第3話 「ダブルデート作戦」
朝から神田の機嫌は悪かった。理由は勿論、昨晩の作戦失敗にある。正直、アカツキ達が暴れすぎたのを勘定に入れても、キョウ・セツゲンを逮捕できるのは、ほぼ確実というところまで来ていた。
だが、まさか―――。
「死んでいるとはな。一体、誰がやった?」
神田は既にこの問いを、本日十回は呟いている。本当なら誰もが不審に思うところだが、外管でいつも事件について考えている神田が、殺人事件のことをぶつくさ言っているのは日常茶飯事だった。だから誰も気にしていない。
それは神田にとっても都合がよく、誰も話しかけてこないだけに考えに集中出来る。
昨日レッド・ポイントで起きた爆発事件は、今回の高井莞爾殺害事件を抱えている上層部にとっても、大きな衝撃だった。彼らにしても神田の情報を無視していたわけではない。ただ、少し時間がかかっても、万全の態勢を整えた上でガサ入れに踏み切ろうと考えていたのだ。
ところがガサ入れするべき龍の牙は大爆発を起こし、キョウ・セツゲンの遺体は木端微塵の状態で見つかった。残骸を集めるのに時間がかかる上に、それを集めたところで、高井莞爾殺害事件の真相が分かる可能性は極めて低かった。
しかし、神田は違った。彼は上層部が持っていない情報を一つだけ持っている。
キョウが死んだのは、明らかに殺人である。何者かが意図を持ってキョウを殺した上、その証拠を消そうとして爆弾を仕掛けたのだ。一体、誰がキョウを殺害したのか? こうなった以上、紅龍会や龍の牙とは全く別方向の、第三の勢力の存在を考慮しなければならなくなった。
その時、神田の携帯が鳴った。電話をかけてきたのは、例のごとく古い友人のアカツキだ。
『よぉ、起きてるか?』
「何だ? ここじゃ不味い。一度切るぞ」
『その必要はない。お前が懸念していることをペラペラしゃべるような俺じゃない。そうじゃなくて、一つ面白い情報がある。役に立つと思うぜ?』
昨晩のことは警察にはばれていない。爆発のあった場所に、神田達がいたことは全くの秘密だ。それを話されると首が飛ぶだけじゃすまない。しかし事件に関しての情報提供であれば、神田とて拒む理由は何もなかった。
「すぐ行く。いつもの場所で待っていてくれ」
『了解した』
神田は電話を切り、則松を伴って外管を出ようとする。
「神田君、ちょっといいか?」
耳に入ってきた声は、神田が最も聞きたくないものだった。肩越しにかけられた声の人物に、彼は振り向きたくもなかった。顔も見たくもなかった。しかし、その声の主が神田の上司である以上は対応せねばならない。
「何でしょうか? 警部殿?」
刑事である神田から見れば、警部という階級は上位に当たる。そして、神田が『殿』の皮肉をつけてまで嫌う男は、神田と同期だった。
沖大輔。いつも柔和そうな笑顔をしていると周りから評価を受けているが、神田には嫌味な笑みにしか見えない。それに沖は昔からエリート意識が強く、神田を見下していた。
「いやいや、すぐに終わる。ただ、君の担当している事件で最も容疑者を検挙できる確率が高かった、龍の牙の本拠地が爆破されたと聞いてね。残念だったと一言声を掛けたかったんだ」
何を今更―――。
神田は腸が煮えくり返る思いだった。一度例の獣のような顔をしてみたが、上司である沖の前では辛うじて怒りを抑える。
「私も上層部には、早め早めに龍の牙のガサ入れを行うように申請していたのだよ。しかし、上層部の重い腰が上がらなくてねぇ。しかし、まぁこれで厄介事が一つ減ったようなものじゃないか? 高井莞爾殺しで最も可能性の高かった龍の牙は、殆どの構成員を巻き込んで壊滅した。これで、事件は解決だ!」
何とも晴れ晴れしい沖の顔を見て、神田はいい加減、憂鬱な気持ちになっていた。外管を預かる上司の存在は、歴代の顔ぶれを見てきても、大体沖のような男と変わりない。厄介事を嫌い、何か事件が起きても事なかれを通す。そして彼らにとって神田のような部下の存在は、目の上のたんこぶだ。今回も彼らにとっては都合のいいことに、容疑者の根拠地が容疑者ごと吹き飛んでくれた。それだけで、沖にとっては都合のいいことだ。
