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死神少女が生きてるだけ  作者: ゲパード
第一章 大鷲篇
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第四一話「大鎌の行方」

 

 

 

 自分はロッシさんに背負われて、マンティコアと対峙するオリヴィエさん達を見届けたところで、戦域を離脱することになった。軽快な足取りのもとどんどんマンティコアとの距離が開いていく、同時にほっとした安心感がこみ上げてくる。


 自分は改めて体の状態を確かめる、水蒸気爆発のせいで手酷い火傷を全身に負っているけれど、命に別状はないくらいだ。たぶん。

 左手に関しては肘から先がなくて、中々にショッキングな光景だけど、おそらくこんなのでも再生できるはず。

 ……できるよね? 

 できなかったら『大鷲』と事を構えるどころじゃない。隻腕なんて戦闘においてハンディキャップでしかないし、性質上大鎌しか武器に選べない自分には死活問題だ。

 不安になってきた。バロルーほんとに大丈夫なんだよねー?

 そう私は念話でバロルへと確認を取ろうとして、はたと気づく。


 そうだ。大鎌はあっちに置き去りにしたままだ。


 あれが自分の本体。大鎌から自分の体が離れると、体の制御がきかなくなるはず。ちょうど糸の切れた人形みたいに動かなくなるってことだ。

 今やけに体から力が抜けてるのは、戦闘の負傷も影響しているだろうが、それ以上に本体から離れたことが原因なのか。

 そしてまずいのは、マンティコアはそのことを知っているだろうということ。

 大鎌を戦域のど真ん中に残しておくのはまずい。非常にまずい。もしマンティコアが大鎌の奪取に注力したなら、そのまま大鎌を持ち去られ、自分の体があっても意味がないという事態になるかもしれない。

 オリヴィエさんはそのことを知らないだろうから、みすみす大鎌が奪われてしまう可能性は大いにありうるのでは。


「────ロッシさん……頼みごとが」


 自分は絞りだすようにして、ロッシさんにそのことを伝えようとした。けれど。


「ん、なんだいエリューちゃん。その怪我だし、あまり無理はしない方が……」

「いえ、自分は……大丈夫です。それより、自分の、大鎌を────」


 そこで自分の意識はプツリと途絶えた。







 閃光が宿の向こう側でほとばしり、真白な光が大庭園を染め上げます。

 大魔法が激突したのでしょうか。今オリヴィエさんとライラさんが戦っているのでしょう。


 でも僕にはただ待つことしかできませんでした。


 オリヴィエさん達に助けを求めてから、彼女たちはエリューさんを助けるために、それぞれがてきぱきと動き始めました。

 ロッシさんは剣盾を携えて真っ先にマンティコアへと向かっていき。

 オリヴィエさんとライラさんは、ヒポグリフに跨って空へと繰り出していきました。

 そしてここに唯一残ったユークさんも、現在芝生に即席で魔法陣を描いています。負傷者が出た時治療するためのものだそうです。


 それに対して僕はやっぱりただ待つことしかできませんでした。

 僕はなんて無力なんでしょう。


 打ちひしがれる僕を尻目にユークさんは大人が手を伸ばしてちょうどな大きさの魔法陣を書き上げていきます。

 学のない僕ではお手伝いなんてできません。ただちょっと綺麗だなぁと思うくらいです。


「ユークさんっ!」


 呼ぶ声に、彼は作業を止めてそちらを見て、それにつられて僕も振り返ります。

 そこにいたのはロッシさん。彼が宿の裏手へと舞い戻ってきました。……全身に火傷を負ったエリューさんを担いで。


「エリューさんっ!」


 僕は一も二もなく駆け寄りました。

 担がれたエリューさんの姿は、それはもう痛々しいものでこれを見て大怪我と思わない人はいないでしょう。そのレベルです。僕がこれを目の当たりにして平静を保てるはずがありませんでした。


「ロッシさん、エリューさんは大丈夫なんですか!? いや大丈夫じゃないですよねこれ、っ手、手が! エリューさんの手がないッ! ひどい火傷……! ど、どどどどうすれば……」

「落ち着いてケイティス」


 エリューさんの有様を目の当たりにした僕は混乱してひどく取り乱してしまいます。


「これは酷いな。今すぐそこの魔法陣の中心に担ぎ込んでくれ。生きてさえいればその状態を維持できる。これだけでは苦しみは続くが、それは別の魔法で対処しよう。本格的な治療はオリヴィエに任せた方が確実だ」


