第二十二話 入れ替わり課外実習1限目
「お断りよ」
入れ替わってから開口一番にエレナはそう言った。四脚の椅子を大げさに下げ、音を立てて座る。淑女らしくもない。
『いや、俺はまだ何もいってないぞ』
「私が気づいていないと思った?あれだけ面倒なことしといて」
エレナは机脇の棚から羊皮紙を取り出す。まだ何も書かれていない白紙だ。
『誰にだって不得意はあるだろ…少なくとも俺は男なんだ。エレナになりきるのは無理ってもんだ』
「そうね。そうかもしれない…」
羽ペンにインクをつけて、すらすらと図式を描く。抽象的なその図解は見慣れた俺でも難解なほどややこしい。教科書に載るものとは違う我流の魔法図だ。
「でもそれじゃ駄目。いつかまたこうやって入れ替わる時があるかもしれないでしょう?その時がきたらどうするの」
綺麗な円を書き終えて、エレナはそうのたまった。最近エレナの俺使いが荒いと思うのだ。またこんな苦行をしなきゃならないのか。どうやら味を占めてしまったようだ。確かにエレナとスナレビーの対決は学生生活が続く限り延々と長引くだろう。そして毎回俺が代打として表舞台に立たされるハメになるのは避けられない…のだろうな。
どうしてこうなった。勿論俺はエレナのために何かしてやりたいと常日頃思っているが…釈然としない。これじゃ体良く使われているだけな気もする。
「だから、いい機会だと思って頑張ってみたら?アリアも手伝ってくれるんでしょう?」
エレナは再び魔法図に没頭する。様々な箇所に注釈を入れていく。前世でのテスト対策で俺がよく使った方法だ。
『エレナは教えてくれないのか?』
「時間の無駄だし、私もわかんないから無理」
豪快に横線を引きながら、エレナは答えた。これを時間の無駄と言い切るところがエレナらしい。興味が無いものにはとことん興味が無いのだ。家族を切り捨てたエレナだからこそなのかもしれない。
『いい機会なのはどっちなのかねぇ』
まさか公の場をこの先全て俺に押し付けるつもりじゃないだろうな…。つもりなんだろうな…。
翌日、俺は再びエレナの体を得て、身だしなみもそこそこに制服姿で隣部屋へと直行した。魔法の完成はもう少しばかりかかるようだ。スナレビーが魔法を覚えるという点でどれだけ優れているかがわかる。奴とエレナを超えるカイムは一体どれほどなのか。
「というわけでよろしく頼む…受けた恩は必ず返す」
「ええ、期待していますわ」
俺は頭を下げて、目の前のアリアに懇願した。今のところ俺が頼みごとをできるのはアリアかエマだけ。しかしエマにそんな頼みごとをするのは気が引ける。ロレンシア家に知られてしまうのは面倒だ。
「ところでエレナさんは、やっぱりそっちが素の口調なのでしょうか?」
アリアの最もな疑問に俺は頷く。割りとやけくそだ。きっと目線も泳いでいるに違いない。
「何故か男言葉で育てられたんだはははー。すまん礼儀正しくないか」
もう昨日の授業で俺は失態をしでかした。歩きとかそういうどうしようもない話ではなく、口調の方だ。意識してればなんとかなる…と思っていたが、そんな四六時中意識できるはずもなく、結果俺はミスをした。
エレナに対する評価は恐らくまた転落しただろう。それに関しては非常に悪かったと思う。勿論エレナが真面目に授業を受けていれば起こらなかったとはいえ、一度受け持った身だ。面目ない。
だが一つ気づいたこともある。人間咄嗟の時は素が出てしまう。それは誰だって同じ。違うのはそういう時フォローしてくれる人がいるかいないかだ。アリアには是非そうなってもらいたち。エレナだけでなく俺を助けてくれることも含めて。
ようは俺がこのままの口調だときつすぎるからアリアの前だけは妥協するという話だ。エレナには悪いがこればっかり許して欲しい。正直女言葉は厳しいのだ。本当に。しかもエレナも返事をしてくれないばっかりに、男言葉を喋る時間がないってのも辛い。ぼんやりと自分を見失いそうで怖くなる。
「むしろわたくしは素直なエレナさんを見ることができたのですから嬉しく思いますわ。それにプライベートですから」
やはりアリアは受け止めてくれた。でかい女は器もでかいってか。いかん。そういう目線で友人を見るのは止めよう。
「それではまずこの鏡を利用しましょうか」
「鏡?」
アリアは壁を指し示す。この時代では恐らく珍しい姿見だ。エレナの部屋にもあるが、この手のものはエアパッキン通称ぷちぷち君がなく、車も電車もないこの世界では輸送が大変なのだ。そもそも作るのも難しいらしい。アリアと初めてであった時のあのドヤ顔ターンもこの鏡の前で生み出されたと考えると感慨深い。
「ええ、歩き方は人生の歩み方と同じ。己を見つめ直せばわかるものですわ」
「わかった。やってみよう」
