第一話 共同戦線
神田と会った翌日の朝、アカツキはバイクに乗って彼が所属している署に向かっていた。冬の寒さはバイクを運転するごとに、風に運ばれて肌に突き刺さる。かなりの防寒を施してきたつもりだが、それでも寒いものは寒かった。
「ったく、寒いな」
悪態をつくアカツキ。海外生活が長かったせいか、そして彼が選んだわけではないのだが、比較的気候が暑い地域に潜伏する期間が長かったため、二年前に日本に戻って来た彼は非常に寒さに弱くなっていた。
「赤道直下の太陽が恋しいぜ」
ちなみに彼が運転しているバイクは、バイクと言っても原付だ。まさか世界一と言っても過言ではない元テロリストが、小さな原付に乗って移動しているとは誰も思わないだろう。ある意味その光景は、一つの滑稽さを感じさせた。
「あそこがそうかな?」
目の前に見えてきたのは、地上十階建のビルだった。それが神田の所属している署で、日本にあるものの中では比較的大きな規模の建物になる。そしてその警察署は、地域の安全を守るだけではなく、この街特有の重要な任務を与えられていた。
外国人街管轄署―――。
それがこの警察署の名前であり、通称『外管』と呼ばれている。
外管が行う仕事は、その名の通り外国人街で起きた事件や外国人街の移民が起こした事件を解決することである。そのためにこの署に関しては、一般的に日本の警察官にはいない、日本国籍の外国人達が所属している。彼らは既に日本に移住してきて十年以上がたった人間達だが、その顔触れはアメリカ系、ロシア系、そして黒人から中南米出身者と多彩だ。無論、本人の前科を含めて様々な項目をクリアしたものだけが配属されるため、エリート意識も高い。
ただ、移民達を相手にするとあって、海外から流入してきた犯罪者も相手にすることがあるため、この署にはICPOとの独自のパイプがあることも一つの特徴だ。
アカツキは署の入口にバイクを駐車し、何事もないかのように中に入る。カウンターには女性警官がおり、少ないながらも警察署に用事を済ませに来た人々の要件を受け付けていた。例に倣ってアカツキも彼女のもとに向かう。
「やぁ、用件はここに伝えたらいいかな?」
「えぇ・・・・・・あなた、日本人?」
突然不審な顔になった女性警官に、アカツキも不審な顔を返した。
「まぁ、一応日本国籍だ」
「生まれは?」
「日本だけど?」
「じゃあ、生粋の日本人ですよね? 日本人に限っては、この外管は利用できませんけど?」
そう、外管はあくまで移民専用だ。一部ではこの措置を人種差別だと叫ぶ声もあるが、日本人警官の中には外国人の抱えている問題に関して疎い者も多く、それを専門に扱う外国人街管轄署は重宝される面が多い。しかし、この署では緊急の場合を除いて日本人が利用できないことが唯一の難点とも言えた。
「いや、人に会いに来たんだ。ここに神田という警察官がいるはずなんだけど?」
「・・・・・・ご用件は?」
「昨日そいつから、今回の捜査の協力を要請された」
女性警官の顔が険悪なものに変わった。
「あなた、賞金稼ぎ?」
昨今、犯罪の増え続ける移民街において、犯罪者を捕まえることに困難さを覚えた警官は犯人に賞金をかけることが多くなった。そのため、職にあぶれたならず者達が賞金稼ぎとして暗躍することも多々ある。しかしそれが新たな犯罪を呼び起こすこともあって、警官達は日夜その対応に追われているのである。
その賞金稼ぎが警察と共同戦線を組むことも稀にあるが、誰も決まっていい顔はしない。
「いや・・・・・・。まぁその、今は無職だ」
「賞金稼ぎっていう職業名は無いわ」
「まぁ、そうだな・・・・・・。じゃあ、言っておくけど。元テロリストだ。これで満足?」
場の空気が固まった。そして直後に凍りつく。
