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ロリータ・ダンディズム  作者: 香茶
第一章 ロレンシア家のゴースト憑き
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第一話 カレンの旅立ち

 カレン・ロン・シーチェは…いや上田律子はこの世界に産まれたことに歓喜した。


 彼女は随分と泣き虫な女だった。人の機嫌を伺い波風立たせないように生きる。結果として、それが彼女の生きる術となった。当たり前だが、そんな生活はフラストレーションで一杯になる。彼女にとって、そのフラストレーションのはけ口は乙女ゲームだとか小説だった。それも、特にファンタジー色の濃いものを好んだ。彼女に取り立てて才能がなかったからか、魔法というものに強く憧れを抱いていたのかもしれない。もしくは、俗なことだが愛する男が剣で私を守る、という情景を望んだためかもしれない。


 だから魔法のあるこの世界に、しかも貴族として産まれた時、彼女は過去のすべてを許した。自分を殴ったあの男も、蔑ろにした両親も、裏切った親友も全て許して神を讃えた。さらには彼女の新たな両親は眩しいほど容姿に優れていたのである。きっと私も美しく育つ。彼女がそう考えるのは自然なことだった。


 まるで小説やゲームの世界だ。しかも、この世界にはしっかりと学園が存在するらしい。理想の世界、彼女はそう呟くのを止められなかった。おそらく将来は見え麗しい男たちと共に楽しく過ごせるのだろう。そんな馬鹿げた妄想も真実ではないかと思えるほどだった。


 彼女は、それはもう新たな生を謳歌した。愛想よくその可愛げを振りまき、周囲の人間の心を掴んだ。二歳になる頃には、彼女は言葉巧みに好意を得て、領内でもとても評判であった。


 三歳になった時、彼女は未だ魔法を扱ったことがないことを思い出した。この世界の魔法は概念が色濃く影響する。例えば有名な魔法は事象操作である。事象魔法のフロートは中に浮くための魔法であるが、これは重力という事象をねじまげて浮んでいる。つまりはイメージが大切だった。


 さてそんなものを知らない彼女がわくわくしながらとった行動は、適当な石を吹き飛ばすことであった。彼女はむしろ最も簡単そうと考えたことだったが、これは事象操作の中でも非常に難解なものである。浮かべるならまだしも飛ばさなければならないのだ。本来であれば、単に失敗で終わったであろうそれは、彼女の特異体質もあってそうならなかった。カレンはこの世界でも稀に見る魔力持ちだったのである。それは転生者だからか、はたまた偶然か。とにかく彼女はでたらめな魔力をもってして、強引に魔法を発動させた。


 その魔法がもたらしたのは、吹き飛ばすという強いイメージだった。庭園に強大な風が吹き荒れ、近くにいたカレンはその体を屋敷の壁にしこたま強く叩きつけられ、全身いたるところを折る大怪我をしたのである。


 彼女はその後、魔法に対して恐ろしいまでに危機感を抱くようになった。そして、この世界がお気楽だけでないことに気づき、一転してホームシックへと落ちいったのである。彼女は自分が泣き虫であったことをようやく思い出したのだ。最高の医療を受け、全治した後も、彼女は屋敷に引きこもりがちになった。困惑した周囲は、異国の面白い話や、おどろくべき芸術品、同じ年頃の子どもをカレンへと与えた。中には奴隷もいたわけだが、彼女は奴隷に前世の自身を重ね、強く嫌気した。


 そうこうして一年も経つ頃に、ライズ・リューベックという男が屋敷を尋ねた。彼は随分と美しい男で、それはカレンの憂鬱な気持ちも少し吹き飛ばすほどだった。それほど見目麗しい男だったのである。ライズが訪れた理由は、息子のカイムをカレンに会わせるためであった。


 ライズは非常に頭の切れる男だった。そして、人というものをよく知っていた。カレンの噂を聞いた時、ライズはカレンが欲しているものをある程度予測できる程度には。カレンに送られるものをすべて押し付けるもの、彼女が欲しがっているのは寄り添う聞き手なのだろうと。都合良いことに、息子のカイムは非常に聞き分けの良い少年だった。カイムならば彼女を救い出せるだろう。そして、リューベックとシーチェの友好のきっかけ足りうるだろうとライズは踏み、異例のホームステイをさせたのである。




 同じ部屋に居座るカイムを、カレンは無視できなかった。なにしろカイムは父親に似てかなり端正な顔つきをしていたのである。現金な彼女は、その段階で少し心を揺り動かされていた。まるで少女漫画の幼なじみ展開じゃないかと思いつつも、この世界が恐ろしいものと叱咤し、そんな興奮はおくびにも出さなかった。


 「部屋から出てって」


 ようやく彼女が震える声で呟いたのは、カイムが屋敷を訪れて既に半日が経った後である。その言葉を聞いてカイムは、むしろニッコリと笑顔を浮かべた。あまりにもまぶしすぎる笑顔に、カレンは目をキョドらせた。