「もう少し下がってから、ここまで歩いてみてください」
昨日の授業で言われた諸々を意識して歩く。どこかギクシャクとしているかもしれない。鏡の中のエレナは今にも死にそうな顔をしている。ただ歩いているだけだってのに。だいたい意識して歩くっていうのは難しすぎる。
「…どうだ?」
「何もかもが駄目ですね…」
例えそれが俺にとって全く無関係なものだった女としての歩き方への言及だとしても、軽くショックを受けるほどきつい響きだった。アリアは近づいて、筋肉をなぞるように指で示しながら説明していく。ちとくすぐったい。
「変に力を抜こうとしてひざが曲がっていますわ。体幹がぐらぐら。手はちゃんとふる。肩が堅い…言い出したらキリがないですね」
「そうか…」
「意識しすぎですね。この前までは少なくとも普通に歩けていましたから。ひとつひとつ直していきましょう」
「意識しすぎねぇ。そう言われるともっと意識しちまうんだ」
くすりとアリアが笑う。上品な笑いだ。初めて会った時はお上りさんみたいだったが、まだまだ彼女は奥が深い。頑張ろう。エレナのためではなく、アリアのために。
ぽすんぽすんと足が浮く。高級な羊毛ってやつを踏み抜くのは初めての経験だが、気持ち良いよりもやっちまったっていう罪悪感が強かった。俺は今薄く伸ばした青染めのウールマットの上を歩いている。なんでも足裏のどこに力が入っているかをみるにはこれが手っ取り早いそうだ。
一歩進める度に、ふにゃんと羊毛が沈む。感触は柔らかい。しかしアリアの教鞭はなかなかにスパルタだった。これが女の世界か。
「思ったよりも上達は早いかもしれません。かなり綺麗になりましたわ」
俺の足元から目線を上げてアリアは褒めた。手放しというわけじゃなかったが、たった二時間程度で上達できたというのはなかなかに嬉しいものだ。それが例え女歩きの練習だったとしても。
「ふっ、それほどでも」
得意になってファッションショーのように、腰に両手を上ててポーズをとる。鏡の中のエレナがドヤ顔で俺を見つめた。アリアはぽかんとして俺を見る。調子に乗ってしまった。くすり、ではなく、ぷぷっと堪えきれずにアリアは噴いた。スカートの位置を直すふりをしてごまかすも、時すでに遅しって奴だが。
「これならもう十分ですわ。それじゃあ街に行きましょう」
「街だって?」
アリアの言葉に目を丸くして聞き返す。街…つまりはこのサンミュール城下町、国家群オーラの栄えある大都市だ。前世感覚で言えば銀座だとかブロードウェイに近い。そんな場所に女もどきみたいな俺が行くだって…?
「ええ、人に見られるための練習ですから。やはり大勢の人がいる街で歩いてこそですわ。ベランツェリの城下と比べたら見劣りするかもしれませんけど。それに用事もありますから、付き合いしてくださらない?お礼、してくださるのでしょう?」
「それは、ちょっと卑怯じゃないか」
抜け目ない女だ。そう言われてしまえば断れない。
「それじゃあ早速行きましょう。練習の時間がなくなってしまいますわ」
アリアはネックレスを首に当てて、鏡を見る。同年代でネックレスが似合うのはアリアくらいだろう。アリアが鯖を読んでここにきている可能性も否定出来ない。
「ちょっと待った。二人だけで行くのか?お付きもなしに?」
「あら?わたくしとのデートの誘いを断る気ですこと!?」
「そりゃ男に言うべき台詞だ」
俺は呆れ笑いを浮かべながらウールマットを降りる。よくある台詞だが、せめてこれが俺の女歩きのための練習じゃなかったらもう少し格好がついただろう。
「てっきり女装でもしてらっしゃるのかと」
どきりと心臓が跳ねて、靴のかかとを踏んでしまう。随分と的を射ている。よく知らない間柄だったら失礼な発言かも知れないが、ちょっとしたからかいのつもりか、はたまたやっぱり口調をちゃんとしたほうがいいという警告か。まさか気付いているわけじゃないだろう。不安げにアリアを見つめれば、冗談ですわと返される。
「男役が好きなのかと思いまして」
話の流れはよくわからないが、多分演劇の話だ。この世界の娯楽といえば演劇である。俺は見たこともないが、もしかしたら宝塚みたいのもあるのかもしれない。女装する男役なんてのもあるんだろうか。
なんにせよ今日だけでアリアの印象は二転三転もした。人ってのはやっぱわからない。スナレビーみたいに全員わかりやすけりゃいいんだが。
「それがアリアの素ってわけか」
「これで友人から親友、ですわね?」
お互いに気心の知れた仲って意味だろうか。はにかんで目をそらせば、エレナが俺の瞳を覗いていた。喜ぶべきその台詞を、俺は素直に受け取れなかった。
久々に書いたのでキャラの軸がぶれてないかが心配です…。




