第十八話 失敗
アリアとエレナは晴れて友だちとなった。算学の授業の後も、少し他愛のないおしゃべりを続け、寮の帰るまで共にする程度の仲にはなれたのだ。十分友だちと言えるだろう。多分。
さてそんなこんなで俺もエレナも少し気分が良かった。少なくとも朝日を浴びて、うーんと伸びをして、朝支度をしに来たエマに朗らかな挨拶が出来る程度の心的余裕があった。なにせ問題の中心だったカイムとカレンは意外にもまともな人物だったのもだから、あの問題も多少なりとも静かになるだろう。そうお気楽に考えていたのだ。
「ふん!見ろエレナーダ!俺のほうが早く習得したぞ!それもこんな簡単にだ!」
それが今朝方の話。俺はすっかりこの負けん気に強い小僧っ子を忘れていたのだ。エレナの前でふんぞり返るこの少年。スナレビーを。
魔法とは、という質問に対して俺は明確な答えを持っていない。何故なら俺は魔法を一切使えないからだ。だから俺がその質問に超えたるとするなら、エレナが最も得意とするもの、というものになる。思えば、エレナが魔法に対して著しく興味を持ったのは、俺が再びエレナに憑き纏うようになってから暫くして、俺が全く魔法を扱いないということが発覚してからだったように思える。
とにかく俺は魔法が使えない。それはどうやら俺が魂だけの存在だからというわけじゃないらしく、試しにと入れ替わった状態で、エレナに様々な知識を享受されたあとに踏ん張ってもまるでうんともすんとも言わなかった。つまり、魔法は肉体ではなく、どうやら魂に強く関係があるようだった。この実験がエレナと俺にとある可能性を思いつかせたのだが、それはまた別の話。
魂と魔法の結び付きを体感で理解してから、エレナの魔法は飛躍的に向上した。それは高度な術を使用できるようになったというよりは、運用効率がとことん良くなった…というものらしい。エレナは天才ではなく秀才だ。実を言えば難度の高い術は苦手だったりもする。それでも諦めることなく、経験を活かし己の長所を伸ばした。その結果はこの国家群オーラに集められた者達の中で、上位三名に入り込んだ程だ。なんとも誇らしい。魔法はなによりもわかりやすい力の体現なのだ。
荒野のガンマンがまず「ただのよそ者」から「侮れない男」に変わるために必要な物はその銃さばきであるように、エレナが一目置かれるためにもこの魔法というものは欠かせない。そしてエレナの実力ならば、いともたやすくそれは成し得るだろう。魔導クラスにおけるエレナの立場を飛躍的に上昇させるための一歩足りえる。そう思っていた。
おずおずと訓練室に入ったエレナに、一部ちらと目線を向けながらも、特に揉め事もなく授業は始まった。訓練室は講義室の二倍程度の広さがあり、壁は全て軽い魔法障壁がはられているようだった。絢爛さはここにはない。訓練室内には教科書を置くためのスペースとして、小さな円柱の机が立ち並んでいた。
本日の授業は基礎中の基礎。マナをただ空間に放出させる魔法名すら無いただの運用授業だ。昨日からマナを循環させ、活性化させていたエレナからすれば、落胆するほどのものだった。ただし基礎と侮るなかれ、これはとてつもなく重要なものになる。このマナ放出に求められるのは速さと緻密さと量、全ての魔法の入口となる。魔法はこのマナに対して詠唱という過程を挟むことにより法則を捻じ曲げるのだ。
という国家魔道士であろう老婆のありがたい説明から授業は始まった。そして、つまらなさそうに髪を弄るエレナの耳に、この実習はペアで勧めるという前世の俺もよく耳にしたお言葉が届いた。エレナはぴたりとその動きを止めて、すぐに顔を歪めた。多分アリアのことを考えたんだろう。初めはたどたどしかったエレナも、別れる頃には少し会話を楽しんでいる風でもあった。きっとアリアがここにいたら楽しく授業を進められることだろう。まぁアリアが最初から魔導クラスだったら友だちになれてない可能性も高いが。
スナレビーがやってきたのはそんな折だった。ちんまりとした身長を精一杯魅せつけるように胸を張った傲慢そうで微笑ましいスナレビーくんのお出ましだ。はねた金髪が微笑ましい。
「実力の差を見せつけてやるといっただろ。俺とお前が同格だなんて勘違いを今すぐ正してやる!」
「あなた、リューベックと組まなくてもいいのかしら」
前回のあれで少しなれたのか、エレナはそこまで態度を崩すこともなく、疑問をあげた。だいたいこいつは一番を求めているようだし、エレナよりも強いだろうリューベックにあまり絡まないのは妙だ。まぁ一昨日何か喋っているようだったし、知り合いなのは間違いないだろう。