 「それは、ごめん。できないんだ。おとーさんにも、カレンちゃんのおとーさんにもここにいろっていわれたから」


 そう言われてしまっては、カレンとしてはぐうの音も出なかった。カレンも自分の父に対して気まずさを感じているのだ。今以上に厄介はかけられない。それに相手は幼児である。随分としっかりしているために少々年かさに思えてしまうが、肉体的には同年代。精神的には遥か下。カレンとしても、そんな年下に喚き散らすような真似はできなかった。


 「どうしてカレンちゃんはずっとへやにいるの?」


 カイムの純粋に質問に、カレンは少し呻いた。自分が抱いているこの感情も、彼にとっては理解できないものなのだ。それは弱った彼女には大きな隔たりに思えた。怖いのだ。この世界が。いつまた魔法が暴発するかもわからない。魔法に襲われるかもしれない。しかもこの世界は前世よりもずっと文明が遅れているのだ。野盗だってゴロゴロいるだろう。もしかしたらドラゴンに突如襲われるかもしれない。ころりと騙されて奴隷にされるかもしれない。そんな恐怖の幻影がカレンを縛り付けているのだ。自分の常識が通用しないというのは、未知というものはそれだけ恐ろしい。


 「こわいの?」


 図星だ。カレンは肩をびくりと揺らし、それきり動かなくなった。カイムはそれだけで、子供心に自分のそれが正しいと理解した。しかし、カイムはカウンセラーでもなんでもない。ただの子供だ。理解したところで、どうすればいいだなんて診療法は露ほども知らない。


 「じゃあぼくがまもってあげる」


 だからこそ、彼は純粋に、まるで物語の騎士のように誓ったのだ。彼は騎士でも何でもない貴族の長子だ。しかし、途端カレンには重苦しくのしかかった不安や懸念が、ふっと消えたように思えたのだった。この世界に生きる人間の、助けたいという純粋な思い。カレンは僅か四歳のカイム・リューベックによって、この世界へと真実踏み出し始めたのである。




 「ちょっとカイム…。なにもたもたしてるのー!」


 絢爛な馬車の窓から、カレンは屋敷へ大きな声をかけた。刺々しい言葉とは裏腹に、カレンは非常に上機嫌であった。月に数度は乗るこの馬車も、今日ばかりはいつもより輝いて見える。燦々と輝く朝日が祝福してくれているのだと、恥ずかしげもなくカレンは感謝した。


 「もう、気が早いよカレン…。それではお父様、いって参ります」


 「今回はただの旅行だ。カイムも大きく見聞を広げ、そして大いに楽しんでくるといい」


 リューベック親子は屋敷から姿を表すと、そんなやり取りを済ませた。それにしてもいいお父さんだなー、かっこいいし。カレンの頭にそんな言葉が浮かぶほど、惚れ惚れする光景だった。途端、慌ててカレンは首を振り、お父様のほうがかっこいいし!と自らの親を讃える。実に平和な門出だった。


 「ハンナ様、お早う御座います。この度はお世話になります」


 「おはようカイム。さぁいらっしゃい。ヒューにつく前に日が暮れてしまうわ」


 「それでは…失礼します」


 リューベック家の侍女がドアを開け、カイムがゆっくりと馬車へ足を踏み入れた。その美貌に、カレンは少し気が滅入った。美しく滑らかな蒼の短髪、整った中性的な顔立ち、既に成長を始めたその身長。カレンにとっては前世から全く縁のない美男子としての頭角を、彼は現し始めていた。


 「おはようカレン。隣、いいかな?」


 「私を守るなら近くにいないと、だ、ダメでしょ」


 気丈に振る舞いつつも、慣れない言葉と慣れない状況で言葉がつまるカレンの様子に、カイムはふわりと微笑んだ。あの約束から既に三年が経った。カレンもカイムも、既に七歳。あの時に比べてカイムは随分と立派に成長したし、カレンは随分と図々しくなった。カイムがしたあの約束は、彼らをつなぐ架け橋となった。どんな時でも守ってくれるんでしょ、という魔法の言葉がカレンの心を落ち着かせ、今でもその仲を取りなっているのだ。


 そんな彼女らのために、シーチェ家とリューベック家が今回考案したものが北国ヒューへの観光旅行だった。最北端にあるヒューは避暑地として人気が厚い。今は残暑厳しい夏の終わりだが、今年は記録的な暑さだった。カレンがだらしなくばてる姿が、随分と目につくほどだった。しかし、ヒューではもう既に雪が降りだしたという話もある。娘に少々甘いシーツェ家は、娘を喜ばせるためにそんな案を考えたのだ。リューベック家も、折角だからと便乗した次第である。カレンを救い出してから、シーチェ当主とライズ・リューベックの仲の良さときたら、舞踏会でも数度しか踊らず、二人で談笑している姿を見るに、相当なものだった。


