第4話 パパ・ジョー
アカツキはアンナを追ってショッピングモールの屋上に上がっていた。
「おい、こんな所にいたら風邪ひくぞ」
「放っといてよ」
先ほどのハッカーの話を聞いて以来、アンナはずっとこんな感じだ。正直、アカツキにはこんなアンナの扱いがよく分からない。というか、女性全般についての扱いがよく分からない。
「なぁ、機嫌治せって。何だ、ハッカーの話のどこがそんなに気に入らない?」
「本当に分からないの?」
アンナは呆れた風だった。アカツキは再度思い直してみるが、特に思い当たる節はない。だから当てずっぽうに、自分が起こした行動の数々や言動の数々を言ってみる。
「何だ、俺がテロリストだったことか? それともデート中にドンパチやったことか? あるいはレストランで何の食事も出来なかったことか?」
「全部外れ!」
半ばアンナもヤケクソ気味だ。ハッカーの口は綿菓子ばりに軽いが、アカツキの女性に対しての思いやりとやらは、ウシか象がゆっくりと体を起こすかのような鈍重さだった。彼は女性からチクリと嫌味を言われても、自分がダメージを受けていることに気が付かない。
「じゃあ、何だ?」
苛々してきたアカツキも、アンナに聞き返す。その語気が激しくなってしまった。
「何よ! じゃあ教えてあげる! 私にずっと嘘をついていたことよ!」
「ちょっと待て。嘘なんてついてないぞ?」
「ついてるじゃない! 何が特殊部隊よ!」
「あ」
そういえば、そんな嘘もついたっけか?
アカツキは元テロリストだ。自らの身分も、姓名も、そして人生すらも偽りながらこれまで生きてきた。そんな彼にとって嘘をつくことは日常茶飯事で、正直アンナに対して嘘をついていたことも、彼女に指摘されるまで特に意識してはいなかった。
だが、その嘘には理由がある。
「そりゃあ、悪かったな。だけど、全部が全部嘘ってわけでもないし、嘘を言ったのには理由がある」
「何よ」
「マスターから聞かなかったか? 知らないことが幸せなこともあるって。特にこの街の人間に関しては、そうであった方が賢明で幸せなことがあるのは、お前も知っているだろう?」
アンナだってそれを知らないわけではない。だからレイカの事を知ってはいても、それを知らないふりをしてきたのだ。
「特に、俺は元テロリストだ。自分の本名だって、ここ十年は名乗れなかった。それに俺の命を狙うやつは多いから、不用意にお前が俺の素性を知れば、お前自身に危険が及ぶ可能性がある」
特殊ではあるが、これはアカツキの思いやりであることに違いはない。アンナはアカツキの言い分を理解できないでもなかったが、まだ彼女には彼に対して要求することがあった。
「でも、私はあなたのことを知ったわ。こうなった以上は、私の事を守ってくれるんでしょうね?」
「あぁ、いいぜ」
あまりにあっさりとした、アカツキの回答。
アカツキとしては護衛目標としてアンナを認識しただけであって、それ以上の意味はなかった。ところがアカツキに対して淡い憧れを抱いていたアンナにしてみれば、彼の言葉は彼の思惑以上の意味を持つ。これがアカツキにとって、厄介な契約の一つになることは明白だった。
「でもちょっとだけ待って。もう少し聞かせてほしいの。あなたテロリストだったって言ってたけど、無差別に爆弾テロとかをしかけていたの? そうだとしたら、私も考えなくちゃいけない」
「生きた心地がしないだろうしな。でも、その点は安心していい。俺が標的として選んでいたのは、悪人達やその集団ばかりだから、一般人は巻き込んでいない」
「本当に? そんなこと可能なの?」
「俺なら可能だ。本当なら俺みたいなのが、本当の正義の味方と呼ばれていてもいいはずだぜ? でも、悪人と言っても世間一般から見れば善人の隠れ蓑を被った奴が大勢いる。そんな奴を手にかけるんだから、俺がテロリストと呼ばれていたとしても仕方のないことだ」
