第二話「死神が生まれた日」
感覚があった。
つまり『自分』は生きているみたいだった。
背に感じる冷たい石の感触。
鼻で感じる乾いた地下室の匂い。
耳で感じる己の身動ぎの音。
舌はちょっと良くわからないけど、大方の五感は生きてる。
死にたくないとは思っていたが、まさか本当に助かるなんて。
前世の記憶を取り戻してからのことは、やけにはっきりと思い出せた。
あれからどうなったのだろう。
『自分』は目を開ける。
でも何にも見えなかった。
『自分』は唐突に不安に襲われた。感覚は正常に動作しているから生きていると思ったけれど、視界は真っ黒、実はこれが死後の世界なのかと思った。
だけどそれは違う、なぜなら『自分』は前世の記憶があって、それでいて死後の世界のことも憶えている。
死後の世界に感覚なんてものはない。経験談だ。
だから目を開けても何にも像を結ばないのはこの地下室に光が無いせいだ。そうに違いない。
真っ暗闇の中で『自分』は確かめるようにして、体を起こす。
でも立つにはどうにも危なっかしくて、ハイハイをするような感じで動いてみた。
『ア? んん!? テメェやっと起きやがったってのか!』
突然聞こえてきた声にびっくりして周りをきょろきょろと見回すけど、真っ暗だから当然何にも見えなかった。
暗闇の中に誰かいるのかもしれない。
誰かは分からないけど、考えられるのは『自分』を所有していた魔法使いか、はたまた召喚された死神か、どちらにしても良いものなんかじゃない。
早急にここを離れるべきだ。
そう思った『自分』はもつれる足に鞭打って、二本足で立ち上がり、暗闇をかきわけるようにして足を進める。
大体二十歩くらい歩いたところで壁にぶつかったので、そこから壁伝いに歩みをすすめる。この地下儀式場は長方形の部屋で、奥に祭壇があったはずで、祭壇らしきものに当たったら逆に進めばいい。
『おい! 無視すんじゃねェ! 聞こえてんだろォ!』
また声が聞こえる。それが自分には恐ろしくて、思わず足早になる。
そして二十かか三十歩いたところで、自分はガクンと膝を着いた。
「え……」
自分の口から少女の高い声が漏れる。
何故か力が急激に抜けてしまった。
これはまるで死ぬ間際のあの感覚と同じじゃないか。
『あーあァ。それ言ったことかァ。おい、そこで壁に手ェ着いて膝を着いてるお前! お前だよ』
幻聴だと思っていた声がはっきりと自分を捉えていることが分かってしまった。
自分は明確な恐怖に襲われる。
折角拾った命なのに、ここで何も分からないまま奪われてしまうのか。
『こっちィ戻って来い。そしたら動けるようになるぜェ』
その得体の知れない声は自分を呼び寄せてきた。
と言っても声のする方向がよく分からない。まるで念話で話かけられているみたいで出処がはっきりしないのだ。
『あァ? そうか。目玉なんかに頼りきってェから見えねェのか。ほら! これで見えるか!?』
ボオゥッ!
気勢のいい音と共に、部屋が照らされる。
光源の方向、つまり自分の後ろを向くと、赤々とした炎の玉が宙に浮かんでいた。
あれで部屋を照らしているんだろう。
魔法自体はこの世界ではごくありふれたものでさして驚きはしなかった。
「ヒィッ!」
しかし部屋が照らしだされると同時に、自分は二つのものを発見した。いや、してしまったと言うべきか。
一つは白骨化した死体だった。
胴体はアバラ骨をさらして横たわり、少し離れた位置に頭蓋骨がポツンと佇んでいた。
胴体を覆う、豪奢なローブは記憶にある自分の所有者である魔法使いに違いない。
死体の状態から推測するに、呼びだした死神に首チョンパされてしまったんだろうか。
だとしたらあのときの自分の行動は考えうるかぎり最高の結果をもたらしたことになる。
ざまぁみろと言ってやりたい。いたいけな少女だった自分を散々にしてくれた、当然の報いだ。
そしてもう一つ見つけたものがある。
大鎌だ。
あのとき呼びだされた死神の持っていたものと形状が合致する。
本来なら忌諱するような代物だけど、今はなぜだかそれに親しみを感じてしまっている。
復讐を遂げてくれた道具だからだろうか。
でもその持ち主であるはずの死神の姿はどこにも見当たらなかった。
『おい、こっちィ来な』
「……は、はい、えっと……こっちってどっちですか……」
私に念話で話しかけてくる奴はとことん不親切だ。
相手の気持ちになって話すことができないやつと見た。
こっちってどこだ。お前は誰だ。
『あー。そうかァ、そうだった。とりあえず鎌のとこ来なァ』
今度は分かりやすい。それならできる。
