第二三話「人と獣と白い手」
アルコンさんは肩に背負った大曲剣をゆらゆらと揺らしながら、立ち上る土煙を従えたギガントコボルトへと歩んでいく。
その姿はまるで幽鬼のようだった。
誰もそれを止めようとはしなかった。それをしてはいけない、手を出してはいけないんだということをこの場の誰もが理解していた。
アレは肉食獣同士の争いだ。間に割って入ればどんな末路が待っているか。
ゆっくりと一歩ずつ縮まっていく両者の距離。
相対距離が30mから25mになり、一歩、また一歩と縮まっていく。
ギガントコボルトはその狂争相手を値踏みするように見つめていた。
そして両者の距離は5mほどになって、そこでアルコンさんは足を止める。
彼の今いる位置では馬車ほどの体高を持つギガントコボルトは見上げるような大きさに写っていることだろう。
訪れる静寂。
こちらにまで張り詰めた緊張感がのしかかってくる。
そうして何秒たったのだろうか、ほんの僅かの気もするし何十分も経った気もする。
自分だったら堪えきれずに叫び声を上げて愚直な攻撃を仕掛けてしまっただろう。
────唐突に轟音が響いた。
数瞬遅れて両者が打ち合ったのだと理解した。
ギガントコボルトは膨れ上がった右碗のフックをぶち込んだみたいで、それをアルコンさんの大曲剣が受け止めている。
一瞬の均衡、静寂。
ギガントコボルトは右腕を引き戻し、今度は左腕を真上から振り下ろす。
それをアルコンさんは鋭い横っ飛びで回避、大地に突き刺さった拳は文字通り地を割る。
彼は返し刀にギガントコボルトの懐へ飛び込んで、そのまま大曲剣を振りぬく。
ほの浅くだが刃は脇腹を切り裂く。
けれど、アルコンさんは前方から迫っていた三本目の腕に格好の隙を晒してしまっていた。
彼は大曲剣を振り切った左腕を肘の辺りからまるごと捕まれる。
白く不気味な三本目の腕が捻り上げられ、掴まれたままアルコンさんはバランスを崩して倒される。
そこで白い腕はほんの一瞬だけ力を溜めると、腕を一気に真上へ振り上げた。
挙げられた白い手は開かれていて、そこにアルコンさんの姿はない。
彼は遥か上空へと投げられていた。
豆粒ほどの大きさになってしまったアルコンさん。
地表まで距離は100mに届こうか。
あの高さから落ちれば無残な血のシミになるのは明白だ。
人間高いところから落ちれば死ぬのだ。
おもわず助けに入ろうとした自分。
けれどそれを止める人があった、リィゼさんだ。
「な、何ですかリィゼさんッ! アルコンさんが、アルコンさんがっ!」
「ハァ大丈夫よ、心配しなくていいわ……落ちたくらいで死ぬタマじゃないわよアイツ」
リィゼさんはそういって自分を諌めるけど、にわかには信じられない。
周りの人たちもざわめいているし。
あぁ、そうこう言ってる間にアルコンさん落ちてきた!
自分はリィゼさんの制止をよそに、必死に頭の中でこのシチュレーションを解決しうる魔法を探す。
けれど戦闘は流動的なものだ。
落ちてくるアルコンさんを見てギガントコボルトはただ待つなんて選択はしなかった。
じゃあどうしたか?
奴は飛び上がったのだ。落ちてくるアルコンさん目掛けて。
膨張した両腕と白いもう一腕を地面に叩きつけ、跳躍。
そこで組み上げた両手を振り上げた。
それはさながら宙を舞う羽虫を叩き落とすかのように、奴は空中にいるアルコンさんに追撃をかけようと言うのだ。
これは……まずいんじゃないか……!
