第三一話「自分はエリニテス」
死んでるときにも薄らと意識はあるものなんだな。
新鮮な体験だ、と思った。
だって考える器官である頭が潰されたんだから意識がプツリと途切れるのかと思ったけれどそうじゃないみたいだ。
大方自分の本体はあくまであの大鎌ってところがミソなんだろう。
でもこれはこれで良いもんじゃない。
まるで真夜中の海に突き落とされたみたいに、冥く冷たい。
影系の魔法で影の中に入ったとき、無性に不安感を苛まれたけどこれはアレとは格が違う。
もっと根源的な、来てはいけないところに来てしまったんだ。
視界が暗いわけじゃない、感覚で寒いわけじゃない。そんな肉体で受容できる感覚じゃなかった。存在から脅かされるような恐怖が染みこんでくる。
ここはあの世とこの世の狭間ってやつなのかもしれない。確か煉獄とか言ったっけか。
そしてただ居るだけで気が違えそうになるのに、何かが自分へと這いよってきた。
たぶんそれは自分が司っているものだ。
絶対的に一方通行な摂理が自分を絡め取ろうとする。
だがその摂理は死神である自分には届かない。
そういう性質だからだ。この世界の法よりも存在が上位に位置している。
そうしている内に吊り上げられるような感覚。
あぁ、これは蘇生するってことなんだ、と独りごちた。
このとき自分は喜んでいた。こんな魂を蝕むような所からは一秒でも早く立ち去りたかった。
そうして意識が浮かび上がった先で自分は敵意に満ちた幾つもの視線に晒された。
◆
「起きたか」
「ふふふ、おはようエリニテスちゃん?」
上から振ってきた声はさっきまで話してた相手のもの。そして自分を殺した奴らの声だった。
生き返ったんだ。
いやでも実際に生き返ってみると変な心地だ。
自分は本当に死んでいたのかと疑問に思ってしまう。
生き返りなんて自然の理に反する行為だし、それなら自分は死んでなくてただ意識が戻っただけなんじゃないかと思えてくる。
自分はどれくらいの時間死んでたんだ?
……自分がヘマやらかして『オーロラ亭』のみんなはどうなったんだ……?
空は夕から夜へと移り変わり、西空の端に僅かばかりのオレンジが残るのみ。星か顔を覗かせ始めていた。
そう長い時間は経ってないみたいだ。
『おいエリュー』
あ、バロル。
そうだ。バロルは自分が死んでる間も意識があったはず。
『今すぐ、逃げろ……!』
え?
自分は今までになく必死なバロルの様子にただならぬものを感じた。
それで気づく。
自分を取り囲むようにたむろする冒険者さん達の目が敵意に満ちていることに。
「それでどうしますかアギラさん」
リエーレさんが親しげにアギラへと話しかけた。
それを受けてアギラは少し笑い声を漏らす。
いやいや、何だそれはちっとも笑えないぞ……!
何でリエーレさんとアギラが打ち解けているんだ? さっきは銃口を向けるほどの感情を露わにしてたじゃないか。
周りにいる冒険者さん達もまるでアギラやエリニテスが仲間みたいに振る舞ってる。
これは一体どういうことなの!?
「くくっ、まぁ情報を引き出せばいいんじゃねぇか? もっとも……」
アギラは言葉の先を濁した。
さっきからどういうことだ? 何が起こってる!?
「ふふふ、混乱してるねエリニテスちゃん」
自分の目の前にひょこっと己の顔が飛び出てくる。紅色の瞳はエリニテスのものだ。
けれどさっきからなんだかおかしい。まるで自分がエリニテスになったみたいに……。
そんな自分の耳元に彼女が寄ってくる。
殺意や敵意はない。それよりかはむしろ子供っぽい悪戯心を感じた。
彼女はか細い声で自分にこう耳打ちした。
『驚いた? 今は私がエリューよ。あなたの居場所を奪ってみたの』
何を言っているのか理解できなかった。
居場所を奪った? いくら容姿がそっくりだからってそんなこと……
この瞬間の自分はエリニテスの言葉を質の悪い冗談か何かだと思っていた。
けれど、そうではないとすぐさま思い知らされる。自分への冒険者さん達の視線。それが敵意なんて可愛げのあるものじゃなく、もっと黒黒しい憎しみを宿していたからだ。
それに晒されていると気づいたとき自分の心は真っ白な空漠へと突き落とされた。
突き刺さる視線に耐えかねて、別の方へやってもまた別の冒険者さんの視線が突き刺さる。
憎悪の視線は自分を取り囲んでいた。さながら自分は槍衾に囲まれたように固まった。
「エリニテスお前がケニーを殺した」
「お前がグレッグをあんな目に……!」
ケニー、グレッグ。『オーロラ亭』によく出入りしてた冒険者さんの名前だ。そしてさっきアギラの特大剣で輪切りにされてしまった人たち。
けれど自分はエリニテスじゃないし、そもそもそれをやったのはアギラだ。
「てめぇに手首を砕かれた」「顎をやられた」「足の腱を切られた!」「肩を切られた……」「手のひらがぐちゃぐちゃだ! どうしてくれる!」
冒険者の中には覚えのない怪我をしている人も何人かいた。その人達は口々に自分を罵ってくる。自分が何をしたっていうんだ!
