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レッドポイント  作者: ガーランド
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第3話ダブルデート作戦 パートⅡ

 それから週末の土曜日がやって来る。どんな人間でも―――例えば如何に仏頂面の人間でも、何か楽しみを抱えている日でもある―――笑顔と楽しみに満ちた曜日であり、しかも晴れの天気とくればどこかに出かけたくなるものだ。

 だが、いかにも空気を読んでいない感じのハマーに乗って現れた二人組は、あまり周りの空気に溶け込んではいなかった。何しろ二人とも、あまりに土曜日に乗り気な顔ではなかったのだから。暗く沈んだ、灰色の曇り空のような表情でハッカーはアカツキに問いかけた。

「なぁ、いくら仕事だとは言っても本当に俺達で人選は良かったのか?」

「俺には選択の余地はない。今回の作戦は俺とアンナのデートありきだったからな」

 アカツキやハッカーにしても、女性とのデートが嫌いなわけではない。それに異性に興味がないわけでもない。それでも彼らは、アンナやレイカのように一般的で素朴な香りがする女性との話し方が分からなかった。

『おい、お前達。上手くやれよ。折角こちらもお膳立てをしてやってるんだからな』

「余計なことすんなよ。それよりも、本当にやるのか? 何なら、俺達でレイカを強制的にお部屋で護衛してやったらいいだろう?」

『ダメだ。そんなことして、俺が警察にいられると思うか? ただでさえ今回の龍の牙爆破事件では無理してるんだ。これ以上は無理出来ない』

 そりゃそうだと、ハッカーは思い直した。続いて通信機に入って来た声は、マイヤーのものだ。

『あくまでどこの組織の人間にも不振がられず、彼女を護衛することが任務だ。父親が殺されている以上、キョウ・セツゲンを殺した犯人がレイカに手を出す可能性が極めて高い。ちなみにそうなった場合は、レイカが何か秘密を握っている可能性も高いという事だ。アカツキにも伝えておくが、レイカの友人であるアンナも事件には等しく巻き込まれる可能性がある』

 アカツキはその点を、十分に理解していた。だからこそ、アンナを利用するような行為に気が引ける。殺しは一流であるテロリストが、こんなことで緊張しているのも可笑しな話だが、アカツキは大真面目だった。

『いいな? これは別に詐欺とかそういう事ではない。この任務は、彼女達の護衛任務と思え。気が楽になったろう?』

「あぁ、そんな気がする」

 投げやりにアカツキはマイヤーに言葉を返し、四人の通信は一度途切れた。

「さて、お姫様が二人、降りて来たぞ」

「ありゃあ、またえらく気合いを入れて来たもんだ」

 アンナとレイカの服装が、今時の若い女性達のファッションなのだろう。二人はそろいもそろって、この糞寒い日に短いスカートを穿き、長いブーツを履いている。そして上着には明るい色のブラウスにコートという出で立ちだった。どうも、この服装がアカツキ達には寒そうでたまらない。見るだけで震えが来るのだった。

「お早う。今日も寒いね」

「そりゃあ、そんな恰好してりゃ寒いさ。車は温まってる。早く乗りな」

 アカツキに促され、アンナは車に乗り込んだ。高めの後部座席に座るまではアカツキがエスコートする。ハッカーもそれに倣った。その前に自己紹介だ。

「俺の名前はハッカーだ。よろしくな」

 レイカはまず、ハッカーという名前に吹き出してしまった。

「ちょっと待ってよ。それじゃ、犯罪者みたいじゃない? 本当の名前を教えてくれない?」

 一瞬戸惑ったハッカーだったが、そこは彼も玄人だ。これまで自分の名前は封印し続けてきたのだから、そこで使うのは偽名というやつだ。

「本当は内緒なんだぜ? 職場でもハッカーで呼ばれてるからな。だけど今日は特別だ。俺の名前はハロルド・カッペラー。ハッカーってのは、俺の名前のアルファベットを並べ替えた、言葉遊びの末の渾名なんだよ」

「ふうん。あなたの職場って、何だかオタクが多そうね?」

「そうでもない。・・・・・・でも、そうかもしれない」

 レイカは、また笑った。何故だか、彼女からは父親を失ったという悲壮感が全く感じられず、その表情からハッカーは逆に不安を感じてしまう。

「私、キョウ・レイカ。今日は一日、楽しみにしておくわ」

 ハッカーはレイカの手を握った。名前だけしか今のところ彼女の確認は出来ていないが、まぁ、物事は進んでみないと分からないものだと思い直す。そして彼はレイカを車に乗せた。助手席には自分が乗り込む。

「中々、様になってたぞ」

「うるせぇ。あまり、こういうのは得意じゃないんだよ」

 ともかくも車が発進する。

 アカツキとハッカーが発射した車の中にはカメラが仕掛けられており、小型のカメラからは社内の様子が丸見えだった。その光景をトレーラーで見ながら、神田とマイヤーが後ろからつけていた。

「おい、則松。見逃すなよ。俺達は怪しまれずに奴らを尾行するんだ」

 運転席に座ってトレーラーを運転している則松は、少しばかり面白くなさそうな表情だ。

「先輩、別に遠隔操作で中の様子が見えるなら、尾行の必要なんてないんじゃないですか? それにGPSでも追跡できるんでしょう?」

 そんな則松に、神田は諭すように言った。

「それもそうだ。だが、彼女達は重要人物で、アカツキ達が襲撃された時にはすぐに助けに向かわなければならない。万が一彼女達が誘拐されでもしたなら、それだけで事件は暗礁に乗り上げる可能性がある」

 無言の則松は、無言のままトレーラーを運転し続ける。

 やがてハマーは外国人街と日本人の街が混じる境界線に到着し、その中にあるショッピングセンターに入って行った。ショッピングセンターには、それこそ肌の色も瞳の色も、または話す言語も様々な人々が大勢いた。この場所は日本人は勿論のこと、様々な人種の人間達が同郷の人間と会うことで、昔の姿に戻れる場所だった。しかしそのためか犯罪も多く、警備員が常に目を見張らせているほど警備が厳重な場所だった。