自分は動揺して彼を助けだすための詠唱を探すことができなかった。
空中で身動きの取れないアルコンさんにその拳を避ける術はない。
あえなく拳は振り下ろされた。
流星が落ちた。
いや落ちたのは人間だ。
もはや線としか見れない速度で地面に叩きつけられた。
落下点では大きく陥没していて、あれでは……もう……。
「リィゼさん、アルコンさんが……!」
「あーたぶん大丈夫よ。骨の二三本イッてるかもしれないけど、戦闘に支障はないわ」
まさか、と思って改めて落下点を見やる。
落下点は自分らから10mほど離れた位置。
速度と衝撃波が凄まじすぎて土煙が一瞬で吹き飛ばされたからあそこの様子はよく見える。
そこにアルコンさんは立っていた。
クレーターができるほどの衝撃にもかかわらず、彼はその孔の中心でピンピンしている。
いやよく見ると左の腕は折れているのか……?
思い返せば上空へ放り投げられる直前に思いっきり握り潰されてたな、そのときのだろう。
それ以外には多少の流血程度でひどい怪我はほんとに左手だけっぽい。一体全体隕石のごとく叩き落とされて、どうやって生き残れたのか。
だけど腕を負傷したのは痛手だろう。片腕だけでギガントコボルトの相手なんてかなり厳しい。
「ちぃ折れたか。流石に舐めすぎだったな。外装も使わず挑むのは」
アルコンさんが舌打ちする、その呟きには少しも逼迫した感じは伺えない。
「ホント遊んでんじゃないわよ。あとで治すオリヴィエの身にもなりなさいよ」
「わりーわりーって。今からちゃんとやっから、な?」
それを茶化すリィゼさんの声音も緊迫感がまるでない。
まるでアルコンさんならあの化物を一蹴できる、そんな会話の流れだ。
「じゃあやるか。《エグゾセンシヴ》」
アルコンさんは一言、キーワードを唱えた。
一般的な呪文詠唱とは違う、既に敷かれた魔法陣を起動させるためのプロセス。
魔法陣運用は呪文詠唱と比べると、一見煩わしい詠唱の手間が省けたように見える。
確かに戦闘中にごく短時間で何節もかかるような呪文詠唱と同等の魔法を発動させられるのは有利だが、そもそも運用するための前提が厳しいのだ。
魔法陣は精密機械のようなものだ、正確に魔力を流さねば途端に暴走してしまう。……自分が死神になったように。
だから魔法陣を運用するにはきちんと扱う魔法とそれを生み出す魔法陣のことを知ると同時に、精緻な魔力制御で魔法陣に魔力を流し込まねばならない。
とどつまり粗野な冒険者にはそんなしゃらくさいことするより結構適当でもなんとかなる呪文詠唱が主流なのだ。
例外はそもそも魔法への造詣が深いマジックユーザーや組織立った訓練を受けることができる騎士などか。前者がオリヴィエさん、そして後者が今のアルコンさんということだろう。
オリヴィエさんは分かりやすい必殺技を魔法陣運用していたけれど、アルコンさんのはどんな魔法なんだろう。
そう思って若干ワクワクしながらアルコンさんを見つめる。
お、彼の腕と大曲剣に赤白い紋様が浮かび上がったぞ。
ただ紋様といっても自分の魔法適性&耐性の綺麗な幾何学魔法陣とは趣を異にしていた。
腕の先へと伸びる赤い線は一切の曲線というものがなく、所々で垂直に折れ曲がっては合流や分岐を繰り返す。
まるで抽象化された血管みたいだ。
ただその血管の紋は彼の体だけではなく、大曲剣にまで伸びていた。握り手の部分を見れば血管の紋は指から柄へ、柄から刃へと這い上がっている。
たぶん身体補助の魔法かな?