無論、アカツキがテロリストになったことにも、話せば長い理由がある。単純に戦闘能力が高いために、テロリストになったわけではないのだ。その点、彼は犯罪者ではあっても殺戮に衝動的な感情を求めるほどの悪漢ではなかった。
「まぁ、安心して身を預けてみな。護衛に関しちゃ、何もかも任せてみていいんだぜ」
アンナが赤い顔をしたが、アカツキにはその理由が分からなかった。
「分かったわ。あなたを信じてみる」
エレベーターが止まる音がして、中から神田達が出てくる。神田はアカツキとアンナの様子を見て、二人の間で何らかの話が進展したことを見抜いた。
「上手くまとまったようだな。これで護衛は継続だ。それでアカツキ、アンナには例のものを渡したのか?」
「忘れてた」
アカツキは神田に言われて、アンナに渡すものがあることを思い出した。それはハッカーがレイカに送ったネックレスと同じようなもので、アンナの場合は指輪だった。だが、この場合アカツキが気味悪く思っているのは、マイヤーが何故アンナの指のサイズを知っているのかということだ。
「上手く出来てるな。どこで作ったんだ?」
それとなく、アカツキはマイヤーに聞いてみた。
「俺が作った。お前がセンスが分からんというから、デザインまで全てラルフに好みを聞いて作らせてもらった」
「お前、何か気持ち悪いな」
「以前任務で、宝石店に勤めていたことがある。その時に宝石細工職人に、技を習った」
どや顔のマイヤーを、アカツキは完全に無視した。視点をアンナに切り替える。
「というわけで、あの死体量産機が作ったもので気に入るか分からないが、これをお前にやる。肌身離さず着けておくんだぞ」
この時アカツキは、指輪があえてGPS付であることは話さなかった。何かあった時には、敵にそれを悟られないほうがいい。ならばそれを悟られない方法は、彼女自身がそれを知らないのが一番だ。下手に演技をすれば、素人の演技などすぐにプロには見破られる。
アカツキはアンナが指輪を受け取ってくれるかどうかの不安もあったが、その不安もどこへやら、アンナはとても喜んで指輪をつけた。
「そんな、とても嬉しいわ。大事にする!」
「そ、そりゃあよかった・・・・・・・」
どうしてそんなにアンナが喜ぶのか、その理由がさすがにアカツキにも、おぼろげながら理解できた。そして、それを感じた瞬間に面倒臭いことになったと思う。以前も何度かこんな状況に陥ったアカツキだったが、その時は彼が潜伏している国から姿を消すことで何とかなったのだ。ところが今回ばかりは、そうはいかない。神田はアカツキの思いを読み取ったのか、ニヤニヤ笑いながら、
「まぁ、一時的なもんさ。お前の本性を知れば、相手もそうそうは一緒にいることを選ばない」
「そうだ、そうだよな!」
引きつった笑いのアカツキとハッカー、そして幸せそうな笑顔のアンナとレイカ、仏頂面のマイヤーを除けば、神田すら状況を面白そうに嫌味な笑顔で眺めていた。その意味するところは、この事件の解決そのもの以上に、アカツキとハッカーの問題は深刻である可能性があるという事だった。
アンナとレイカは、一時的にラルフに預けることになった。ラルフは今でこそ引退した米国諜報員だが、彼が長期に滞在した現在のカフェは、地下を基地として使っていたことがある。地下に造られた基地は、現在は外の状態や周囲の状況を監視するための設備しかないが、いざとなればバズーカ砲の攻撃くらいは耐えられる設計だ。彼女達を安全な場所に移動させるためには、その場所を決めなければならないが、それを決めるまでの安全な場所は確保できた。