 カレンは心躍らさせ、遠く雪深いヒューへと思いを馳せる。雪を見るのは前世ぶりだ。あのころは雪なんてめんどくさくて、むしろ嫌なものを彷彿させる唾棄すべきものだったが、今なら楽しめるかもしれない。そんな明るい気持ちで、カレンは隣のカイムをちらと見つめた。途端、カイムが柔らかな笑顔で返し、カレンは急いで外を見つめなおした。こういうところが、未だカレンにはなれないところだった。




 「ねぇ、お母様。ヒューってどんなところかしら?」


 「そうねぇ、私も隣国のマーシャルは経験があるのだけれど、ヒューは初めてなの。ふふ」


 今回の観光旅行は幾人かの侍女と、護衛の騎士数名、そしてカレンの母ハンナが伴っている。朗らかなハンナも初めてのヒューを楽しみにしているようだ。既にカレンの住むサンミュールから離れ、大きな馬車道を移動しているところだ。


 「ヒューは傾斜がすごく、馬車では動けないと聞きました」


 「あらやだ、それはちょっといやねぇ」


 カイムの言葉にハンナは真剣な顔をして呟いた。美しく整えられた艶のあるブラウンウェーブが揺れる。ハンナは一般的な貴族にもれず、運動が苦手であった。そんなところもカレンにとっては自分との共通点に思えて嬉しい。ちゃんと血がつながっているということを実感できる数少ない点である。


 「カイム、ヒューのこともっと教えて」


 「うん。雪深い土地なんだって、とにかくなんでも尖っているらしいよ。屋根とか、時計塔なんか三角形だって書いてるよ」


 「私にも見せて見せて」


 カイムの手にあるのは、旅人が綴ったイラスト付きの日誌だ。この世界ではこのような日誌がガイドブックとして普及しているのである。カレンとしても、写真よりも温かみのあるイラストは好感のもてるものだ。つい身を乗り出し、カイムとカレンはぎゅうぎゅうと押し合った。そんな二人を見て、ハンナはこの旅がきっと良い物になると、そんなことを思った。


 ハンナは己の弱さを知っている。カレンが引きこもった時、ハンナは何もできなかった。こんな時嘗ての親友たちがいたらどうしただろうか。そうやって悶々とするほかなかった。だからこそ、ハンナは娘を助けだしたカイムをとても愛おしく思っている。今回の旅も元をたどればハンナが考案したものだ。嘗て親友が、凍えるような…だからこそ人の温かみのある美しい国と綴ったヒューならば、きっと楽しい旅行になると思って。


 「ってて、カレンは少し乱暴だよね…」


 「カイムがすぐ渡してくれないのが悪いんでしょー」


 物思いから帰ったハンナの目の前には、日誌を熱心に眺める娘と、少し不貞腐れたカイムの姿があった。どうやらカレンはカイムから無理やりそれを奪い取ったらしい。カイムも、そして時々カレンも大人びた様子を見せるけれど、まだまだ子供ねとハンナは嬉しく思った。実を言えば、カレンの精神年齢はハンナを超えてすらいるのだが、三年前のあの時から新たに人生を踏み出したからか、それとも体に引きずられたのか、とにかくカレンはこの世界と環境に上手く馴染めていたのである。


 「そういえばお父様から聞いた話ですが、ヒューにはあのゴースト憑きがいるらしいですよ。それも、王族の長女だそうです」


 「ゴースト憑き?なにそれ?」


 「なんでも誰も居ないところで喋ったり、絶対に知らないことをしってたり、そんな事件が昔あったんだって。ちょうど僕たちと同じ年だよ」


 ロレンシア家のゴースト憑き。噂好きの首国サンミュールの貴族たちにとって、それは格好の話題であった。ゴーストが出るのは約二十年ぶりのことだ。無知なものはゴーストの出現を恐れ、聡明なものは一体ロレシンアは何を隠しているのやらと憶測を飛ばしていたのである。貴族というものは、国家群オーラにとって特異な存在である。彼らが住む土地は首国サンミュールに限定され、そのためロレンシアを代表とする王族と違い領地運営もない。だからこそ彼らは暇で、噂好きなのだ。


 カレンにとって、そんなことは非常にどうでも良かったし、話を聞く限り前世の悪魔憑きみたいなもんだろうと心底気にしなかった。良くある話じゃないかと、すぐに手元の日誌に目線を戻した。前世では旅行なんてまともにしたことがなかった。せいぜい学校行事くらいだったのである。だからこそ今回の旅を心待ちにしていた。北海道なんて目じゃないと、爛々と目を輝かせているのである。ゴーストだなんて些細なことだった。ただ、一瞬だけ母の表情に影がさしたように見えたのが気になった。




 ブルリと体が震える。北風が馬車を通り過ぎたのだ。日誌に熱中していたカレンは、それで漸く顔を上げた。


 「あら、何か羽織りましょ…」


 母から差し出されたガウンを肩から羽織り、カレンは窓から外を眺める。魔法を運用した馬車だからこその早さ。冷たい風が頬をなでた。北国ヒューまで、あと僅かであった。


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