第三二話「エリューは私」
『終わった?』
「あぁ、頭を潰した。死んだよ」
『大鷲』と『死神』が、ウエイトレスの格好をした屍体の前でそんな会話を交わした。
彼らの前に屍を晒しているのは、エリュー・ニッツァという少女だ。
冒険者宿『夜明けのオーロラ亭』のウエイトレスであり用心棒だった彼女は、盗賊団『大鷲』の首魁であるアギラ・ダールとの戦闘の末に力が及ばなかった。その結果だ。
アギラが特大剣を持ち上げると、赤黒いものが糸を引いてこびりつき、持ち上がる。それは少女の頭蓋に収まっていた、血液であり、肉であり、脳髄でもあった。
無造作に大剣が振るわれ、付着物が飛び散って石畳を汚す。
「どれどれ」
『死神』エリニテスが契約憑依を解いて、顕現する。
彼女は少女の屍体を覗きこむようにして見下ろす。
そして「はあっ……」と熱を帯びた溜息をこぼした。
頭の潰れた少女の屍体が、彼女の目にはとても美しい花のように写ったのだ。その赤く冥い花弁がパァと開いているのに彼女は光悦とした表情を浮かべた。
彼女は導かれるように、その赤の一枚を手に取り掬い上げる。
「ふふ、とっても綺麗ね……」
「おい、趣味が悪いぞ」
そんなエリニテスの様子にアギラは顔をしかめ、たしなめる。
彼女の感性は、死神という人間とは全く異なる存在であることと、その少女エリューへの偏愛が絡まり合って成ったものだ。
それに対してアギラは邪教に堕ちた身とて人間。流石に死体に美を見出すような歪み方はしていなかった。
「それで? 言った通りこのガキは殺ったが、それからどうすんだ? 屍体を持って帰るのか?」
「エリューと一つになるためには少なくとも、エリューかバロルどちらかの同意が必要なの。持って帰ってありとあらゆる拷問にかけるのはあんまり効果的じゃなさそう。かつての経験から耐えるか、かつてのトラウマから壊れるか、二つに一つ。彼女の意思による同意を得るにはあんまりね」
「ほぉ? じゃあどうすんだ?」
「そこは面白い考えがあるのよ。まぁこれからすることは死神って言うよりも影法師の領分な気がするけれど、偶然にも同じ貌をしているしね」
そうして彼女は本当に愉しそうな笑顔を浮かべるのだった。
◆
その様子をケイティス・ニッツァは呆然と見つめていた。
今彼の胸中で渦巻いているには、悔恨だ。アギラに怯え震え竦み上がった彼は、エリューが用心棒として自分の前に立ってくれたとき、ひどく安堵した。エリューさんなら大丈夫だ。そうやって彼女へ全幅の信頼を寄せて、戦闘の行方を見守った。
しかし結果はどうであろうか?
彼が慕っていた少女は今石畳の上で無残な屍を晒している。
だからケイティスは後悔した。どんなタイミングでもいい僕が勇気を振り絞ってエリューさんを助けに行っていれば、と。
彼の心中は後悔で真っ白に塗りつぶされた。そうして後悔は彼の恐怖や理性をも塗りつぶしていった。
「アァアアアアアアァアアーーーー!!」
彼は咆哮した。
懐に隠しておいたナイフは自然と手の中にあった。
激情に駆られ、彼は仇討ちへと走った。
冷静さを置き去りにして、猛然とアギラへと襲いかかる。
「あぁ? ケイティスか」
「アギラ。あの子は……」
「分かってるよ」
ケイティスは矢のように疾く鋭く肉薄する。
ナイフは脇で固められて、この速度ならば鎧のようなアギラの筋肉でも刺し貫くことは難くはない。
「甘いぞ」
「っ!」
アギラはそれを難なく対処する。
特大剣を盾のように構えて、それでナイフの刃を受け止める。
それで手首を捻り、盾の角度を変えればナイフは特大剣の面を滑って受け流される。
頭に血の昇った攻撃ゆえに、そうやっていなされるだけで、ケイティスはバランスを崩し、もんどり打って、滑るように石畳を転がった。
ケイティスはバッと身を起こすがそれをアギラは冷ややかな目で眺める。
「“場”・“爆ぜろ”」
空間が炸裂する音。
さながらガラスが割れる音をさらにけたたましくしたような。
「ぇ」
短な当惑の声は、衝撃波で押しつぶされる。
上からかざすように炸裂した空間爆発をまともに受け、ケイティスの体が石畳を滑るように押し出された。
ようやく勢いが止まったところで、ケイティスはうつぶせのままピクリともしなかった。
「……ちょっと大丈夫なのあれ?」