朝になって外管に向かった五人組は、早速昨日拘束した二人の捕虜に話を聞く予定だった。神田の上司の沖は、紅龍会壊滅事件に加えて再び持ち上がった龍の牙壊滅事件を疎ましく思っていたが、今回は余計なものを掘り起こしてきた神田を罰することは出来ない。紅龍会壊滅事件と一連の関連がある可能性があるからだ。
神田は沖に邪魔されないと知っているらしく、意気揚々と外管に到着した。しかし彼の春の晴天のような青空は、長くは続かなかった。目の前に彼の知る限りでは最も強力で最も凶暴な嵐が、自らの力を猛然とふるっている姿が見えたからだ。その嵐は見た目は美しい女性の姿をしており、長い栗毛色の髪を肩まで伸ばし、上から下まで黒いスーツを清潔に着こなしていた。同じようなブラウンの瞳は彼女の持つ美しさを高める上で重要だが、それを隠すようにきつめの形をした眼鏡が、その向上心を覆い隠していた。自然、目の前の美人は鮮烈な印象を身に纏った暴風となるのである。
「だから、何で私には今回の事件の情報が共有されないの? 今回の事件は、私が追っている犯罪組織と関係がある可能性が高いと言っているでしょう?」
力強い声が、受付をしている若い女性警官を襲う。恐らく長い時間問答しているのだろう。女性警官は疲れ果てた顔に相手の神経を逆撫でしないための愛想笑いを浮かべていた。その表情から、相当対応に苦慮していることは明白だった。
こんな時であれば署の先輩にあたる神田が対処すればいいはずなのだが、彼は激しく女性警官に詰め寄る女性を見て、慌てて踵を返した。それを則松が止める。
「ちょっと神田さん。彼女困っているみたいですよ? 何とかしてあげなくていいんですか?」
「お前、頼む」
「何で僕が? こういう時は年長の先輩にお任せしますよ」
神田は明らかに不機嫌そうな顔をした。普段の彼なら、クレーム処理程度のことで、ここまで表に不快な表情をだすことはない。
「いいか、余計なこと言うな。俺はあの女を知っている。俺とあの女は長い付き合いでな。忠告しておくぞ則松。あいつを見たら、すぐに逃げることだ。厄介事に巻き込まれる前にな」
しかし、逃走の女神は神田には微笑まなかった。
「へぇ、誰が厄介ですって?」
神田の動きが固まった。フリーズした彼は、ギリギリと音を立てて動くブリキ人形のように首を動かした。錆びついたような彼の首の動きは、大変ぎこちない。
「よぉ、毒女」
「誰が毒女よ!」
神田の正面にまわり、グイと顔を寄せる女性。神田はこの時常に思うのだが、こんな美人が性格さえもっと大人しければ、誰も放っておくはずがないのにと思う。
「知ってるよ。ヴァレンティーヌ。おい紹介するぜ。彼女の名はヴァレンティーヌ・ボルジア。インターポールの捜査官だ」
女性の名はICPOの捜査官で、ヴァレンティーヌ・ボルジアと言った。インターポールきっての敏腕捜査官で、数々の大型事件を解決している。その名を知らぬ者は、裏社会では存在しないと言われるほどだ。
アカツキ達も御多分に漏れず、ヴァレンティーヌの名には聞き覚えがあるようだった。
「あぁ、知ってるぜ。インターポールの毒殺女だろう? 有名な話だ」
「あれは偶然よ。毒が入っているなんて、私は知らなかった」
ヴァレンティーヌは裏社会において、『インターポールの毒殺女』『毒殺皇女』などと呼ばれている。ただこの異名がついたのは全くの偶然で、彼女が潜入捜査を行っていたマフィアの祝賀会でボスの毒殺事件が起こり、その時たまたま睡眠薬を持っていた彼女がボスの横に座っていたためについた名だった。彼女は睡眠薬で眠らせた後に突入班を指揮して、ボスそのものを逮捕する予定だったのだ。
「そうだった。おかげで俺は女王陛下からの勲章授与を逃したのだ」