筋力を増強したり再生力を強化したり反応速度を上昇させたりと、何かと便利な魔法だ。
ちょっと地味なのは否めないけど。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
「ハイハイ油断すんじゃないわよ。危なそうだったら私も入るから」
「おう、そんときは頼むわ」
アルコンさんとリィゼさんは短く言葉を交わす、その言葉の端々から信頼みたいなのが滲み出てて、いいなぁってなる。
そしてリィゼさんに送り出されて、アルコンさんは一歩踏み込んだ。
距離にして20m。
それを一歩。
パワーもスピードもタイミングも、どれをとっても驚嘆に値する。
アルコンさんを待ち構えていたギガントコボルトは警戒を突き破られ立ち尽くすことしかできていなかった。
一瞬で奴の懐へ潜り込み、一気呵成に脇腹を切り、駆け抜ける。
バシャッと血が飛び散る。
あまりに見事な一撃に、三本目の腕も全く反応できていなかった。
よろりと、ギガントコボルトの体が傾ぐ。
けれど体そのものがデカイ奴にとっては重篤な傷じゃあない。
すぐに体を回して、後方へ抜けていったアルコンさんに追いすがる。
ダンッダンッダンッという地を震わす足音を響かせ、奴はその巨体での体当たりを敢行した。
アルコンさんはそれに合わせてダンッと垂直に飛び上がった。
高さはギガントコボルトの体高とほぼ同じ、そこで大曲剣を振りかぶる。
「おすわりしとけやッこの犬ッコロがあぁッ!!」
ギガントコボルトが彼のほぼ真下に来るかというところで大曲剣は振り下ろされる。
ズゴンッという衝撃音。
脳天に大曲剣がめり込んだ。
飛び散る血液と脳漿。
奴は致命的な一撃をもらって一瞬意識を手放したのか、突進の勢いのままたたらを踏んで転倒した。
しかしギガントコボルトはその程度では死ななかった。
目を血走らせ、のっそりと起き上がり、咆哮する。
────ガァアアアアアッ!!
そしてがむしゃらにアルコンさんへと挑みかかる。
だけどその攻撃のいずれもが届かない、闇雲に振り回される腕はことごとく空を切り、あるいは弾かれ、反撃に繰り出される大曲剣は確実に奴の筋繊維を断ち切っていく。
みるみる間に、奴はいたるところから血を流した手負いの獣になっていた。
すごい。
とても人間のスペックじゃない。
あの魔法は何なんだ?
「あれがアルコンの魔法、《エグゾセンシヴ》。その効果は魔法による外部の力で体の動きを拡張するのよ」
「はぁ……」
すごくいいタイミングでリィゼさんが解説をぶっこんできた。
体の動きを拡張……? ちょっとよく分からないなぁ。
自分は相槌を打ちながら、アルコンさんの戦闘を行方を見守る。
戦闘は一方的だ、錯乱した獣ではアルコンさんに傷ひとつつけられていない。
「アルコンの《エグゾセンシヴ》は言うなれば魔法で形作られた強化外骨格。あの赤い紋によってただでさえ強靭に鍛えられたアイツの体は補助されてるのよ」
なるほど、つまりあの赤い血管みたいな紋様はアルコンさんの動きに呼応してその動きを強化するのか。
自分はさっきあの魔法をバフかと予想したけど違った。むしろこれはゴーレム操作の発展形だ。
自分の体をゴーレムに見立てて、それで自分で自分を操って動きを強化する、それがアルコンさんの《エグゾセンシヴ》ってわけか。
「それに、自分の武器を上手く扱う人はときたま自分の体の一部みたいだ、なんて表現されるでしょ?」
「えぇ、そうですね」
自分は相槌を打ちながら、アルコンさんの戦闘を行方を見守る。
激しい戦闘が繰り広げられている、錯乱した獣のむちゃくちゃな猛攻をアルコンさんは捌きつつ、隙をついて反撃を入れている。
「あの魔法の効果範囲は自分だけでなく、その得物も対象に含めることができるの。今のアルコンは文字通り大曲剣を自分の一部のように扱いこなせるのよ」
へーそれは便利そう。
どんな感じに切れるとか、相手の攻撃の威力とか、分かるようになるんでしょ? いいなー、自分の大鎌はトリッキーすぎてたまに自分でわけ分かんなくなるしなぁ。
そんなリィゼさんの解説を聞き終わり、改めて戦闘の行方を見る。
さっきまでは切った張ったの応酬だったのが、今では一触即発の睨み合いになってる。
ギガントコボルト側も時間が経って冷静さを取り戻してきたのだろう。
「くそ、決め手に欠けるな」
アルコンさんはそう吐き捨てながら、狙うのはやはり頭しかないと思ったのだろう。
均衡を破り、真正面から弾丸のような勢いで脳天目掛けて大曲剣を振り下ろさんとする。
ドムッという鈍い音。
獣といえど、二度目はきちんと学習していたようだ。
3本目の白い腕が大曲剣を掴まえていた。
「クソッ!」
アルコンさんは柄をぐっと握って刃を滑らせようとするが、それ以上の力で握りしめられピクリともしない。
そのまま白い腕はアルコンさんごと真上へと持ち上げた。
あれは、このまま叩きつける気か!?
