006 : "冬月、だったか"
桜舞う季節。紗夜は火浦学園の高等部の制服に袖を通していた。胡桃崎先輩のおかげで留年、もしくは他校への進学を免れ、この真新しい制服を着れることは大変喜ばしいことだ。
高校進学までの春休みは美汐ちゃんたちと遊び通した。高音ちゃんはあれからも白鷺先輩と交流し、有意義な時間を過ごしていたらしいけど、それはそれだ。紗夜たちとの時間を大切にしてくれているのだから、文句を言う筋合いもない。
むしろその接点のおかげか、たまに直接会う機会もあり、その時には服を見繕ってもらったりなんかしてもらっているので、中学時代よりは多少しゃれた服も増えた。とは言え、使える額に限りがあるので、勧められたすべては買えないのであるけれど。また、紗夜自身にセンスがあまりないことがわかったため、着こなすには至ってないのは少々物悲しい。
まあ、先輩もそこら辺のことは重々承知しているのか、高音ちゃんともどもポイントを押さえた着回しを教えてくれるのだ。やっぱり、持つべきものは友達だな、としみじみ思う。
一方、美汐ちゃんは白鷺先輩とはあまり接点を持たず、時折音信不通になることもあった。とはいえ、そのことそのものは中学時代にもあったことだし、家の関係で色々あることは理解していたので、遊べるときには全力で遊んだのだけれど。
高校へ入ってから二週間。運よく三人一緒のクラスになり、そして彼女たち以外との交遊も深めつつある中、紗夜は間近に迫ったある習慣のことを気にかけていた。紗夜が小学生の時に亡くなった祖母の墓参りのことだ。祖父は紗夜が生まれる前に死去していたので、直接の記憶にはないのだけれど、お祖母ちゃんっ子だった紗夜は数少ない写真で生前の姿を幾度も見たことがあったし、そのたびに思い出話を聞かせてくれたので遠いようで身近な存在である。しかし、その祖母も6年前の4月に老衰で亡くなった。
「なんや、最近ぼーっとしてること多いな。まあ、長い付き合いやし、理由もわかってるけどな」
「あ、うん、ごめんね。なんというか、身近な人が亡くなると引きずるものだなって。あんまり心配かけないようにとは思ってるんだけど、つい……」
「大丈夫。一緒にいられるだけでいい」
高音ちゃんはそれに、と続け、
「私たちがそばにいてサヤを元気にさせられるなら、さらにいい」
「ありがとね」
紗夜だって、きっとそう思う。落ち込んでいるなら元気になって欲しい。
「それなら、今度の放課後は墓参りやな。そういうところまでは流石に付いて行けんからな。まあ、さみしいけどしゃあない」
「ごめんね」
「謝ることあらへんよ。わしかて、色々と用事で付き合えんことも多いしな」
「シオはそういうの結構多いと思う」
それには流石に美汐ちゃんも苦笑で、
「堪忍してや」
「ま、シオはきちんと埋め合わせするからいいけど」
うっすらと高音ちゃんも笑った。
それから数日。紗夜は予定通り放課後に墓参りへとやってきていた。父は仕事で、母も外せない用事があるということで、代表して紗夜だけが来ることになったのだった。供える花や線香もきちんと用意したし、火をつけるためのマッチも抜かりなく持っている。墓を洗うための水桶を管理事務所で借りて、祖母と祖父の眠る墓へと向かう。一族代々の墓ではなく、祖父が亡くなった時に建てた墓だということだ。
墓石に水をかけ、洗う。母や紗夜が命日以外にも来て掃除はしているためにさほど汚れはないが、やはり今日は特別な日だ。念には念を入れて、丁寧に洗う。感謝と冥福を祈って。
「でも……」
どれだけ祈っても、彼らがいないという不変の事実。それは鈍く胸に突き刺さる。胸を掴まれるような息苦しさと、肌をなぞる得体の知れない冷たさ。寿命だということは頭ではわかっていても、それでも何故と問わずにいられない。それが6年経った今でもだ。
物言わぬ冷たい墓石。それへ体温を移すように優しく、しかししっかりと触れる。
そんな時だった。ふいに旋律が風に乗って届く。いや、予期はしていた。一昨年から聴くようになったヴァイオリンの旋律。ただ、奏でられる楽曲はクラシックとかそういうものではなく、数年前に流行った一般的な歌謡曲をヴァイオリンによって表現したものだ。
高らかで美しいと感じる一方で、どこか物悲しさを感じさせる。
ふと、好奇心が首をもたげた。墓地に流れる物悲しい旋律は如何なる人が奏でているのか。合唱部として音楽にかかわる身としても気になった。
手早く、しかし丁寧さは欠かすことなく線香と花を供え、紗夜は旋律が途絶えぬことを祈りつつ荷物を手に歩き出した。
メロディはAメロからBメロに。音の方へと歩いているつもりだが、この墓苑は意外と広い。音に近づいているつもりがいつの間にか離れてしまったりとしているうちにサビへと突入。一際高らかに、しかしそこに乗る感情の激しさも増す。明るい曲のはずなのに、なんと胸を締め付ける旋律なのだろうか。
「ッ!」
いた。墓苑の奥まった場所でヴァイオリンを構え、伏せた瞳で弓を動かす。そのたびに紡がれる旋律。その人物は紗夜の知っている人物でもあった。
「胡桃崎先輩……」
なぜ、彼なのか。
なぜ、この場所で演奏するのか。
しかし、気になっても不躾に聞くことはできないだろうことは容易に想像がついた。なんといっても、ここは死者の眠る苑だ。
ふっと、旋律が途絶えた。彼の瞳が紗夜をとらえ、感情が揺れる。小さく動く唇が何事か呟いたのだが、紗夜にはそれが自分の名を呼ばれたように感じられた。
風が吹き、散って色のくすんだ桜の花びらがはらりと舞う。
その一瞬で胡桃崎先輩は構えていたヴァイオリンを下ろして、表情を無にしていた。
「冬月、だったか」
「あ、はい」
覚えられていたらしい。会うのはこれで3回目だというのに。
「…………」
無言が二人の間に満ちる。何か話さなくては、と思うが、どうにも言葉が出てこない。墓参りですか、なんて質問はあまりにも馬鹿げているし、そもそも顔見知り程度の間柄では突っ込みすぎた質問になりかねない。
家族なのだろうか。この位置からでは墓石に刻まれた名前は見えず、確かめようがない。そして、それは知る必要のないことだ。相手が誰であり、彼は哀悼の意をささげ、旋律を奏でていたのだから。そこに籠る感情の深さを聴いてしまったからこそ、紗夜はさらに動けずにいた。
不自然ともいえる静寂を破ったのは先輩の方だった。
「春とはいえ、まだ少し風が冷たい。立ち話もなんだから、どこかに行くか?」
急な誘いだったが、紗夜はなぜか迷わず頷いていた。ここでなければ、きっと別の言葉が見つかる。そんな期待もあった。
そうか、と彼は頷きヴァイオリンを足元に置いてあったケースへとしまう。それを肩に担いで紗夜の方へと歩み寄ってきた。
「近くにファミレスがある。そこでいいか?」
「はい」
少し遅れてついて歩く紗夜は、何かを感じて彼の立っていた墓石の方を振り返る。当然、そこには墓石以外何もなかったが、紗夜は胸にざわめきを感じた。