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ロリータ・ダンディズム  作者: 香茶
第一章 ロレンシア家のゴースト憑き
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第二話 雪の街の少女

 「不思議だ。どうしてこんなものが空から降るんだろう…」


 一面の銀世界の中に、カイムはそっと腕を差し伸べた。芯にささるような冷たさとともに、手に掬われた雪が溶ける。初めて見る光景だった。この世界では、氷というものすらあまり一般的ではない。冷蔵技術が無いわけではないが、どちらかと言えばそれは魔法に頼るものである。


 「そんなことも知らないのね。雨だってもとは雪なのよ!サンミュールだと熱すぎて、雪は地面に届く前に溶けちゃうの。それが雪なの」


 ずかずかと銀床を踏み分け、人差し指を振りながら、カレンはしたり顔で歩く。カイムはあまりものに執着せず、興味も持たない。しかし、カイムにとってカレンだけは違った。カイムの知識によれば、今のカレンの言葉は大嘘だ。なぜならば、この世界で雨が降るもとになる雲まで誰も行ったことがない。つまりそんなこと知りようがないのだ。でも、カレンは時たまこんな荒唐無稽なこという。そして、それはなぜだが確かに本当だと思えるような真実味を含んでいたのだ。そんな未知との遭遇にも似た興味関心を抱かせる面白さをカレンは持っていた。


 「あらあら、それは私も初めて聞きましたわ。カレンったらよく勉強してるわね」


 「あ、えっ…あはは!すごいでしょー!」


 カレンが内心焦っていたことは言うまでもないだろう。彼女の持つ前世の知識はこの世界にとっては未知だ。しかもそれが良い物かわからないし、的はずれな場合もある。あの日、とんでもない授業料を払ってまで経験したというのに。彼女はどうしても、肝心なところで少し抜けているのだった。


 「ふふ、変なカレン。それにしても素晴らしい光景だわ。でも、この格好じゃちょっと駄目ね」


 ハンナは馬車から数歩降りて、すぐに雪がふわふわしたスポンジではないと理解した。せっかくの装いが濡れてしまう。なにせ、これがハンナにとって初めての雪だったのだ。本心としては、彼女もはしゃぎたい心地だったが、二人の前で保護者であり目上である自分がそんな稚拙な姿を見せるわけにもいかなかった。


 「カイム、もどりましょ。お母様が困っちゃうわ」


 「そうだね」


 ハンナに続くように、二人も馬車へと戻る。ヒューはもう目の鼻の先だ。いずれはこの平地も、すぐに山道に変わるだろう。




 「それでは、よい旅を。それと奥様、ヒューでそのお履物ではさぞお辛いでしょうから、大通りにすぐある靴屋を訪問してみてはいかがでしょうか。アランの紹介だと仰れば話が通りやすいかと」


 「あら、ありがとう。ご好意に甘えるわ。それじゃ、まずは靴屋によりましょうか」


 使用人であるペスの背越しに、ハンナがにっこりと笑うと、関所の男アランは頬を真っ赤に染めて脱力した。アランにとって面倒なこの仕事も、今日ばかりはありがたいものだった。ハンナの微笑は、このヒューの王女ランターナに勝るとも劣らないほどなのだから。しかしアランはただのふしだらな男ではない。抜け目なくこの貴族ご一行が不慣れな旅人であることを見抜き、さらには少しでも関係を作るために、軽い縁作りまでやってのけたのだった。


 「あいつ、嫌い。下心丸見えじゃない」


 ああいう女にだらしない男は、前世の不良どもを思い出させる。だからカレンは嫌いだった。今生の彼女は相当に美少女であるし、彼女も自分に見惚れるのはよしとする気概はあったが、母をじろじろと見るアランの姿はとても好印象とは言いがたかった。それが貴族であるならまだいい。しかしアランはどう見てもただの警護兵、身分はそう高くはない。そんな人物が多少であっても好色の目線を母に向けるのは許せなかった。


 「ふふっ、いいじゃないの。好意はあくまでも好意よ?それに、思ったより優秀な男だったわ。ヒューはいい国ね」


 ハンナはくすくすと笑い、アランを優秀だと言い切った。確かにふざけた態度ではあったが、処世術を身に着けているし、最低限の荷物チェックは怠らなかった。そして何より仕事が早かった。貴族社会にいるものとして必要な人を見る目を、一見そうは見えなくてもハンナはしっかり持っている。それはカレンには理解できなく、カイムにとっては憧れる彼女の個性だった。


 「それではハンナ様、カレン様カイム様。私は厩へと向かいます」


 「ありがとうペス」


 恭しくペスは頭を下げ、厩へと向かった。なるほどたしかに、この傾斜じゃ馬車は無理。内心で誰もがそう思う程度には、急な坂の街道だった。長方形の石板が美しく敷き詰められている。馬車が通れない坂なのに、馬車が通る道以外ではお目にかかれないほど整備されている。そして、同じように優れた技巧によって形作られた町並みに、ハンナは納得し、カレンは目を丸くさせた。