「こんな場所に、襲撃者が来るもんですかねぇ」

 則松のボヤキに対して、次に反応したのはマイヤーだった。その顔は新人である則松を前に、嘲笑うかのような明らかに馬鹿にした表情だった。

「敵はいつでも、どうやって相手の意表を突くかを考えているものだ。こういった警備員の多い場所では、誰もが狙われにくいと思っている」

「でも、自分達が事を起こした後は、捕まるじゃないですか?」

「そんなことまで気にする奴なら、紅龍会や龍の牙相手に喧嘩なんて売りはしないさ」

 それから暫くは何の変哲もない、見た目カップルの男女がショッピングを楽しむ光景がモニターから見えていた。楽しそうな四人の姿を見て欠伸をする則松に神田、真面目に任務に専念しているのはマイヤーだけだった。

「さて、そろそろ時間かな?」

「やっと今日の任務は終了ですか?」

 ほっとした声の則松だったが、神田からは意外な答えが返ってくる。

「馬鹿野郎。女性とのデートにディナーは付き物だ。これからは別々のカップルでディナーを取ってもらう」

 実はこの日のデートスケジュールを決めたのは、他ならぬ神田である。則松は神田が女性経験が豊富だという噂を聞いたことはあるものの、神田の性格だ。こののらりくらりとしてつかみどころのない男に、女性経験が星の数ほどあるなんて信じるはずがなかった。だが、則松が目を通してみても、神田のデートプランはドン引きするほど精巧だった。ちなみにこのデートプラン作成には、マイヤーも一役買っている。

「おいアカツキ、ハッカー。分かっているな? 俺の作成したジュエリーを絶対に彼女達に渡せ。間違いなく気に入ってもらえる」

 マイヤーの通信が耳に入って来た瞬間、アカツキとハッカーの顔は再び淀んだ水のようになる。それまで演技だとはしても、それは非の打ちどころがないほどデートを楽しむ男性の顔をしていた。しかしこの変わりようは、一体何だろうか?

「でも先輩、まだ午後四時っすよ? 晩飯には微妙な時間です」

 珍しく、意気込む二人を制止した則松だった。神田はそれを聞いて、それもそうだと考えなおす。

「よし、それじゃあお前達、二手に分かれて少し個別に行動を取れ。勿論、アンナとアカツキ、レイカとハッカーで分かれろ」

『分かってるよ』

 何故だかほっとしたような声のアカツキだった。しかし、アカツキとしてはこんな時どこに行けばいいかもよく分からない。しかし、アンナは出来た女性だった。

「ねぇ、豪。少しだけ付き合ってくれない? ちょっと寄りたいところがあるんだけど」

 渡しに舟とはこのことだ。アカツキは喜んで了解した。

「アカツキの方がリードされてやがるな」

「あぁ、こりゃあ見物だ」

 監視カメラ越しに、アカツキの険悪な顔が見て取れた。それを見てマイヤーと神田の二人は爆笑する。それがますます、アカツキの気に障った。

 そんな中、アカツキとアンナが向かったのはショッピングモール内にあるカフェで、どこにでもあるチェーン店の一つだった。

「驕るよ」

 アカツキはすかさず、アンナの飲み物まで代金を払う。そして彼女が注文したカフェラテを手にして、テーブル席に着いた。それは奥まった席で、アカツキとしても都合がいい。

「いつもこういうところでお茶してるのか?」

 自然と会話がつながったのは、アカツキにしても驚きだった。

 アンナは首を横に振る。

「いいえ、いつもなら私はホームシックのコーヒーとか、紅茶を飲んでいるわ。マスターくらい上手にコーヒーが入れられる人はいないもの。紅茶は、今一だけど」

 アカツキはアンナの言葉を聞いて笑った。アンナもつられて笑う。

「なるほど、確かにあいつの紅茶は、少しばかり熱すぎる。本当なら、もう少し温めの方が茶葉の味も存分に出るってものだ」

「あら、詳しいのね」

 意外だというように、アンナは目を大きくしてアカツキを見た。

「昔、少しばかりインドやスリランカにいたものでね。インドでは結構紅茶が嗜まれている。俺はそこで本物に会った」

『紅茶の本場はイギリスだ』

 マイヤーの邪魔が入るが、アカツキは笑顔を崩さずに無視した。

「私ね、いつか自分の店を持ちたいと思ってるんだ。自分のカフェを持ちたいの」

「そりゃあいい」

 アカツキとアンナの二人は、互いに笑った。実際アカツキはアンナの夢がとても素晴らしいものだと思っていたし、アンナはアカツキが自分の夢を肯定してくれたようで嬉しかった。

 ちなみにこの時、アカツキはアンナと初めてまともに喋っている気がした。

「それで、あなたの夢は何?」

 アンナに問われて、アカツキは迷った。

『何か話しておけ。お前には荷が重いだろうがな』

 夢と言われても、何を話せばいいか分からない。何しろ、今の彼には夢と呼べるものなど何もないのだから。

「そうだなぁ・・・・・・。十年かけて世界中を旅してきた。それに一年前には自分の目標もとりあえず達成しちまった。だから、今は探している途中かな」

「羨ましいわ。ねぇ、外国ではどんなものを見てきたの? 私の故郷はオランダなんだけど、オランダにも行った?」

「勿論。ただ、長くは滞在しなかったけどな」

 アカツキが滞在した外国の国々は、主に紛争地だ。治安も悪けりゃ、道行く人の人相も悪い。そんな国ばかりで過ごして来た。しかし、その話をアンナにするわけにはいかない。彼の少ない脳内メモリーが、再び急速に回転し始めた。アカツキの記憶から、おぼろげながらオランダやフランスなどの記憶を引出し、それをアンナに話始める。

「なぁ、聞いてもいいか?」

 マイヤーが神田に問いかけた。

「あいつが世界各国をテロリストとして駆け回っていたのは知っている。だが、奴は何故犯罪者から突然足を洗って、自分の故郷に帰って来た?」

 今度は神田が迷う番だった。このマイヤーの疑問に対しては、アカツキの過去が密接にかかわっていて、面白半分に神田が話をするわけにはいかない。暫く黙っていた神田だったが、突然アカツキから携帯電話のメールが入る。