「『大鷲』のバケモンにパーティーが喰われた」「通行料を毟り取られ、払えないならと余興で腕をもぎ取られた!」
自分への糺弾は『大鷲』のやっていたことにまで及んだ。謂れのない謗りを受けた自分は、憤るというよりも狼狽えた。
何で? 何が起こってるの?
「まぁまぁここで私刑しても何にも生まないよ。みんなもっと抑えて、ね?もっと生産性のあることましょ。ふふふ、拷問とか……」
エリニテスは自分を庇うようなふりをして、もっと恐ろしいことを提案する。
拷問。かつての記憶が思い起こされて自分の背筋には鉄の棒で貫かれたかのように冷ややかな感触が伝った。
「エリニテス。『大鷲』を率いてこのヒューゲンヴァルト地方を荒らし周り、私の夫ラファロ・ニッツァに手をかけた重罪人……」
最後にリエーレさんが自分へと言葉を浴びせかけた。その目にもやはり憎悪が宿っている。リエーレさんの言っていることもやっぱり自分はやってない。
自分はそんなリエーレさんの有様を見て、やっとエリニテスの言っていることを理解した。
これ、たぶん自分と死神の認識が入れ替わってるんだ……その上でたぶんこれまで『大鷲』のやってきたことが全部擦り付けられてる……。
自分が死んでいる間に何があったのかは分からないけど、洗脳か催眠か、そういう類の術中にみんなはあるんだ。
自分は戦慄した。
ほんの少しの間に一年かけて積み上げてきた、信頼も立場も感情も、全てくすね取られた。
愕然として、縋るようにオーロラ亭のみんなに手をのばす。
きっと自分は今にも泣きそうな顔をしているんだろう。
ふと気が緩めば子どものように泣きわめいてしまう。
だから、お願い、だれか自分の手を取って……
返ってきたのは冷ややか視線だけだった。
心に黒い幕がかかる。
ミシミシと自分の内側へとヒビが入っていくような気がしていた。
引きつった表情、ヒクヒクと吊り上がる口の端から呻きのような声がこぼれる。
そうやって伸ばした手が落ちる。だらんと落とした手にこつんと固い者が当たった。
それは大鎌の柄だった。
あぁそうだ。バロル……!
『ッチっ、まァ俺様はお前とは離れらんねェからなァ。味方でいてやるよ』
その言葉は自分の心を繋ぎ止めるのに十分だった。
あぁ、そうだね。
勝手に絶望して諦められちゃバロルにしてみればたまったもんじゃないだろう。
『それよりエリュー。どうにかして逃げろ。このままだとおめェひでェ拷問を受けるか、あるいはもっとひでェ目に遭うぞ』
そんなこと言われたって……どうすれば……。
希望が湧いたところで状況が絶望敵なのはさして変わっていないなこれ。
うん? でも何でアギラやエリニテスは武器である大鎌をわざわざ自分の近くに置いたままにしてたんだ?
と、いうかバロルの声はエリニテスには丸聞こえなんだから、今の会話はまずいのでは……。
「んー?」
案の定にっこりとした笑顔を浮かべた彼女と目があった。
あーこいつ。自分の反応が見たいがためだけに大鎌を取り上げなかったな。
自分の本体は大鎌で、そこから一定距離以上離れれば体が維持できなくなる。だから大鎌は放置されてたってとこか。
だとしても『死神』と更に『大鷲』を攻略しなきゃならないのか。正直勝算は薄い……。
あはは……バロル何か手、ないかな……。
『……この一年で培った技術はさっきぶつけきったろ?』
うん、そうだね。どうすればいいんだろ。
『でもそれは人間としてのモンだァ。後戻りはできなくなるが、死神としての力にここで目覚めちまァのも悪くねェんじゃねェか?』
え、そんなことが……?
