第十六話「内側の烙印」
グロ注意ですのでご留意ください
翌日、リエーレさんから宿を預かって二日目。
時刻はお昼を少し回ったぐらい。
自分は今日も今日とてカウンターで店番だ。
ケイ君は裏で料理の仕込みをしてくれてる。初期にに手伝おうとしたことはあるんだけど、包丁で食材と一緒にまな板をぶった切ったり、お皿を握り砕いたりした前科ができてしまって、厨房に入らせてもらえない。
あれはまだ死神の超身体に慣れてなかったからだと思うんだけど……
「やっほーエリュー」
「っ!? あ、オリヴィエさん」
声のした方向に向けば、とんがり帽子をかぶったオリヴィエさんが二階から降りてきたところだった。
彼女の目の下にはクマができている。
あのあと寝ずに魔法陣の解析をしてくれたのかな。
魔法陣にフォーカスしてとはいえ、体の隅々までスケッチされて恥ずかしい思いをした甲斐があるってもんだ。
「あの魔法陣……解析してきた……」
オリヴィエさんの用はやっぱりそれみたい。
でもなんだか彼女は少し落ち込んでいるように見えた。元々テンション低めの人っぽいから分かりづらいけど、昨日のあの舞い上がった様子は見られない。
「解析終わったんですね。どうでした?」
「うん。分かったこともあるし、結局分からなかったこともある」
ほうほう、収穫はあったんだな。
まぁ、元ご主人のリッチーはバロルみたいな死神すら呼び出せる凄腕っぽかったし、全部は分からなくても仕方ない。
「……順を追って説明する」
オリヴィエさんは少し不服そうな表情でで説明し始めた。
彼女が言うには自分とバロルが推測してた、全魔法属性への適正を与えるっていうのは間違ってない。
それ以外に、どうやら魔法からのダメージを軽減する効果もあったみたい。
この世界はゲームじゃないからダメージ表示とか出るわけないし、これはオリヴィアさんが来なかったら気づけなかったね。
そういえば前にシャヴァリーさんの石畳を抉るほどの衝撃波をお腹に受けたことがあったけど、戦闘不能になるほどじゃなかった。
なるほどあれは魔法ダメージ軽減効果が働いてたお陰なんだな、と独りごちた。
だけれどオリヴィエさん、それがどういう仕組みで成っているのか、魔法陣の構造については一晩かけても解析できなかった。
彼女が言うにはあれだけ見てもまだ全貌が見えなかった、らしい。
そのことに言及したオリヴィエさんはどことなく悔しそうであった。
全魔法属性への適正なんて夢のような話だ。
それの仕組みを知りたいと思うのは魔法に関わる人間ならまぁ、ごく自然な発想だろうなぁ。
でもあれだけ見てもまだ全貌が見えないって、どれだけ複雑なんだこの魔法陣。
「そうじゃない。……確かに私の技量不足もあるけど、たぶん体の表面以外にも刻まれてる、と思う。体内とか」
「うぇ、体内……」
「あっ……」
自分が体内にまで犯されていた可能性が浮上して君が悪くなった。
ってえ、何?
なんか見つけたんですかオリヴィエさんって思ったその瞬間に、彼女が自分の顎をガシっと掴みかかってきた。
「ちょなにに、するんで────」
「ごめん、ちょっと大人しくしてて、口開いて、“照らして”」
ちょっと乱暴なお医者さんの問診みたいなのを喰らって、思わず抵抗しようとしたけど、オリヴィエさんの目が昨晩とおんなじような真剣な好奇心を湛えていたのを見て、大人しく従う。
開けた口内をオリヴィエさんが光の魔法で照らす。
というか光属性使えるんですか。珍しいやつですよそれ。
この世界で明かりを確保するための魔法は炎系が大半でしばしば延焼騒ぎになったりするのに、それでもなお使われ続けているのは光魔法使いの絶対数が少ないからに他ならない。
だからこそオリヴィエさんは自分の体に刻まれている魔法陣に躍起になってるんだろう。
「もうちょっと見る。大人しくしてて。“清めて”────《ピュリヒュケーション》」
オリヴィエさんの手が光の粒子に包まれたかと思うと、出し抜けに指を自分の口の中に突っ込んできた。
直前で手に浄化魔法はかけててくれてて、そこんとこの気遣いは素晴らしいと思うけど指で舌を押さえつけられてオエッてなりそう。
「やっぱり。舌にも喉にもある。昨日は夜でちょっと暗かったから気づかなかった」
そんなところにもあったのか自分で舌とか喉とか見ないから気づかなかった。
彼女はやっと自分の顎と口の中から手を離してくれた。
自分の舌とオリヴィエさんの指の間を艶めかしい糸が引く。なんとなしにエロい。
「“清めて”」
オリヴィエさんはまた浄化の魔法をかけると、また彼女の手が光の粒子に包まれて、それが霧散すると綺麗さっぱりになっていた。便利ですねそれ。