自分はだいぶ慣れてきた足を動かして鎌まで歩み寄った。
改めてみるとすごく大きい鎌だ。まさに大鎌。
子どものほどの幅と長さを持った肉厚の刃。
それと組み合わされた大人の背丈とほぼ同じくらいの長柄。
おどろおどろしいディティールも相まって、なるほど死神の鎌といった風体だ。
仮にも自分が持てるはずがない。
『いいか。よく聞けェ。俺様はその鎌で、死神だったモンだ』
「え」
自分はてとても短く声を上げた。
あぁ、なるほどね。鎌の中に閉じ込められちゃったって奴なのかな。
どうしてこうなったんだろう。
可哀想に。動くこともできないなんて。
『ホントにやってくれたなァ。このクソガキァ……』
うん? もしかして自分のせいかこれ。
そりゃ自分は魔法陣に魔力を流しこんだけど……
うん。十中八九自分のせいだなぁこれ。
◆
その死神はバロルという名前であり、あのときの顛末を語ってくれた。
自分の推測通り、自分の主だった魔法使いは死神の鎌を受けて即死。
私が魔法陣をいじくったせいで結界が綻んだせいらしい。
問題はそれからだ。
元々あの魔法はただ死神を召喚するだけではなく、召喚した死神の力を利用して寿命を引き延ばす外法であった。
生贄の寿命を奪い取って行使者の寿命を引き延ばすというものだ。
もちろんその哀れな生贄は自分だった。そのはずだった。
しかし行使者である魔法使いは死神の鎌で即死、混線した魔法陣は暴走し、対象と行使者がちぐはぐになって発動した。
すなわち、魔力を流した自分が行使者として。
そして一番近くにいて、魔法陣と密接に繋がっていた死神バロルが対象として選ばれた。
寿命収奪の外法は対象を入れ替えてきちんと発動した。
ほとんど死んでいた自分の体が、死神の寿命と力で補填された結果が今の自分らしい。
当然のように不老不死。即時再生とまではいかないけど肉体が欠片も残らず消滅しようとも、時間させかければ鎌の近くで再生するらしい。
それで、死神バロルが姿を失ってしまったのは、その全てを自分に取り込まれてしまったからみたいだ。
「つ、つまり自分は死神になっちゃったってことでいいの?」
『あァ、そういうことだ』
嘘でしょ。
もしかして自分は取り返しのつかないことになったんじゃないか。
死神はこの世界では忌み嫌われる上位悪魔の一種だ。
こんな体で生きていくなんて前途多難でしかないじゃないか。
『死神には様々な制約がついて回る。おめェがこの場所から離れようとしたとき力がガクンと抜けたろォ?」
「そう、だね」
『あれは死神の鎌から一定以上離れることで、死神としての存在が上手く保てなくなる現象、なんだが、本来は。でもおめェは人間が混ざってェから力が抜けるみてェだな。死神の鎌は死神が死神たりえる象徴だからな』
なるほどあれはそういうことなのか。
ということは自分はこんな大鎌を持ち歩かないといけないのだろうか。
これじゃ自分が死神だと触れ回ってるようなものじゃないか。
『死神は悪魔の中でも魔法寄りの存在だ。だから様々な制約に縛られてんだ』
まだ何かあるって言うんだろうか。
この世界の常識に照らし合わせると中々難儀な立場に追いやられてるのは確定なんだ、もうたくさんだ。
『死神には役目があるだろォ? 存在意義と言い換えてもいいなァ」
死神の存在意義……まさか……ね。
それは嫌だよ?
『おめェは定期的に人間を刈り取らねェと存在を維持できねェんだよ』
自分は己の運命と巡り合わせを呪って、気が抜けたように一つため息をついた。
そういえば一人称が『自分』になってる。
大方寝てる間にエリューという体の中にいた、今生の『私』と前世の『俺』が完全に混ざりあっちゃたんだろうか。
あるいは死神バロルの『俺様』も混ざったのかも。
ともかく自分は変わってしまった。
不老不死だって言われた。言われただけだ。確かめたわけじゃない。
でも自分でこの喉を掻き切って確かめるのも出来そうにない。
この気持ちは恐怖だ。
たぶん自分が死神になって、この先忘れていくものの。
だから今はこの感情を大事にしながら、生きれるところまで生きてみようと思った。
大鎌を取った。
大きすぎて持ち上がるわけがないと思っていたのがヒョイと持ち上がった。
それは自分がもはや人間じゃない証明に他ならない。
ポロポロと涙が零れてきた。
この世はロクでもない場所だ、それは十四年のエリューの人生で骨身に染みている。
でもあの世は決していいところなんかじゃない。前世の記憶でそれを知っている。
自分は生きるしかないんだ。死神としてこの世界で生きるしかないんだ。