 「綺麗な街ね!お母様!みて、アレがきっと時計塔よ!だって三角だもの!ほんとに三角だもの!」


 「えぇ、えぇそうね。綺麗な街だわ。本当に、良かった」


 ぴょんぴょんとカレンは跳ねまわり、目を輝かせる。首国サンミュールも前世からすれば十分に異世界だが、これは別格だった。何もかもが、実際に見るのは初めてという世界に、カレンはその寒さに反して胸が熱くなった。そもそも、日本人にとって完全に石造りの家々は珍しい。サンミュールでも建材として使われるのは砂岩を熱して作るコンクートのようなものだ。


 「ほら!なにやってるのカイム!置いてくよ!」


 「カレンが早過ぎるんだ!でも、今日は僕も負けないよ」


 カイムは、珍しく走ってカレンに追いついた。カレンの様子に呆れつつも、カイムも歳相応に興奮していたのだ。




 件の靴屋はすぐに見えた。街の入り口にあるだけあって、ある程度の店構えである。それでも、サンミュールに比べたら些か劣るだろう。心地よい小鐘の音とともに、扉が開かれる。重い木製の扉だなと、使用人は思った。寒冷地ならではの断熱性に富んだ温かみのある木だ。


 「いらっしゃい…。っと、これは貴族様よくぞいらっしゃいました」


 「アランという男の紹介なのだけれど、私と、娘の靴を見繕ってほしいの」


 そこには店主と思われる初老の男性が立ち、丁度カレン達と同じ年ごろだろう子供が長椅子に座っていた。店の中は綺羅びやかというほどではないが、確かな技術と意匠をもって作られた見事なものだった。思わずカレンはほうと簡単する。これならばとハンナは笑顔を浮かべた。今後もアランと交友を持ってもいいかもしえない。


 「了解しました。この国は少々歩かざるを得ませんから、最高級且つ疲れのないものを用意いたしましょう」


 アランの名を告げれば、心得たとばかりに恭しく礼をして、気品ある微笑を浮かべる。面白い国だ。カイムは、この老人とアランにどのような関係があって、そしてどんな国としての下地があってそれが産まれたのかを考え、結果としてそう評した。


 「では少々お時間を頂きますゆえ、どうぞこちらでお休みになってください」


 靴作りは時間がかかる。どんな凄腕で、尚且つ相応の準備をしていても、それでも一時間はかかるだろう。老人は丁重に振る舞いつつも、いそいそと準備を進めた。


 「それじゃジェゼフ。私、行くね」


 「ああ、また来なさい。いつでも歓迎するよ」


 少女は老人にそれだけ言って、カレン達の脇を擦りぬけ、そそくさと入り口に向かう。その声を聞いて、初めてハンナはその子供が少女であることに気付いた。店内だというのに、深くウシャンカを被りマフラーをして、目線付近しか見えなかったのだ。


 「ちょっとあなた、お待ちになって」


 「なに?」


 声をかけられて、ゆっくりと振り返ると、憮然とした態度で少女は答えた。どうみても貴族だとわかるハンナに対する態度とはとても思えなかったが、未だ幼い子どもにそんなことを語るほどハンナはプライドに呑まれてはいない。むしろ、こういう子どもと関わるのも勉強だろうとほくそ笑むほど胆が座っていた。


 「ちょっとあなたにヒューについて教えてほしいのよ。ここは小さい国だけれど、私達初めてなの。それに年頃も近いでしょう?仲良くしてほしいわ」


 少女は目線だけでジロリとハンナを見たあと、カイムとカレンを流し見て、懐から懐中時計を取り出し、パチンと大きな音を立てて閉じて、再びハンナを見つめた。なんとなく、演劇のワンシーンのようだとカイムは思った。彼女の動きは何処と無く芝居がかっているのだ。いったいどういうつもりなのかとカイムがハンナを見やれば、何故かハンナは少し動揺しているようだった。


 「もちろん時間がアレば…だけれど…」


 「…わかったわ」


 少女は一向にウシャンカを深々被り、外そうとはしない。いくらなんでも態度が良くないなと、カイムは戸惑ったが、意外にも歩み寄ったのはカレンだった。


 「私はカレン!気軽にカレンって呼んでね」


 「僕はカイム。よろしくね」


 カレンは明るく子供らしく振る舞う。カレンが良いのならとしぶしぶ、それでもカイムは誠実さをもって挨拶する。特別カレンに思惑が会ったわけではない。単にまだ貴族と平民という関係性がしみついていないからに加え、友達が欲しかっただけだ。カイムのように少女の態度など一切気にしていなかった。このアンバランス差が、きっと良い関係を結んでいるんだろう。ハンナから見れば、そんな形の異なるピースだからこそ上手くいっていると思えるのだ。それに、やっぱりカレンは私に似てるわねと嬉しく思う。


 そんな二人の、特にカレンの様子を見て、警戒心が少し解けたのか。少女はふぅと一つ息を吐く。右手で首元のマフラーを掴み引き下げると、さしものカレンもハッとする程の白銀の美貌で、ぶっきらぼうに答えた。


 「私は、マニー。よろしく」


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