『話してやれ』

 それだけ、たったそれだけの文章が入っていた。

 確かにアカツキは自分の過去が暴露されることがあったとしても、それ程気にかけるような男ではない。実際、その過去を思い出したくないのは神田自身なのだ。

「ジョン、あまり口外しないでほしいのだが、それが約束できるなら君に話そう」

「俺は元諜報員だ。口は堅い方だと思っている」

「それなら安心だ」

 暗い車内で、神田の顔は更に暗く沈んでいた。本来なら、この記憶は頭の片隅に捨てられて、ゆっくりと年齢と共に朽ち果てていくはずのものだった。しかしアカツキの登場で、放っておくわけにはいかなくなった。

「まずは奴が足を洗った理由の前に、奴が何故テロリストになったかを話しておかなくちゃならない」

 事の発端は十二年も前に遡る。その頃、神田もアカツキも十八歳を迎えた大学生だった。彼らは高校からの同級生で、無二の親友と呼んでいい仲だった。

 神田は一般家庭に生まれ、四人家族の構成で何不自由なく育った。健康的に、そして勉強が出来ないほうでもなかった神田は、同年代の友人達と同じように惰性で大学に入った口だった。

 しかし、アカツキは少しばかり理由が違う。

 彼は孤児だった。孤児院からは進学費が出るわけでもなく、彼は苦労の末、奨学金を得ることによって大学に進学していた。

 同じく、大学に進学してきた中に神田とアカツキの同級生がいた。うら若き女性だったが、その美しい女性はアカツキと同じ孤児であり、同じように奨学金制度によって進学してきた。

 同じ大学で同じ年代、同じ境遇の二人が恋仲になるまでは、そう時間がかからなかった。

 神田はそこまでマイヤーに話し、携帯電話の中に入っている一枚の写真を見せた。そこに映っていたのが、十八歳の時のアカツキと神田、そしてその女性の姿だ。

 黒髪でいかにも清楚そうに見える女性は、確かに美しく、写真の中で柔和で慈愛に満ちた笑いを浮かべていた。

「北条美咲。それが彼女の名前だった」

「・・・・・・・美人だな。今はどうしている?」

「死んだ」

 人の生き死にで感情を激しく揺り動かされるマイヤーではない。しかし、彼はあまりにも友人の死を無感情に言う神田に、一種の憐れみを感じる。

「・・・・・・悪いことを聞いたな」

「いいさ。事実だ」

 神田は薄く微笑した。

 彼ら三人にとって、学生生活は楽しさに溢れた日々だった。しかし、その日常が表と裏に分かれているとしたらどうだろうか。恐らく、裏の顔を出さない人間が殆どだろうが、北条美咲の場合は違った。

「美咲は見ての通り可愛い女性だった。だから、周りの嫉妬を多く買った。男子学生は綺麗なものに集る蠅のようにいつも付き纏い、しかも遠くから見ている女子学生達は、彼女に多少の嫉妬を抱いていた。その中でも嫉妬心が人一倍強い奴がいてな」

 嫉妬の炎が人一倍強い女性は、良家のご令嬢で、名を畠山祥子といった。彼女は別段、アカツキに恋心を抱いていたわけでもない。とにかく美咲が持つ様々な美しさに嫉妬していただけだった。

 畠山祥子のいじめは陰湿で、大学に同じように入った取り巻き達と共に、たくさんの嫌がらせを行った。そうして美咲が大学を止めていくように仕向けたが、彼女は想像以上に強かった。

「だから畠山祥子は、最終的に自分の家の力に頼った。家は大物政治家の良家、金は唸るほどあり、大学側に圧力をかけることも出来る。それが失敗に終わった時、彼女は男達を雇って、美咲を強姦させた」

 マイヤーが激しく舌打ちした。根っからの正義感である彼が、この手の話を許しておけるわけがなかった。

「下衆だな」

「あぁ、大層な下衆だ。理由は彼女が美しかっただけ。当然、彼女を襲った下衆野郎共も、喜んで犯罪に手を染めただろうよ。しかし、問題はこれだけじゃない」

 本当の問題は後になって浮上した。

 アカツキの逮捕、そして警察が美咲の話を虚偽の通報として、彼女の事も逮捕しようとしたことだった。

「アカツキは美咲がひどい目にあったのを知って、怒り狂った。それでも証拠があるわけでもなく、その上畠山家の息がかかった警官達が事件を握りつぶした。そして―――」

 一瞬、神田は話の間を置いた。

「そして、美咲は自殺した」

 こうして事件はアカツキを容疑者として、彼の刑を立件するための方向に向かい始めた。神田はどうすることも出来ず、アカツキの古い友人達も、この件にはなるべく触れないようになった。

 しかし、その直後に事件は急展開を迎える。

 刑務所に移動する中、警察官の目を盗んで逃走したアカツキが行方不明になったのである。警察は指名手配をかけ、更にアカツキに懸賞金までかけたが、結局彼は見つからなかった。目撃証言もなく十年間、死亡されたものとみなされていた。

 しかし、実際にはアカツキは生きていて海外に逃亡していた。逃亡後の彼が向かったのは裏世界での職安。そこで傭兵の仕事を見つけ、世界を転々としてまわることになる。その後は読者諸兄が知っての通り、テロリストへの転身と相成った。

「さて、ここで奴が戻って来た理由に話を移そう。これにも畠山家が関与している」

 そして、北条美咲自殺から十年が経った去年、日本では神田が警察官となっており一つの事件を追っていた。

 畠山家はこの十年で、政治家の良家から無法者を雇ったやくざの大家に転換していた。その転換にも金が非常に役立ったが、今度はその金で、大量の武器密輸を行う予定だった。裏ビジネスで更に私腹を肥やそうとしていたのだ。

「俺はその事件を追っていた。そこに現れたのが、奴さ。あいつがテロリストから足を洗って日本に戻ってきたのは、復讐のためだよ」

 アカツキはこの時、たまたま日本へ武器を輸出している武器商人と知り合いだったらしい。また、たまたま武器商人から聞いた取引先の名を聞き、それが畠山祥子だと知った。絶好のチャンスだと知ったアカツキは日本へ戻り、神田達を訪ねた。そして自分を逮捕しない代わりに、情報を取引しようと迫ったのだった。

