第二話
バースで獲れる魚はどれも逸品だが、中には魚類の認識を覆す風貌の魚も多数存在している。
漁から戻った男達の手伝いを買って出たヴァルトは、自分より屈強な男達が数人がかりで運ぶ魚介類満載の箱を、一人で軽々と運び入れていく。
まだ生きの良いそれらの魚を、保存用の地下施設に運び入れたヴァルトは、先に運び入れられた内の何匹かが脱走している事に気づいた。
脱走した魚介類の内、牛の様な角を生やした蛸が角を突き出して飛び掛かってくるが、ヴァルトは冷静に正面から受け止めると、蛸足で首と胴体を締められながらも眉間に歯を突き立てて沈黙させた。
(もう一匹は?)
トビウオに似た魚が一匹、蛸と一緒に飛び出していた筈である。
急いで入り口に戻ると、村の子供達に囲まれて何事か話していたサンユウの背後から、まさにその魚が襲い掛かろうとしていた。
「サ・・・」
声を掛けようとしたその時、サンユウが振り返って手を翳すと、彼の掌から一瞬だけ強烈な冷気が発せられ、飛び掛かって来たトビウオは氷漬けになって地面に墜落した。
「え?」
「ほほう、魔法が使えるのか」
いつの間にか横に立っていたサーガが感心した風に言う。
サンユウは地べたで絶命している魚を一瞥すると、子供達の輪を抜けてヴァルトに駆け寄って来た。
「ご、ごめんなさいヴァルトさん!作業見学するって言ってたのに・・・でも、魚が大量に入った箱をヴァルトさんが一人で運ぶのは見てたので!」
「ああ、うん。村の子供らに捕まってたんだろ?分かってるよ。それにしても、魔法使いだったとはね。別に隠す必要無いでしょ。珍しくも無い」
ヴァルトの言う通り、この世界で魔法は別に珍しい存在ではない。魔導書はその辺の図書館や本屋に普通に置いてあるし、最低限の素質こそ必要だが、逆に言えばその最低限の素質と魔導書さえ持ち合わせていれば、誰でも実践出来るのが魔法の強みだ。
勿論、使いこなす為の修練は必要なのだが、武術と違って肉体を鍛える必要性が薄く、最低限字が読めて意味を理解出来さえすれば良いので、理論上は一般人でも魔法は使えない事は無い。
「別に隠してる訳じゃないですよ。其処のオッサンが信用ならないから話さなかっただけで」
「はっはっは!そうかそうか!」
サーガは特に気分を害した風でも無く笑った。
その後、二人は村人ほぼ全員が参加する大規模な夕食会に招かれ、特にサンユウは子供達の親から、我が子らを守ってくれた事で物凄く感謝されていたし、ヴァルトも見かけによらぬ怪力と身体能力を見た男達や村長から、是非村に残ってほしいと懇願されていた。
その夜、村人達の好意で泊めてもらえる事になったヴァルトは、サーガが使っていた家を使わせて貰う事にした。
サーガ本人は夕食の最中に村を去って行った。結局どういう男なのかイマイチ判然としなかったが、少なくとも此方を害する心算はなさそうだ。
「ねぇサンユウ」
「はい、ヴァルトさん」
床に敷いた大きめの布団の上に寝転びながら、ヴァルトが問うた。
「君、結局幾つなの?」
「十六です」
「え!?タメなの!?」
流石にこれはヴァルトも驚いてしまった。
少女の様な風貌で、明らかに声変わりしていない声色で話していれば、年下と思うのも無理は無い。
正直にそう伝えると、サンユウはクスクスと笑った。
「ヴァルトさんだって女の子と間違われても違和感無い位、可愛い顔してるじゃないですか。声だって女の子みたいに高いし」
ヴァルトは言葉に詰まってしまった。確かに自分も他人の事は言えない。
翌日、村人達に見送られながら出発した二人だが、出発前に幾つかの確認事項を擦り合わせておいた。
「まず、俺は君の目的地も素性も訊かない。誰にでも言いたくない事は有るからね。勿論喋りたかったら喋って良いし、その時は真面目に聞くよ。んで、町や村には極力入らず、宿もどうしても入浴が必要な時以外は使わないって事でOK?」
「はい。それでお願いします」
サンユウは身元がバレるのが嫌だと言っていた。
着ている服が上等なので、何処かの国の王族貴族の出だったとしても、ヴァルトは驚かないが。
出発後、ヴァルトは今まで通り、上半身裸で素肌の上から院の紋章が入ったマントを直に羽織り、下半身は足の付け根までの丈しかないショートパンツといういで立ちだが、サンユウの恰好は昨日までと変わっていた。
体にピタリとフィットした伸縮性の有るへそ出しの黒い半袖のシャツに、ピンク色のショートパンツ。
どちらも村長が若い頃に着ていた服らしい。
因みに元の服は村長に頼んで、焼いて捨ててしまったらしい。徹底している。
「あ、そうだ!なぁサンユウ。も一個お願いが有るんだけど」
「何ですかヴァルトさん?」
村から離れて幾許もしない内に、ヴァルトが足を止めた。
「サンユウってさ、誰にでも敬語なのか?俺ら同い年なんだし、呼び捨てタメ口で全然良いんだぜ?」
「ホントに?うん分かった。ヴァルトさん・・・じゃなかったヴァルトが良いならそうするよ」
こうして再び歩み始めた二人。サンユウはどうやら北に向かっているらしく、進むにつれて気温が下がって来た。