女性警官は緊急時用のサイレンを鳴らすボタンに手をかけ、それを止めようとしたアカツキは、一息遅れて勢いよく降りてきたシャッターに手を挟まれる。
声にならない悲鳴を上げ、更にそれを掻き消すようにサイレンが鳴り響いた。女性警官は受付の裏手から仲間を呼び寄せ、銃を持った警官達が多方面から飛び出してくる。
「手を上げろ! そして頭の後ろにまわして跪け!」
「この状況見ろよ! どう見たって無理だろうが!」
アカツキは非難がましく言って、どう控えめに見ても自分の誤解を解けそうにない、壊滅的なまでに危機的な状況を見て低く唸った。懐にはいつも忍ばせている護身用の銃がある。それを抜いてもいいが、手が挟まれて動けない状況では一発撃った後にこちらが蜂の巣だ。
「おう、アカツキ。何してる?」
それは天の声にも等しかったが、そんなことに感謝するよりも、アカツキとしては早く助けだしてほしかった。
「神田! おせぇんだよ! 頼むから早くこのシャッターどけてくれねぇか? 手が千切れそうだ」
「本当だな。よく千切れなかったな」
のらりくらりと、そしてのほほんと、神田はいつものペースを崩さない。彼は受付側にまわっていき、緊急事態解除のボタンを押した。サイレンは鳴り止み、シャッターはゆっくりと元の位置に戻って行った。
鉄の猛獣がギリギリと噛みつくようなシャッターから解放されたアカツキは、ほっと息を吐いた。
「相変わらず鍛えているみたいで安心した。で、最終的に俺が現れなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「どうしようもないから、一度捕まってお前が来るのを待っていたさ」
「もしもこなかったら?」
アカツキはベルトから鋭い針と、その他諸々の細い金属を取り出した。それはカギを壊したり、強制的に開錠させるための道具だ。
「準備のいいことで」
「元テロリストだからな。なりふり構っていられない」
親しげに話しながら去っていく二人を尻目に、それを唖然として見送る警官達だった。
「ところで、お偉方達からは俺と共同戦線張ることにゴーサインが出たのか?」
「それに関しては問題ない。お前は前回の事件の時にも、好意的に協力してくれたからな」
神田とアカツキが初めて組んだ事件で、アカツキは警察に対して様々な情報提供を積極的に行った。その結果、警察は犯人と絡んでいた組織の一斉検挙にも成功したのだった。
「ちなみにお前に対しての報酬だが、これでどうだ?」
「一万ドルね。上等だ」
これで正式にアカツキと警察の共同戦線が成立した。今回の事件が解決するまで、あるいは上層部が解決と判断するまで、彼らは合同で捜査を行うことになる。
「それじゃあ、まずは昨日の事件で手に入った情報を見に行くとしようか」
資料室には昨日の事件で鑑識が集め回って来た数々の資料が閲覧できる。無論、それを閲覧できるのは事件を担当している警察官だけだ。しかし今回のアカツキには、警官と同等の権利がある。
「現場で犯人を見た人間はいない。だが、犯人を見ているのが、人間だけというわけでもない」
神田はアカツキに、証拠品の中に含まれていたビデオテープを見せた。それは防犯カメラの映像が録画されているものだ。
「犯人は黒い覆面、中肉中背。背は高い方ではないな」
「そりゃあ素敵な手がかりだな」
アカツキは溜息交じりに画像を覗き込んだ。そこには高井に向けて銃を発砲する男が映っていたが、その顔は覆面に覆われていて正体が分からない。男の姿も防犯カメラからはだいぶ距離が離れていて、その素顔を特定するには難しそうだった。
「鑑識は画像解析も行ったようだが、やはり覆面をつけているでは犯人は分からずじまいだな。で、お前はどう思う?」
「無茶ぶりすんなよ。どう思うと言われても―――」