「うっ、カイムは…カレンと組むんだ。言っとくが俺が認められてないわけじゃない!ただ…」
「ただ…?」
「うるさいっ!今ここでお前との実力差をはっきりさせるために俺が断ったのだ!」
「私、あなたと組むだなんて一言も言ってないわ」
エレナの一言にスナレビーは狼狽する。どうも貴族坊主らしく、自分が思ったことがその通りになると思っている節があるようだ。
「なっ、なぜだ!?俺と組む名誉をむざむざと捨てるだとっ!?どういうつもりだ!」
『相変わらずおもしれーなこいつ』
常識知らずだが、ある意味こいつはエレナの実力を認めている。少なくともドロドロとした悪意のない分いいやつと言えるかもしれない。
「頭が痛くなるわ…」
国家魔道士の老婆…ファンシー・ロメルカウは杖を取り出す。この世界に置いて杖は必要なものじゃない。魔法というものはあくまでも思考によって成り立つとされている。実際は魂かもしれないが、とにかく一般的に思考によって生まれるとされているのだ。そこに杖は必要じゃないが、一種のトランス状態になるために各々魔法のキーとなるものを使うのが一般的だ。それがこのファンシー・ロメルカウの場合杖であり、貴族階級におけるキーは杖が主流である。
「それではまずはマナを自由に放出してみてください」
エレナは胸元に両手を当て、ゆっくりと息を吐く。杖のような物質のキーはこの学園では禁止されていたりする。元々明確なキーを持ってなかったエレナにしてはどうでもいいと流した話だが、どうも基礎から学ぶ上でキーは癖になるとのことだった。
すぐに銀のマナがゆっくりと可視化し、エレナの前方放射状に広がった。
「ふん。俺と肩を並べるというのなら、それくらいできて当然だ」
エレナはいの一番に成功させ、すこしばかりの注目に緊張して息を吐くと、休む間もなくスナレビーがちゃちゃを入れる。結局エレナはスナレビーと組むことになった。エレナは心底嫌そうだったが、最悪ペアが作れないとかよりはましである。ペアが組めないというのは心底辛いもんだ。
「…帰りたい」
『頑張れよ…後でプリン作ってやるから…』
「絶対だからね」
パンパンと手をたたく音が響く。正体はファンシーだ。ファンシーは周囲を見渡し、全員がマナ放出に成功した様子を確認すると、にっこりと微笑んだ。朗らかな人である。だからこそ選ばれたのかもしれないが。
「皆さん、互いのマナ放出を見て、どこか違いはありますか?その違いがなんであるか、そして何がその違いを起こしているかを見て学ぶのです」
なるほど。ペアで授業を進めるのはそういうわけか。マナ放出は基礎だけに、癖がやたらと主張する。例えばエレナの場合は少し暴力的というか、やたら渦巻いている。
「…エレナーダ。君のマナは品がないな」
とまぁそんなエレナの様子にこいつが苦言を申すのはある種予定調和だった。スナレビーの失礼な物言いにエレナは閉口した。魔法について文句を言われるのは相当頭にくるらしい。
しかし今回は余り周囲のクラスメイトがエレナにつっかかることがない。単純に自分の魔法で精一杯だからか…それかスナレビーがいい緩衝材となっているかだ。
「それでは皆さん。基礎的な魔法を一つ、覚えてみましょうか」
再びファンシーの講義が始まる。どうも退屈なマナ放出だけではないらしい。
「皆さんが初めて触れるようなものがよろしいでしょうから…遍く女神の権威を此処に示さん」
ファンシーの目の前に、優しい光球が現れる。なんとも魔法らしい魔法だ。特に女学生にウケが良いのか、目を輝かせて小さく歓声を上げた。
「これはこの国では余り知られていない魔法ですが、王宮に伝わるとても簡単で、有能な魔法です。名をディフュジョン。この光球は女神の力を体現しているもので、ライトと違いこの魔法は周辺のマナを霧散するのです」
マナを拡散…つまり防御として使える魔法なのかもしれない。障壁と違って一度発動すればその場に残る利点があるみたいだ。
「では、どちらかがディフュジョンを、片側が先ほどと同様にマナ放出を行い、魔法が上手く成功しているかを確かめて下さい。術式構成は教科書の二十三のCです。では始め」
誰もが一斉に、エレナが馬鹿にしてしまったあの教科書をぺらぺらと捲る。
「二十三のC…これかしら」
「使うイメージは放出だけなのか」
「詠唱を破棄するには放出だけじゃ厳しそうね。詠唱の一部から読み取れないかしら」