「で、奴はその畠山祥子に復讐を果たせたのか?」

 ニヤリと神田が笑う。その顔がとても爽快だった。

「畠山祥子は、アカツキの罠に引っかかったのさ。あいつめ、逮捕で混乱する取引場から脱出する畠山祥子を、携行対戦車ミサイルで車ごと吹き飛ばしやがった」

「そりゃあ、爽快だな!」

「あぁ、爽快だ。まぁそれが、アカツキがテロリストになった経緯と日本に突如帰って来た理由さ」

 確かに復讐は果たされた。しかし、アカツキは、まだこの十年と完全な決着をつけてはいない。

 神田は思う。

 十年以上も恋人の墓を放っていたのだから、一度は墓参りにでも行ってやったらいいと。それが済んで、初めてアカツキも神田も、事件を終わらせることが出来るのではないかと。

「おい、神田。見ろ」

 マイヤーの声で、神田は現実に引き戻される。マイヤーが指差しているのは、店内を映し出しているカメラだった。ちなみにそこに映っているのは他の喫茶店に入っているハッカー達の姿だ。

「柱の所に三人程不審な連中がいる」

「少し、様子を見てみよう。奴らがどんな動きをするのか、見極める必要がある」 

 マイヤーはハッカーに、怪しい連中がつけていることを連絡し、警戒を強めるように告げた。時間はそろそろ、午後五時を回ろうとしている。

「よし、もういいだろう。お前達、ディナーの時間だ。今日は俺とマイヤーでとっておきの店を予約してある。十階に迎え」

 まずはハッカー達が動いた。ハッカーに腕を組んでいるレイカを見ると、中々上手くやっているようだ。それにまんざらでもない顔のハッカーを見ると、彼にとってもこの偽装デートは有益なもののようだった。

「何だ、楽しんでいるみたいじゃないか? 意外にやるもんだ」

 それを見て、マイヤーがからかうような口調で言う。すると、画面のハッカーの顔が少し引きつった。

「ところでジョン、君はターゲットとの恋愛はあり? なし?」

「そうだな・・・・・・相手が殺し屋とかスパイじゃなけりゃ、ありかな?」

「下らない話ばっかしてないで、画面ちゃんと見てくださいよ。ほら、怪しいのがハッカーさんを追ってますよ」

 先ほど柱の近くにいた連中だ。格好は全員が黒いスーツ姿だが、背格好はバラバラだ。しかし、人相は非常に悪くそこらへんのごろつきと変わらない。

「ハッカーごろつき共が行くぞ。早く店に入れ」

 神田がハッカーを急かす。二人が店に入るころ、調度アカツキ達もエレベーターで同じ階に上って来たところだった。ところが、ハッカーは難なく店に入れたものの、アカツキは入口で止められてしまう。

「お客様、お名前は?」

「大和豪だ。こちらはアンナ・ウィリアムズ。予約を取ってあるはずだが?」

 彼ら二人の対応をしていたのは、いかにも生真面目そうなウェイターだった。格好も小奇麗で、その物腰に関しても非の打ちどころがない。予約表を確認して、ウェイターはアカツキに向き直った。

「ミスター大和、ご予約を頂きましてありがとうございます。しかし大変申し上げにくいのですが、その恰好では当店にお入れするわけにはまいりません」

 本日のアカツキの格好は、上下黒いジャケットとズボン。これでも彼としては小奇麗に決めてきたつもりなのだが、店の中を見てみると男性陣は全てスーツ姿だ。どうも、ドレスコードとかいうやつらしい。そういえば、ハッカーはスーツではないにしても、それに近い格好だったような気がする。

『言うのを忘れてたな。その店は今のお前のような格好では入れない。どうにかしてくれ』

 何とも無責任な神田の要請だった。さすがにアカツキも頭にきたが、ここでどうこう言っても始まらない。どうしようか思案に暮れそうになったとき、神田が助け船を出した。

『ちなみにその店の店主は、お前のよく知っている奴だ。ほら、タップとかいう―――』

 そこまで分かれば十分と、アカツキは早速口を開く。

「ドレスコードって奴か。悪いが俺はタキシードやらスーツは着ない主義でね。何しろ首が閉まりそうで苦手なんだ」

「そうは言われましても、当店の決まりでございますので」

 堅物のウェイターは、全く融通が利きそうになかった。横を見れば、アンナが不安そうな顔でアカツキを見上げていた。その顔を見ると男としてはどうにかしてやりたくなるものだ。といっても、このデート自体が仕事の一環であるのだから私情は厳禁なのだが。

「そうか・・・・・・。そりゃ仕方がないな。ちなみに最後に聞きたいんだが、ここのオーナーはいるか? タップだよ。タップ・ブルワード」

「オーナーのお知り合いですか? おるにはおりますが・・・・・・」

 不審げなウェイターの視線が、アカツキに疑いの矢を突き刺しまくった。このウェイターは店の門番として、またはクレーマー除去の兵士として打ってつけだろう。

「じゃあ、奴によろしく伝えておいてくれ。アカツキが予約を入れていたんだが、ドレスコードの関係で入れなかった。会いたかったぜ、とな」

 かしこまりましたとウェイターが言いかけた時だった。

「おい? アカツキか! どうしたんだ、こんな所で!」

 元気で快活な声は、ウェイターの後方から飛んできた。野太くてかなり大きめの声は、一瞬店全体を支配する。

「タップ。久しぶりだな。相変わらず元気そうだ」

 タップ・ブルワードは、その昔、黒人で構成されたギャング団の一員だった。彼は色々と凶悪な犯罪に手を染めて来たものの、それは移民の過渡期において、本来得られるはずだった幸せから取り残されたためだった。幼い家族を支えるために犯罪に手を染めたタップだったが、彼には一つの特技があった。それは、料理である。