ここでアカツキは気付いた。
「おい、この銃あまり見ない型だな?」
神田は画面を食い入るように見つめるが、画像に映っている銃は型式まで見極められない。
「すまんが俺には分からない。どうしてそう思う?」
「銃声が主な原因だ。画像には銃の形が見えにくいが、この銃声は聞き間違えようがない。何せ、俺は十年以上も戦地で銃の音を聞いてきた男だからな」
再びアカツキは、犯人の男が銃を発砲する場面に映像を巻き戻す。
「これはイタリア製のベレッタさ。俺が従軍していたイラクなんかでも、よく使われていた。それに他の紛争地でも、比較的手に入りやすい拳銃だ。昔は警察なんかがよく使っていたみたいだが、旧式化に伴って裏市場に流れているのが現状だな」
イタリア製の拳銃であるベレッタは、つい数年前まで複数の国の警察や軍隊で正式装備として採用されてきた。それだけ拳銃としては、使いやすさと安定性に優れた銃だという事だろう。
「ただ日本に限っては、まだ裏市場で幅を利かせているのはロシア製の銃だ。だからこの手の銃を使っているのは珍しい」
「つまり、犯人を調べるにはこの銃を購入した人間を調べればいいと?」
神田には一筋の光明が見えたようだったが、アカツキが硬い表情を崩すことはなかった。
「それで犯人が捕まるとも限らない。移民街は裏市場の巣窟みたいな場所だからな」
しかし何はともあれ、手掛かりはこれしかない。アカツキと神田は則松を加えて、移民街に向かった。
移民街には日本人達が住む街に近い表の顔と、とてもディープな裏の顔がある。表の顔は外国から移って来たブランドショップや雑貨店が並び、それはもう煌びやかな成功者達の集う場所だ。移民街の表の顔を代表する人間達は、どれもこれも高級住宅街に住み、更に高級車に乗っている。
そして日本中探しても中々お目に罹れない、ディープな場所と言われているのが移民街の裏の顔だ。それは移民街の中央に向かえば向かうほど、その色合いを増す。ちなみに中央街に近づくほど日本人としての存在は薄くなり、日本の法律が適用しにくく、犯罪率が急激に上がっていくのが特徴だ。
だから某国のガイドブックには、『普通の旅に飽き飽きしている通な旅行者へ。スリリングでエキサイトな体験をしたければ、この街がお勧めだ!』なんてことが書いてあるとか書いていないとか・・・・・・。だが、実態を考えれば無論どの国の旅行者にも、あるいは日本人にもお勧めできるものではないのは確かだ。
「それで、俺達は何でこんな所にいるんでしょうか?」
おどおどした様子で神田とアカツキに問いかけているのは則松だった。彼は二人に言われるままに車を運転してきたのだが、辿り着いた先はとんでもない場所だった。
「あまり挙動不審な動きをするな。堂々としていろ」
「でも、先輩―――」
まだ何か言いたそうな則松を、神田は睨み付けて黙らせる。
彼らが今いる場所は、そんな移民街の煌びやかな場所―――一応補足しておくが、ホームシックなどはギリギリとはいえ表の顔の店が多い場所に店を出している―――とは全く無縁の、中心部に極めて近い場所だった。
彼らの周りには掘立小屋に近い民家や、日本政府が移民受け入れ当初に建設した集合住宅が並んでいる。そのどれもこれもが手抜き工事の結果なのか、既に老朽化が激しいものが目立つ。
「おい、無駄話はそこまでだ。行くぞ」
拳銃に弾を込めながら、アカツキは二人を呼んだ。それを見て則松の緊張はますます高まった。神田もアカツキに倣って銃に弾を込め、則松にも促した。
「則松って言ったな? よく覚えておくといい。この移民街で、中心部はレッド・ポイントと呼ばれている。神田から聞いたことないか?」
則松は神田を見たが、神田は首を横に振った。
