれるように、足を進める。

 ただ慣れ親しんだ気配を辿る、だってあの大鎌は彼女そのものなのだから。


 だから彼の足に何か固いものに当たって、それが目的の大鎌だったということは、何も偶然じゃないのだろう。


「……見つけました」


 安堵して力が抜けたのか、彼はその場にへたり込んでしまう。けれど彼のやることはまだ終わってはいないのだ。


(そうだ、《アスポート》で送らないと……)


 ケイティスは懐からユークに預かった護符を取り出して、大鎌の刃へと貼り付ける。

 そこから魔法陣が這っていき、霧中の視界を淡く照らす。

 ケイティスが上を見上げてもマンティコアは動く気配がない。


 混濁する意識の中で再び下を見下ろせば、魔法陣は大鎌全体を覆っていた。

 そして次の瞬間にはピュンッという音と一瞬だけの眩い光とともに《アスポート》が発動。


 無事に大鎌は送り届けられた。


 やった。これでひとまずは安心だとケイティスは体から力が抜けそうになって、思い直る。

 まだ終わりじゃない。この毒霧を抜けて無事に帰らないといけない。


 彼はフラフラとした足取りで、マンティコアの真下から出ようとする。けれどその覚束ない足取りは実に頼りないもので、すぐに足を取られて転げてしまう。毒霧に侵された体はとっくの昔に限界を迎えていたのだ。


 彼は転んだ先何か柔らかい壁のようなものに受け止められる。

 それはマンティコアの足だった。


 マンティコアは何かが触れる感触に違和を感じて獣脚を持ち上げ、支えを失って地面にゴロン転がる少年を発見した。


 毒霧の覆いの向こうで、獅子のシルエットがケイティスを見下ろした。

 それがぐぐっと近寄ってきて、老面が舐めるような距離までやってくる。額に孔の空いた、人間のそれよりも一回り大きいそれはまさしくマンティコアの顔だ。


 遂に、気づかれた。


 濃厚な死の気配が彼へヒタヒタと歩み寄ってくる。


「貴様、なぜそこに、だが、毒霧に、侵され、もはや、瀕死の、ようだな」


 マンティコアは芋虫の如く大地にへばりつくケイティスの様子を見てそう評した。実際彼の体は長時間毒霧に晒され続けてとうに限界を迎えていたのが、マンティコアに見つかってしまったことで、彼の体を突き動かしていた気力やらはすっかり霧散してしまった。もはや這って逃げる程度にしか彼に力はない。

 そんなことをしても獣脚に潰され、毒霧が晴れた後に無惨な屍体が残るだけだろう。

 だが逆に言えば、這って動ける程度の、そんな僅かながらの力は残っていた。


 ケイティスの右手にはにずっと握りしめて離さなかったナイフがある。

 目の前のすぐ手の届く位置にマンティコアの老面がある。


 ならやることは一つだろう。

 

 ケイティスは老面への眼球へとナイフを突き立てた。


「ッッ────!、貴様ァ!」


 眼窩からビタビタと真っ赤な血液を溢し、マンティコアは暴れだす。

 それによって空気はかき混ぜられ、淀んでいた毒霧の壁が、まばらにほどけていく。


 それはつまり外からマンティコアとケイティスの姿が見えたということであり────。


「《ラグラン流剛断剣──大上段一裂いちれつ》!」


 真上から降ってきたロッシ渾身の斬り下ろしがマンティコアの脳天へ直撃。

 魔獣はたまらず地へとこうべを垂れさせられ、直線状の衝撃波がマンティコアの体を伝って、地面に真っ直ぐの筋を刻む。


 見上げれば上空を旋回するヒポグリフの姿が見えた。ロッシはあそこでずっと奇襲する瞬間を待っていたのだ。

 そしてケイティスの姿が見えるやいなやそのヒポグリフは彼のもとへと抉るような軌道でやってきて、即座にケイティスをくちばしでつまみ上げ、再び空中へと離脱。

 ヒポグリフを通った位置は毒霧が貫かれてワームホールのような穴ができていた。

 マンティコアから距離を取るように飛翔しながら、ヒポグリフはケイティスの体をかぶりを振って空中へ投げ出す。

 一瞬空中を泳いだ彼の体は後ろへ流れて、ヒポグリフの騎手に受け止められた。


「……ライラさん……すみません」


 ケイティスを受け止めたのは夕陽のような赤髪を靡かせるライラ。彼女はケイティスが霧中に飛び込むのを見て、すぐさまロッシと共に上空に上がり様子を伺っていたのだ。


「ったく。無茶して、やることはやったの?」

「……はい、大鎌は……回収しました」


 大鎌は確かに《アスポート》されているはずである。これでマンティコアが目的を果たすためには、ロッシとオリヴィエの二人を突破して宿屋の裏手まで赴かねばならなくなったわけだ。そう考えると大分と状況は彼女らの方に傾いたと言えるだろう。


「そ、ならお手柄ってとこなのかな。ロッシさんが真正面からいってもダメだって証明してた以上、私達はアレを倒すしか大鎌を確保する術がなかったし。でももうさすがにこれ以上は無理させられないよ。兄さんのところに送るからね。姉弟ともどもそこで大人しくしててねホント」

「はい……あ、これ……お借りしたマント……お返しします」


 ケイティスは口元を覆っていた借り物のマントを剥ぎとって差し出す。もしこれがなければ彼は毒霧に侵されきって一矢報いる気力すらこそぎ落とされていたのかもしれない。


「……もう、はいはい。お返しありがとう」


 そう言いながら彼女はヒポグリフを駆り、宿屋の裏へと向かう。

 

 

 

このサブタイにするために多少長くなってもここで切りたかったんです……!


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