 タップとアカツキは、がっしりと互いを抱きしめた。

「お前、まだ開業して一年たってないだろう? どうやったらこんなに店をデカくできるんだ?」

「俺は悪運以外に、料理の腕でいろんなお偉いさんを引きつける能力を持ってる。俺の特製ソースから漂う匂いに抵抗できる奴なんざ、どこにもいないのさ」

 タップは一年程前に―――それこそ、アカツキが日本に戻ってきた時期に―――アカツキと出会った。そして、運悪くもアカツキを標的にしたギャング団は、一夜にしてアカツキに壊滅させられる。タップは壊滅したギャング団の中の生き残りで、アカツキに更生されてまともに働いている唯一の人間だった。

「ところで、あんたはどうなんだ? 俺と会った時に、目的があって日本に帰って来たなんて言ってたじゃないか」

「上手くいったよ」

「そりゃあ、よかった。今日は腕を振るわせてもらうからな。腹いっぱい食べて行ってくれ」

 がっしりした体つきで、外見も肉食系なタップは気のいい男だった。アカツキの肩を強めに叩いて親愛の情を示したところで、張り切って厨房に戻って行った。

「あなたタップ・ブルワードと知り合いなの? 本当に何者?」

 アンナは最近雑誌などにもよく出てくるタップとアカツキが親しげに話すところを見て、興奮して問いかけた。

「新しい友人だ。あいつも一年前に比べりゃ、有名人になったものだな」

 アンナをエスコートしながら、アカツキは予約していたテーブルに座る。

「ねぇ、今日はあなたの事をもっと知りたいと思ってるんだけど、もっと色々聞いてもいい?」

 笑顔のアンナは、どこかアカツキを探るような目で見ていた。アンナとアカツキが、これほど長い時間行動を共にしたり会話を交わしたりするのは初めてのことだった。アンナは昔からアカツキの事に興味があったし、この日は洗いざらい、目の前のミステリアスな男の正体を探るつもりでいた。ティーンエイジャーだからこそなせる、興味の前にはどんな危険も冒してみせる綱渡りだった。無論、それに対しての恐怖心など一切ない。

「水臭いな。お前と俺の仲だろう?」

 アンナは嬉しそうに笑い、アカツキもそれに合わせた。彼の場合は演技での笑いだったが。

「じゃあ、聞きたいんだけど。あなたがアカツキって呼ばれてるのは、何故?」

「どうして知りたい?」

「どうしてって、神田さんはあなたの事をアカツキって呼んでいるわ。それにあなたのお友達も、それにさっきのオーナーさんも。私が知らない名前で、あなたは呼ばれているし、私はあなたの過去はさっき聞いた話の部分しか知らないわ」

 この質問にどう答えたものか・・・・・・。アカツキは返答に窮した。

 質問に答えるのは簡単だ。しかし、事実を知ることで、アンナに危険が及ぶ可能性もある。そこで彼は、いつも通り即席の嘘を吐くことにした。

「分かった。話してやる。だけど、誰にも言ったらいけないぞ」

「秘密を守るのは得意なの」

 どうだか――――。

 女性は基本的にお喋りだ。その点、アカツキのような元犯罪者は、女性に自分の素性を明かすことを良しとはしない。だからこそ、嘘を吐く。

「俺は昔、秘密の特殊部隊にいたのさ。コードネームはアカツキ。だから同じく日本警察の特殊部隊にいた神田は、俺の事をアカツキと呼ぶ」

 アンナはアカツキの話を聞いて、信ぴょう性を疑っていた。彼女の笑顔の端には、疑惑が顔を覗かせている。

「それ、本当? 映画とか漫画でよくある話だわ」

 アカツキは肩を竦めて見せた。

「信じる信じないは、お前次第さ。だけど、俺は今でも裏の世界で、アカツキと呼ばれている」

 アカツキは店内を見回した。その理由は、一つには仲間の場所を確認しておくこと。もう一つは、その仲間と目くばせをして、入口にやって来た一組の客に対処する準備をすることだった。

「どうしたの?」

 アンナがアカツキの態度に異変を感じたのか、不安そうな顔で聞いてくる。しかし、アカツキ自身は、そんなアンナを安心させるつもりでもないのだろうが、至って落ち着いた表情で飄々と彼女の問いに答えた。

「さっきの話だが、俺の話を信じるようになるいい機会が来そうだぞ」

 入口では揉め事が起こり始めていた。先程からハッカーをつけていた大柄で黒スーツの男達が、アカツキが揉めていたウェイターと揉めている。男達は全員で六人だったが、その内一人から詰め寄られても引く様子がないウェイターを見て、その度胸に素直に感心したアカツキだった。

 しかしいつまでも感心しているわけにもいかない。

 男達の内、ウェイターと揉めていた男は店の中にレイカの姿を見つけたようだった。まだ自分達の行動を妨害しようとしているウェイターを殴り、どかどかと店内に入り込んでくる。

「おい、あんた達、何なんだ!」 

 タップも包丁を手に持って抗議するが、そんなことを聞くような連中ではない。突然の来訪者達に怯えきった来店客達は、料理を残すほどの慌て様で店を出て行った。それを見たタップは天を仰いだ。

 男達がレイカとハッカーが座っているテーブルまでやって来て止まる。彼らを追ってきたタップは再び抗議の声を上げていたが、銃を突きつけられては黙らざるを得なかった。

「キョウ・レイカだな?」

 レイカに声をかけてきた男がリーダー格なのだろうか。

 がっしりした体つきに、目鼻立ちが整った顔立ちは、一見すればモデル級だ。しかし、周辺から漂う殺気は隠しようがなく、彼らが見た目以上に凶悪な人間達であることを予測させた。

「ねぇ、豪。私達も出た方がいいわよ」

「いいや、まだだ。折角タップが腕を振るってくれたのに、一口も食べずに帰っては失礼だからな」

「でも――――」

 男達のターゲットは、レイカだけではなかった。

「お嬢さん、あんたも席を立たないようにしてくれ。俺はあんた達二人に用があるんだ」

 アカツキもハッカーも、目の前の男達が自分達の敵であり、今回のキョウ・セツゲン死亡に何らかの繋がりを持っているものと判断した。特にハッカーとしては、この男達が現れたことで、男達の内数人は確保して情報源にしてやろうと決め込んだところだった。

