第二七話「少年の思い」
今回初めてエリュー以外の視点になります。
あと短めです。
気づけば僕がこの宿に来てから一年が過ぎてた。
僕の名前はケイティス。
以前の僕は盗賊団『大鷲』の元で半ば強制的に働かされていたんだけど、ある日大鎌を携えた僕より少し年上の女の子、つまりエリューさんと一緒にそこを逃げ延びて、この宿にたどり着いた。
それ以前の記憶はなぜかもやがかかったみたいに思い出せない。でもきっとろくでもないものだったから思い出せないんじゃないか。
それにしても『夜明けのオーロラ亭』はいいところです。
朝昼晩とちゃんとご飯は出てくるし(お昼は自分で作るけど)、無茶な仕事を押し付けられることもないし、ぶたれることだってないんだ。
リエーレさんは僕に優しくしてくれているし、ソフィーはよく懐いてくれているし、冒険者さんは気持ちのいい人ばかり、そしてエリューさんはとっても頼りになる。
エリューさん。
いくらちょっと年上とはいえ、さん付けだなんてよそよそしいと思うかもしれない。
でもこうしないと僕はダメなんです。
はっきりといつからかは分からないけど、あの人が視界にいるとついつい目で追いかけてしまう。
あの人が戦っているのまるで自分のことのようにハラハラしてしまうし、この間あの人の着替えを覗いてしまったときなんて、もうどうにかなりそうだった。
僕はこの感情の正体を分かっている、つもりです。
そしてこれを持て余していることも。
だから自分はエリューさんとあの人のことを呼んで、一定の距離を置くことでなんとか心の平静を保っています。
それに僕があの人から一歩引いた距離にいる理由は、僕だけじゃなくあの人にもある。
エリューさんはどうにも必死なのだ。
ウエイトレスとして働いているときも、用心棒として動くときも、看板娘として客集めするときも。エリューさんは懸命に取り組んでいて、そこに付け入る隙なんてない。
たぶんエリューさんは自分のことに必死で、僕のことや他の人たちのことに気をかける余裕なんてなのかもしれないです。
なんでだろう? って考えたことは何度はあります。
でも結論はいつも出ないんです。
僕はアジトでエリューさんと会ってから一年間、ほぼ毎日あの人と過ごしていますけど、一年しか彼女のことを知りませし、逆に言えばこの一年のことしか知りません。
エリューさんは自分の身の上を語ろうとはしません。
そして、今に必死な人にそのことを聞きただすことはできません。
……はぁ。
僕はカウンターの上で短いため息を滑らせた。
あの裏庭でのランチタイムから、お客さんが来たので僕は一旦戻って案内をしてカウンターに戻ってきたのだ。
どうしよう。今から裏庭に戻っても別にいいけど……こんなあれこれ考えた上であの人の顔を見るのがなんだか気恥ずかしく思えてきた。
いつかあの人は話してくれるのでしょうか。
僕はこの先もあの人と一緒にいられるのでしょうか。
漠然とした不安感が目の前に横たわっている気がした。
────カランッカランッ
カウンターにもたれかかる自分の横合いからドアベルの軽妙な音色。
見るととまたお客さん────ではなかった。
「おかえりなさい。リエーレさん、ソフィー」
帰ってきたのはしっとりとした雰囲気の妙齢の女性と元気一杯の女の子。
教会での炊き出しが終わったんですね。
リエーレさんは食材を買ってきたみたいで野菜や肉なんかを袋に抱えている。
「はい、ただいま」
「ただいまー!」
相変わらずリエーレさんは淑やかで、ソフィーは元気いっぱいだ。
ソフィーは一歩も立ち止まることなく二階へと上がっていってしまった。
荷物を置いてくるのかな?
その様子を僕たちは見送ります。
まるで嵐のようにいなくなってしまった。
「あら? エリューちゃんはどこに行ってしまったの?」
「エリューさんは裏庭でオリヴィエさんアルコンさんの魔法陣いじりに付き合ってますよ。あ、裏庭勝手に使ってますけどいいですよね?」
「あらそうなの。裏庭は冒険者さんに常に解放してるわけだし問題ないわよ」
リエーレさんはエリューさんの居所を聞いて納得したみたいで、ひとまず買ってきた食材を冷蔵庫に入れてくるみたいで、厨房に入ろうする。
「リエーレさん」
それを僕は呼び止めます。
聞きたいことがある。エリューさんのことだ。
あの人に僕では踏み込めない。けれどリエーレさんなら僕の知らないエリューさんのことを知っているんじゃないかと思ったんです。
よしんばあの人が隠していることも分かるかも。
そう思って僕は質問を投げかけます。
「エリューさんのことどう思います?」
僕はすごく曖昧な聞き方をしました。
けれどリエーレさんは僕の意図を汲みとってくれたみたいで、滔々と話し始めました。
「エリューちゃんはよくやってくれていると思うわ。それこそ頑張り過ぎているくらいね。なにか焦りのようなものを感じるの。同時に何かを抱え込んでいるようにも見えるわ」
やっぱりリエーレさんもそう感じていたんだ。
リエーレさんは「でも」と言葉を繋げて続ける。
「今朝の会議で、エリューちゃんは珍しく昔のことを話してくれたわ。ケイ君やっぱりあなたと同じように、あの子は『大鷲』の元にいたそうよ」
え、そうだったんですか?