「レッド・ポイントの話はしていない。こいつはまだ新人でな、これから徐々に移民街関係の情報も教えて行こうと思っていた」
「そうか。だが、それなら猶更今日の経験はいいものになるだろうよ」
移民街の中心部、それは『レッド・ポイント』と呼ばれている。名前の由来は、この地点での銃撃の多さと、それに伴う流血の量による。移民街には多くの移民達と一緒に、犯罪者も流れ込んでいる。特にそれらを取りまとめるマフィアやギャングの数は、移民政策開始当初から劇的に増えていた。
犯罪者が増えれば、必然的に犯罪の数も増える。そしてレッド・ポイントに至っては、移民街の勢力を握るために数多くのマフィアやギャングが、平気で銃撃戦を行うような地域となったのである。
「特に今俺達がいる地域は、レッド・ポイントから近い。つい最近もそこで銃撃戦が行われたところだ」
見れば中華料理屋の入口が黒く焦げている。窓のガラスが散乱し、店の装飾品が道端に転がっていた。銃撃戦の激しさは、それを見るだけで明らかだ。
「何故ここまで治安が悪い地域に、上層部は警察官を派遣しないのでしょうか?」
則松はもっともらしい疑問を呟いた。
「誰だって、蜂の巣にはなりたくないだろう?」
神田の答えに、則松は身震いする。
「かといって、そのまま野放しにしておくわけにもいかないのだろうがね」
にやりと笑って、神田は踵を返した。懐のホルダーに銃をしまい、コートでそれを覆い隠す。アカツキと目でやりとりすると、二人はとある店に向かって歩き出し、それを慌てて則松が追った。
アカツキが神田達を連れて入った店は、ニコラス・コロシカフという男が経営する店だった。そこは鉄の匂いと火薬の匂いが渦巻く、少しばかり危険な香りがする店だった。ちなみにその鉄も火薬も、人を傷つけるためだけに使われる。
ズシリと重い鉄の塊たちは所狭しと肩を並べ、その鉄の群れの中で小さく座っているのがコロシカフだった。ロシアからやって来たコロシカフは、レッド・ポイント近くで銃を販売している武器商人だった。
「よお旦那」
「よお、コロシカフ。景気はどうだい?」
「悪くねぇ。この地域では銃撃戦が日常茶飯事だからな。撃つ方も撃たれる方も、どちらも銃を欲しがって店にやって来るよ」
コロシカフは老年に達した男だった。オールバックにした髪は真っ白で、眉毛は既に薄くなってしまっている。更に落ち窪んだ目は不気味で、痩せぎすの顔と相まって死神のように見えた。その死神は、アカツキを見て静かに笑った。
笑い声を、喉の奥で殺しながら。
「それで今日はどんな用事だね? あんたの特注製の銃が、また不具合でも起こしたか?」
「俺の相棒はじゃじゃ馬だが、そんなにいつも機嫌を損ねはしないさ。今日は全く別の用件だ」
「ほぉ。あまり俺にとっては、面白い事ではなさそうだね」
アカツキの後ろを見れば、神田と目が合う。
舌打ちをしたコロシカフを見て、神田と則松も店の中に入って来た。コロシカフは自分の御得意先でもあるアカツキには好意的だが、神田達警察官は大嫌いだ。コロシカフ自身、何度服役したことか分からない。
「コロシカフ、お前さん、まだ武器商人なんてやってるのか?」
「ふん、この俺がお前に捕まったからといって商売を畳む義理はないだろう?」
コロシカフは老人特有の気難しさを、防御壁のように前面に押し出した。それが武器商人ともなれば、大体の人間は彼と話をすることを避けたくなるだろう。
「逮捕状はちゃんと持ってきたんだろうな?」
「安心しろ、今日はあんたを逮捕しに来たわけじゃない」
これにはコロシカフが意外そうな顔をした。そして自分が身構えていたことが気恥しくもなったのか、一つ咳払いをする。
「じゃあ一体、どんな用件で来た?」
「情報が欲しい。犯人探しの情報だ」
