Haniwa Spring
待ち望んだ春が来た。
澄んだ青空に、淡い桜色が舞う。
色彩豊かな景色を、穏やかな光が優しく照らす朝。
卯月は鏡の前に立ち、新しい自分の姿を目に焼き付ける。
モカブラウンのポニーテール、桜色を意識したメイク、着慣れない春色のスカート。
別人と化した自分の姿を見ていると、自然と笑みが溢れてしまう。
高校までの私は、地味で奥手な暗めの女の子だった。
華やかで可愛い女の子になりたくて、この数ヶ月努力を重ねてきたのだ。
今日から始まる憧れの大学生活。
素敵な人と出会って恋に落ちたり、青春と呼べる時間を共有出来る友達を作ったり。
バイトに明け暮れる日々や、夜遅くまで遊び歩く生活もしてみたい。
今まで出来なかった経験を沢山したいのだ。
「いってきますっ!」
幸せなキャンバスライフを夢見て、卯月は春の世界へと足を踏み出した。
穏やかな風が、卯月の髪を揺らす。
「ハロー」
素敵な出会いは、突然訪れる。
玄関のドアを開けた瞬間、知らない声に出迎えられた。
きっと、ハンサムな王子様が迎えに来てくれたのだろう。
思考が進む卯月は、声の主に期待の眼差しを向ける。
玄関先で待っていたのは、はにわ だった。
桜の花びらが舞う世界の中心に立ち、不思議な表情でこちらを見つめている。
「え……何これ。誰かのイタズラ?」
「私は、はにわ ですっ」
「うわっ、喋った……きもちわる」
「もう一度言います。私は、はにわですっ」
「だから、何なんですか……」
「安心してぇ。あなたと同じ人間じゃないよ」
「そうでないと困ります」
怪訝な表情を浮かべる卯月を、はにわ は丸い目で見つめている。
「あの、そろそろどいてもらえますか? 大学に遅れちゃうので」
はにわ は頑なに動かない。
戸惑う卯月も、玄関先で立ち尽くす。
無駄な時間だけが増え続ける。
「わ、私もう行きますからね!」
埒が開かず、卯月は一声かけて歩き出した。
ゆっくりと はにわ の横を通り、住宅街を繋ぐ道路へと出る。
花の香りが漂う小道を抜け、音に溢れた街中へ。
最寄り駅に向かう途中、ふと後ろを振り返る。
そこに、はにわ は居なかった。
安堵の息を漏らし、卯月は駅の中へと入る。
通勤ラッシュの時間帯ではない為、比較的構内は空いていた。
改札を抜け、停車している電車に乗り込む。
ロングシートの隅に座り、卯月はスマホを取り出した。
ここまで来れば、大学に遅れることも、はにわ に邪魔させることも無いだろう。
発車時刻を待ちながら、卯月はSNSを見て時間を潰す。
「はぁ」
「にんげんって良いなぁ」
「わがままで、自由で。良いなあ」
突然、車内で誰かが騒ぎ始めたが、敢えて目を向けずにスルーする。
こういうのは、関わらないのが一番だ。
「はやく大学行きたいなぁ」
「にんげん達が集まる場所に」
「わくわくしてきたなぁ」
スマホの画面をスクロールする手を止めて、卯月は視線を上げる。
興味本位で声の主を探すが、変な言動をする人の姿は無かった。
あれ……幻聴かな?