……でもエリューさんは初めて会ってとき自分のことを冒険者だって。
でも思い返すとこの宿に車でエリューさんには違和感があります。
だって冒険者だっていうんなら最初の街で冒険者ギルドが滅ぼされているのに唖然としていたのは不思議だ。
けれどそれが嘘で、もしかして『大鷲』の下で僕よりも遥かに自由じゃない立場だったとしたら?
『大鷲』への憤激がふつふつと湧き上がる。それと同時にエリューさんがなんだが近くにやってきたみたいに感じました。
「ま、こうして話してくれたのだから、時が経てば次第次第にでも話してくれるわ。私たちはが焦ることなんてないのよ。ケイ、君あなたもね」
リエーレさんは僕の額をつん、とつつきます。
この人の言葉はどこか達観していて、それでいて含蓄がありました。これが年の功ってやつでしょうか。
同時に気づく。
エリューさんのことを気にかけている僕もまた、事を急いていたんだと。
「そ、そうですよね。何も突然エリューさんがいなくなっちゃうわけじゃないんですし、ゆっくり時間をかけて話してくれる日を待てばいいですよね」
「そういうことよ。ふふ、ケイ君はほんとうにエリューちゃんのことが好きなのね」
リエーレさんにそう言われて、僕は熟れたリンゴのように真っ赤になった。
うぅ、やっぱりリエーレさんにはお見通しだったんですね……。
「も、もう茶化さないでくださいよ!」
「ふふ、私は応援してるのよ」
リエーレさんはコロコロと笑う。
「……それじゃあ私はこれを冷蔵庫に入れたらまた出てくるわ。リィゼさんとロッシさんからそれぞれ馬車の手配の手配を頼まれているから、組合に行ってくるわ」
「あ、はい。りょーかいです」
「じゃあ、頼むわね」
リエーレさんは言った通りに冷蔵庫に食材を入れてから出ていきました。
────カランッ
ドアベルが揺れて、ドアが閉まる。
話し声とベルの余韻が空間にじんわりと融けて消えていく。
やがてドアの向こうからの喧騒だけが音になりました。
僕はしばらくの間カウンターに肘をついて、さっきのやりとりを反芻します。
確かに今は待つことが大事なんでしょう。
けれど、何故だか、僕の心の中の焦りのようなものは一向に拭い去れません。
急がないと手遅れになるよと、誰かが囁きかけているような気がするんです。
トットットッ
けれどそんな思考は近づいてくる足音で中断されてしまいます。
出処は僕の左方、裏庭へと繋がる廊下がある方。
そこを通る人は十中八九あの人でしかない、エリューさんだ。
「──っ!」
僕はたまらずカウンター番を放り出して、2階へと繋がる階段へと逃げ出した。
だってあんな話をした後だ。
気恥ずかしくてあの人の顔なんて見れるわけがないっ!
なまじスカウト技能があるので足音を抑えながら、僕は2階の突き当りにある部屋へと飛び込みました。
「わわ! どうしたのケイ?」
ここはお客さんの部屋じゃなくて、ここはソフィーの部屋です。
「ご、ごめん、ちょっと匿って」
「……?」
僕はたぶん、すっごいヘタレた顔をしていたと思います。
◆
あれケイ君どこいっちゃったんだろ?
リエーレさんもいないみたいだし、鍵こわれちゃったから話しときたいんだけどなぁ。
自分は仕方なくカウンター番をすることにした。
しばらく経つとソフィーちゃんが遊びにでかけたり、ロッシさんとリィゼさんが帰ってきたりして、二人と談笑したりなんかしてる内にトプトプと日が暮れていって、その内に酒場の営業時間になってしまった。
そこらでリエーレさんが帰ってきて、あれケイ君は? と探すといつの間にか厨房に彼は出現していた。
いつの間に……! さすがスカウト技能持ち。
けれどこの日のケイ君はなんだかとってもよそよそしい感じだった。
自分なんかしちゃったかなぁ?