 僕の後ろにいたユークさんが、そういってエリューさんを魔法陣へ運び込むよう促し、空を見上げます。そちらには天空を回旋するヒポグリフの姿がありました。オリヴィエさんの戦闘が終わるまでは十全な治療が受けられないんですか……そんな……。

 それにロッシさんは一瞬ためらうような素振りを見せたあと、エリューさんを魔法陣の中心へ転がし・・・ます。

 そうエリューさんの体はまるで死んでいるみたいに、脱力していました。このとき僕は気絶しているのかな、程度にしか思えませんでした。

 いえ、その先にある最悪は到底受け入れがたいものがゆえにそこまでしか僕の想像は及ばなかったのでしょう。


「この少女がくだんのか」

「えぇ、この子がエリューちゃんですが、……その、いえっ。まだ間に合うはずです。ひとまず陣を起動してください。やりながら話をします」

「……? 承知したが」


 その言葉を受けてロッシさんが魔法陣へと魔力を流します。

 敷かれた幾重もの交線が淡くほのかにひかって、光の粒が立ち上ります。その様子を固唾を飲んで見守ります。


「……ん、これは……」


 けれどすぐにユークさんは異常を読み取ったみたいで、転がされているエリューさんの首筋に指を当てます。


「脈が……ないな。体温もやけにぬるい。当然息もしていないか」


 その言葉で僕の思考は真っ白に突き落とされました。けれどそれに追い打つようにロッシさんの言葉が続きます。


「彼女を担いでこっちに運んでくる途中、何かを言いかけて突然ぐったりと黙ってしまったんです。最初は寝たのか、気絶したのかと思ったのですが、すぐそうじゃないと気付き、よびかけても返事もなく……」

「なるほどな。まぁ、治療は続けよう。しかし……」


 ユークさんは事情を聞いた上で首を捻ります。


「たしかに酷い火傷だが、それで即座に命を落とすほどではない、仮にこれで死ぬなら悶え苦しむ類のものだ。こんな眠るようにしているのはいささか不自然に過ぎる。それに……」


 彼はエリューさんの、首筋まで這う魔法陣をつぶさに見つめます。


「なんだこれは。こんな複雑な魔法陣を体に刻みつけるなど、正気の沙汰ではない。この少女は一体なんなのだ? マンティコアの目的はこれか?」


 その言葉を聞いて僕はハッとします。

 いえ、そうじゃなかったはずです。マンティコアの目的は死神であるエリューさんを喰らうことで。つまりエリューさんは死神です。そのことはついさっきにエリューさん本人と大鎌に憑く本来の死神バロルさんから話を聞きました。

 その話を信じるならエリューさんは不死だと言っていました。ということはこれは大丈夫……ってことなんでしょうか? でも何か違う気がします。


 エリューさんの異常性の全てがそこに端を発しているのなら、きっとそこにこの状態の原因もあるはずと僕は考えました。

 エリューさんから聞いた話を、バロルさんから受けた説明を仔細まで思い出していきます。しかしいまいち現実感のない話なだけにその作業は捗りません。

 そうして行き詰ったところで、ある話が耳に飛び込んできます。


「そういえば、この少女が、今際の際に言おうとしたセリフはなんだったのだ? それによっては何かの推測が成り立つかもしれないが……」

「確か、大鎌を気にしていたような……」

「大鎌?」

「彼女の得物です、自分の身よりもそれを案じていたような感じでしたね」

「……よく分からんな」


 その話で、あることをピンと思い出しました。

 そう、確かエリューさんの本体は大鎌の方だったはずです。だとしたら、大鎌は今どこに……?


「ロッシさん。その大鎌はどうしたんですか?」

「え? えっと、置いてきてしまいましたね。さすがにエリューちゃん本人と一緒に持ってくるのは厳しいですし、そんな余裕もなかったものですから」

 

 どうやらその大鎌は今も向こうに晒されたままみたいです。

 とすると、一つ推測が立ちます。

 本体である大鎌から離れたからエリューさんは今死んだように動かないのではないでしょうか? 

 僕はそう考えました。だったらエリューさんが突然死んだように動かなくなったのも頷けると思います。

 けれど、それをどうやって伝えればいいのでしょう。

 エリューさんが死神であることを本人に断わりもなく吹聴するのはダメでしょう。かといって彼女の大鎌を持ってくれば意識が生き返るなんて、そんな荒唐無稽な事態を伝えるいい方法は、やっぱり方便を並べ立てるしかないでしょうか。


「えっと、ロッシさんユークさん。ちょっと聞いてほしいことが」


 僕はなんとかこうとか説明を始めます。

 あの大鎌を持ってくればエリューさんが起きるという理由を、「僕も詳しくは知らないんですけど」という前置きで深い追求は避けて、マンティコアの目的はその大鎌だから、一刻も早く大鎌を確保しにいくべきだと伝えました。