「あ、そうそう。折角龍の牙が吹き飛んだんだ。もうこれで事件解決ってことにしたいんだけど、君、あまり余計なことをして事件を蒸し返さないでくれよ。今日私は、フィアンセと夕食に行く予定があるんだ。君の厄介ごとで予定がつぶれるのはごめんだからね」
「へいへい。どうぞご自由に。仕事のことについても、努力しますよ」
無論、神田に沖のいう事を聞く気はサラサラなかった。踵を返すと、沖がまだ背中に向けて何か言っているのを無視して外管を出た。
例の場所、ホームシックは例の如く客足が少ない。しかし、この日はまだ多い方で、アカツキに加えてハッカーやマイヤーが顔を揃えていた。三人とも思い思いの服装で、ラフな格好だった。スーツ姿で店に入って来た神田だけが、ただ一人浮いている。そしてホームシックの店長ラルフは、例の如く神田の姿を見て苦々しい顔をした。
「コーヒーくれ」
「はいよ!」
本当なら注文を受けるのも、死ぬほど嫌なはずだ。
神田はアカツキの向かいの席に座る。その横にはマイヤーが座っているため、彼の体の巨大さが空間だけで神田を圧迫してくるかのようだった。しかし、この熊のような男はカフェ・オレを飲んでいた。スティックシュガーの袋の量から、砂糖たっぷりなのが見て取れる。
「何だ?」
「いや、別に。ところで役に立ちそうな情報って何だ?」
「あれだ」
何故だかぶっきら棒に答えるアカツキ。神田はそのアカツキの態度に、何か違和感を感じた。しかし、まずはアカツキに指差された方向を見ることにする。
そこにはいつもホームシックで働いていて、たまにアカツキと楽しそうに話をしている女の子の姿があった。
「あれはお前の彼女じゃないか?」
「誰が彼女だ。あれはアンナ・ウィリアムズ。ここの店員だ」
「中々の美人だ」
一瞬マイヤー以外の三人が、驚いたような表情で彼を見た。しかし返す言葉が見つからない。
「何だ?」
「別に。それよりも神田、お前に注目してほしいのはもう一人の女性だ」
「もう一人?」
金髪ブロンドのアンナとは対照的に、その女性は東洋の神秘を宿していた。長い黒髪はストレートで、絹のように流れている。細い顔立ちに、切れ長の目。その瞳に宿している深淵は、なによりも女性の力強さと理性的なイメージを見る者に与えた。
「あの女が、どうした?」
「彼女、美人だな」
またもや話の本題に入ろうとしている神田とアカツキを、もう一人の仲間が邪魔をした。特にハッカーは他人の話の腰を折るのが得意な男だ。よく言えばお調子者、悪く言えばとことん空気が読めないし、本人も読もうとしないのだ。
「ハッカー、少し黙ってろ。アカツキ、教えてくれ」
「あれは龍の牙の頭領にして、紅龍会の幹部であるキョウ・セツゲンの娘だ。名前はキョウ・レイカ」
「何だって?」
警察はキョウ・セツゲンの事は知っているし、勿論捜査に当たって彼の周辺情報も調べ上げたつもりだった。しかし、そのデータの中にキョウ・セツゲンの娘がいるという情報は皆無だ。
「何かの間違いじゃないのか?」
黙ってマイヤーが、神田の目の前に一つの書類を出す。どこの市役所でも手に入る、何の変哲もない戸籍謄本だった。その中にはキョウ・レイカの出生に関わる家系図が広がっている。その中で注目すべきは、キョウ・レイカという娘の父親の箇所だ。
「名前は違うようだが?」
彼女の父親の名は『キョウ・ヨウレイ』。姓は同じだが、キョウ・セツゲンとは別人に思えた。マイヤーが神田の問いに答える。
「このキョウ・ヨウレイはキョウ・セツゲンの弟だ。ヨウレイは犯罪歴もなく真っ白でな、シミ程度も黒いところが見当たらない。昔の仲間に当たってみてもこの男が潔白ということは間違いないみたいだな。しかし、キョウ・レイカはキョウ・ヨウレイの子供ではない」
もう一枚書類が出てきた。
それはDNA検査の結果で、キョウ・ヨウレイとキョウ・レイカのDNAが一致しないという鑑定書だった。ちなみに母親とのDNAは一致している。
「キョウ・レイカの母親とキョウ・ヨウレイが結婚して間もなく、ヨウレイは一時的にキョウ・セツゲンの頼みで生まれ故郷に帰国させられている。その間に、キョウ・セツゲンとレイカの母親は親交を深めたのさ。そこで生まれたのが、キョウ・レイカだ」