 決めたら、動くのは早い。

「見た感じ、シチリア系のマフィアだな。銃はイタリア式のベレッタか。やはり、祖国のものが使いやすいか?」

 突然、レイカと座っていた見知らぬ男から自分達の姿を見破られた男達は、驚いてハッカーに銃口を向ける。

「しかし、シチリア出身だとしてもシチリア系マフィアに所属しているかどうかは分からないな。何せ、最近じゃ、イタリア系マフィアも出身はあまり関係ないっていうじゃないか? それに、レッド・ポイント周辺にはイタリア系マフィアのファミリーもごまんとある。一体、どちらの所属かな?」

「お前に話す必要はない。誰だか知らんが、俺達はこの女二人に用があるんだ。少し大人しくしてくれるなら、命だけは助けてやってもいいぜ」

 しかし、ハッカーは男を馬鹿にしたような表情だった。

「イタリア野郎の言う事なんて、信用できるかよ。前の大戦でも日本、ドイツと同盟を結んでいた中で真っ先に降伏しやがったくせに」

 それを聞いたアカツキが笑う。

「古い冗談だ」

 馬鹿にし腐ったハッカーの態度に、男達は当然のことながら激高した。こういう時、人を殺すように訓練された男達は躊躇なく引き金を引く。相手の殺意が急激に高まるのを感じたハッカーは、目の前の男が引き金を引く前にテーブルに並べてあったフォークを相手の手に突き刺した。

 あまりの痛みに耐えかねて、男は銃を床に落とした。更に蹲ろうとしていた男に対して、ハッカーはフォークの横のナイフを掴み、下から喉元に突き刺した。

 仲間の男達は突然反撃に出たハッカーの流れるような手並みに、彼の力量を計りかねていた。それが一瞬の躊躇を生み、ハッカーに床の銃を拾う隙を与えてしまった。足で空中に跳ねあげられた銃は、綺麗に彼の手元に収まり躊躇なく引き金を引かせる。二発の銃撃音が鳴り響き、同じ数の男が崩れ落ちた。

 残り、三人。

「隠れてな」

 ハッカーはテーブルを蹴りあげて、相手の銃撃から体を守るための盾に使う。その後ろにレイカを隠し、自分も相手の銃撃を避けた。

「おいアカツキ! ぼさっと見てないで、手伝ってくれねぇか?」

「何言ってる。それくらいの人数は、お前でも十分だろう?」

 しかし言っている傍から、アカツキは自分の懐に潜ませていた銃『クロガネ』―――この銃もNJCからアカツキ専用に支給されている。銃口が大きく、リボルバータイプという古風で武骨な銃だ―――の引き金を立て続けに引く。

 一瞬で二人の男が崩れ落ちたが、入口からは銃撃音を合図にしたかのように、男達の仲間が五人、加勢にやって来た。これで数の上では振り出しに戻ったことになる。

『援護に行こうか?』

 どこか間延びしたような、余裕綽々のマイヤーの声が通信機を通して聞こえる。

「いや、不要だ」

 アカツキもハッカーに倣うように、テーブルを跳ね上げて盾を作った。直後にテーブルには次々にマフィアの男達が放った銃弾が突き刺さる。アンナをテーブルの後ろに引き込んで、アカツキは銃弾を装填し始めた。

「ねぇ、これ何よ!」

 パニックになり、抗議と不満と不安が入り混じったアンナが、アカツキにその感情を思い切りぶつけてくる。しかし、アカツキはニヤニヤと笑ったままだった。

「痺れるだろう? この店のアトラクションじゃねぇかな?」

「そんなわけないでしょ!」

 この状況下で最も不幸だったのは、アカツキでもハッカーでもなく、ましてや彼らの護衛を受けているアンナとレイカでもなかった。そうではなく仲間の銃撃にも、そしてハッカーやアカツキの銃撃にもさらされる位置に立っていた、最初に踏み込んできた男だ。最初の六人の内、唯一生き残っていた男は自分も銃撃から逃れるために必死だった。その男の足に激痛が走り、それが銃弾によるものだと判断するまで、男の脳みそは時間を要さない。

 ハッカーが足を撃ちぬき、男は床に転がる。苦痛に顔を歪め、床をのた打ち回りながら、口汚く現状を罵った。

「あまり口が汚ねぇと、ママに怒られるぜ?」

 ハッカーの投擲したグラスが頭に命中した男は、ぐったりと気を失った。

「おい、こいつら手強いぞ!」

「何を今更」

 呆れたように言うアカツキは、残った男達―――残り三人―――に、一気に接近した。まさか相手が銃を撃つのを止めて、丸裸で身を晒すとは考えていなかったマフィアの男達だが、これはチャンスとばかりに立て続けに引き金を引きまくる。

 ところが弾丸のどれもが、標的を掠めもせずに空しく飛んでいくだけだった。至近距離で銃弾を交わす目の前の男に、男達の顔が驚愕に歪む。アカツキは更に肉薄し、接近戦に戦いを持ち込んだ。一人目の男は喉元を拳で打ち抜き、呼吸器官を潰す。それだけで人間は戦闘能力を奪われるものだ。

 二人目は果敢にもアカツキに反撃を試みたが、己の拳はアカツキのガードに阻まれ、切り替えして繰り出された拳が顔面にクリーンヒットする。よろめいて後方に下がった男のこめかみを狙って繰り出されたアカツキのハイキックも的確に命中し、派手に吹っ飛んだ男はそれきり動かなかった。

「で、あんたはどうする?」

 三人目の男は銃を手放して、両手を上げた。それが答えだ。

 戦闘終了と同時に、神田とマイヤー、そして則松が店に入ってくる。続いて外管の警官達も現場の確保に入った。神田は則松に、外管の警察官達に現場を押さえるように指示させて、自分は捕虜として残った二人の襲撃犯に手錠をかける。