悔しそうに言っているのはマイヤーだった。恐らくその場にマイヤーがいたのだろうが、彼の実力を知っているヴァレンティーヌ以外のメンバーは、それ以上に話を掘り進めるのを止めた。この男が事を起こせば、毒殺だけで落ち着くはずがない。
「私だってあなた達のことは知っているわ。特に、あなたのことはね。初めましてなのかしら? ミスター・アカツキ」
「初めましてだな。ミス・ボルジア」
「あなたがテロリストだった時に、私の名前があなたのリストに上がらなくてよかったわ」
「どういたしまして」
当然、一流の凶悪犯罪者であったアカツキの名を、ヴァレンティーヌが知らないわけがない。二人はお互いを目の前にして、奇妙な握手を交わした。
「ところで、お前こんな所で何をしているんだ? ここにはお前が追っているような、大きな事件はないぞ」
「あなた移民街の担当刑事でしょ? ちょっとお願いがあるんだけど」
「聞けることなら、聞こう」
ヴァレンティーヌは一枚の写真を取り出した。その写真に写った人物を、神田は見たことがなかった。則松は当然のことながら、アカツキやマイヤーも知らない顔だった。しかし、一人だけ知っている人間がいた。
「こいつ見たことあるぞ。イタリアマフィアのボスだろ? 名前は確か・・・・・・パパ・ジョーって呼ばれてたかな?」
「この人誰?」
ハッカーとヴァレンティーヌは初対面で、しかも彼女の犯罪者リストの中には写真が入っていなかった。
「ハッカーだ。本当の名前だぜ? 今は本名を伏せてあるからな。だからハッカーって呼んでくれ。社会的な役割と被るけどな」
「変わった人ね。話の続きだけど、私は今、この男を追ってるの。本名はジョー・ヴァンダム。アメリカ人みたいな名前してるけど、れっきとしたイタリアマフィアのボスよ。組織の人間を含めた裏の世界では、パパ・ジョーって呼ばれているわ」
パパ・ジョー。
イタリア系マフィアの中では、近年日本以外の場所で力を強めているジョー・ファミリーを取り仕切っている注目株だ。彼らはシチリアで生まれ、ローマに根を下ろし、昨今は世界中に進出を始めている。構成員達は龍の牙や紅龍会に負けず劣らず、非常に好戦的であり、他の組織との抗争が絶えないというファミリーだった。
「それで、このパパ・ジョーが移民街にでもいるってのか?」
ヴァレンティーヌは頷いた。
「そうよ。私は奴を追って、ここに来たんだから。必ずいるわ」
「その根拠は?」
ヴァレンティーヌは再びカバンの中を探り、複数枚で構成された書類を取り出す。そこにはこれまでヴァレンティーヌが調査を行ってきた内容が、事細かにレポートしてある。神田はフランス語が読めない。代わりにマイヤーが読み上げた。
「奴らの力の源は、武器の密輸か・・・・・・。しかしこりゃあ、規模と品質が違うぞ。殆ど国家間の武器輸出じゃないか?」
「そうよ。奴らはイタリア系の軍需産業と大物政治家にパイプを持っていて、イタリアが大手を振るって行えない武器の輸出を引き受けていたの。当初その大物政治家は、パパ・ジョーと一緒に武器密輸を始めて互いに甘い蜜を吸いあっていたわ。でもパパ・ジョーは大野政治家のスキャンダルを掴んで、甘い蜜を独占し始めたの」
結果、ジョー・ファミリーの武器密輸には歯止めが利かなくなった。彼らはイタリアが過去に所有しており、現在の兵器に繋がるまでの極秘兵器までも輸出し始めたため、現在のイタリアの防衛力はボロボロに朽ちかけている。
「まるでシロアリだな」
マイヤーは冷たい表情で、パパ・ジョーの写真を見やった。
「ただのシロアリならまだいいわ。でもね、奴らは知性を持っている。だから、自分の部下を使って発展途上国だけではなくて、紛争地にも兵器を売り込んでいるの。この事態を重く見た国連は、インターポールに捜査を依頼してきたわ。私はイタリアに乗り込んで、大物政治家を逮捕した。ちなみに、パパ・ジョーと関係の深いイタリアの軍需企業の重鎮達もね」