「ふむ、イマイチ要領を得ないが嘘を言うような場面でもないだろうしな……。どうするか」

「ですねぇ……」


 二人は僕の話を聞いた上で子どもの戯言と切り捨てることもなくきちんと受け止めてくれました。

 けれどすぐに即応じてくれる雰囲気でもありません。


「なら僕一人だけでもいってきます!」


 なので僕は反射的にそんなことを口走りました。

 それを受けてロッシさんは少し目を細めて、僕の正面に立ちます。


「……いいかいケイティス。大鎌を残したきたところは今非常に危険だ。魔法がぶつかり合う戦場では何が起こるか……ッ!」


 僕を押しとどめようとしたのであろうロッシさんが、何かにはっと気づいたみたいに、バッと振り返りなから剣を抜き放ちました。

 待ち合わせをしていたみたいに、炎の矢がロッシさん目掛けて飛来してきて、それを彼は剣の打ち払いで弾いてみせます。彼の鮮やかな剣技は炎でできた矢を散らすことなく、そのままの形で軌道を変えられ、アーチを描くようにして芝生に突き刺さりました。

 炎の矢は随分と急角度で、つまり遥か上空から降ってきたみたいで、そちらの方向を見ると空駆るヒポグリフに炎の矢がわだかまった糸の玉みたいなごちゃごちゃとした軌道を描いて襲いかかっていました。あれは大丈夫なんでしょうか。


「こんな風に魔法の流れ弾が飛んでくることもある」


 ロッシさんは芝生にそのままの形で突き刺さった炎の矢を踏みつけ延焼を防ぎながら、そう言いました。

 う、確かにそうですよね。危険、ですよね。……でも。



「それでも僕は行きます、いかせてください。僕だけ何もしてないなんてそんなの……耐えられません。エリューさんのために僕ができることを無茶でもなんでもやりたいんです。……だってエリューさんはこんなになるまで頑張ってるんです……だから」


 エリューさんは全身に火傷を負って、片手を失って、それでも戦ってます。けれど僕はその後ろで縮こまってるだけなんて……そんなの、だめです。僕はエリューさんについてきたんじゃなくて、一緒に行くことに決めたんです。それは後ろを追いかけるんじゃなくて、彼女の助けになれるようになること。そのために、ここはきっと行くべきところなんです。

 僕にはこれ以上の言葉を紡ぐことはできませんでした。ただ一つ芯の通った視線をロッシさんに投げかけるだけです。


「……はぁ、仕方ないねそこまで言われちゃ。それに女の子達ばっかりに良いカッコさせてちゃ立つ瀬がないしね」


 い、いやそういうわけじゃないですけど。確かに今頑張ってるのはエリューさんもオリヴィエさんもライラさんも女性ですね。

 でも、ということは。


「いいよ。行こうかケイティス。さすがに君一人で行かせるわけには行かないけどね」

「ロッシさん……! ありがとうございますっ!」


 彼がいれば非常に心強い。僕はこの人が戦うシーンを見たことがなかったけれど、今しがた流れ玉を弾いてみせた技量は本物でした。


「ほう、行くのか」

「はい。ユークさんはエリューさんの治療を続けてもらいたいです。お願いできますか?」

「それは承知したが……」


 ユークさんは何か気がかりがあるのか、治療を続けながらも何か歯切れが悪いです。


「その大鎌というのはおいそれとここまで持ってこれるものなのか?」

「あ、そうですね。無理ですね」


 ユークさんの素朴な疑問がとんできました。

 そういえばそうでした。エリューさんの大鎌は僕の身の丈を優に超えていて、重さも見た目通り相当なもの。あれを僕が運ぶとしたら、日が沈むまで引きずってでも無理な話でしょうか。ロッシさんも「少し厳しいねあれは」と言っています。


「なら《アスポート》の魔法陣を融通しようか?」


 そうユークさんが提案してくる。願ってもない申し出でした。僕達が頷くと彼は一枚の護符を差し出してきます。表面には紋様と僕では読めない文字がびっしりと刻まれていて、一目で魔法の品だと分かりました。

