第十一話 学園の始まり
エレナは突如開かれた馬車戸口に目線だけを向け、眉をひそめた。
「アラン。貴方持ち場はどうしたの」
「ええっとですねお嬢様…。私はお嬢様が不慣れな旅路でご不便していないかと気にかけた次第でして」
軽甲冑に身を包んだアランが目線を泳がせながら、早口にまくし立てる。こんなにも嘘をつくのが下手な奴はそういないだろう。俺でももう少し上手くできる…と思いたいが、十三になったエレナの佇まいは、これまたなかなか堂に入っている。なんというか当たり前だが母親の血を継いでるんだろう。軽くパーマがかかった灰の長髪と黒地に白装飾のドレスが、貴族然とした威圧感を引き立てている。
「素直にエマが気になるって言いなさい」
「いや…そんなことは…。はい、そうです」
エレナの対面に座るエマは、申し訳無さそうに頭を下げ、ちらりと攻めるようにアランを睨みつけた。
『そう目くじら立てんな。こいつにとっては新婚旅行気分なんだろうよ』
世の中めぐり合わせってのはわから無い。なんとこの度エマとアランは夫婦になることとなった。アランとエマの人生が交差したのはあの事件から二年後くらいだった。アランという男は、どうも騎士見習いといった様子で、何でもあの事件に関わっていたらしい。生死の境を彷徨ったらしいが、なんでもそれから死ぬ気で騎士を目指したとかどうとか。
そんなアランだが、城内で問題に直面していたエマを助けた、という縁があって、いつの間にか交際していたようだ。エレナはそれがどうにも気に入らないらしい。もちろん本気で嫌がっているわけではないし、祝福もしている…んだが気に入らないようだ。エレナにとっては母親でも取られた気分なのかもしれない。
「これがヒュー騎士団の次期副団長だなんて世も末ね」
「あら、お嬢様も推薦してくださったはずですよ?」
「ちょっ!?ちょっと待ちなさい!あれはエマを思ってしたことであってこいつのためにだなんてしてないしそもそも内緒だって言ったじゃない!馬鹿!」
明らかに赤面しながら、早口でエレナはまくし立てる。どうも照れ隠しが下手だ。しかしエレナがアランを推薦するかどうかウンウンとひたすら悩み続ける姿は可愛いものだった。エレナは表面上アランに対して無愛想だからか、余計悩んだようだった。結果、エマに「お嬢様ならこうするってわかってましたよ」なんて笑われながら言われる始末になったわけだが。
ところでエレナ達が乗っているのは新造の馬車である。後方にはドレスやら支給された学生服にロレンシアの伝統家具だとかそんな大荷物がでんと詰まっている。エレナがヒューを離れるのはこれが初めてだ。
エレナの元に珍しく父パーシーから話があると書室に呼ばれたのは、今から三ヶ月ほど前のことである。夜も更けた時頃、エレナと俺は一体なんだろうなと首を傾げながら戸を叩いた。
「学園…ですか」
驚いたことに、それはなんと国家群オーラに学園が設立されるという旨だった。エレナはピンときていないようだが、恐らく前世における学校と同じようなもんだろう。途端俺の気持ちは明るくなった。エレナとロシェの関係はあまり良くならなかった。もちろんエレナの孤立を避けることはできた…が、どちらかと言えば騎士団連中と仲良くなったりが主だったりして、少し不甲斐ない。
言い訳をさせてもらえるなら、貴族の考えなんて俺にはわからんとだけ言わせてもらおう!その分騎士たちと仲良くなるのはひっじょーに簡単だった。男心なんてものは案外わかりやすいもんだ。特に騎士に憧れた少年みたいな純粋さを持つあいつらは。
「そうだ。なんでも非成人の社会基盤足りえる教育を、国全体で支援するための施設…ということらしい。各国の王族や選りすぐりの旧貴族、それになんとタンジブル王家の者もその学園とやらに赴くとの知らせだ。我が国としても無視はできない。わかるな」
「はい。しかし…それは私だけでなく…」
「そうだ。ロシューダもこの活動に参加する予定になっている。まだ話はしていないが」