おっと。何故か自然と会話が始まった。これがあれか、お互いの興味のあるものなら意気投合して語れるってやつか。あれだけ嫌がっていたエレナも普通に話している。
「ふむ。まずは唱えてみないと感覚がつかめないな」
「それもそうね。遍く女神の権威を此処に示さん」
エレナは一発で成功させた。光球はふよふよとただよい、スナレビーの黄色いマナを霧散する。
「なるほど。確かにマナが掻き消える。遍く女神の権威を此処に示さん」
次いでスナレビーもたやすく成功させ、エレナの銀色のマナを同じように拡散させた。どちらも成功したようだ。
「問題なさそうね。なんだ、口だけじゃなかったのね」
「ばっ、ばかにするな!この程度朝飯前だ!」
どもるスナレビーに、エレナは口元を抑えて笑った。エレナに余裕が出てきた。いい傾向じゃないか。
「あなた達…とても筋が良いわね」
そこに声をかけてきたのはファンシーである。スナレビーの光球とエレナのマナをまじまじと見て、感心したように呟いた。
「ふん。こいつと同列に語らないでください。とてもじゃありませんがこいつの力量は大したことない。精々部屋の片隅に置いてランプ代わりになるかどうかってくらいです」
『こいつ…』
先程までの仲良しっぷりはどこにいったんだか。エレナもエーっと小さく口にだすほど呆れている。あれか、みんなの前だと仲良くなりたい子にいたずらしちゃうタイプだったりするのか。
「ふむ。それでは少し高度なものも教えましょうか」
ファンシーは少し距離をとり、ぴしりと姿勢を正して杖を振る。
「天の耀。民よ。その位、一律と知れ」
先ほどのものに似た光球が現れる。しかし今回の光球はまるでガラス球のようにしっかりとした輪郭を持っていた。
「教科書の七十のAです。この術式は先ほどのディフュジョンと効果はさほど変わりません。ですが本質は違います。ディフュジョンがマナを拡散させるものなら、こちらはマナを消失させるものなのです。自らのマナを相手にぶつけ、相殺させるイメージを浮かべなさい」
『よっしゃ、エレナ。生意気な小僧っこに見せてやれ』
「私から行くわ」
勢い良く教科書をめくり、目的のページを見つける。先ほどの術式が僅か三行の説明だったのに対して、こちらはページまるまるひとつ分である。かなり難度は高そうだ。
「いいだろう。こいっ!」
「天の耀。民よ。その位、一律と知れ!」
流石エレナ、一発で高難易度の術も成功…しなかった。光球は形を維持できず、激しく輝くとすぐに消滅した。
「どうやら失敗のようですね。焦ることはありません。これは高度な術です。時間はまだありますから、ゆっくりと学びましょう」
ファンシーはにっこりと笑顔をエレナに向ける。まぁ当然っちゃ当然かもしれない。そもそも忘れていたがエレナは秀才なのだ。天才じゃない。じっくり学んで誰よりもうまくなりゃいいんだ。
落ち込むエレナをちらと見て、教科書を閉じスナレビーが一歩前に出た。
「俺がやる。天の耀。民よ。その位、一律と知れ!」
指をパチリと鳴らし、スナレビーは覇気を感じるほどの勢いで詠唱を告げる。そして、光球はエレナのように消滅せず、しっかりとスナレビーの前に浮遊し続けた。
「うそ…」
「ふん!見ろエレナーダ!俺のほうが早く習得したぞ!それもこんな簡単にだ!」
ファンシーと、そして様子を見ていた周囲からの惜しみない拍手に、スナレビーは得意気に鼻を鳴らした。こいつは、どうも天才というやつらしかった。少なくとも、エレナ以上は。
『おい、あんま落ち込むなよ。得意分野ってやつは誰にでもある』
ああ、こりゃまずい。エレナの視界がぐにゃりと歪み始めた。つまり泣きそうだってことだ。
「素晴らしいですね。ええっと貴方は…」
「マレーです。マレー・スナレビー」
「おやスナレビーのご子息でしたか。お父様もさぞお喜びになるでしょう」
エレナは堪えきれず、遂に目線を落とした。見えはしないがさぞかし今のスナレビーは鼻を高くしていることだろう。
「どうだ。エレナーダ。これが本当の実力差というものだ」
「………けないから」
エレナは教科書をむんずとつかみとると、きびすを返して教室の扉へと駆け足で進む。
「なに?おいまてどこに」
スナレビーの声を、魔法障壁で保護された扉が遮る。エレナはそのまま廊下を駆け足で進んだ。ただひたすら訓練室から離れるために。
『授業中にぬけ出すのは、感心しないぞ』
「負けないから…次は、絶対負けない!」