「でも、この位置のはよく見えない。……この分だったらもしかしたら本当に内蔵とかにも刻んであるかも……」
オリヴィエさんのその推測を聞いてなんだか空恐ろしくなった。
自分の体はそんなところまで犯し尽くされていたのか。
過去の私の受けた仕打ちを思い返そうとした。
あくまで今この体を動かしているのは前世の記憶を持った自分であって、私じゃない。過去の記憶だって見ようと思えば見れるけど、逆に言えば見なくともいい。
だからこそ、自分は私みたいに狂死せずに済んでいるのだろうけど。
でも少しだけ、怖いもの見たさじゃないけど、オリヴィエさんの助けになるかもしれないし、自分は記憶を探ってみた。
◆
私がいたのはいやに明るい部屋だった。
自然光じゃなく、魔法で作られた青白く不気味な光、それが視界いっぱいにこびりついて離れない。
石造りの壁はただ冷え冷えと青白い光を私に向けて跳ね返すだけ。
手も足も動かない、視界を落とせば、何らかの魔法のようなもので拘束されていた。ついでに言うと慣れたことだが裸だ。
十字の形で私が貼り付けられていたのは、少し傾斜した台、あたかも製図台の上に乗せられているみたい。
「やぁエリュー」
視界の端からまるで幽霊かのように、滑るように現れたそいつの名を、結局私は知り得なかった。
そいつは私を買ったご主人様で、悪辣非道な邪教徒であり、そして人の枷を捨て去った不死者だ。
奴の口調はまるで己の娘に語りかけるようだった。父親かのように振る舞っていた。
父親ならば許される行為だというのか。
奴隷の少女を蘇生できるからと、種々の魔法の的にし、あらゆる呪いで蝕み、魔物の慰みものにし、化物を孕ませる。
悲鳴を聞き、涙を啜り、血を舐って、そうして愉悦に浸ることすらせずただ淡々と己の研究を進める。
そんなおぞましい行為が。
「…………」
現れたリッチーに対して、私は目を逸らして返事をくれてやらない。
このころの私はまだ、この程度のことをする気力は残っていた。
「なんだい寂しいなぁ」
「…………」
リッチーは声音だけで不貞腐れてみせる。
ローブの中から僅かに覗く顔は、凍原で腐りもせずただ在る死体のようだった。
「今日はエリューにいいものをあげようと思ってるんだ」
「…………」
いいもの。それが正反対に解釈すれば正しいことは自ずと理解できた。
これ以上私に何を与えようというのか。
人として死なしてくれ。このときの私はそう思っていた。
「最近実験のお手伝いをしてもらうとき、少し苦しそうじゃないか。だから」
「…………」
リッチーは私の頭に手を緩く掴む。数節の詠唱の後、プツンと何かが断ち切れる音がした、ような気がした。
痛みも不快感もない。珍しい。
だが違和感はあった。
触覚の一切がなくなっていた。
まるで空中に浮いているような、世界で独りぼっちになってしまったかのような、そんな物寂しい感じがした。
「君の体を少しだけ魔法に強くしてあげよう」
「…………」
そう言ってリッチーはローブの中から、細く細い短杖を取り出した。
それを私のお腹にあてがい、なまらかに動かす。
みぞおちの辺りから、へそを超えて、鼠径部の辺りまでスパッと。
切開された。
赤色を湛えた、肉々しい臓腑が見える。私の内側が見える。
収縮を繰り返す胃が、その下にぶら下がる腸が、赤黒い肝が、その全てが空気と触れ合って、得も言われぬ不快感を演出した。
でも痛みはない。事前にかけられたあの魔法のお陰だろう。
だからこそ腹を割かれた私は、外界との隔たりの失くし、内側で世界と触れ合ったことで、私という存在の垣根が取り除かれたような、そんな空漠の念を抱いた。
これならまだくっつくし、軽いもんだな。
なんてことを私はこのとき考えた。
「少し複雑な施療なのでね。あらかじめ準備をしておいたんだ」
「…………」
リッチーがふと目線をやった先、私の視界の端から、アーキタイプのゴーレムが現れた。
石で作られ下半身が細っこく、上半身はゴツい模範的なゴーレムだ。ただ創造主の制作精度が凄まじいらしく、動作が滑らかで淀みない。
そいつはその巨体に似合わぬカートをカラカラと押してやってきた。カートの上には円柱状の密封された容器が十いくらか並べられている。
そして容器の中に収められていたのは、種々の内蔵であった。胃袋に肺に肝に心臓、まるで今から人間を制作するみたいな様相だ。
でもそれらは、ちょうど今空気に晒されている私の内側とおんなじ赤黒さを持っていたが、明確に違う点もあった。
おびただしくびっしりと魔法陣が刻まれていたのだ。
ぼうっと薄淡い光のラインが幾何学的に絡みあいに絡みあうそれに私は生理的な不気味さを覚えた。
「見たまえこれがエリュー、君の新しい内蔵だよ」
「………ぇ」
この男、今なんて言った?