コロシカフがアカツキを見た。そしてやれやれと肩をすくめる。
「旦那、あんたも物好きだねぇ。なんだって警察官なんかに味方をするんだい? まぁ、そうは言っても、あんたを理解できるような人間もそういない」
アカツキは苦笑した。
「そうなんだよ。俺って物好きでねぇ。まぁ、少しばかり協力してくれよ」
「いいだろう。だが、そちらが聞きたい情報の内容による」
「大丈夫だ。あんた、最近ここら辺でイタリア製の銃が出回ってるなんて話、聞いたことないか?」
「あぁ、あるよ」
アカツキと神田は顔を見合わせた。まさかこんなに簡単に、犯人が使っている武器の出所が見つかるとは思わなかった。しかし、物事は彼らが期待していたほど、進展はしなかった。
「最近は何故だか、ベレッタを始めイタリア製の武器がよく手に入る。ほれ、この通り」
コロシカフがリモコンのスイッチを押す。すると彼の後ろの壁が裏返り、中から陳列された多くの武器が現れた。
「これは全部、イタリア製なのか?」
神田の問いに、コロシカフは頷いた。ずらりと並んだ銃、全てがイタリア製だ。
「何故こんなに簡単に手に入るかは、俺もよく分からん。ただ、沢山手に入っている分、俺達が仕入れる価格は格安だ。もしかしたら、銃を輸入している奴らの輸入形式が変わったのかもな」
このガンショップでも、安く仕入れて高く売るという市場効果が働いていた。陳列されたベレッタの量を考えるに、少しばかり過剰な仕入れになっているかもしれない。
「お前の店で、最近このベレッタを買った奴はいるか?」
「いるけど、何人もいるぜ? どれもこれも、覚えちゃいないよ」
アカツキと神田は溜息を吐いた。どうも、ガンショップをしらみつぶしに当たって情報源を得ようとする捜査方法は、やめた方がいいようだ。
「すまんなコロシカフ。邪魔したようだ」
「いや、客も来なくて暇してたところさ」
三人は店を出た。再び捜査は振り出しだ。
「すまんな、ここは情報源になり得ないようだ。他を当たろう」
アカツキは自分の携帯電話を取り出して、電話帳から人を探し始める。それを神田が止めた。
「なぁアカツキ、俺からも提案があるんだが?」
「聞こうか」
「この際だ。今回の犯罪を犯したのが移民だと断定して、テロを起こしそうな奴ら、抗争を起こしそうな奴ら、あるいは今現在警察にマークされている奴ら、全て虱潰しに逮捕していくってのはどうだ? こちらは人員もいるし、ある程度の奴らは一斉に踏み込んで捕まえられる」
神田は警察内の特殊部隊にも顔が利く。それは彼自身が三年ほど、特殊部隊に在籍していたことにもよるが、現在彼の後輩達が特殊部隊の小隊を指揮するようになっている。その後輩達を使えば、容疑者を確保することなど容易いだろう。
しかしアカツキの見立ては違った。
「警察としてはその見方が正しいのだろうな。だが、ここは日本の法律なんて通用しないぜ? 踏み込んでみろ。残りは海外にトンヅラだ」
神田は渋い顔をした。彼にとっては妙案だと思ったのだが、確かにアカツキに言われてみれば、それが正論だとも思える。日本の警官達が外国人犯罪者の尻尾を掴んだ時には、既に海外に高飛びしているという話はよくある。その上、彼らにしてみれば面白くないことに、海外での手柄はICPOに持って行かれてしまうのだ。
そんな神田の想いをくみ取ったかのように、アカツキは次の案を打ち出した。
「安心しろ。俺にもう一人心当りがある」
アカツキが心当りと呼んだ人間は、コロシカフの店から車を走らせて十分の場所にいた。レッド・ポイントからは離れて、若干ほっとした様子の則松の姿がある。
三人は車を降りて、小奇麗なマンションの中に入って行った。そこは先ほどの、今にも朽ち果てそうな建物とは違い、セキュリティもしっかりした高級なマンションだった。正直自分が住んでいるマンションよりも綺麗なマンションに、神田は本当にここにアカツキの知り合いがいるのかと不安になった。