『俺様はおめェに敢えて死神について教えてこなかった。でもおめェは既に自力でその一端を掴んでる。いいか、俺様は魔眼血呪の死神だ。その一旦をお前はもう垣間視てる。あのレーザーを捌いたときだ思い出せ』
あのレーザー?
もしかしてオリヴィエさんと戦ったときのこと? 確かにあのとき自分は《プリズムレイ》を見切った。
そんなことができたのは……視界が、突然変容したからだ。
波の世界に迷い込んだ自分はオリヴィエさんの詠唱を視た。そこから伸びるレーザーの軌跡を見透した。
それと同じことができれば、アギラの空間魔法を捌くこともあるいは……。
バロルは元々魔眼血呪の死神。魔眼……?
あれを今もう一度呼び起こせばいいのか?
それでこの局面を乗り切ることができるのか?
『保証はしねェよ。ただ手はそれしか残ってねェってことだ』
自分は必死にあのときの記憶を呼び起こした。
確か自分は魔力の流れを視るために特殊な眼鏡をかけていて、うっかりと運用を誤り、莫大な魔力の流れに目を灼かれた。
それをなんとか元に戻そうとして、やたらめったらと眼球に魔力をつぎ込んだんだ。
そして気づく。
自分の魔力の残量がもうそれほどないことに。
『蘇生に大分魔力を持ってかれてるな。最大量の1/3ほどだ。それに《エンチャントカマイタチ》の維持や度重なる魔法行使でも削れてる。残量は3割ってとこか……』
うぇえ……。蘇生に3割持ってかれるんだよねぇ? それが無い状態で死んじゃったらどうなるの……?
『いや大丈夫だ。死にゃしねェ。ただ……』
ただ?
『魔力が3割まで回復すりゃァ蘇生ができる。逆に言えば回復できるまで死んだままだ……。屍体の状態でも大鎌経由で周囲のマナを取り込んで回復はするものの、当然長い時間がかかるだろうなァ』
屍体のまま、つまり自分の意識はあの煉獄に置きざりにされたままって言うのか。
あはは、それはちょっと……きっついな。生き返ったとき狂ってそうだ。
『保険の意味でこれ以上魔力を使うのはやべェかもしんねェ。でもここのままじゃおめェは地上の地獄に囚われて逃げ出せなくなるぜェ。やるしかねェだろ』
うん、そうだね。あぁ、やってやろう。
後戻りはできなくなる。人間としての自分には戻れない。
けれどそうする他ない。
あぁ、死神として自分は生き延びてやろうじゃないか。
◆
残った魔力を捻りだして、眼球へと詰め込んでいく。
残量は魔法が第三階位の魔法一度分。それ以外の全てを右目の眼球へ。
目玉が熱を持って破裂しそうになる。
まだか、まだか。まるで眼窩に握りこぶしが入っているような。
それを押しとどめるために、なんどもきつく瞼を結んで開いて、あの幼い魔眼を渇望する。
まだか、まだか。頭蓋骨が割裂けそうだ、あぁ、まだなのか……。
ゆらり。
僅かに視界が揺らぐ。
ゆらり。
揺蕩う。
変化は緩慢としていた。
視界が揺れる。揺蕩う。次第に水中にいるみたく視界がぼやけてかすんで。
波の世界がそこにはあった。
────やった。
自分は幼い魔眼を呼び起こすことに成功した。
あぁ、音が視える。
口々に自分を罵る呪詛が視える。
自分は身を起こした。
左目に光の視界。右目に波の視界。
魔眼を発動させていない方の視界は普通だ。左右で視える光景に差異が生まれ、頭が痛くなるけどここは我慢。
おもむろ体を起こした自分に向かって、アギラの直剣が首筋へと添えられる。
それを自分は背中側から大鎌を回して、弾く。ちょうど刃の部分が自分の肩口から生えてきたようにアギラは錯覚したはずだ。
というかアギラめ、油断したな? 自分が殺されて意気消沈してると思ってたろう。
自分は立ち上がりざまに大鎌を振り回し、それでアギラもエリニテスも自分から距離と取ってくれる。ギリギリでリエーレさんに当たらない範囲を薙いだ。
それによって戦闘力のあるアギラ・エリニテスはしっかり反応して後退し、他の冒険者達も自ずと包囲が広がるけれど、唯一戦闘員じゃないリエーレさんだけが自分の側に残される格好となる。
申し訳ないけど、使わせてもらいます!