「第一階位の二節分しか詠唱してねぇぞ。これ以下の威力にゃできねぇよ────っと」
アギラは直剣を振るう。
カンッと音を立てて、アギラは飛来した何かを弾いた。
宙空でくるくると回って落ちていくそれは矢だった。
放ったのは冒険者の一人。
「おめぇら! ケイティスに続けーッ! オーロラ亭を守れーッ!」
それが合図であったかのように、また別の冒険者が鬨の声を上げた。
冒険者達はそれを受け、各々の得物を夕の空へと振り上げ、一丸となる。
それはきっと蛮勇というものだったが、だからといってここで尻込みする奴はきっと冒険者ではないのだろう。
「あーめんどくせぇな。どうせ俺がやらなきゃいけねぇんだろ?」
「ふふ、そうね。私では殺してしまうわ。それにこれからすることには人が多いと都合がいいの」
「はいはい……」
アギラは手前の特大剣を地面に突き立てた。流石にそれで手加減をするのは無理だと判断したのだろう。
逆に言えば、有象無象の冒険者など直剣一本で十分だ、ということでもある。
めいめいの武器を携えた冒険者達がアギラへと殺到する。
一応魔法職や遠距離職は後方に陣取っては居たものの、指示する者もなく陣形はぐちゃぐちゃであった。
真っ先に到達した剣士は一も二もなくアギラへと斬りかかるが、直剣はそれを受け止めズラす。体ごとアギラの側面へ流された剣士は体勢を崩され、手首へと直剣の腹が打ち込まれる。たまらず剣士は手首を抑えてうずくまった。構造的に弱い部分へと的確な衝撃が加えられ、剣士の手首にはヒビが入っていた。
次いで飛び掛かってきた槍使いの槍の穂先を叩き落とし、跳ねるような軌道で直剣を返して、槍使いの顎を打ち据える。もちろん剣の腹で。それはできれば殺さないようエリニテスに言われたからだ。そしてそれは容易いことだったし、ここで下手に殺めてしまうと、エリニテスに詰られると思ったが故に彼はこうやって相手を気絶させることのみに終始していた。
次にやってきた短剣使いは足元を払って転倒させ片足の腱を切り取り、曲剣使いの剣戟を真正面から押し返して鎖骨を叩き割った。
そして攻撃の間隙には矢が飛んでくる。誤射するかもしれないというのに中々の度量と腕前だと感心しつつ、アギラは先程手首を砕いた剣士の肩をむんずと掴んで持ち上げ、盾にする。弓使いはそれで「う゛」と対処に困ったところに、すかさず剣士を投げつける。
片手で大の大人を放り投げるという離れ業であったが、片手で特大剣をなんなく振るうアギラにとってはさして難しいことではなかった。
放物線を描いて投げつけられたした剣士を避けることも、ましてや受け止めることもできず、成人男性分の衝撃をまともに受けて弓使いは沈黙した。
その後には鎖鉄球が頭上から振ってくる。それを一歩踏み込んだ地点で直剣を用いて受け鎖の部分を巻きつかせ、持ち主を腕力任せに引きずりだした。
地面に這いつくばってアギラの足元まで引きずり出された鎖鉄球使い。彼の手の平へと剣に巻き付いた鉄球を打ち下ろされる。声にならない絶叫。掌の骨はバラバラだろう。
近接職はことごとく返り討ちに遭い、アギラの周囲には悲痛に呻く冒険者達が転がっていく。
墓標のように突き立った四角い剣を背に、アギラは直剣を振るう。
その剣裁きはまるで熟練の騎士のそれであった。
何ら驚くことはないだろう。アギラは元々騎士団出身だからだ。所属していた部隊は『粛清部隊』という特殊な部隊だったが、何も最初からその部隊に居た訳ではない。彼はかつて真っ当に騎士として剣を修めた、それがどうなって盗賊の首魁を務めることになったのかは分からないが、身についた技術は剥がれることはない。
近接職はことごとく返り討ちに遭い、アギラの周囲には手負いの冒険者達が転がっていた。
圧倒的な技量の差に攻撃の手が緩まる。
自然とアギラを取り巻く冒険者達の包囲が広がってしまう。
「ここよみんな!」
誰かの掛け声。
それと入れ替わるように、火球・風刃・水槍といった魔法がアギラへと襲いかかる。
各種魔法職のものだ。
しかしそれを見てアギラは冷や汗一つかかない。
「“無窮なる”・“退魔壁を成せ”────《ソーサリーシェルター》」
しかしアギラの展開した空間防壁により、冒険者の放った魔法は全て掻き消されてしまう。たった2節の詠唱で50はくだらない数の魔法が無力化されたのだ。