「見事だったな。しかし、俺はお前に弾丸が当たらないように見えたんだが、あれは現実かな?」

 神田の問いに、アカツキは答える。

「奴らが持った銃から発射されたものか? 何だ、ありゃあ銃弾だったのか? 遅すぎて気づかなかった」

「よく言う」

 アカツキは神田に笑顔を返して、アンナに近づいた。

「大丈夫か? えらく騒がしいデートに誘っちまったな」

 アンナは恐怖のせいで、放心状態になっていた。それでもアカツキの姿に気付くと、彼にしがみ付いてきた。それは幼子が初めて見た外界で、親にすがりつく行為に似ている。

「安心しろ。怖い時間は終わった。今のところはな」

 アンナを安心させるように、頭を優しく撫でたアカツキだった。それでも彼は、周りを確認することを忘れない。少しだけ視点を右に動かすと、そこにハッカーとレイカがいた。アカツキは耳をダンボのように大きくして、二人の会話を確かめようとした。

 話の口火を切ったのは、ハッカーだった。その時レイカは、まだ自分の身に起きたことを受け入れられてはいなかった。

「こいつら、あんたの命を狙って来たんだろう?」

 レイカは何も答えられなかった。彼女には何が起きたか、まだ分かっていない。

「なぁ、あんたには受け入れがたい事実かもしれないが、こいつらはあんたの命を狙いにきたに違いないんだぜ? あんたの答えを聞かずに言うが、こればっかは間違いない。だって、キョウ・セツゲンの娘だろう?」

 びくりと、レイカの体が跳ね上がった。それは彼女の家族以外には知るはずのない事実だった。複雑怪奇で、どろどろとした粘り気のある家庭内の事情というやつだ。特に彼女の家は、その事情というやつが深く黒い因縁で絡まっていた。

「・・・・・・違うわ。私は、キョウ・ヨウレイの娘よ」

「とぼけたって無駄だ。あんたの家については、俺達がしっかり調べをつけてる。それにキョウ・セツゲンとあんたは、DNAも一致する」

「違うわ!」

「何より、こいつらがあんたを襲ってきた辻褄が合わない」

 レイカは顔を覆って、椅子に座りこんだ。ハッカーは腰をおろし、レイカの肩に優しく触れた。

「何もあんたを逮捕しようって気は、俺達にはない。ただ、あんたを守りたいだけなんだ。何か思い当たる節があるだろう? 話してくれないか?」

 ハッカーの笑顔が、レイカの視界に入ってきた。先程の残忍な戦闘マシーンのような男とは打って変わって、それは人を安心させる笑顔だった。

「あなた達、一体何者なの?」

「さぁね、ただレッド・ポイントには俺達みたいなのが幾らでもいる。ちなみに俺は、やけに戦闘能力の高い不法ネット占領者とでも言っておこうか。あの体のデカい猛獣みたいなのは元諜報員の死体量産機だし、俺と一緒に戦闘行為を行った髪の長い兄ちゃんは元伝説のテロリスト」

 ハッカーは何かとペラペラと喋る男だった。彼の口は綿菓子ほどに柔らかく、舌は料金所のない高速道路並みに言葉を簡単に通す。更にその言葉は、時にはヘリウムガス程に軽く、重みの欠片もないのだった。

 アカツキは唐突に出たハッカーの言葉を遮ることも出来ず、慌ててアンナの方を見た。彼女も当然、ハッカーの言葉を聞いていた。その中に入っていた、驚くべきアカツキの過去も聞いてしまった。

 目を真ん丸にして、アカツキを見ている。

「すまん。事実は後で話す。もう少しで仕事が片付くから、待っていろ」

 しかし、アンナはアカツキのいう事を聞かずに踵を返した。そのまま店を出ていく。

「おい、アンナ!」

「追いかけろ。まだ敵が潜んでいるかもしれん」

 マイヤーに言われ、不本意ながらもアカツキはアンナを追いかけるために店を出た。神田とマイヤーはその様子を見ていたが、レイカが喋りはじめる声を聞いて、すぐにそちらに耳を傾けた。

「あの人達も信用していいのね?」

 レイカが指差したのは、神田と則松だった。

「俺達二人は警察だ。安心していい」

「警察ですって? じゃあ、もしかして最初からこのデートは仕組まれてたの?」

「残念ながら。あんたがキョウ・セツゲンの娘と知ってから、護衛と情報収集を目的にハッカーとデートという形で一緒にいてもらうことにした」

「それは、私が殺される可能性があったのを、最初から知っていたってこと?」

 マイヤーと神田は頷いた。レイカはハッカーも見たが、彼も二人と同じように頷いただけだった。

「キョウ・セツゲンは他殺体だったからな」

「パパが死んだときのことを知っているの? 警察は建物内のガスが爆発して、それに巻き込まれたと言っていたわ」

「あんたから見て、その答えは適切だと思うか?」

「今の現状を見れば、警察が言っていることは間違いだと分かるわ。それに、私は誰がパパを殺したのか心当りがある」

「詳しく聞こうか」

 キョウ・レイカはマイヤーの読み通り、キョウ・セツゲンが父親だということを知っていた。そしてレイカはセツゲンを慕い、二人はレッド・ポイントから離れた移住民街の外れに家を持っていた。レイカはセツゲンの仕事の内容を知っていたが、それを問い詰めるつもりはなかった。セツゲンも、仕事の話はレイカに一切しなかったという。

「私にとっては唯一の肉親だもの。母は二年前に他界したし、他の親族とも会ったことはないわ。たまに父の友人達が家に遊びには来たけど、父は彼らと私が親しく話すことをあまり良くは思わなかった」

 そして、キョウ・レイカの証言が始まる。

 彼女が証言したのは、高井莞爾殺害の一週間前の出来事だった。その日、夜の九時頃に、セツゲンに会いに一人の来訪客がやって来た。レイカはロビーでくつろいでいたが、セツゲンに言い渡されて自室に戻っていた。

