第十四話 隣人
試験はつつがなく終わった。試験の結果は明後日連絡があるらしい。俺は学園観光でもしたらどうだなんて思ったが、エレナはさっさと帰りたいらしく、まぁ別にいいかと手早く帰り支度をして、そそくさとただっ広い敷地を歩き、今はちょうど正門へとたどり着いたところだった。
正門には溢れかえるほどの馬車に、そして使用人が今か今かと学生の到着を待っている。まるで空港でプラカードを持ちながらツアー客を待つ案内のように、馬車には各々の家紋が盛大に掲げられていた。ロレンシアの家紋は一目見てわかった。四獣の紋様は目立つ。なるほどこれは便利である。
「お嬢様。いかがでしたか」
「さぁ、まだわからないわ。でも少なくとも、あなた達がそうやって二人でいれる時間を得ることができただけ、ここに来て良かったとは思うわ」
「お、お嬢様ったら…。私達などお気になさらなくとも…」
『こいつも丸くなったもんだよなぁ』
アランは右手で頭を掻き、エマは顔を赤らめてそっぽを向いた。アランは初めて会った時から相変わらずだが、エマは随分女らしくなった。前は男らしいというか、色恋に興味が無い野生児のような様だったもんだからな。
「エレナーダ・ロレンシア!」
声を辿れば、そこには講堂で見たような覚えがある三十代くらいの男がいた。恐らく教員かその類の関係者だろう。とにかくそいつはひたいに汗をかきながら、走って正門まできたようだった。
「呼び止めてすまない。各国の王族には色々と面倒な手続きがあってね。少々時間をいただけないかな」
それを聞いて、エレナは露骨に目を細めた。エレナはこういう事務的な手続きとかが苦手だ。というのもそういった経験が引きこもりすぎてなにもないからだ。ついでに俺も苦手だ。まともに社会人してなかったからな!
「お嬢様、こちらは私が受け持ちます。よろしいですか?」
それを察してか、エマが歩み出る。はっきり言えば、こういった時に侍女がしゃしゃりですのはあまり良くないことらしい。教員らしき男も眉を潜めるが、余程急ぎなのか、特に何も言わず、しぶしぶと了承とした。
「んむ…まぁいいでしょう」
「あらありがとう。それじゃ任せるわ」
『…いいのか?』
エレナはひらひらと手を振る。恐らく本人でなければまずい類の書類だろうに。教員側も許しているようだからまぁいいかもしれないが、不備があれば困るのはエレナだ。そもそも、絶対にこいつめんどくさがってるだけに違いない。
「…エマを信じられないのなら誰も信じられないわ」
それでもこんなことをのたまうのだからエレナは面の皮が厚い。エレナは会話が不自然にならないよう周りを見渡してそういった。まぁ間違ったことは言ってないが、お前はただ早く帰りたいだけだろうに。
「も、勿体無い言葉です」
そんな上っ面で塗り重ねられた発言ではあったが、エマには効果抜群だったようだ。少し目をうるませて、珍しく淑やかに礼をした。
「え?あっ、ほほほ。それじゃあね」
さすがのエレナもこれには罪悪感を覚えたか、狼狽した。とはいえ、貴族社会のこの世界ではでまかせでも上手く口を運ぶことが大事なのかもしれない。世渡りをする上で格好つけることは意外と大事なのだ、と俺は思っている。いずれ母ランターナから教わる機会があれば、エレナはきっと大成するだろうに違いない。
「あいつ喜んでましたよ。ありがとうございますお嬢様」
「なによ。私はいつでもエマを信頼しているわ」
エレナは少し顔を赤らめ、ぱたぱたと左手で顔を仰ぎながら、苦笑するアランに答えた。アランは昔のエレナも知っているし、エレナもアランに対しては割りと素を見せるもんだから、多分今回のエレナの行動がどちらかと言えばめんどくさくてやったことだと理解もしているんだろう。
「とにかくエマのやつ最近随分気に病んでることがありまして、でもあれで気が晴れたんじゃないですかね」
「ふうん。エマがねぇ。あんまり想像できないわ」
「あいつは人に頼ることをしないんで…。誰にでもあるんですよ。そういう弱いところっていうのは」
それを聞いて、俺はふと前世の母を思い出した。母もそうだったのだろうか。一人で息子を育てる不安に泣いた夜もあるのだろうか。まともに就職できずに狼狽する俺を見て胸をいためただろうか。行方知れずになっただろう俺の…懸命に探したのだろうか。
いや、考えるのはよそう。既にそれは悩んだことだ。もう十三年前の話なのだ。どうしようもない。時間は経ちすぎたし、戻る方法はわからない。いい加減振り切らなきゃならない。
「あら?そういうところを助けるのは、お前の役割でしょう?」
「…面目ないです」
現実に舞い戻った俺の目に映ったものは、へろへろと項垂れる頼りない男だった。しかしこういうことを言うようになったということが、エレナの成長を感じさせる。全く片時も離れずに生活してきたわけだが、それでもいつの間にかエレナは女らしい発言を自然とするようになった。これが娘を見守る父親の気分か。
「それでお嬢様。これからいかがしますか?」
アランはサンミュールの町並みを促しながらそう聞いた。なるほど周囲の様子を見れば、どこどこに行きましょうと囃し立てる女生徒の声がいくつか聞こえる。ここサンミュールは国家群オーラの首国と呼ばれる大都会。お上りさんにとっては目に映るもの全てが輝かしく瞬いているのだろう。