「そりゃすげぇ」
「大したことはないわ」
ヴァレンティーヌの表情は一貫して変わらない。その美しい顔にポーカーフェイスを決め込み、感情らしいものは浮かべなかった。
「でも、パパ・ジョーだけは逮捕出来なかった。国際手配をかけて追い回しているけど、尻尾が掴めなかったの。でも、やっと日本にいるっていう情報を掴んだわ。そしたらこの事件でしょう?」
なるほどと、神田は合点が行った。他の三人も同じようで、彼らは顔を見合わせて頷いた。
「ちょっと来い」
神田がヴァレンティーヌの手を引っ張る。彼女は抗議の声を上げるが、それを神田は無視した。
「昨日の襲撃事件の現場で押収されたものとか見たいんだろう? それにもしかしたら、お前が思っている以上のお土産がここにあるかもしれんぞ」
「どういう事?」
「いいから、来い」
神田が見せた場所は二つの場所だった。鑑識の男に案内させ、ヴァレンティーヌに事件の現場から押収されたものを見せる。まずは紅龍会を襲撃した現場から押収されたものを確認する。この押収物を確認するのは、神田も初めてだった。しかし、通常の襲撃事件であれば遺留品や薬莢などが見つかるだけなのだが、今回はそれだけではなく、大小様々な破片が押収されていた。
「砲弾の破片だな。それに、薬莢の大きさも様々だが、この量だとかなり大型の連射銃をぶっ放したんだろうな」
マイヤーはさすがに諜報員として戦場も往来したことがあるとあって、兵器には詳しい。彼には昨夜レッド・ポイントで起きたことがイメージ出来ているらしい。神田は鑑識の男に聞いた。
「ところで、周りの人間達の反応は聞いたか?」
「それが、事件場所の近辺はあの直後にパニック状態でして、有効な証言を掴むのに時間がかかっています。今のところは―――」
「何でもいい」
言いにくそうに、鑑識の男は言った。
「実は、信じがたい事ではあるのですが紅龍会を襲撃したのは日本の軍隊だと移民達が言っています。何でも戦車やナイト・アーマーまでいたという始末でして・・・・・・」
「そうか。ありがとう。ちなみに死体保管室にはどれくらいの死体が入っている?」
「入りきらないくらいです」
神田は鑑識の男の言い分を信じていた。ヴァレンティーヌに会うまでなら、昨夜の連絡を聞いた上で押収物を見ても、恐らく鑑識の男が聞いたという移民の話を信じなかっただろう。次に通された死体保管室で見た、紅龍会襲撃事件で死んだ人間達の死体も鑑識の男の話を信じさせるのに充分だった。銃撃で死んだだけならまだしも、砲弾で吹き飛ばされたような死体や、焼け焦げた死体など複数あったためだ。現場で起きた凄惨な殺戮行為が目に浮かんだ。
「戦場でよく見た類の死体だ。これなんか、確実に爆発で死んでるぜ?」
激しく損傷し、傍目には死体が誰のものであるかの認識すら不明だ。アカツキはこんな死体を、従軍中の戦場で幾度も見たことがあった。
「しかも、現場に落ちていた壊れた銃を見てみたら、全部イタリア製だったわ。紅龍会の連中はロシア製を使っているから、紅龍会のものとは違うわね。それと、その銃なんだけど―――」
再びヴァレンティーヌは資料を取り出した。彼女のカバンが大きい原因はこれかと、神田は辟易する。この女性は激しく激情家でありながら、その反面緻密な調査を欲する。そのため自らが所有しているデータ量も半端ではない。
「軍需企業から押収したリストの中に、同じ製造番号のものがあったわ。ジョー・ファミリーのものかもしれない」
「売りに出されていなければな」
神田は最後に、ヴァレンティーヌを昨日逮捕した襲撃者の元に連れて行った。二人の内の一人―――マイヤーがぶん殴った方の男―――が、取調室に呼ばれていた。男はふてぶてしい態度で座っており、神田が入って来ても全く恐れをなした様子はなかった。他の四人は、ヴァレンティーヌと共に取調室を別の部屋から見ていた。