それほどまでにアギラと冒険者の間には力の差があった。
それを確認してアギラは更に詠唱を続ける。
「“魔障の力場”・“纏いし”・“斥力の剣────《エンチャント・リペルスペル》」
アギラが追加詠唱を行うと同時に、周囲に展開されていた空間防壁は砕け、ガラス片のようになったそれが、手元の直剣へと吸い寄せられていく。
かくして剣は魔法を弾く力場を纏った。
斥力を発する剣など、人を切る用途には向かない。
「どうした? 撃ってこないのか?」
「っー! だったら味わえ! “炎よ”────」
挑発に乗った若い魔法使いが第二階位の魔法を詠唱し放つ。頭に血が昇っていたのもかかわらず6節ほどかけて編まれた《フレイムライン》の魔法は、精度密度速度どれを取っても高度に仕上がっていた。
熱線が放たれる。
光属性のそれとはもちろん速さの格が違うものの、レーザー系の魔法だ。速度はもちろん、凝縮された炎の貫通力は特筆すべきものがある。
直剣が振るわれる。 完璧に計算しつくされた軌道、体捌き。
それを以って熱線を叩く。
強制的に曲げられた熱線が空へと吸い込まれていって、夕焼けに溶ける。
「その程度か」
熱線を放った魔法使いは青ざめた顔をしていた。
アギラの持つ直剣は現在魔法に干渉して弾くエンチャントが成されている。その代わり斬るということには向かなくなったのだが、殺すなという勅命を受けている今ではむしろ都合が良いのだった。
そうして冒険者達の攻めの手は遂に止まる。
誰しもが心を挫かれていた。
そうしてアギラは、言われた通りに殺さずに襲い来る冒険者を無力化させたのだった。
「ご苦労様アギラ」
「あぁ、何てことはねぇよ」
アギラはもはや後ろで手をこまぬく冒険者達なのいないもののように、背を向け隙を晒す。おもむろに直剣が振るわれ《エンチャント・ルペルスペル》が破棄され、それと同時に片手で特大剣を引き抜く。
特大剣によって遮られていたエリューの姿が露わになった。
『大鷲』と『死神』はそれを見下ろす。
アギラによって頭を潰された屍体。そこからはとめどなく血液が流れ出てはいなかった。
エリューの屍体の周囲を取り巻いていたのは黒い粒子。
飛び散った血が肉が真黒に融けて、黒い粒子と化してふわりと浮かび上がり、エリューの体へと還っていく。
花のように開いた頭蓋が黒い粒子の靄で覆われ満たされていく。
先程の騒乱の中でケイティスの介抱へと向かっていたリエーレはこの光景に見覚えがあった。
以前ギガントコボルトが西門で暴れたときだ。
捕らえた盗賊のが呪紋に締め上げられて、最終的にこんな黒い粒子と化して消えてしまったのだ。
「さぁ皆様ご覧になってください! エリューを取りまく瘴気を! これは上位の魔神がその身を修復する際に発されるものですよ、その証拠に、アギラ」
エリニテスが催促すると、アギラが3節ほどの詠唱の後空間を開く。
収納の魔法だった。
そこから取り出されたのはまぁまぁな大きなのガラス瓶。
やけに角ばったその瓶はやけにディティールが凝っていた。それをエリニテスへと渡す。
「この瓶の中に入っているのは聖水です。アンデットなどの魔なるモノに浴びせかかればたちまちに浄化し灼き祓う代物。これをかけてみましょう。人間だったら何の害もないのですが……」
紐を解き、コルクを抜いて、エリューの真上で瓶を逆さまにした。
聖水が重力に引かれ、降り注ぐ。
そうして降りかかった聖水が、エリューの肌に触れた瞬間。
白い煙が上がった。
見ればエリューの星光のような白い肌は赤く焼けただれているではないか。
ただの人間はどうやってもこうはならない。
「ほらね?」
この場にいる全員が信じられないものをも見る面持ちで、その光景を見つめていた。
「ふふふ、みなさんもうお察しでしょう?」
エリニテスは己と写身に集まる視線の一つ一つと目を合わせて束ねていく。
真紅の瞳に誰もが魅入られ縫い止められる。
そのすぐ下にある口がさわさわと揺れる。
「この少女は死神です」
彼女のあずかり知らぬところで、ひた隠しにしてきた事実が暴かれた。
エリニテスの言葉が騒然とした円形広場に染み渡っていく。
首を傾げる者がいた。呆然と口を開けたままの者がいた。眉根を寄せて考え更ける者がいた。