助けに入ろうかと思ったけど彼我の距離は30m以上も離れてる。
自分の速力じゃ咄嗟に割って入れる距離じゃない。
アルコンさんもこのままではまずいと判断したようで、柄から手を放し、丁度空中でアルコンさんの体が離れる。
けれどアルコンさんとその武器は魔法によって一体化しており、赤い線が手から伸びて繋がったままだ。
それはちぎれる様子もなく、このままではアルコンさんは地面に叩きつけられて、今度こそ潰れたトマトみたいになってしまう……!
「“戻ってこい”・“相棒”!──《アポート》」
その最中にあってアルコンさんは冷静に詠唱を行った。
“クレーシス”から始まる詠唱は己の得物を手元へ呼び寄せる召喚魔法。たった二節の超短詠唱だけど、僅か十数cmの距離だから大丈夫だと踏んだのだろう。
パッと白い手の中から大曲剣が消え、アルコンさんの目の前に現れた。
彼は己の相棒をバッと掴みとった。
見事に白い手から抜け出した。
正直言ってその使い方は盲点だった、目まぐるしく動く近接戦闘中に《アポート》を使って武器を取り返すなんて。
《アポート》はかさばる武器を持ち運ぶための魔法だ。それが一般的な認識。
運用にあたって召喚される物品に刻印を刻みこむ必要があるので、やっぱりそれ相応の特に魔法陣に関する知識が必要だ。
だから冒険者がそれを使う場合、見識のある魔法使いに依頼して刻印を刻みこんでもらうのだ。
もちろん剣に刻む刻印と槍に刻む刻印は異なり、とどつまり一品一品に用いられる刻印は異なる。
それに呼応する《アポート》の詠唱も異なってきて、それは刻印を刻んだ魔法使いから聞くものでアレンジの余地はなく、大抵は4~5節以上の詠唱になり、とてもじゃないが近接戦闘中に発動させて武器を取り返したりできるようなものじゃないのだ。
けれどアルコンさんは今しがた、たった二節で《アポート》を成功させた。
そういえば現時刻から少し前に彼のパーティメンバーであるオリヴィエさんも《アポート》をしていな。とすると彼の《アポート》はオリヴィエさん謹製の術式だろうか。
だからあんな無茶な詠唱でも彼の相棒は反応してくれたんだろう。
バァンっと白い手が大地に叩きつけられ、ベキベキベキッ!と地面が割れる。
遅れてアルコンさんはシュタッと地に足をつけて、タンタンタンと後退する。
そこをギガントコボルトは追い立てる。
本物の犬のように四足をついて前進すると同時に、三本目の腕を振り下ろしてした。
バゴンッと街道が陥没する。
すんでのところでバックステップが間に合い、白い手はまた大地を割り砕く。
しかしギガントコボルトの攻勢はそれで終わらない。
地につけた白い手を折り曲げて、その場の土塊を押し固めて持ち上げる。
それをアルコンさんに向けて放った。
飛びのいたあとの硬直にそれをまともに喰らい、吹き飛ばされるのが見えた。けれど土を固めたものだったからそれが土煙と化して、もうアルコンさんの姿が見えない。
そこで気をよくしたのかギガントコボルトは白い手で周りの土を掘りあげて押し固め始め、瞬く間に奴の両手には人間大の土塊が完成する。
人間を負傷させるには十分過ぎる代物だ。
ギガントコボルトはその土塊を振りかぶって投げつける。
狙いはもちろん土煙の中にいるアルコンさんだ。