「不倫の末に出来た子供だと? ヨウレイは疑っていたのか?」
「そうらしい。ただ、この鑑定書が出てすぐに、ヨウレイは死んでいる。死因は殺人で、犯人は未だ闇の中だ。ちなみに、その殺人事件の時、レイカは三歳。新しい父親を受け入れるにはまだ早すぎるが、当たり前の存在としてキョウ・セツゲンを認識するには丁度いい年頃だ」
ジョン・マイヤーはMI6の元諜報員だというだけあって、世界中の犯罪組織の内情については徹底的に調べ上げる癖がついている。一般的には神田達警察と同じように、一見してキョウ・セツゲンと関係のなさそうな人物は捜査対象から外すものだ。しかしマイヤーのような連中は、疑わしきは徹底的に疑ってかかる。どんなに細かい穴にも、細くて丈夫な針で突き回さなければ気が済まないのだ。
「なるほどな。それで、この書類はどこから手に入れた?」
「まぁ、とあるルートからだ。あまり詮索するな。しかし正直、このDNA調査の鑑定書が見つからなければ、俺もここまで辿り着くことが出来なかった。運が良かったな」
神田は笑顔を表面に出さなかったが、その心中は小躍りしたほどだった。こんなにラッキーなことが起きていいのだろうか? もしかしたら、自分は人生の運をこの事件で全て使い果たしてしまうのではないだろうかというような、無用の心配までしてしまうのだった。
「それじゃあ、早速署まで来てもらうとしようか? 色々と聞きたいことがある」
「待て待て! それはまずい」
マイヤーが慌てて神田を止めた。
「どうした?」
「まぁ、聞け。彼女はチャイニーズ・マフィアの娘だぞ? 警察署に呼ばれて、本当の事を話すと思うか? それよりも、いい案がある」
神田はマイヤーの話に興味を示した。何となくだが、彼の中にある悪戯好きの虫が目を覚ましたかのような感覚だった。
「聞かせてくれるか?」
マイヤーはアンナとレイカの二人を指差しながら、神田の問いに答えた。
「ダブルデート作戦だ」
「何だそりゃ?」
神田はあまりの突拍子もないマイヤーの案に、面食らった。まさかこの生真面目な男から、デートの提案が出るとは思いもよらなかった。それに問題は、誰が彼女達の相手をするのかという事にもなる。
「何でダブルデートなんだ?」
「答えよう。まずはアンナ・ウィリアムズという女性だが、アカツキと週末にデートの約束をしている」
「何でお前が知ってるんだよ?」
アカツキは抗議の声を上げた。それが意外に大きく、アンナが驚いたように彼を見ていた。
「あぁ、いや。何でもない」
愛想笑いを返し、再びマイヤーに向き直るアカツキ。その顔が殺気に満ちていた。
「悪く思わんでくれ。それに抗議なら、そちらの店長に」
「おいおい、マイヤー」
顔を上げれば神田にコーヒーを持ってきた、ラルフの姿がある。ラルフは一度アカツキを見ると、そそくさとコーヒーを置いて、その場を退散した。
「話を元に戻そうか。まず言っておきたいのは、彼女は直接今回の事件に関係がないということだ。例え、マフィアの幹部の娘だとしてもな。だから、警察署で尋問は無しだ。あくまで事情聴取だろ?」
神田は面白くなさそうに頷いた。確かに、マイヤーのいう事に一理ある。
「それに父親が殺された今、次に狙われるのは誰だと思う? 彼に一番近い家族だよ。だから、事情聴取するのと同時に、彼女の護衛もしておかなくちゃならん」
「紅龍会に任せたらどうだ?」
護衛なら他に任せろとばかりに、面倒くさそうなハッカーはマイヤーに言った。
「そうはいかん。安全面は確保されるだろうが、事情聴取が出来なくなる。また紅龍会を襲うか? 俺は構わんが」
面白くなさそうにハッカーは顔を背けた。
「それよりも簡単なのは、俺達が直接の敵ではなく、彼女を守る存在であり味方であることを意識させることだ。そして俺達自身が彼女を保護下に置く。それが目的だ。心を許せば、彼女も事件の手がかりを話すだろう?」
「成程。納得した。それで、誰が行く?」
神田はマイヤーの考えに乗ったようで、他の二人としても異論はなかった。だが、アカツキは面白くない。
「恐らくダブルデートってくらいだから、俺にも期待してるんだろう?」
「御明察。お前とハッカーに頼む」
これに驚いたのは、指名されたハッカーだ。