「あの男、ジョー・ファミリーのメンバーか?」
「さぁ、私もそこまでは分からないわ。何しろ、ジョー・ファミリーの構成員は、現在の所五〇〇人までに膨れ上がってる。一々顔を覚えていられないわよ」
神田はまさに、それを確かめに行ったのだった。この男がジョー・ファミリーのメンバーならば、龍の牙を壊滅させたのも、その頭である紅龍会を壊滅させたのも彼らだろう。そしてその先には、高井莞爾殺害に関与していた可能性が存在する。
「よぉ、寝覚めはどうだ?」
「いいわけがねぇだろうが。お前ら、絶対弁護士に言って訴えてやるからな」
威勢のいい男だったが、神田が次に発した言葉にびくりと体を震わせる。
「その弁護士とやらだが、お前のような貧乏人が雇えるのか、チャールズ・ミュング? お前は日々の生活にも困っていたのだろう?」
移民街の人間が裕福でないのは、確かにこの国の政府にも問題がある。裕福になれない移民達の犯罪は、日々増加の一途を辿っていた。確かに日々の生活すらままならない彼らにも同情しなければならないが、チャールズもそんな犯罪者の常連だった。
「犯罪履歴をこちらで調べさせてもらった。窃盗で三回捕まってる上、傷害事件でも一回捕まっているな? で、今回は殺しに加わった」
チャールズは舌打ちをした。盛大な音がするやつだ。
「外管の警官に、こんなしつこい奴がいるなんて聞いてねぇぞ。普通なら弁護士を雇うと言った時点で、どいつもこいつもビビりやがるのにな」
「生憎俺はそうじゃない。で、弁護士は雇えるのか?」
「知り合いがいる」
「それはジョー・ファミリーの専属弁護士か?」
この時、明らかに形勢は逆転した。神田の問いがチャールズに与えた衝撃は大きく、彼の態度や表情が見る見るうちに変化していった。
「どうなんだ?」
「俺が答える前に教えてくれ。取引させてほしいんだ。今回、俺は殺しに加わった。その経緯はお前さんが言った通り、金に困ってたからなんだ。だけど、仕事は成功しなかったし報酬金も受け取ってない。頼むよ、俺はもう豚箱はごめんなんだ!」
神田は沈黙していた。
「なぁ、あんたどこまで知ってるんだ?」
沈黙はなおも続く。チャールズも一時的に口をつぐんでいたが、形勢は先ほども言った通り、彼にとって不利だ。沈黙は彼にとって時間の浪費でしかなかった。神田が無言で立ち上がろうとする。
「分かった! 話すよ! 話す!」
「弁護士を呼んでもいいんだぞ?」
「話すって! ただ、証人保護プログラムを申請させてくれ」
証人保護プログラムとは、事件の重要参考人を犯人達から守るための制度だ。証人保護プログラムを受ければ、とりあえず命だけは無事で済む可能性が高い。
「小難しいことだけは知ってるんだな」
神田は悪態をついたが、チャールズの言い分も分かる。彼はチャールズの願いを受けいれて、上層部に申請を行うことを約束した。
「確かに、俺が依頼を受けたのはジョー・ファミリーさ。奴ら、今レッド・ポイント周辺で大勢の兵隊をスカウトしているぜ。そこら辺のごろつき共にとっては、給料も約束されるし社会的な地位も上がるってんで、どいつもこいつも二つ返事で兵隊になってる。俺もその一人さ」
「そうか。それじゃあ、最近龍の牙には行ったか?」
チャールズは頷いた。神田は内心、大きくガッツポーズをとった。
「行った。何でも内輪の秘密を知っている奴がいるってんで、ファミリーの殺し屋が出向いていったよ。俺達は外で待機していて、殺し屋の男も十分程度で何事もないように出て来たぜ。でも、壊滅はさせてない」
「なるほどな」