エレナは明らかに表情を曇らせた。ロシューがエレナを嫌う理由は、もはや理屈じゃないのだ。俺はまずこの二人を仲良くさせようと当然努力したわけだが、まず二人が会う機会がなさすぎる。飯は基本的に家族団欒で食わない。これは地母神アダと呼ばれるヒューの女神の教えなのだ。ついでにエレナは引き困りがちで、且つロシェは旧貴族の家に遊びに行ったりとアクティブに活動している。二人の生活圏が違いすぎるのが、最大の問題だった。
「私は…。エレナ、私の考えを聞いてくれるかい。これはお前のためになると思うのだ」
「なぜでしょうか」
「お前には、未だ暗い噂が絶えない。このままでは王家としてもいらぬ不和を生むだろう。しかし、私はお前を自慢の娘だと思っている。お前は今まであらぬ悪評を払拭するために努力を重ね、座学も魔法も過去類を見ないほどの実力をもっている。お前がこの学園でその力を示すことができれば、自ずと評価も変わるだろう」
おお。意外とこの親にしては考えてる。パーシーもランターナもどうにも教育方法がよくない。例えばだ。エレナが満を持してロシェと仲良くなるために一緒に出かけたいと両親に声をかけた時、ランターナは少し考えて了承し、俺はこれでうまくいくかと期待したもんだが、なんとランターナも一緒についてきやがった。しかも大量の護衛を連れて。当然ロシェはエレナなんぞ無視してランターナとだけ話しやがる。俺としては話題の浮かびやすい街中なら二人の間に会話が生まれるかと思ったんだが、まぁそんな結果に陥ってしまったことがあったわけだ。
『わるくはねぇんじゃねぇかな』
「なるほど…お父様のお考えはわかりました」
「それに、安心するといい。どうやらこの学園とやらは年齢別にわかれていてな。ちょうどお前とロシェは別になるようだ」
『いや、親としてその一言はどうなのよ…』
「悪くはないわね」
「少々手狭ではありませんか?」
サンミュール観光も脇において、エレナご一考はすぐさま学園寮へと向かった。学園寮はホルン城比べれば部屋も廊下も随分狭いものだが、最低限の調度品、学生一人には適切な部屋割じゃないだろうか。と言ってもあくまでこの世界の感性での話だ。こんな広い部屋に一人だなんて前世から考えればぶったまげてやがる。
「どうかしら。なんでも学園では住居や待遇に身分差は考慮しないそうだから。これが適切かもしれないわ」
『身分差を考慮しない…か。にしちゃあ豪勢だが、冷遇だと思われたら面倒ってのもあるのんだろうな』
エレナは瞬きを二度瞬時に行う。これは俺とエレナの人前でのコミュニケーション手段だ。エレナの視界はダイレクトに俺の視界でもある。ジェスチャーと違って瞬きは傍からわかりづらく、俺達にとっては適切な手段なのだ。
「アラン。お願い」
「ああ、任せろ!」
エマの呼びかけにアランは笑顔で答えた。アランは既に騎士甲冑を脱いだ軽装だ。恐らく荷物を部屋に搬入するんだろう。アランはいいところをエマに見せるチャンスだと思ってるんだろう。いつまでも仲が良いこって。
「幸せそうね…」
『あいつら両方共敵が多いからなぁ。羽を伸ばせるいい機会になったな』
アランはこの数年で副団長の座まで台頭した新人騎士だ。有望だと期待されている一方で嫉妬も多い。また、エマはエレナの件で一時期人間関係を難しくしてしまった。そんな二人を同伴者として選んだのは、やはり正解だったようだ。
「これからどうしようかしら」
『ん?始業式は明日なんだろ?別に何か急ぐこともないだろ』
「そうじゃないわ。この学園とやらで何を為すべきかって話よ」
エレナは窓枠から学園があると思しき場所を見つめる。学園はぼやけた結界に守られ、関係者以外見えない状態だ。お披露目に力を注ぐのは、どの世界でも同じようだ。しかし、学園で何をすべきかどうかか。まともに学校生活を送らなかった俺がどうこう言える問題じゃあないかもしれないが…。
『お前の父さんが言ってたことは間違っちゃいないからなぁ。やっぱ味方を増やすことだな。もちろん、そいつは媚びへつらうってことじゃない』
「魅せつける…よね。ま、得意分野だけど」
エレナが貴族らしい貴族だという話だが、エレナにはカリスマがどうもあるようだ。もちろんゴースト憑きだとか異常者だとかレッテルを持ってない人間に限る。しかしながら、彼女なりに城内の侍女や関係者を魅了し、数年前に比べて立場がまともになったのは事実だった。まぁなんだかんだ入れ替わって動いてやったりもあったんだがな…。