「はぁ? 何で俺なんだよ?」
「お前、さっきあの娘のこと美人だって言ってただろう?」
盛大な舌打ちと共に、黙り込むハッカー。それを見て、マイヤーはニヤリと笑った。そして、アカツキを見やる。
「ということで、デートのお誘いはよろしく頼んだ。アカツキ」
「分かった。と言っても、既にデートの約束はしているわけだが」
アカツキとアンナは、週末に出かける予定だった。アカツキには最近の女性がどこに行きたいのかなど、全く分からない。だからアンナに行程は全て任せることになるだろう。
「あら、どうしたの?」
話しかけてきたのはアンナの方からだった。
「いや、まぁ何だ。この前の話の件だ」
「覚えててくれたの? いつもは忘れているのに、珍しいわね」
「たまには、な」
アンナは今まで親しげに話していたレイカと少しだけ離れ、アカツキの元に近づいてきた。
「今週の土曜日はどうだ?」
「空けてるわ」
「そりゃあ、よかった。ところでアンナ。少しだけ相談なんだが?」
アンナが怪訝そうな顔をした。どうもアカツキはこの顔が苦手だった。何故だろうか、彼にはその理由は分からない。
「いや、まぁ、断るなら断ってくれてもいい。俺の友人の頼みなんだから」
神田とマイヤーが、ダブルでアカツキを食い殺しそうな顔をしてくる。幾らなんでも、アカツキにこの二人の猛獣を相手にする勇気はない。
「あの娘、お前の友達か?」
「そうよ。私の大学の友人なの。最近ちょっと大変でね、今日は気分転換にここに来てもらったのよ」
「成程、そりゃあ良いことだな」
「それで、彼女がどうしたの?」
「あぁ、その件なんだが・・・・・・。あそこにいる俺の仲間がね―――あそこにいる、背の低い方だが―――、彼女を紹介しろってうるさいんだ。あいつ、ああ見えて結構シャイでね、だから俺から君に頼んでる」
「いいわよ、呼んで来たら?」
アンナの性格は意外にさっぱりしている。しかしアカツキは慌てて、それを拒否した。
「いや、本題はそこではないんだ。君に相談したいのは、あのシャイな男に免じて、どうか今度のデートはダブルデートにしないかという事なんだが・・・・・・」
アンナから溜息が漏れた。アカツキは気付いていないだろうが、マイヤーや神田の見立てでは、このアンナという女性はアカツキに惚れている。それを見て取ったマイヤーや神田はニヤニヤと笑っていた。
「頼むよ」
じっとアカツキに見られて、アンナはついに観念した。アンナ自身も、アカツキの真面目な顔つきが何故だか苦手だった。どうしても真面目くさって頼まれると、嫌とは言えないのだ。
彼女は二度目の溜息を吐いて、苦笑いを浮かべた。
「分かったわ。でも、残りの二人の分まで友達は用意できないわよ」
「そりゃあ勿論。全く問題ない」
アカツキは喜んで席に戻り、あまり面白くなさそうな顔をしているハッカーを横に彼の肩を抱き寄せた。そして、無理やりの作り笑いを浮かべて、
「もっと嬉しそうにしろよ。お前が笑顔じゃないと、相手も乗ってこないだろ!」
ギリギリと頬を抓る。ハッカーは悲鳴を上げたかったが、そうも出来ず喉の奥で悲鳴を殺した。そして、無理やりに笑顔を浮かべる。
アンナもレイカに、アカツキとハッカーの話をしており、レイカのエキゾチックな瞳がハッカーを見た。ちなみにハッカーも顔は悪くない。見様によっては、甘いマスクを被ったという表現が出来なくもない顔立ちだ。
ハッカーは最大限自分が努力できる、女性受けしそうな顔を作りこんでレイカに手を振った。彼の笑顔は何とかレイカの心に届いたようで、レイカも笑顔をハッカーに反してきた。手を振ると、彼女も同じように手を振りかえしてくれる。
アンナがアカツキの元に歩いてきて、そっと耳打ちした。
「レイカもオッケーだって。お友達によろしく伝えておいて。じゃあ、私達はお昼一時に私の自宅にいるから」
「分かった。遅れないように迎えに行こう」
アンナはアカツキに手を振って去って行った。
「俺、あっちの方が良かったかな? なぁ、アカツキ、お前の知り合いのセクシーブロンドの彼女も紹介してくれよ」
「いい加減にしないと、本気で殺すぞ」
アンナから目を離さず、殺気丸出しでハッカーに釘を刺すアカツキだった