「本当にここでいいのか? えらく綺麗だが?」
「あのな、移民が全てレッド・ポイントみたいな場所に住んでいると思ったら、大間違いだぞ。お前達日本人は、まずはその考えから改めた方がいい」
「お前だって日本人だろうに」
アカツキは神田の抗議を無視して、目的の人物がいる部屋番号を押した。インターフォンを鳴らすと、それに反応する防犯カメラが動き始める。そして対象物を映しはじめた。アカツキは防犯カメラに向かって手を振り、
「おう、ハッカー見えてんだろう? 俺だ、アカツキだ。さっさと開けてくれ」
程なくして自動ドアが開いた。やけにセキュリティのしっかりしたマンションを、エレベーターで上に上がる。五回のフロアで止まったエレベーターを降りて、アカツキはハッカーと呼ばれる男の部屋に向かった。
「そのハッカーって男、信用できるんだろうな?」
「俺がこれまで紹介して、信用できない奴がいたか?」
一瞬、神田が猛犬のような顔をした。何か思い出したくない過去でもあるのだろうが、それを詮索できないのが則松だった。しかし、アカツキは何か思い当たる節でもあったのか、悪びれた様子ではないものの謝罪した。
「そりゃあ悪かったな。まぁ、この街の人間がすることだ。気にするな」
「何が気にするな、だ」
部屋の前のインターフォンを押すと、ガチャリとカギが開いた。この部屋のカギは、遠隔操作で開くようになっているらしい。珍しいタイプのマンションだ。
ドアを開けると、部屋の中は昼にもかかわらず薄暗かった。濃紺のカーテンが閉め切ってあり、カーテンの間から入ってくる光のみが部屋の中で唯一の明かりだった。則松は一種の不気味さにたじろいだ。
「おい、ハッカー。いるんだろ? いないのか? 勝手に入るぜ」
その不気味な部屋に、何の躊躇もなく入っていくアカツキと神田の二人。もしもこの二人に心があるならば、間違いなく鋼鉄製であると則松は断定した。それも大砲やらミサイルやらぶち込んでも、ちょっとやそっとでは壊れないに違いない。
「おい、則松何してる? さっさと入ってこい」
神田に呼ばれて、則松は慌てて玄関を上がる。玄関から真っ直ぐの廊下を抜けてドアを開ければ、そこはリビングだった。リビングには黒いテーブルと、黒い花瓶に飾られた黒いバラが飾ってある。見ればテレビの色はまだしも、ソファからクッションに至るまで、黒一色だった。人それぞれに好き好きはあるだろうが、この色遣いは恐らくこの世で最も陰湿な冥界の王よりも趣味が悪い。
そして思ったことを口に出さないと気が済まないのが、神田という人間でもある。
「何だこりゃあ? この部屋にはモグラか蝙蝠でも住んでんのか?」
「人様の趣味に、あまり口出すのはどうかと思うぞ? ただ、黒バラなんて本当にどうかと思う」
「俺ならバラは赤だ」
「ピンクも可愛いぜ?」
「そういう話じゃないでしょ? 真面目に仕事してくださいよ」
まさかの後輩から突っ込みを入れられて、アカツキと神田の二人は真顔に戻った。アカツキは肩をすくめて、ハッカーと呼ばれる人物を探すために再び他の部屋に繋がる扉を開けようとした。
しかし、ドアはアカツキの反対側から開けられ、その向こうから一人の男を出現させた。見れば移民の顔立ちをしているものの、肌は浅黒いから南米か南欧の出身者かと思われた。背丈も高く、細い顔に綺麗に整えられた口や顎の髭は、男を一層男前に見せていた。
「アポなしとはご挨拶だな?」
猫がネズミを嬲り殺すような、どこか殺意に満ちた静かな声で、男はアカツキに言った。それを聞いたアカツキも、狼が笑ったような笑顔を浮かべて、決して穏やかな雰囲気など作らずに男に応える。