危ないっと思ったその瞬間。
土煙が揺らいだ。
ヒュンと鋭い風斬り音。
一瞬の銀閃、割れる土煙。
そこには大曲剣を水平に振りぬいたアルコンさんの姿があった。
土煙を切ったんだ。
視界は開けた、けれど眼前に迫る脅威を排除できてはいない。
二つの土塊は恐ろしい勢いで迫り来る。
けれどアルコンさんは焦らない。
振りぬいた左手に向けて更に体を捻り、右手を添えて両手持ちになる。
そこでさらに体を捻り、今度は垂直に大曲剣を振り下ろした。
到来した土塊はそのあまりにも鋭い斬撃に見舞われ、左右に真っ二つ。
土塊はあと一つ。
アルコンさんはそれを下から振り上げるような裏拳で打ち据える。
ボムッという鈍い音と共に土塊は解けて、パラパラとした土が彼に降り注ぐ。
彼は歯を見せて実に愉しそうに笑ったのだった。
ギガントコボルトはさかしい戦法をものの見事に攻略され、露骨に狼狽える。
対するアルコンさんは大曲剣を肩に担いで、「もう終わりか?」と不敵な表情をこぼしていた。
奴がギリッと奴が歯噛みする音が聞こえる気さえした。
そしてあの化物の視線がどこか別の、アルコンさんとは違う方向を一瞥していく。
その視線は一度、こちらをも見ていた。
そのあと奴の白い手がまた地を掻く。
掬い上げられる土砂は押し固められて大きな土塊を成す。
アルコンさんにその手はさっき破られたばかりだろうに、と自分は内心呆れつつ所詮は獣かとこき下ろす。
けれどその狙いはアルコンさんではなかった。
二つの土塊は投擲された。
一つは大きく山なりの軌道を描いて、門に未だたむろしていた野次馬達へ。
そしてもう一つは自分達の方へ投げつけられたのだ。
ぃぃいい────!?
アイツ、アルコンさんにその手が通じないと見るや見物人を狙ってきやがった!
こっすい手だけど、確かにアルコンさんに隙を作るには合理的か……!
「リィゼッ!!」
アルコンさんの声が向こうから届く。
呼んだのはパーティーメンバーの名。
それはおよそ30mの距離でバッチリと交わされたアイコンタクト。
「あー仕方ないわねっ!」
めんどくさそうに、それでいて少し嬉しそうにリィゼさんはレイピアを構える。
そして詠唱を開始する。聞き逃しそうになるほどの高速詠唱だ。
「“錬成開始”・“土塊を”・“水球へ”・“不純物は”・“浄化し”・変異せよ────《アルケミーマテリアル》」
リィゼさんが唱えたのは錬金の魔法。
例えば鉄などの卑金属を金などの貴金属に変質させる魔法。
それの中々に長い詠唱を終わらせ、リィゼさんは大きく踏み込んで到来した土塊にレイピアを突き刺す。
次の瞬間、茶色い土塊は透明な水へと変わり弾けた。
土を水へ錬金したのだ。
勢いはそのままなので大量の水がリィゼさんにぶっかかる。
全身がずぶ濡れになってボディラインがくっきりと見えてしまっている。
いやーリィゼさんって身長高い上に出るトコ出て引っ込むトコ引っ込んで羨ましいなぁー。自分なんて……いややめよう虚しくなる。
しかし錬金術で変化させて脅威を取り除くなんて、この発想も盲点だった。
こういった魔法は部屋に篭って研究ばかりしている人たちの領分だとばかり思ってたけど、何でも創意工夫だなぁ。
って感心してる場合じゃないっ!