『おうよ。エレナーダという人間を見せてやれ!っとまぁそれは意気込みなわけだ。無策で突っ込むのは賢くねぇ。また嫉妬買っちまうぞ。こういう時必要なのは情報だと決まってるんだ』
「情報…どんな王族が参加している…とかかしら」
『社交界とかじゃそうかもしれねぇがこれは共同生活だ。どんな人物か、人柄を見定める必要がある』
要は友だちを見定めろってことだ。エレナはただでさえ気難しいところがある。勿論最終的にそれを判断するのはエレナだが、妙な男に引っかからないように気を引き締めねぇと…。んでエレナの味方になってくれる奴がいれば言うことなしだ。あの事件の時に見た少年…あいつみたいのがいればな。
「マニー…貴方やけに嬉しそうね」
『あー、まぁなんつうか俺もこういう共同生活は経験があるんだ。多少は違うだろうけどな。あん時は俺も自分の夢しか考えてなくてよく失敗したもんだ。そういう経験が活かせるんじゃないかと思ってなぁ』
「経験者は語るってことね。ふふ」
『んだよ』
「それじゃあ寮内を散策でもしてみましょう。既に結構な数の生徒がいるはずだわ」
廊下は大理石みたいな磨かれた石材によって作られている。この世界では珍しい階層構造だからか、天井はかなり低い。しかしながらどこを見渡しても、搬入中だろう生徒の荷物以外には汚れひとつない。
『新築って感じだなー。どこもかしこもぴっかぴかだ』
「そうね。ここには生徒の部屋だけでなくレストラン、図書室もあるみたいだわ」
生徒たちの話し声に聞き耳をたて、エレナは声に出して呟いた。
『おい、下手に喋るんじゃない。気が緩んでるぞ』
はっとしてエレナは右手で口を塞ぐ。この数年で多少エレナは俺との会話を自重するようにはなったが、やはり生まれてから続けていたことだからか、今回のようにどうしても気が緩む時があるのが問題だった。
そして今回は、随分とタイミングが悪かった。
「大丈夫かい?」
びくりとエレナの体が跳ねる。後ろから声をかけてきたのは、美しい黄色の髪を持つ青年だった。ドレス姿のエレナと違ってこの学園の制服を着けている。なんとも気が早いやつだ。相当楽しみだったんだろうなぁと思うと、なんともほっこりした気分にさせられる。エレナはそんな余裕もないのか、二歩後ずさった。
「…なにかしら?」
「いや、少し様子が変だったからね」
男は害意がないことを示すかのように手を胸元に上げ、苦笑いを浮かべる。ナンパでもするつもり…というわけでもないようだった。純粋にエレナの独り言が気になったんだろう。これは要注意だ。明日からの学園でより気を引き締めねば。せっかく新たな世界が開かれたんだ。またエレナが孤立するのだけは勘弁してもらいたい。
「ありがとう。でも気にしないで頂戴。大丈夫よ」
「そうか、良かった。医務室もあるから困ったらそこにいくといいよ」
それだけいうと、軽く手を振り、さわやかーに青年は立ち去っていった。まぁ悪いやつじゃあなさそうだ。世渡りがうまそうなやつだし、ああいうのを味方につけられればいいんだけどなぁ。そんな俺の考えは全く通じてないのか、エレナは青年の名前すら聞けず、大きくため息を吐いた。
「心臓に悪いわ…」
『また声に出てるぞ』
「ちがう。今のはほんとに独り言だから」
『おいこら、話聞いてたんか』
「あれが、エレナーダ・ロレンシア。ゴーストエレナか。まさか来てくれるだなんて思わなかった。それに、天才魔導士カイムに…四家のうちシーチェとパラグ家までも…順調な滑り出しだ」
「キューレ様…今までどちらに!」
「ちょっとした散歩だよ。さて、それじゃ明日の準備を始めようか。それと爺、ゴースト憑きに会ってきたよ」
「なんという!お怪我はありませんか!?」
「大げさだなぁ爺は。ゴーストエレナだけど、そうだね。一言で言えば、可愛かったよ。噂なんて当てにならないね」
「そ、そうでしたか…。しかしあまりご勝手にされては」
「わかってる。もう心配をかけるのはやめるよ。爺に早死してもらったら困るからね」