 これで《アスポート》、物体を転送する魔法が使えるんでしょうか。


「その護符を大鎌の柄にでも巻きつけて魔力を流せば《アスポート》が発動するはずだ」

「なるほど。あ、でもエリューさんの大鎌には確か《アポート》処理がしてあったはずですけどそこらへんは……」

「問題ない。これはそんじょそこらの魔法陣なら上書きできるようにしてある」

「確かオリヴィエさん謹製の《アポート》ですけど」

「……大丈夫だろう。おそらくな」


 ユークさんは目を逸らします。まぁ不安要素こそちょっと浮かび上がりましたけど現実的な手段ですこれは。その《アスポート》の護符を僕とロッシさんは受け取りました。


「よしじゃあ行こうかケイティス」

「はい、ロッシさん」


 僕は両逆手にナイフを持ち、ロッシさんは剣盾を両手にしっかりと装備します。

 やることは戦場に落ちている大鎌に護符を貼り付けて帰ってくること。何事も無くすんなり行くかもしれないですけど、さっき炎の矢が飛んできたみたいに何が起こるかは分かりません。


「治療魔法陣はこの少女の分しか空いてないからな、怪我して戻ってくるんじゃないぞ」

「は、はい。善処します」

「はは、その頃にはエリューちゃんは起きているだろうからそこは空いているだろう?」


 横合いから囃し立てるユークさん。そのお陰で少し緊張がほぐれます。

 空を見上げると宙空にできた無数のつららに炎の矢がぶつかって弾けていく光景が見えました。寄り集った無数のつららは一瞬イガグリみたいになって、それから地に引かれるようにして落下していきます。一つ一つが大木の幹と同じくらいの太さじゃないでしょうか。

 見惚れるような大魔法の応酬。う、あの真下に僕達は今から行くんですね。大丈夫かな……。


「臆したのかい? あんな啖呵きっておいて」


 ロッシさんがそんな意地悪なことを言ってきます。


「そ、そんなことないですよ。こんなことで尻込みしてちゃエリューさんに笑われちゃいますから」


 僕は意地を張ってそう答えました。






 

 僕達はそうして宿の裏手から出て、大鎌を回収しに向かいました。

 ロッシさんの覚えを頼りに畑や果樹園が広がるクームの大庭園を駆けます。

 オリヴィエさん達の戦闘は少し向こうにシフトしたみたいで、マンティコアは小高い丘に立って僕達に背を向けています。

 なので魔法に襲われることなく、その地点まで辿り着くことができました。けれど。


「これは、さっきのオリヴィエさんの魔法かぁ……」

「なんて間が悪いんでしょうか……」


 ロッシさん曰く大鎌があるはずの場所には、無数の氷柱が林のように突き刺さっていました。

 陽光を受けて冷え冷えと輝く巨大な氷柱たちが僕達の侵入を拒んでいました。それぞれの氷柱の高さは僕の身長の倍以上はあるでしょうか。

 おそらく先程オリヴィエさんが空中で発動させた魔法が落ちてきて。ここに突き刺さっているのでしょう。魔法の氷ゆえにどんな効果が付与されているか分からず、迂闊に触るわけにもいきません。


「これを砕くことは……できなくはないですが。乱雑に突き刺さったこれに下手に刺激を与えると崩壊するかもしれませんね」


 ロッシさんが、剣の腹でコンコンと氷柱を叩きます。どうやら彼の技量でこの氷柱をどかすことはできるみたいですが、それをしたとして氷柱の崩壊に僕達が巻き込まれてしまう危険もありますし、大鎌が完全に下敷きなってしまうかもしれません。


 けれどこの氷柱の森、子ども一人なら隙間を通って中に入れそうです。

 乱雑ゆえに隙間はわりと見えます。


「でもこれなら僕が中に入って札を貼り付けてこれそうですね」

「え? ……そうだね。確かにできそうではあるけれど……気をつけるんだよ。オリヴィエさんの氷は少しの間触れているだけでも対象を凍てつかせる。無理だと思ったらすぐに戻るんだよ」


 ロッシさんは僕の申し出を渋ったものの、了解してくれました。僕が活躍できる願ってもない機会ですしね。

 それで意識を氷柱群の方に戻すと、確かに今も氷柱の突き刺さる地面はパキパキと凍てつきその範囲を増していきます。肌を撫でる冷気も普段扱う氷より一層寒く感じました。これは確かにちょっと危ないですね。


「はい。分かりました。行ってきます」


 僕はロッシさんの忠告を肝に命じて、氷の森へと一歩足を踏み入れました。



 そうして僕は入り組んだ氷柱の隙間を鼠のようにチョロチョロと進みます。

 全方位からの冷気は体を串刺しにされているみたいで、それに侵されかじかむ僕の体は針金を通して無理やり動かしているような感覚でした。

 隙間があるといっても子供の僕一人がようやく通れる程度。通れるといってもしゃがんだりだり乗り越えたりしなければいけません。

 するとどうしても氷と触れ合うことになります。なので僕の体は手や足や額といった末端に氷がへばりついてしまっていました。表面が凍っているだけとはいえ、度を超える冷たさは痛みと区別がつきません。

 それでも僕は氷の森を掻き分けて進みます。こんなのエリューさんの受けた苦しみに比べれば苦でもないですっ!