「お前、アポなんかとらなくても、いつも家にいるだろう?」
瞬間、アカツキと男の間に見えない刃の応酬があったように感じた。則松は尋常ならざる空気を感じて、自らの身をどうやって守るかを考えていた。銃に手をかけようにも、恐らくそんなことをしたら、速攻で目の前の二人に殺されてしまいそうだった。
「こいつがハッカー?」
また空気感を全く読まない男が、アカツキ達の間に割って入った。しかし徐々にアカツキ達の間の殺意に満ちた空気は、血腥い匂いを薄めていった。完全にとは言わないまでも、その匂いがだいぶ弱まったところで、アカツキは神田に向き直った。
「そうだ、紹介しよう。こいつがハッカーだ」
「そのハッカーってのは偽名なんだろう? 俺は神田信吾だ。あんたの本名は?」
ハッカーと呼ばれた男は、冷たい笑みを浮かべて神田を見た。
「神田さん、悪いが俺に名前はない。ハッカーって通り名だけが、俺の名前でね」
そこにアカツキが補足の説明を加えた。
「こいつは国籍も分からない。勿論、名前なんて分からない。謎だらけな男でね」
アカツキに聞いて、神田はそれ以上の追及をしなかった。無言で頷いて、ハッカーと握手を交わした。
「で、俺にどんな用で来た?」
「情報通のお前なら知っているだろう? 高井莞爾が死んだ。殺人だ」
「知らないわけないだろう? 俺じゃなくても、もうここら中で噂が流れてる。中にはパーティーの準備を始めている奴もいるぞ」
どれ程高井莞爾という男が、移民達から嫌われていたかという証拠だ。
「今俺は神田の依頼で、捜査を手伝っている。お前に情報提供をお願いしたい」
神田から見せられた警察手帳を見て、突然ハッカーは動きを止めた。そして神田を二度見して自分の部屋に向けて走り始めた。それを見た神田は瞬時に判断した。
警察の目の前でそんな動きをするのは、何かを隠している犯罪者しかいない。
「待てこの野郎!」
アカツキを跳ね除けて、ハッカーを追う神田。則松はそれを見て、おろおろするばかりだった。アカツキを見たが、彼は吹き飛ばされたソファの上で二人が走り去った方向を、ニヤニヤしながら見るだけだった。
「大丈夫だ。大したことにはならねぇから」
一方、神田に追われているハッカーは一足先に自室に入り、ドアのカギを閉めた。そしてパソコンの画面を捜査して、何やら必死に証拠隠滅を図ろうとしている。神田は一度ドアを開けようと体当たりを試みたが、一回だけ響いた闘牛の体当たりと聞き間違うような激突音は、すぐに静かになった。その直後に響いたのは、銃撃音だ。そしてカギを破壊してドアをぶち破って来た神田が目にしたのは―――。
「何だ、それは?」
「いや、待て! これは、そのだな―――」
「何だと聞いている?」
おずおずと自分の体で覆っていたパソコン画面から体をずらしたハッカーだったが、パソコン画面に映っていたのは、それはそれはグラマーな裸のお姉ちゃんの姿だった。それも動画。
「お前が立ち上げたサイトか?」
頷くハッカー。
「課金制だな?」
頷くハッカー。
「法外な値か?」
「いやいやいや、良心的な値段さ。会員制で一カ月千ドル、動画見放題」
「古典的な方法だな。まぁ、一カ月十万円は高すぎるかと思うが、そんなことしている奴らはこの世にごまんといる。最後に聞くが、ウィルスは?」
「時と場合によっては。だけど、そんなウィルスもお前さん達の役に立つことがあるぜ?」
なるほどと神田は頷いた。彼は構えていた銃をおろし、アカツキ達を呼んだ。
「大人しく従えば、このことは黙っといてやる」
「話が分かる奴は好きだぜ」
すぐに話は本題に入った。アカツキ達が置かれている状況を聞いたハッカーは、自らの思い当たる情報源をすぐに思いつき、パソコンを操作し始めた。