新しい内蔵?
切開された私のお腹。
導き出される答えは……まさかまさかまさか。
おぞましい予感がヒタヒタと忍び寄ってくる。
「ではさっそく施療を始めようか。あぁ、大丈夫だよ痛くなんかないからね」
「やめ……っ!」
リッチーの短杖が切り裂かれた私の腹の中に差し込まれた。
シチューの鍋をかき回すように、その細い棒が私の内側でぐちゃぐちゃと音をたてた。
「────っ!!」
視界はこれ以上ないほどの異常を魅せつけてくるのに、痛覚も触覚も何の違和を感じない。
ただひたすらに気持ちが悪かった。
そうして十秒と少し。
裂けた腹から、鮮血を滴らせて、私の胃袋が掴みだされた。
「────────!!!」
私はこのとき叫んだのか、呻いたのか、喘いだのか。そのどれでもあり、どれでもないような声を上げたんだと思う。
いつの間にもう一体のゴーレムが現れていた。
そいつは最初のと同じようにカートを押していて、それの上に並べられているのは円柱状の容器だ。ただし中身は何にも入っていない。
リッチーはそのうちの一つの容器を取り上げ、容器の中にドチャッと落として蓋をした。
そしてもう一方のゴーレムの元にある、魔法陣まみれの臓器を一つ取り上げた。
リッチーの手の中にあるのは、やはり胃袋だった。
やめて、やめて!!
両親からもらった私の体を返して!
そんな気持ちの悪いものいらない!
そんな私の慟哭など我関せずといったふうに、リッチーは穏やかに微笑みながら、その胃袋を私の腹の中へ押し込んだ。押し込まれてしまった。
「さぁ次はどれにしようかな? 肝?肺? それとも心臓かな?」
こうして私は魔法によって目を背けることも意識を手放すことを許されず、体の中身を入れ替えられる様を見せつけられ続ける。
◆
「────ュー、エリュー」
染みこむような、細い声が自分を呼びかけていた。
視界に映り込むのはビビットカラーの髪と瞳。そのミント色とイチゴ色。
自分は目をパチクリさせた。
「ぁ、エリュー気づいた。大丈夫?」
オリヴィエさんが心配そうに自分の顔を覗き込んでくる。
「え、うん。大丈夫ですよオリヴィエさん」
「そう。よかったなんか突然トリップしちゃうから」
オリヴィエさんは普段と違って何だか少し早口だ。心配してくれているんだなと分かる。
自分はなんで、ぼうぅとしてしまったんだっけ?
そうだ私の記憶を辿って、体に刻まれた魔法陣について確かめようとしたんだ。
それで……うっ!
自分はバカか!
本能的に封じ込めた記憶を暴いてどうするんだ!
なんて自分にツッコミを入れながら、あの凄惨な光景が反芻されるのを止めることができない。
内蔵を全て奪われ、別物へと強制的にすげ替えられる記憶。
それが今でも己の体の内に収まっているという事実。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
嘔吐感に襲われ、為す術もなく吐瀉物をぶち撒けた。
視界がチカチカと明滅して、ズキズキとした疼痛が頭を蝕む。
「エリュー!?」
オリヴィエさんが今まで聞いた中で一番はっきりした声が出てるなぁ。
ごめんなさいちょっと大丈夫じゃなかったみたいです。
申し訳ないんですけど床汚しちゃったんで《ピュリヒュケーション》で浄化してくれるとありがたいです。
なんてことを思いながら、自分の体は椅子から崩れ落ちていった。
そういえば一応この小説においては魔法使いの杖について。
細く小さいものを「ワンド」
中くらいのものを「ロッド」
大きいものを「スタッフ」とルビを振ります。