 それにマンティコアならこんな氷柱なんて容易に粉砕できるでしょう。オリヴィエさんが奴を引きつけている今の内に大鎌をなんとしてでも確保しないといけません。


 そうして氷柱群の中を探していると、少し向こう氷柱の足元にゆらりと光るものが見えました。

 それを氷柱の狭間で屈んでよく確認すると、研ぎ澄まされたおっきな刃みたいでした。間違いありません。エリューさんの大鎌です。


「あ、あります。ありましたよ。エリューさんの大鎌です!」


 僕は弾んだ調子でロッシさんにそのことを報告します。僕の声は周りの氷柱に反響しながらもか細くロッシさんへと届けられます。

 けれどロッシさんから返ってきたのはまったく予想外の返答でした。


「っ! ケイティス! 今すぐ戻って!」

「え、何ですかロッシさん」


 鬼気迫るロッシさんの声音が氷柱の隙間から這入はいってきます。それで只ならぬことが起きたのだと思った僕は視界を周囲に振って。それを見上げました。


 僕達を今にも飲み込もうとする紫色の壁。もやもやと蠢く不気味な壁。これももしかしてマンティコアの魔法……!?


「毒霧だ! 壁みたいに迫ってくる。ひとまず今は逃げるべきだ!」

「でもすぐそこにエリューさんの大鎌が!」

「大鎌は毒霧に呑まれても大丈夫だけど、君は大丈夫じゃない! 今すぐ……っく! もうすぐそこに!」


 ロッシさんのそんな声が氷柱の隙間からか細く聞こえてきます。

 で、でででですよね。逃げないと。でも周囲は氷柱で囲まれてて、とてもすぐには出れそうにありません。


 僕が狭苦しい氷柱の狭間であたふたとしていると。耳に氷の砕ける甲高い音が聞こえてきました。

 振り返った瞬間、僕の真後ろにあった氷柱が粉砕されます。氷の悲鳴が鳴り響き鼓膜に突き刺さります。飛び散る氷片の隙間から現れたのは。


「ロッシさん!?」

「手を! ケイティス!」


 ロッシさんは僕の手をむんずと掴んで引っ張りあげて、そのまま僕を向こう側へと乱暴に投げ飛ばします。

 僕はベチャっと地面に落ちて、すぐ身を起こしました。


「ケイティス! 走って!」


 ロッシさんの声にそちらを見やると彼の周りの氷柱へとヒビが入っていく光景。

 僕はサッと顔を青ざめさせて踵を返し、走ります。このままでは氷柱の崩壊に巻き込まれてしまいます。

 パキパキパキッ……! と周囲の氷柱にヒビが入っていきます。僕はロッシさんが切り開いた道を走って氷の林から脱出することができました。

 真後ろからの氷砕音のオーケストラが僕の背中を貫いていきます。振り返ると氷柱達はひしゃげてへしゃげて折れて砕けて、まさしく崩壊という有様になっていました。

 残響の中からペキ……ペキッという散発的なヒビ割れの音が聞こえてきます。


 そこで僕ははたと気づきます。ロッシさんの姿が見えないと。

 まさか氷柱群の崩壊に巻き込まれてしまった……?

 僕を助けるために……? 僕の心に暗雲が立ち込めます。けれど。


「《ラグラン流剛断剣 山崩やまくずし》」


 次の瞬間目の前の氷山がはじけ飛びました。

 剣を振り上げたロッシさんの姿が露わになります。

 僕の心配は杞憂だったみたいです。

 魔法のようなものを使った感じじゃなく、本当に剣術だけで突破したみたいです。すごいです。けれど


「ロッシさん! 無事でしたか!」

「えぇ。それより走って! 流石の私でも毒霧を断つことはできませんからっ」


 見上げると毒霧はもうすぐそこまで迫ってきていました。もういくばくかの余裕もありません。ひとまずエリューさんの大鎌回収は諦めるしかないでしょうか。

 そのとき僕達の上空を影が通り過ぎていきます。振り返ってそれがオリヴィエさん達が駆るヒポグリフだと気づきました。


 それを追いかけるように僕達は走ります。ひとまず撤退です。僕達だけではあの毒霧はどうにもなりません。せめてオリヴィエさん達が僕達に気づいてくれるといいんですけど。

 

 

 

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