第八話 主街道大火災の裏側2
「今日はいい天気だね全く」
花屋の店主ベラは心地よい陽気に、薄くはにかんだ。肌に凍てつくヒューの地で、花屋を営むベラにとって、気温が上昇することは好いことだ。なにしろ炭代が浮く。常日頃阿呆のように燃やし尽くす炭代に悩まされているのだ。それに、今日は炭馬車が炭鉱から訪れる日。しばらくすれば炭馬車が街道を登るだろう。今週はたっぷりと買って置かなければ。
「おっと、話をすればなんとやらだねぇ」
馬四頭係で、石炭をたんまりと積んだ馬車がゆっくり上がる光景に、ベラは満足気な顔をして呟いた。王政を誇ったヒューにおいて、石炭はその献上品でもあり、王の威光を示すものでもあった。すなわち国家の財産である石炭は、まず王城へと奉納される。といってもそれは最早形式でしか無く、すぐに町民に行き渡るよう販売されるのだ。
日常の中の小さな喜び。そんな光景に亀裂が走ったのは、ちょうど件の馬車が花屋の前を通りすぎようとした時頃だった。ぼぅと小さな音がなった。それは馬たちの蹄鉄によって掻き消えるほどの僅かな変化。はびこる病魔のようなそれは、誰もが気づく頃には、既にどうしようもない状況であった。
「御者!火だよ!火がついてるよ!」
「なんだこりゃっ!?どこでつきやがった!」
荷馬車に溢れんばかりに積み上げられた石炭から、巨大な火柱があがる。大量の石炭によってもたらされる火はまさしく業火の一言。数メートルもの火柱が上がり、馬車は瞬く間に火に包まれた。突如襲い来る危機に馬たちは荒れ、四方にかけ走り、遂に荷台は崩れさる。
主街道に火の手がばらまかれた。大量の石炭は道を塞ぐかのように覆いかぶさり、轟々と産声を上げる。あまりにも突然のことに、逃げ遅れた人々に火の手が起こり、街は阿鼻叫喚の地獄絵図を形容しようとしていた。
「なんてこった!炭馬車が燃えてらぁ!」
「ど、どうするの…!?これじゃ通れないじゃない!」
カレン達がその現場にたどり着いた頃には、広がった石炭全てに火の手が上がり、けたたましい音とともに街道を埋め尽くしていた。とてもではないが通れる道ではない。男は超手で頭を抑え、困惑の様相を示した。周囲には戸惑う町民や、騒ぎに駆けつけた騎士達、そして乗じて目ざとく現れた野次馬達で既にうめつくされている。
「まって、カレン!近寄っちゃダメだ」
火の手は風に揺らめき、細かい炭の破片が転がる度に広がる。思わぬ非現実的な光景に、我を忘れて近寄ろうとするカレンをとめるようにカイムが前へ出る。これではハンナとの合流は不可能に違いない。
「仕方ねぇ!こっちだ!今はハンナ様の件のが大事だ!はぐれるなよ!」
男はすぐ近くの細道を指差してそう言った。当然の配慮だろう。どう考えてもこれは不慮の事故であったし、今はただでさえ急ぎのようなのだから、地元民だろう男の発言に従うのは至極当然である。そう、これが本当に不慮の事故であったならば。
細道に入って既に五分は軽く走った。なぜか主街道に戻れない。戻る道がない。それどころか段々と離れているようにカレンは感じていた。明らかにおかしい。もし道を知っているなら、なぜこの道を選んだのか。男の行動に不安が生じる。もしかして違うんじゃないか?危ないんじゃないか?騙しているんじゃないか…と。
「ちょ、ちょっと…ぜぇ。街道から外れてるじゃない!こっちであってるの!?」
「へへ、もちろんでさぁ」
男の声色は、焦りよりもむしろ嘲笑に染まっていた。そこには先程まで大慌てでカレン達…特にペスを説得していた男とは違う。古びた建物に妨げられ、影に隠れる男の表情は計り知れない。
「止まりなさい。貴方、何か良からぬことを企んでいますね!」
いよいよもってペスは自分たちが図られていることに気がついた。周囲にはまるで人気がない。恐らく廃墟街か…既に立ち退きか何かが決まった場所なのだろう。うってつけの場所だ。罪を犯そうというのならば。
「いやぁ、そんなんじゃないですよ。俺も道に迷っちまいましてね…へへ」
ペスが詰め寄るも、むしろ男は飄々とするばかり。ペスは確信した。騙されている。一刻も早くこの状況を抜けださなければならない。ペスは焦った。万が一にも二人に何か会ってからでは遅い。もちろんハンナのことは気になるし、先の火災に巻き込まれていないかも不安だ。しかし、それ以上にこの男は信用ならない。
「お嬢様、カイム様。戻りま…」