自分はすかさずリエーレさんの懐に潜り込んで、彼女の首筋へと大鎌の刃を這わす。
「なっ……卑怯な! 離しなさい!」
リエーレさんが自分の懐で声を上げる。そう自分は彼女を人質に取ったのだ。
けれどあちら側の対応も早い。
アギラは自分の真正面で逃さないように非対称な二刀流を広げて立ちはだかっている。
エリニテスは冒険者さんに指示を飛ばし、周囲を隈なく囲むようにした。
『みんな、取り囲んで。とっくに袋のネズミ、押しつぶしてしまいましょ』
エリニテスの声が少し変だ。魔眼にそう映っている。
たぶんあれがみんなを従えさせている原因なのだろう。
目の前のアギラが詠唱を始める。
「“空隙よ”────」
その詠唱から発される音を視る。アギラの特大剣とリエーレさんの体へと絡みついていく。
おそらく入れ替えの魔法。さっきの戦闘では自分の《アポート》に対して詠唱を乗っ取って特大剣を送りつけられたけど、それの能動的なバージョンだろう。
特大剣とリエーレさんを入れ替えて取り返そうとしてるのだ。
魔眼のお陰でそれが分かる。
だから自分もまたお返しだと言わんばかりに詠唱に割り込んでやる。
「“対象置換”・“代わりに”・“私を”」
自分の詠唱が波となって、どういう状態にあるのかが視える。
アギラの詠唱によってリエーレさんに纏わりついた詠唱が自分へとずれる。
あぁ、こりゃ便利だ。
魔法《スワップトランスファー》が発動する。
対象はアギラの特大剣と自分。こういう魔法の乗っ取りは魔力をほとんど使わないのでありがたい。
視界が突然切り替わって、広い胸板が大写しになる。
自分はアギラのすぐ手元へと転移したのだ。
「やぁ」
「なぁ……!?」
よほど自分の魔法運用に自信があったのか、奴は分かりやすく怯んでくれた。
そんな隙は見逃せない。
ただ大鎌を振るには距離が近すぎる。
なのでドゴォッッ!!と右拳を鳩尾へと打ち込んでやった。
「うグゥッ!」
仰け反ったアギラの巨体。容赦なんてしない。
次に自分は脛、いわゆる泣き所を思っきり蹴りつける。更に特大剣を離してフリーになった右手を掴んで捻りあげ、ぐりんと自分の周囲を旋回するようにアギラを投げる。
方向はちょうどエリニテスのいる方向。
自分のへ攻撃をしかけようとしていた彼女は、目の前に契約主が転がってきて、たたらを踏む。もともと冒険者さんが周囲にいて十全には大鎌が振れない状態だった故に、自分とエリニテスを結ぶ直線上に障害物ができて、足止めに成功したのだ。
アギラとエリニテス、二つの脅威をなんとかかんとか同時に攻略できた。
自分は壁になってる冒険者さんまで一気に駆け寄って、その直前で石畳へと大鎌の腹を打ち付ける。
大鎌を棒高跳びの棒みたく活用してジャンプ。
冒険者さんの壁を乗り越えた!
「────《アポート》!」
向こう側に着地し、ローリングで勢いを殺し、更に2節詠唱をして《アポート》手元に大鎌が返ってくる。
この魔眼のお陰で詠唱割り込みされてもどうにかなる自信があったし、そもそもアギラはまだ復帰できていないだろう。
鳩尾への打撃は肺にほど近い位置故に、すぐに声を出すのは厳しいと思われる。
「よしっ!」
『よくやった!! 走れ! 後ろは俺様が見てる!!」
言われずとも!