野次馬達に投げられた土塊は!?
自分が野次馬の方つまり西門に視界を向けると、そのちょっと手前で飛翔する土塊が見えた。
土塊の描く放物線はものの見事に野次馬へ着弾するラインを描いている。
まっずくない? 悲鳴も上がってるし、門衛達では重力に引かれて落下する人間大の土塊に対処することは難しいだろう。
なんて緊迫した状況を認識したところ。
土塊に何かが激突した。
え、何?
土塊は空中でバラバラに砕け、パラパラと地上に降り注ぐ。
さっきの瞬間に土塊があった場所には淡く赤いラインのようなものが通っていて、それを辿ると、西門の上端に槍のようなものが突き刺さっていた。
あれが土塊を撃ちぬいて砕いたのだろう、と推測は立つ。
けれどあれは誰がやったんだ? アルコンさんは大曲剣使いの剣士だし……。
赤いラインのもう片側を辿るように視線を這わせると、その赤いラインは街道をまっすぐに走っていって、アルコンさんの手元へ繋がっていた。
彼の手に握られているのは大曲剣ではなかった。
大弓。
結構大柄なアルコンさんの身長をも優に超える代物で、金属でできた弧に弦が張られている。
それを持ったアルコンさんは矢を放ったままの姿勢で残心している。
たぶん土塊を撃ち落として門に突き刺さった槍みたいなのは、あの弓から撃ちだされた巨大な矢だろう。
矢に繋がった赤いラインもアルコンさんの《エグゾセンシヴ》だと考えれば合点がいく。弾着修正とか便利そう。
でもどういうこと? アルコンさんの武器は大曲剣だったんじゃ?
なんて疑問を差し挟んでいる間に、アルコンさんの後ろに影。
同時にガチョンッという金属が組み合う音。
アルコンさんは残心しているだけで隙を晒しているわけではなく、後ろからの襲撃者に即応した。
ギガントコボルトの白い手による地を浚うような横薙ぎを、大曲剣による袈裟懸けの振り下ろしで叩き潰す。
彼の手には大曲剣が握られていた。
いつの間に武器が切り替わった? さっきの大弓はどこに仕舞ったんだ?
アルコンさんは依然としてギガントコボルトと切り結ぶ、その最中で彼の得物のカラクリが解き明かされた。
ギガントコボルトは大木のような両手でアルコンさんを押しつぶそうとし、それを彼は跳躍して回避する。そのアーチを描くような跳躍の最中でガチョンという音。
彼の手の中の大曲剣の刃側が剥離して、柄の裏側回り込んで大きな弧を描くような形になり、刃の中から出て来た弦がピンと張られる。
とどつまり、大弓へと変形したのだ。
大曲剣と大弓を自在に使い分けられる変形武器とかロマンあるなぁ!
彼は上下逆さまの空中で大弓を構え、それに虚空から取り出した大矢を番えて、ギガントコボルトの顔に向ける。
虚空から取り出された大矢は《アポート》で召喚してるんだろうか。門を見ると刺さってるはずの大矢はなくなってるし。
それでアルコンさんは奴の顔面に触れようかという距離に大弓を押し付けながら、弦を引く。
ギリギリギリッという弦が張り詰める音。
そして指が放される。
ドッッ!! と顔面に大矢が突き刺さる壮絶な音がこっちにまで届いた。
大人の二の腕ほどのぶっとい矢が奴の脳天に突き刺さっている。あれは流石に堪えるだろう。
アルコンさんはそれだけに留まらず、突き刺した矢を掴んで自身の跳躍の勢いを緩め、器用にも奴の肩に馬乗りになった。
それを感じてかギガントコボルトは滅茶苦茶に暴れようとする。
「おうおうおうっ、暴れんじゃねぇ!」
アルコンさんは奴を押しとどめるためか突き刺さった大矢をグリッと捻った。
うぇ、あれは痛い。
ギガントコボルトは当然さらに暴れようとする。
そこで彼は大矢を掴みながら、片手で大弓をジャキィン!と変形。大曲剣にして真下、呻いているギガントコボルトの顔へと刃先を向け。
「これでどうだっ!!」
それを奴の脳天目掛けて突き降ろした────!