「見物は控えるわ。ちょっと疲れたの。随分と空気が違うから」
そしてこの引きこもりである。生徒間の交流を深めるためにもできればそういう俗世を知ってほしいものだが、アランはその受け答えを予測していたのか、口を開けて笑った。
「お嬢様もお年を取りましたね」
「…女性にそれは失礼じゃなくて?」
エレナの纏う空気が凍り、手元がきゅるきゅると音を立てて銀に発光する。
「いえ、失礼しました。それでは寮までお守りいたします」
途端アランはびしりと姿勢を正し、神妙な顔つきで礼をとるのだった。こいつは長生きするだろう。
寮の自室でエレナーダは小柄な体を全て使い、ふんばりながらなんとか机を運んでいた。エレナーダはエレナーダでも、中身は俺だったのだが。
「ったく。なんだって俺が…」
『いいじゃない。入学祝いだと思ってよ。もう一歩も動きたくないわ』
「ったくめんどくさがりになりやがって…ここでいいかー」
机を適当に運び直し、なんとかそれっぽい配置にする。正直間取りに合わせた内装なんてこれっぽっちもどうしたらいいかわからん。そしてそれを言い出したエレナ本人はこの有様である。エマに任せたものの、やっぱり気に入らないからやり直してやるわと言った昨日の意気込みはどこへ行ったのか。
『違うってば…もうマニーはセンスだけは本当ないんだから』
「うるせ、俺はデザイナーじゃねぇんだ。嫌なら自分で動きな」
これ異常甘やかしてたまるか。この現状すらどう考えても過保護すぎるかもしれないが、エレナは普段運動しなさすぎるし、しろといってもまずやることはない。そういう意味では俺が入れ替わって体を動かせる機会は必要不可欠だし、俺の退屈解消になっているといえばなっているのだ。
『へーそういうこと言うのね』
恐らく青筋を立てているだろうエレナを無視して、今度は棚かと思った時、チンとドアベルがなった。全くこんな時にめんどくせ。一体誰だろうか。もしかして寮長とかの挨拶回りか?
「おい、誰かきたぞ」
『なによ』
「代われよ!お前が出ないとボロが出るだろ!」
『私はボロが出ても構わないから動かなーい』
完全に拗ねてやがる。別に俺がエレナと変わることそれ自体はそこまで珍しい事じゃない。だがこんな状況じゃあ不安でしかない。これから三年間は学園で過ごすらしいし、少なくとも寮内じゃあ健全な人間関係は必須も必須。礼節をエレナと共に学んだ…いやエレナがたまにサボって俺が学ぶはめになったとはいえ俺は男なんだ!つまるとこと私とか一人称で口にするのも我慢してるわけだし、女言葉も歯がゆい!
「ちくしょう。今回だけだぞ…」
意を決して扉を開ける。そこにいたのは長身で橙っぽい髪色の女だった。この国では珍しく毛先程度にしかパーマもかけず、ロングストレートである。当たり前っちゃ当たり前だが、俺もエレナも知らない女だった。
「どなたかしら?」
『かしらだなんて…ぷぷぷ』
エレナめド畜生…。こいつ絶対これを見たくて交代しなかったな…。
「あら、どなたかいらしたのでは…?」
女は首を傾げて俺の背後を流し見た。どうやら外に聞こえていたらしい。あぶないあぶない。自室だからと気を緩めすぎていた。幸い感づいた程度のようだが、これから何年もここに住むのだから、極力穏便に行きたいものだ。この学園を追放されでもしたら、もうエレナは王族としてやってくことは難しいだろう。
「い、いえ。私だけよ」
「ふぅん。きのせいだったのかしら?」
「それで貴方は?」
女はハッとして右手を口元に当てたあと、すぐに調子を取り戻すると何故かその場で一回転。ドヤ顔で腰に手を当てて振り返った。
「申し遅れましたわ!わたくしはアーデリア・ドットワリ。国家群オーラの隣国ベランツェリから来ましたの。この学園オーラでは、同盟国として二国間の交流を含め、そしてオーラの文化を学ぶためにやってきましたわ!」
今度は俺がハッとする番だった。突然の事態に固まっていたが、なるほどこいつは留学生らしかった。そういえば始業式でも言われていたが、なんでも学園があるのはここサンミュールと対立国家であるグランドバリの首都ジュノバにしかないらしい。国家群オーラに所属しない中規模国家にとって、この新学園は政略的意味合いもあるのかもしれない。だが、そんな他国の留学生が一体俺に何のようだ。
「ああ、うん。それで、何用なの?」
「あら、ええと、申し訳ありません。わたくしと貴方はこの度隣部屋という御縁になりました…の。それで、やはりわたくしはもはやベランツェリの代表と言っても過言ではありませんから、此処はやはりベランツェリの貴族が礼節に重きを持つことを示すためにも、隣人たる貴方に挨拶を一つと思いましてですね…その…」
女は露骨に体を強張らせ、両手を合わせながらおどおどと答えた。うむ、典型的な見栄っ張りお上りさんといった感じだ。多分こりゃエレナの噂も知らないな。エレナの噂が噂だから警戒していたが、なんというか女はまるで子鹿のようだった。身長と、ついでに胸もでかいが。
「そういうことでしたら。私はエレナーダ・ロレンシア。ちょっと今は手が離せませんけれど、これから宜しくお願いしますね」
できる限りの柔らかい笑顔で俺は答えた。先入観のないこの天然っぽい子ならエレナと友だちになってくれるかもしれない。もしかしたら…噂を聞いてからもな。