「今更だけどさぁ、ヴァルトってなんでそんな恰好で出てきたの?ホントに寒くないの?」
「俺ら『院』の修行者は、体内の熱を常に自在にコントロール出来る様にする術を学ぶんだ。物凄い寒い日に、服がボロボロの状態で戦わないといけないかもしれないからな。当然、武器が無くても戦える鍛錬もしてるぜ!ってかお前も似た様なもんじゃね?足とか腹とか冷えるだろ」
「オレは氷の魔法のお陰で寒いの平気だから。ヴァルトみたいに全裸は御免被るけど」
「全裸じゃねぇだろマント羽織ってるし!ちゃんとズボン穿いてるだろうが!」
「その短さでズボンって言い切る度胸凄くない?」
そして道中、旅人が利用する為の郵便局を見つけた二人。
サンユウは特に用が無いし、もしも局員が自分の顔を知っていたら大惨事になるので、普通に素通りしようとしたのだが、その時ふと隣にいた筈のヴァルトの姿が消えた事に気づいた。
慌てて周囲を見渡すと、なんと彼はそのまま郵便局に入ってしまっているではないか。
そして戻って来たヴァルトの姿を見て、サンユウは更に愕然とした。
何とマントが無くなっているのだ。
聞けば、これから先は町にも村にも入らない以上、この先でマントが必要な場面が存在するとは思えないので、『院』に送り返してもらう為の手続きをしていたのだという。
「仮に町や村に入る事になっても、『院』の名前が役に立つとは思えねぇしな。誰にでも開放してて、誰でも学べる施設ってだけで、特に世間とか政治に影響するような事してねぇもん」
だから院に宛てた手紙と共に送り返してもらう事にしたらしい。
さて、その後も二人は進み続けたが、出発から三日後にしてピンチに陥った。
結論から言うと、賊に囲まれたのである。
「へへへ。良い恰好してるじゃねぇか坊や達。コッチのパンツ一丁のガキは後で知り合いのショタコンに売り飛ばすとして、そっちの黒い服のネェチャン、正直すっげぇ好みなんだわ。俺らのお楽しみに付き合ってもらうぜ」
リーダー格の男が、体格に不釣り合いな二本の細い剣をチラつかせて近寄ってくる。
そしてサンユウのシャツに引っ掛けて彼のシャツを裂こうとするが、サンユウは臆する事無く刃を両手で挟んで凍らせると、凍った刃を更に強く挟み込んで粉砕し、狼狽えたリーダーが残った剣を顔目掛けて突き出してきても、コレを首を傾げて躱してカウンターで冷気を纏った拳でアッパーを食らわせた。
リーダーがそのまま倒れこむと、残ったメンバーの内、ボウガンを構えた男がサンユウに矢を放つが、サンユウは掌から突風を伴った冷気を出して矢を落とし、逆に氷の球を全力でボウガン男の顔に投げつけた。
そしてそのままボウガン男が無様な悲鳴と共に吹っ飛ぶと、残りの男達はヴァルトに狙いを定め、まずは鎖を持った男がヴァルトの手首に鎖を巻き付けるが、ヴァルトは振り回されない様に強く地面を踏みしめると、膠着状態に陥って相手が驚いて力が緩んだ隙に自らの体を回転させ、腕に巻き付いた鎖ごと鎖男を振り回して投げ飛ばした。
それと同時に、最後の生き残りである二刀流の剣士が切りかかるが、ヴァルトは冷静に相手の剣の長さを見極めて刃の届かぬ距離まで下がり、足元の砂を蹴り上げて相手の視界を潰すと、動きが止まった隙に一気に距離を詰めて手首に掴み掛り、手首を捻り上げて剣を手放させた。
「いでででで!もうしません!もうしませんから許して!」
こうして襲って来た賊らを懲らしめた後は、サンユウが彼らの手荷物から袋と幾らかの食糧、そして二人分のロープを拝借して再び歩き出した。
「よく考えたらあの村で袋だけでも貰っときゃ良かったね」
「まあな。それより俺はそのロープの方が気になるんだけど」
「これね、崖を降りるから」
「ふぅん」
この時、ヴァルトは余り深く物を考えていなかった。身一つで崖を上り下りする修行も沢山やったし、失敗して滑落し、地面に生身で激突した事だって何度も有る。
だからこの時も、ただ単に崖を下って、そのまま又普通に、(ヴァルトにとっては)ただ宛ても無く歩いていく旅が続くのだと思っていた。
「・・・っていうか、サンユウってそもそも崖とか上り下り出来んの?正直その・・・」
「やった事無さそう?勿論無いよ。でも調べた限り、他のルートなんて何処にも無いんだよ。でもヴァルトに背負ってくれって言うのもね。だから教えて」
「別にお前一人くらい背負っても問題ねぇけどな。っていうかお前、あの村に辿り着けなくてサーガにも見つけて貰えず、俺含めて『院』の人間に会えなかったらどうする心算だったんだよ?」
「そんときゃそん時でしょ」
「行き当たりばったりぃ!」
「だって俺、家族に無断で出てきて土地勘も無ぇのに食料も地図も無しにウロウロさ迷い歩いた挙句に行き倒れて、幸運にもあの胡散臭ぇオヤジに拾われて、拾われた先で他人の協力で初めて誰かの助力取り付けてもらえた人間だよ。このロープだってあいつらが持ってなかったらどうやって崖降りたらいいか分かんなかったし」
最悪その崖に辿り着いてから、ロープが必要な事に気づいた可能性も有るのだ。
余りの無計画ぶりに、ヴァルトは流石に眩暈を覚えずにはいられなかった。