「先に言っておくが、これは俺が立ち上げたサイトじゃねぇ。それと、このサイトを立ち上げた奴を探すのは止めときな。命が幾らあっても足りねぇぞ」
やがてインターネット上のサイトとして表示されたのは、何とも悪趣味で血腥いものだった。画面には掛け金とオッズが書き込まれ、情報は一日ごとに更新される。更新される情報は賭けの対象になっている人間達の名前と、その対象者が殺害したターゲットの名前だった。
「これは、一体?」
まだ刑事になって日の浅い則松には、画面の内容が正確に理解できなかった。というよりも、今まで綺麗な世界で住んでいた彼の頭は、このサイトの内容を理解しようとしていなかった。だが、神田は違う。
「そういや、こんなサイトもあったな。一時、運営が中止させられていたはずだが?」
ハッカーは馬鹿にしたような笑いで、神田を見た。それを見た神田の顔が、猛獣のような皺を寄せる。
「このサイトを運営している奴は、さっきも言ったけど相当アンタッチャブルな奴だ。だから以前あんたらから逮捕されたのは、完全にデコイ(囮)だよ。あんたらはブラフ(偽情報)を掴まされたのさ」
「成程な。ってことは、このサイトが中断したことはない?」
「一秒たりとも。少なくとも、俺が知っている中では」
ハッカーは再びサイトを捜査し始めた。クリックを繰り返し、サイトの奥深くへ侵入していく。賭けの対象者をクリックすれば、そこには少ないながらも情報が現れる。ただ、それを全て信じてしまうのは非常に危険だ。だから、彼らは他の情報を調べていた。
「それで、ここから何が分かるんですか?」
しかし、則松にはまだ、神田達が何を調べているのか分からない。神田は後輩に説明した。彼のぶっきら棒な表情と、癖のある性格を最大限に柔らかくほぐしながら。
「お前もこれから外管で働くなら、こういうことはしっかり覚えておけ。何かと役に立つ。このサイトは一日ごとに、管理者が更新している。ちなみに高井莞爾が殺されたのは、昨日の午前中だ。既にサイトは更新されていて、このオッズを見るに、対象者が殺したターゲットの名前が世に売れていれば売れているほど、オッズが高くなって狂ったギャンブラー達への配当が高くなるというわけだ。つまり、昨日高井を殺した犯人は、結構な高額で配当金を生み出してくれる可能性があるという事さ」
そう、もしもこのサイトを見て、昨日中に動きが変動していた賭けの対象者がいたならば、それが犯人だという可能性は極めて高い。だが、そこはさすがのレッド・ポイントだ。
「変動していることはしているな」
「絞り込めそうか?」
「いや、昨日だけで上位の変動で名前が挙がっている奴は、十二人だ。とにかく、一人一人とっ捕まえて、話を聞き出すしかないな」
神田はプリンターを使い、サイトの中にアップされている対象者の写真を印刷した。それを持ち帰って、警視庁のデータに照合、更に容疑者達を確保しなければならない。
「警察も大変だな。こいつら多分、レッド・ポイントの住人ばかりだぜ? 特殊部隊を用意しておかないとな」
「上から許可が下りるかどうか心配だ。あいつら、すぐに面倒くさがりやがるからな」
神田は自虐気味に笑った。それを見たハッカーやアカツキも、何故だか笑ってしまう。
「お、それとアカツキ。お前にも言っておかなくちゃならないことがある」
「俺か?」
不審がって片眉を吊り上げたアカツキに、ハッカーはにこやかに言った。
「お前の名前、最近ピタッと上位に上がるのを止めちまったぞ。一年前から、何の変動もしていない。俺はお前に高額の掛け金を掛けてるんだから、しっかり頼むぜ」
「知ったことか。俺は今、最高の自由を満喫中なのさ。だから、あんまり指図するんじゃねぇ」
やれやれと肩を竦めたハッカーだった。