冒険者達は一様に当惑の念を抱いた。
そんな中にあって、リエーレは冒険者宿の主人であるという気負いから、冒険者達とエリニテスの間に歩み立った。
後ろ手に冒険者達をなだめ、両眼でエリニテスを睨みつける。その目はいつものたおやかさが嘘のように鋭利なものだった。
「何でたらめ言っているの……エリューちゃんは死神なんかではありません。そんな……邪な存在では……ないわ」
リエーレは声を震わせながら、突きつけられた事実を否定する。だがそれは「そうあって欲しい」という感情論でしかなく。また目下にある光景は冷酷に、そして雄弁に彼女の望みを皮肉っていた。
それでもリエーレは信じたかったのだ。『オーロラ亭』をここまで導いてくれたエリューのことを。
そんなリエーレを、エリニテスの愉悦を湛えた瞳が見据える。彼女は大鎌の刃のように口の端を持ち上げた。
そうして死神は言葉を紡ぐ。
『えぇそうね。エリューは死神なんかじゃないわ』
望んでいた言葉が降って湧いて、リエーレは目をパチパチと瞬かせた。
同時に疑問がリエーレの心の中で膨らんだ。まるでさっきの発言と矛盾しているじゃないかと。
『うん? どうしたのリエーレさん? 私が言っているのはあそこで屍を晒している死神ですよ、リエーレさん』
魔力が込められた声が朗々と木霊する。
『まったく、私の姿を写しとってみんなを混乱させようとするなんて悪どいですねよね。さすが死神』
エリニテスはごく自然な調子でリエーレに話しかける。
だが距離感が明らかにおかしい。まるで一年間を共に過ごしたような感覚を目の前の少女から感じていた。
彼女は今一度状況を確認する。
私は憎々しいアギラ・ダールと契約した死神、そいつと話していたはず。なのに目の前の子の言動はとてもちぐはぐ。まるでこっちがエリューちゃんみたい。いや、でもそんなはずは……ない……。
リエーレの心内では疑念と否定のスパイラルが延々繰り広げられる。
「あ、あなたは……誰……?」
そうして自分の中で決着がつかなくなってしまった彼女は自ずと問いかける。
質問を聞いて目の前の少女はにっこりと笑ってこう言った。
『誰って? ひどいなぁもうっ。エリューですよ私は』
その言葉でいよいよリエーレの心中は混乱を極めた。
彼女に耳には頭を巡る血流の音すら聞こえた心地がした。頭がおかしくなりそうなほど考えたのだ。
それでも結論が出ない。
────私はどっちと話しているの?
全く同じ顔をしていて、全く同じ声をしている。
髪型はストレートだっただろうか? 瞳の色は紅だったか?
リエーレは少し前の記憶を思い起こして、たしかそうだったと自分に言い聞かせた。
だってエリューちゃんが死神のはずがない。
あそこでで真っ黒な内側を曝け出しているのが『大鷲』に仕える死神で、目の前にいるこの子がエリューちゃんだ。
間違いない。
エリューが死んだ、そして彼女が死神だった。この二つの事実に打ちのめされたリエーレはエリニテスの甘言に取り込まれてしまう。
それにエリニテスが死神らしいところを一つも見せていないことも一因だった。契約憑依こそ見せたものの、ただ消えたり現れたりするのはいくらでもやりようがある。
その点エリューは屍を晒してらしいところを見せつけてしまっている。
それらを比較すると、エリューが死神だと信じたくないリエーレにとっては、エリニテスの方を人間エリューだと信じてしまったのだ。
『でももう安心ですよ。あの死神は私がやっつけましたから』
のうのうとエリニテスは言ってのける。
事実がねじ曲げられる。彼女の魔力を込めた言葉は全てが虚飾で彩られていた。
リエーレ・ニッツァはその真実を認めたくがないが故に、目の前の少女をエリューだと認識してしまった。
そうして彼女は堕ちた。
「お疲れさまエリューちゃん」
リエーレはエリニテスの頭を撫でる。
そのことにリエーレはおろか、周りの冒険者達も一切の違和を抱かなかった。
彼女のすぐ後ろではアギラが、呆気にとられた様子で事を見守っていた。
「ふふふ、さて起きたときエリューちゃんはどんな反応をするのかしら。自分の居場所がなくなっちゃって」
エリニテスはそうしてほくそ笑んだ。
かくして『夜明けのオーロラ亭』は死神エリニテスの手により乗っ取られたのだ。