これでキョウ・セツゲンを殺した奴らは確定した。ジョー・ファミリーが黒幕であり、龍の牙という組織の一部を失った紅龍会に止めを刺したのも彼らだろう。
「よく分かった。協力に感謝する」
「証人保護プログラムの件、マジで頼むぜ」
神田は無言のまま取調室を出て行った。後には不安そうな顔のチャールズだけが取り残される。他のメンバーと合流した神田は、ヴァレンティーヌを見て満足そうに頷いた。
「パパ・ジョーが日本にいるのは確実だ。しかも、レッド・ポイントにいる」
「今回の襲撃犯も、奴らで決まりだな」
「そうだ、決まりだ」
ヴァレンティーヌは神田達に感謝を述べたものの、笑顔を顔に浮かべることはなかった。次に向かう場所があるのか、彼女は荷物を手に持ちそそくさと取調室を出ていく。その後を神田が追った。
「車まで送っていくよ」
「あら、優しいのね」
「皮肉は止めろ」
二人は外管の駐車場まで歩いて行った。ヴァレンティーヌの車は、誰から手に入れたのか、赤い高級車だった。
「いい車に乗ってるな。そんな車に乗って、今からどこに行くんだ?」
「秘密よ。でも、あなたが思っているほど優雅なものではないわ。それに私に男の影が見える?」
「お前ほどいい女なら、普通、男は放っておかんだろう?」
「何、口説いてるの?」
初めてヴァレンティーヌの顔に、笑顔らしきものが浮かんだ。神田もそれを見て、少し笑う。しかし、ヴァレンティーヌの問いに答えることはなかった。
「今から、今回の情報提供者に会いに行くのよ。それに、彼には情報が正しかったことと、これからジョー・ファミリーを壊滅させに行くことを伝えなくちゃ」
「そうか。情報提供者ねぇ。ところで、それは誰なんだ?」
「それも秘密。機密事項だから」
それもそうだと、神田はおどけた表情をして見せる。
「ところで、あなたは何の事件を担当しているの? あれだけ元犯罪者や元諜報員を連れて回ってるんだから、大きな事件なんでしょ?」
「そうでもない。殺人事件を追ってる。お前、高井莞爾って知ってるか?」
高井莞爾の名を聞いて、ヴァレンティーヌの顔が驚きの表情に満ちた。
「どうした?」
「彼、死んだの?」
「知ってるのか?」
「知ってるも何も、今回の情報提供者は彼自身よ!」
ヴァレンティーヌは残念そうな顔をした。あまり表情を表に出さない彼女であっても、高井の死を知って、心の中には無念の情が現れたのだろう。
「残念だわ。折角の朗報だったのに」
「しかし、高井莞爾は何でお前なんかを知っている? あの男は根っからの外人嫌いで有名だぞ?」
「高井莞爾を知らないのね。いいわ、教えてあげる」
この時、初めて神田は高井の本当の姿を知ることになる。
高井莞爾は、日本のみならず世界各国で知られる移民排斥主義者である。しかし、この顔が表の顔であるとしたらどうだろうか? 事実、まだこの日本では移民排斥法などは施行されていなければ、採決もされていない段階だった。
「高井莞爾は国会議員であると同時に、海外の事情に優れた諜報員のような男よ。公にはされていないけど、高井はその昔駐在武官として世界各国の大使館に勤務していたことがあるわ」
この時に高井は、様々な国の事情を見てきた。その結果として、彼は日本にもテロリストなどの凶悪犯罪者が入国してくることを恐れ、それらに対してのセキュリティを強化することを国に打診していた。しかし、それだけならまだしも、何故移民排斥主義者のような言動を繰り返したのだろうか。
ヴァレンティーヌはその点をよく知っていた。
「日本がいつまでたっても、セキュリティの強化を行わない上に諜報員も育成しないからよ。他の国なら、とっくに諜報機関を始動させているわ」
「尤もだ。俺達の国はその点について、全くの無知ときている」
「そうね。ともかく高井莞爾は自分が悪者になることで、国内の治安を守ろうとした。彼はそれだけの行動に留まらなかったわ」