カァンという甲高い音とともに、突き刺さった大矢が更に押し込まれて、けたたましい絶叫が吐き出される。
ずっぽりと大曲剣がギガントコボルトの脳天に突き刺さっている。
どんな生物でも脳に損傷を受ければどうにもならない。
あれではもう雌雄は決したようなものだろう。
「はぁ、流石に終いだろう……!」
アルコンさんはズボッと大曲剣を引き抜き、ビクビクと痙攣する奴の体からタタッと降りる。
大曲剣にはべっとりと血糊がついていて、それこそ変形に支障がでそうなくらいだ。
ギガントコボルトはもはや悲鳴を上げる余力する残っておらず、脳天からゴポゴポと血液を吹き出すだけの、グロテスクな置物だ。
あれほどまで怒張していた腕もダランと投げ出されて、背中から生えた白い腕も奴の前方にベタァと横たわり力を失っている。
「よし、死んだか……?」
アルコンさんはブンブンと大曲剣を払い血糊を落とそうとしながら、死亡確認のために近づいていく。
この場の誰もがその様子を息を呑み、見つめていた。
そのうち彼は血糊を落とすのを諦めたみたいで、大曲剣を肩に担ぎギガントコボルトの懐にまで近寄った。
そこで彼のピリピリとした警戒が解ける。
どうやら危険は無いと判断されたみたい。
そんで彼はこっちに振り返ってリィゼさんを手招きした。
リィゼさんはそんなアルコンさんの元へ近寄っていく。
水魔法使いのリィゼさんなら血流から死亡判定とか出せるんだろう。
「死んだ? わよねアンデットじゃあるまいし」
「あぁ、大丈夫だろ。仮に悪魔だとしても頭潰せば死ぬのが大半だ」
そうして彼女が駆け寄っていくその途中で────
────白い手が起き上がった。
「アルコンさん後ろーーっ!!」
自分はありったけの声量で叫んだ。
それこそ己でびっくりするくらいの声で。
ゆったりと振りかぶられた手、振り向くことしか出来なかったアルコンさん。
パァンッと彼は消える。
いや違う、白い手に弾き飛ばされたんだ。
羽虫を払いのけるように。
ちょうど平原のどまんなかまで彼は弾き飛ばされていた。
リィゼさんはレイピアを引き抜き、キッとした顔でその手を睨みつけながら刺剣を油断なく構え、一歩二歩と白い手から距離を取り、十歩目くらいで安全な距離だと判断したのか背を見せて彼の飛ばされた方向へと駆け寄っていく。
そんなリィゼさんの様子には目もくれず、白い手はうねうねと動きまわり、何かを探している様子だった。
そして白い手は唐突に動きを止めた。
ぐぐぐと今際の際のように力を振り絞って、腕を伸ばす。
そこにもはやさっきまでの勢いも力も感じられない。
ただ、助けを求めるような、縋るようなその手は。
確かにこっちの方向へと向けられていた。
まるで死にたくたい、消えたくないと懇願しているようだった。
……やがて白い手は力尽き大地に投げ出され、それきりピクリともしなくなる。
大本の体からも血が流れ出きって、おぞましい屍体だけがそこにあった。
生け捕りこそ出来なかったが『大鷲』の操る魔物の検体が確保できた。
それは喜ばしいことだ。
けれど、奴が最後にこちら側に伸ばした手、ギガントコボルトに吸い込まれていった黒球。
それらの謎があの屍体で解き明かせるとはなぜだか思えなかった。