 それから二時間が過ぎた。彼女は喉の渇きを覚えて台所に向かったが、その時たまたま来訪客とばったり出くわした。

「その男は、調度マイヤーさんと同じくらいの大男だったわ。それにすごく筋肉質でがっしりしていたのを覚えてる。顔つきはあまり覚えていないけど、金髪だったわ」

「そんな男は移民街にはごまんといるな・・・・・・。他には何か情報あるか?」

「あるわ。父と話していた時、彼はイタリア語で喋っていた」

 三人は顔を見合わせた。

「つながったんじゃないか? これで一応、イタリア系マフィアがキョウ・セツゲンの殺しをしたことはほぼ確実だ」

 マイヤーは確信を持って言った。しかし、神田はそれでも腑に落ちない表情をしている。

「しかし高井莞爾殺害に対しての関与は、まるで情報がない。キョウ・セツゲンと何らかの確執があっただけかもしれない」

「その点に関しては、そこの二人に聞けば分かるんじゃねぇの?」

 ハッカーは捕虜にした二人のイタリア人を指差した。それを見たイタリア人の一人―――意識のある方―――は、ぎくりとした顔をした。

「吐かせるのは得意だ。俺に任せてもらえるか?」

「お手並み拝見と行こうか? こちらも手間が省けて助かる」

 神田はマイヤーがどのようにして敵を尋問するのか興味があったが、彼がスーツの懐からヤットコ―――歯医者で歯を引き抜くために使う用具。通常は麻酔を打った後に使用する―――を取り出して、相手の口をこじ開けた時点で青ざめる。

「待て待て待て! 拷問はやばい! 俺をホームレスにする気か?」

「効果あるぞ?」

「知っている。だが、ダメだ」

 相手の男はほっと息を吐いたが、まだマイヤーが物足りなさそうに自分を見ているのに気づき、慌てて神田に懇願する。

「頼む! 知っていることは何でも話すから、まずはそいつを引き離してくれ。そしたら話す!」

 マイヤーは満足そうに頷いた。

「いい判断だ。な? 効果あったろ?」

「俺からのお墨付きをやるよ。じゃあ、話してもらおうか」

 しかし、目の前のイタリア人は言葉少なしゃべっただけだ。

「黙秘権を行使する。弁護士を呼んでくれ」 

 マイヤーと神田は顔を見合わせる。神田は言った。

「前言撤回だ」

「そのようだな」

 マイヤーはイタリア人の男をぶん殴った。気絶した男は床に転がる。

 時を同じくして則松の要請を受けた警官隊が到着した。容疑者の男二人を確保し、更にその他、死体になった男達を回収し始める。

「なぁ、レイカ。あんたの事をイタリア系のマフィアが狙っていることだけは確実だ。このままだと、あんた自身の命も危ないぜ? 暫くはこれを身につけてくれないか?」

「あら、命令形じゃないのね?」

「命令してまで、つけてもらうもんでもない」

 ハッカーがレイカに手渡したのは、一本のネックレスだった。このネックレスを見る度に、ハッカーは気が滅入る。そしてマイヤーとネックレスを交互に見るのだった。

「これ、本当にあんたがデザインしたのか?」

「そうだ。最近の女性の流行はチェックしている。スパイたるもの、常に情報通でなければならんのだ」

「そりゃあ、そうだろうけどよ・・・・・・・」

 白銀色のジュエリーは、何とも女性好みしそうな清楚な印象を与えた。デザインはシンプルだが、中央に光るハート形のピンクダイヤモンドが一押しのポイントだ。こんなもの身に着けていたら、移民街ではすぐにパクられはしないかと、逆に不安になるハッカーだった。

 いや、そんなことよりも猛獣で死体量産機の目の前の男が、女性の好みやら最近の流行やらに敏感なことが気に障る。そんなことでとも思うが、何故だかムカつく。

「あら、私は好きよ。でも、こんなオシャレなネックレスが、何の役に立つの?」

「GPS入りだ。それに君が身に着けておくことで、心拍数を探知して緊急の際には俺に連絡が入るようになっている」

 ハッカーは今回のような装置を作ることが得意だった。デザインはマイヤーに任せたものの、装置自体の高性能はハッカーがいなければ成り立たない。

 そして折しも、神田の元に外管から連絡が入ったのはその時だった。

 電話に出た神田の顔が、急激に表情を変える。その表情は、決して友好的なものではなかった。

「何かあったんすか?」

 さすがの則松も、ここでは神田が聞いていることについては険悪なものを感じたらしい。沖警部からの連絡かと思ったが、どうもそういう事ではないらしい。先方の用件が終わり、神田は携帯電話を切った。

「上層部からの連絡だ。すぐに俺達に戻ってこいとよ。どうも、直々に要請したいことがあるらしいぜ」

「何かあったらしいな?」

 マイヤーの問いに、神田は頷く。その表情は、硬いまま決して崩れることはなかった。

「紅龍会が狙われた。龍の牙だけならまだしも、紅龍会もだ。それと、襲撃した連中が持っていたのは、一般的にマフィアが持っている武器とは桁外れだったらしい」

「と、言うと?」

「そこかしこで建物が吹き飛び、炎が燃え盛り、蜂の巣になった構成員の死体が転がっているとしたら、それはただのライフルやマシンガンでの攻撃とは限らないだろう?」

 マイヤーは肩を竦めた。

「そりゃあ、戦争だ」

「そうだ、戦争みたいなものだ。アカツキを探しに行こう。すぐに戻るぞ」

 動き出した四人を呼び止める声があった。

「ちょっと待ってよ。私はどうすればいいの?」

 レイカは先ほどの恐怖がどこへ行ったやら、腰に手を当ててハッカーを見下すように見やる。確かに細身で長身の彼女を傍から見ると、美人だということに気付くハッカーだったが、彼にとって高飛車な女性の態度は受け入れ対象外だった。

「どこへなりと行けばいいだろう? 俺達はこれからも仕事だ」

「護衛にもついてくれないの? さっき気をつけろと言ったのは、あなたでしょう?」

「GPSつきのネックレスをやっただろう?」

「あんなのが、敵を殺す役には立たないわ。分かった。じゃあ、あなたの家に泊めてもらうから」

「何だと?」

 ハッカーは唖然としたが、既にレイカは歩き始めており、ハッカーの腕に自分の腕をからませた。眉を潜ませたハッカーだったが、周りの警察官達からは口笛やら冷やかしの声やらが飛んでくる。

「激しい男って、嫌いじゃないわ」

「こりゃあ、とんでもないじゃじゃ馬だわ」

 メンバーを一人加えたハッカー達は、アカツキを追ってエレベーターに乗った。


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