車内を見渡すと、隣に はにわ が座っていた。
「いや、お前かよ!」
「電車内ではお静かに」
「あっ、すみません……じゃなくて! なんで居るの?」
他の乗客の痛い視線を感じながらも、はにわ に問いかけてみる。
「目的地が同じぃ」
「あなたも、大学に行くの?」
はにわ は身体全体を左右に振る。
「そこは目的地じゃないよ」
「……ちなみに、あなただけの話だよね。それ」
「卯月も一緒」
「嫌です。てか、何で名前知ってるの……きもいって」
「昔から知ってるよ。卯月は友達ぃ。イエーイ」
真顔で、イエーイ言うな。
周りの目を気にしなさい。凄い変な目で見られてるから。
「はぁ……じゃあ、何? 大学にもついてくるの?」
今度は身体全体を前後に振ってみせる。
土器だから、曲げる事が出来ないらしい。
「卯月」
名前を呼ばれ、卯月は はにわ に目を向ける。
「最高の古墳を探しに行きましょう」
はにわ の声が、車内に響き渡る。
表情は変わらないはずなのに、まんまるな目は輝いて見えた。
「ちなみに、断ったら?」
「埋めるぞ」
「急にこわいじゃん……」
真っ黒な目に見つめられ、卯月は微笑を浮かべる。
「分かった……一緒に行くけど、大学での時間を邪魔しない事が条件。終わるまで余計な事をしないって約束出来る?」
「やくそく」
はにわ は挙げている片手を卯月に向けた。
腕の輪っかと小指を絡ませ、はにわ と卯月は約束を交わす。
物語と電車が動き出した。
無事に、大学初日を終えた。
オリエンテーション中心の一日だったが、充実した時間を過ごせたと思う。
アイドルみたいに可愛い子と仲良くなったり、爽やかな男子に声をかけてもらったり。
嬉しいことばかりだったが、一つだけ残念だった事がある。
約束があって、みんなと一緒に帰れなかったことだ。
はにわ を見捨てても良かったが、卯月の良心がそれを許さない。
大学の邪魔をしないという約束を、はにわ は守ってくれたから――
「待ち合わせ場所、決めてなかったな」
桜並木を一人歩く。
花びらが舞い散る世界は、儚くも美しい。
綺麗な景色にスマホのカメラを向けて、一瞬を切り取る。
撮ったばかりの写真を見てみると、至近距離で はにわ の顔が写っていた。
「おるなぁ。はにわ」
笑みを浮かべ、卯月はスマホを持つ手を下ろした。
卯月の前に姿を現した はにわ の頭に、桜の花びらが舞い降りる。
「良かった。居てくれて」
「やくそく、守ったよー」
「うん。ありがとう。今度は私の番だね」
卯月は優しく微笑み、はにわ に手を差し伸べる。
春景色のなかを、二人は手を繋いで歩き出した。
正しくは、卯月の手にぶら下がる形で、はにわ は移動し始める。
「それで、どこに行くの?」
「古墳」
「それはどこにあるの?」
「古墳群」
「そっか。いつの時代からあるの?」
「古墳時代」
「で、結局どこに行けばいいの?」
「古墳時代に作られた古墳群にある古墳」
「古墳に関する事は流暢に喋れるんだ……てか、まとめただけだし」
「もう知ってるよ」
「……何を?」
「目的地。卯月は知ってるよ」
足を止めて考えてみる。
きっと、はにわ との出会いは偶然じゃない。
出会うべくして、今日出会ったのだろう。
だとしたら、これまでの人生のどこかにヒントがあるはずだ。
「思い出してぇ」
卯月の心を見透かしたように、はにわ が声をかける。
記憶を辿る。
十八年間の人生で、古墳や埴輪と関わった瞬間はあっただろうか。
学校の歴史の授業で習ったり、クイズ番組で写真と情報を目にしたり。
そんなことくらいしか無かったはずだ。
物心ついて以降は、僅かな接点しか――
「……私の故郷?」
今住んでいる町には、小学生の頃に引っ越して来た。
生まれ育った故郷は別にある。
確か、ノスタルジーな原風景の残る村だった気がする。
同い年の友達も居なくて、いつも一人で遊んでいた。
小さな丘から見える田園風景が好きで、いつもあの場所に行っていた。
「あの場所って……」
手を繋いでいた はにわ を抱きしめて、卯月は駆け出した。
どうして、あの場所へ導いてくれたのかは分からない。
環境が変わるタイミングで、忘れていた景色を思い出させてくれたのか。
分かんない。分かんないよ。
村の名前を検索して、移動手段を調べる。
ここから電車で一時間。
日が沈む前には着けるはずだ。
意外と重い はにわ を抱えながら走っているのに、不思議と身体が軽かった。
桜並木、ビル街、駅前広場、駅舎。
景色は移り変わる。
乗り込んだ電車は夕方の世界を駆け抜け、思い出の地へと向かう。
電車のシルエットが伸びる田園風景。
夕陽の光を照り返す浅瀬の川。
遠くに佇む立派な一本桜。
誰も居ない秘境駅。
ホームに降り立つと、懐かしい香りがした。
石段を下りて、畦道を歩いていく。
すると、小さな丘が見えていた。
近くには『夢田与沖呂古墳』と書かれた看板もある。
幼少期を過ごした場所に帰って来た卯月は、腕のなかの はにわ に視線を落とす。
ずっと抱きしめていたはずなのに、いつの間にか消えてしまっていた。
辺りを見渡すと、古墳の上にひっそりと佇んでいた。
草に覆われた丘を登り、はにわ に歩み寄る。
もう、喋ってはくれなかった。
本来居るべき場所に立ち、埴輪の役割に徹している。
ここまで連れてきてくれた はにわ の横に立ち、眼下の景色を眺める。
「最高の古墳,見つけたよ」
夕陽の魔法が解けていく。
全て夢だったとしても、卯月は忘れない。
はにわ がくれた素敵な春の一日を――