自分は直ぐに石畳を蹴って疾駆する。
一瞬で円形広場を置き去りにし、恐ろしい速さで景色が後方へと流れていく。
全体的なスペックが高いのが幸いした。走る速度も上等なもんだ。
数秒で100m以上の距離を稼ぐことに成功し、これはしめたものと内心ほくそ笑む。
この魔眼があれば魔法の予兆は分かる。一回だけなら第三階位の魔法も行使できる。
そのとき魔眼の視界が揺らめいた。
シュンッと自分を両断するように、波の線が走る。
『エリュー。アギラの野郎が何かやろうとしてるぜェ。対応できっかァ?』
自分は返事をあげる余裕を一瞬で失う。
走りながら後ろを振り返れば、彼方でアギラが剣を構えて何やら詠唱をしているのが見えた。
アギラの剣の構えは特大剣を真上にへと振り上げていて、そのままの姿勢で詠唱をしている。
自分は魔眼で奴の発動しようとしている。魔法を視ることができる。
その魔法はこの100m余りある距離を一直線に駆け抜けて、自分を真っ二つに両断しようとしていた。
これはきっと《ディバイディング》だ。自分が殺された原因の魔法。
恐るべきはその射程。
前を向けば、遥か先までその線が伸びていっている。
もしこの魔眼がなければと思うとゾッとした。
間違いなく縦に真っ二つだ。
自分は目ざとくアギラの様子を伺いながら走る。
気づいたからって露骨に早いタイミングで回避行動に移ったりはしない。合わせられてしまう。
自分が魔法の先読みができるって感づかれればそれこそ終わりだ。手札を読ませてなるものか。
永遠にも感じる疾走が続いた。
ギリギリで回避するために、自分は即死線上を駆けているのだ。冷や汗が止まらない。
『エリュー! 来るぞ!!』
バロルが叫ぶと同時に自分は全力で片足を石畳へと打ちつけた。
必死すぎて加減ができてなかったが、それで己の体は真横へと弾き飛ぶ。
刹那、空間がズレた。
同時に自分の細胞一つ一つが押しのけられるような感じがした。
そしてやってくる空間破砕音。
ガラスがどうとかそんなレベルじゃない。
世界が裂ける音ってこういうものなんだと思い知った。
右目の魔眼には四角くて、丸くて、刺々しいそんな形容しがたい波が視界に突き刺さった。
思わず目を閉じる。
「────────ッッ!!」
声にならない悲鳴。けれどそんなか細い声は極大の破砕音に飲み込まれて握りつぶされいていた。
ドッっと倒れるように石畳に身を落として、すぐに起きて。
走りながら自分の真横に出来上がった裂傷を見やる。
道に奔った裂傷は遥か先、街の西門まで続いているように見えた。
この魔法《ディバイディング》はおそらく定めたライン上の空間をズレさせて、途上にある物体を両断するものだ。
最初のものは射程を減衰させて詠唱速度を重視したのだろう。
空間そのものがズレているのだから現存するありとあらゆる防御は物理的に無意味。さっきこれを受けたとき大鎌でガードしたはずなのに、体が両断されたのはそういうことだろう。
大鎌自体は死神の持ち物。ある意味神器と言っても差し支えない代物だからあの魔法では干渉できなかったんだろう。
まぁ大鎌の評価がうなぎ登りなのは置いといて。
あの魔法《ディバイディング》は防御不可、射程極長、威力極高の魔法ってことだ。おまけにショートバージョンで近接戦闘でも使用に耐えうる。なんて恐ろしい。
今は縦振りだったから避けれたけれど横振りだったらやばかった。
さて、魔眼の視界が静寂に収まってきた。
あちらさんの様子もアギラの放った魔法がヤバすぎて未だ動けていないみたい。
自分は十分に距離が離れた辺りで路地へと転がり込む。
大魔法に気を取られて、自分が消えたことには気づいてないだろう。
路地を少し奥まで入って適当なところで足を止める。ふぅと息を吐いた。
そこで落ち着いて詠唱をする。
「“幽冥なる闇よ”・“夜霧と”・“晦冥の中では”・“暗月すらも”・私の姿は・“見つけられまいて”────《マスキングダークネス》」
自分の発した詠唱が今どうなっているのかが魔眼のお陰で分かる。
お陰で今まで最高に調子よく魔法が構築された。
発動させたのは隠密の魔法。追いすがってくるアギラ達を撒くためのものだ。
自分の体に闇が纏わりついて見えづらくなる。これに認識阻害の効果もあって、その上これから夜だ。逃げきれる公算は十分にあった。
「あ」
見上げた自分の頬をポツポツと雨粒がうつ。
月が雨雲の向こうに隠れ、闇が一層濃くなる。
僥倖だ。これで更に見つかりづらくなる。
自分はそうしてオルゼの街の路地裏へと消える。ザァザァと降りだした雨は、まるで自分の押し込めた感情を肩代わりしてくれているような気がした。
そう今は泣いている暇なんてないんだから。