ごっという鈍い音と、くぐもった声が小さく響いた。ハッとしてカイムとカレンが振り向けば、途端彼らの間にペスの体が投げ出される。そして、背後にはみすぼらしい格好の若い男が二人立っていた。片方にはメイスのような鈍器。ペスはその鈍器で彼に殴られたのだ。
「ふぅ。お前らおつかれさん。いい仕事だったぜ」
「なに、ギーグさんの演技ほどじゃないっすよ」
三人は、まるで誠実に力仕事を終えた労働者のように、互いを鼓舞した。あまりの事態とそんな呑気な光景に、カレンは事態を飲み込めなかった。この人達は何を言っているの?どうしてペスは倒れているの?そんなことをぼんやりと考えるだけ。いち早く行動したのはカイムだった。
「カレン。逃げるんだ」
カイムはカレンを促す。男たちに気づかれないように小声で。彼らはまだ七歳と少し。男たちから走って逃げる体力なんてない。ただしそれは、お互いが逃げ出せばの話だ。
「でもっ!」
「このままじゃ二人共危ないんだ!」
しぶるカレンにカイムは大声で怒鳴る。カイムにとって、カレンは守るべき存在だ。もちろんそれは親に仲良くしろと決められたからもある。しかしそれ以上に、聡いカレンはカイムにとって数少ない友人でもあるのだ。カイムの趣味趣向、言動やその思考。そういった諸々を理解できるのは、少なくとも同年代でカレンだけだったのである。カイムはそんなカレンを失いたくない。こんな下劣な連中に渡したくはなかった。
「おっとそこまでだ。おとなしくしてくれよ。子どもに泣かれるのは嫌いなんだ」
ギーグと呼ばれた男は、カレンとカイムのやり取りに気づくと、大ぶりのナイフを片手にぷらぷらとチラつかせながら歩み寄る。既にペスを無力化させた時点で、男たちは勝利を確信しているのだ。
「走れ!」
カイムはカレンの背中を押した。方向はギーグがいる細道の先だ。感情的に考えれば、ナイフを持つギーグは恐ろしい。しかし、ギーグの側は彼一人。カイムはここにきて冷静だった。生存する確率ならば、なによりも一人相手である側を選んだのだ。そして、それを成功させる方法もカイムにはある。
「導き手に抱かれし魔力の理よ。断絶せよ!」
「魔法だとっ!?こいつ!」
カレンとギーグの間を塞ぐように、空間が歪む。防御の魔法として広く普及する反発魔法リパルシャンだ。カイムは英才教育を受けた貴族の長子である。最低限の魔法講師は七歳とはいえお手のものなのだ。
カレンはギーグの脇を通りぬけ、無事脱出を果たす。ギーグとカレンの間には未だに魔法がその行く手を阻んでいた。魔法の教育を受けたことがない盗賊連中に、魔法でカイムに対抗することはまず不可能であった。
「カイム!」
「振り返るんじゃない!」
カレンは足を止めて振り返った。まさかこんなことになるとは露ほども思わなかった。今、自分はカイムを見捨てようとしている。その強烈な罪悪感が待ったをかけるのだ。本当にいいのかと語りかけるのだ。そして、その当たり前の感情は、状況を更に悪化させる。
カイムを男が吹き飛ばした。術の行使に精一杯だったカイムは、どうしようもなく男の直撃を受け、脇腹をえぐるように蹴られたのだ。カイムはうめき声を上げ、地面に倒れ込んだ。魔法を使えぬものにとって、その対抗手段とは術者を殺すことにほかならない。もちろん彼の目的は身代金なのだから、最低限殺しはしないが、そんな抑えられた蹴りでも僅か七歳のカイムにとっては身動きすらまともにとれなくなるほどの一撃である。
「かっ…カレン!」
そして当然、カレンを守り続けた魔法は飛散する。途端、ギーグはカレンに跳びかかり、その頭を非情に殴り抜いた。宙を舞い、壁に激突するカレン。彼女の体はそれきりピクリとも動かなかった。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「いい加減黙らせろ!やれ!」
動かないカレン。誰もいない裏道。敵は大人が三人。這いずりまともに魔法すら唱えられない自分。そのどれもが絶望的だった。
「力の奔流よ!その権勢をここに顕現せよ!」
刹那、盗賊たち二人が吹き飛ばされ、ギーグの足元へと転がるように倒れこんだ。その魔法は暴風の魔法ブラスト。ものを吹き飛ばす難解な魔法。カレンが過去失敗し魔法と決別したあの魔法だった。
「誰だてめぇ!」
カイムがびくりと怯えを感じるほどの怒声を意に介さず、乱入者は…ウシャンカを深々と被り、汗を滝のように流す少女は…エレナーダ・ロレンシアは仁王立ちで盗賊たちの前に立ち塞がった。
「下衆に名乗るような名は無いわ!くそったれ!」