公式発表にはないことだが、高井莞爾は自らが国内で反移民団体を糾合し、彼らの声を世論として集めることに加え、世界各国の警察機関、諜報機関にテロリストや重要犯罪人の情報提供を求めた。更に、日本に潜伏している可能性のあるテロリストや重要犯罪人については、逆に彼らに情報を提供している。高井に情報を集めてきていたのは、彼が力を強めようとしている公安課の面々だった。
「成程、上手く出来た構造だな。それで、今回高井莞爾はジョー・ファミリーの日本進出を察知できたわけだ」
「そのようね。だけど、ジョー・ファミリーとしては彼の事が疎ましくて仕方なかったんでしょうね」
実際そのようだった。
高井莞爾が死亡し、まだパパ・ジョーが捕まっていない現時点では憶測の域を出ないが、事件の真相はこうだ。
まず、ジョー・ファミリーはイタリア国内において、大物政治家や軍需企業と組んで世界の紛争地やならず者国家に兵器を売りさばくという、手荒いビジネスを行っていた。その金で大儲けをしていたところに、この事態を憂慮した国連がインターポールによる強制捜査を依頼する。
ヴァレンティーヌ・ボルジア率いるインターポールは、大物政治家と軍需企業がジョー・ファミリーを通じて兵器密輸を行っていた事実を突き止め、大物政治家と軍需企業のトップを逮捕、ついでパパ・ジョーを逮捕しようとしたがそれは叶わなかった。
パパ・ジョーは最近支部を作った日本へ逃亡したが、そこでも追手を逃れることは出来なかった。まさか日本国内で自分に対して監視の目を光らせている者がいようとは、思いもよらなかっただろう。
ところが、彼が日本に入国して程なく、彼の身辺は多数の日本人警官や不審者で囲まれたに違いない。その原因は明白で、彼の入国を監視していたものがいたとういう事だ。それを知ったパパ・ジョーは、自分の身辺を探っている人間達の指揮者を割り出した。そこに高井莞爾の名が浮上したという事だ。
だが、自分達で手を出すことは出来ない。もう自分達の入国がばれているかもしれないとはいえ、自分が潜伏していることを態々、大々的に教えてやる必要はない。そこで、ジョー・ファミリーは一計を講じた。
龍の牙や紅龍会に高井莞爾殺害を依頼した上で、移民排斥法を唱える高井莞爾に対して恨みを持った移民が起こした通り魔的犯罪に見せかけたのである。つまりキョウ・セツゲンに依頼を行ったイタリア人は、ジョー・ファミリーの構成員ということが考えられる。
そして、高井莞爾殺害後に事件の黒幕が自分達であることを知られるのを恐れたパパ・ジョーは、組織の殺し屋にキョウ・セツゲン殺害を命じ、更に龍の牙の本部を爆破する命令を下した。これが完全に遂行された直後に、何も知らないで潜入してきたのがアカツキと神田達だと言える。
そして彼らは仕上げに、キョウ・セツゲンの娘とその友人、紅龍会の本拠地を壊滅させることで事件に終止符を打とうとした。
しかし彼らにとっての誤算は、自分達の知らないところで既にヴァレンティーヌに情報は流され、事件の裏では高井莞爾殺害に関連して元犯罪者や現役犯罪者を従えた神田が動いていたことである。凶悪にも戦闘行為や戦闘後の敵勢力分析に特化した神田達の能力は、今回の犯罪をジョー・ファミリーが行ったものであることを突き止めることに役立った。
「どうやら、高井莞爾を殺した黒幕もジョー・ファミリーで決定みたいだ。俺はすぐに上層部に知らせる。奴らが何をしに日本に来たのかは知らないが、逃亡だけが目的だとは思えない」
「どういうこと?」
「逃亡だけが目的なのに、兵隊集めなんてするか? なんかおっぱじめるはずだ」
神田は再び外管署の中に戻っていき、その後をヴァレンティーヌが追った。




