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極道天使  作者: natsuki
4/5

喰う者、喰われる者①

 四章


 JR神田駅から不規則にゴチャゴチャ建ち並ぶビル群を縫って、10分近く歩いたところに、そのビルは建っていた。古い5階建ての雑居ビルで1階に居酒屋、2階に空き部屋の貸事務所、3階が雀荘、そして4階と5階は消費者金融の事務所が入っている。

 事件が起きたのは4階の消費者金融だった。窓から噴き出した炎で壁が真っ黒に焼けただれ、消防車がかけた水でビル中が水浸しになっている。どう見ても、もう改装するより建て直した方が早そうだった。

 一休は警察が張った黄色い規制線の外側から煤のついた4階の窓を見上げて、隣で同じように火災跡を見ていた中年のサラリーマンに聞いた。

「ここで亡くなった人は、何人ぐらいいてはるかご存知ですか?」

 サラリーマンは気の毒そうに眉を寄せる。

「死んだのは放火した犯人と消費者金融の店長、従業員が1人の計3人と聞いたよ。窓口にいた2人の従業員は、火傷を負いながらも何とか逃げられたみたいだね。まあ、犯人が悪いのか、金貸しが悪いのかは知らないけどさ」

 一休は4階を見上げながら両手を合わせ、3人分の弔いの経を静かに上げた。

 経を終わり振り向くと、後ろに待ちくたびれた顔の大道寺が立っている。

「よお、もういいだろ。早くメシ食いに行こうぜ。長い時間こんなところにいると、ロクなことにはならねえ」

 だが、一休は肯定とも否定ともわからない表情で首を横に振り、ゆっくりと歩き始める。そして、小声でつぶやいた。

「犯人が悪いのか、金貸しが悪いのか・・・・」

 足の速い一休にしては、珍しく緩やかな歩みだった。大道寺は並んで歩く。

「こんな事件、都会じゃ山ほどあるんだ。いちいち気にすんな。それよりも晩メシ食うとこ探そうぜ。俺はそっちの方が気になる」

 ビルの谷間を進みながら、一休は深いため息をついた。

「犯人が悪いのか、金貸しが悪いのか・・・・“砂盛り”としては放っておけん言葉や。人のやることとは見方次第でどっちも悪く、どっちも正しいもんや。この世には一方的に悪いものも、一方的に正しいものもない。人間とは不安定で、どちら側にも転ぶ。だから、わしらは犯人も消費者金融も、両方救ってやらねばならんかった。この世に、なくなっていい命などないからな・・・・」

 そして、何かを思い出したような顔になった。

「こんな話をしとったら、ある男のことが気になって心きたわ。ええ奴なんやけど、少々危なっかしくてな。ちょっと様子を見に行きたい。晩メシは西の方で食おう」



 神田から電車に乗り中野に着くと、一休はオフィスビルやマンションが立ち並ぶ迷路のような道を黙々と歩き、とうとう中野区とも杉並区ともつかない辺りまでやってきた。

 追いかける大道寺はくたびれ果てている。すっかり暗くなったマンションや雑居ビルの谷間で、先を行く一休に声をかけた。

「おい、一体どこまで行くんだ? もう完全に夜だぜ。腹も減ってきたことだし、今日はもう活動休止にした方がよくないか」

 数メートル前を行く一休が、突然立ち止まった。明るい巨大なガラス窓の前にいる。そして、ガラス窓の横にある、これもガラス製の扉を開けて中に入っていった。大道寺は歩みを速めて大きな窓に取りつくと中を覗き込んだ。

 ガラスの向こうには大勢の若い男がおり、それぞれ縄跳びをしたりシャドーボクシングをしたり、パンチングボールを叩いたりしていた。ガラス窓の上には、肉太の力強い文字で『小林ボクシングジム』と書かれた看板がかかっている。

 一休は勝手知ったる様子で練習生たちの間をすり抜け、一番奥にある練習用のリングの横に立った。そして、リングでスパーリング中の選手たちを見上げる。そのまま動く気配がないので、仕方なく大道寺も扉を開けてジムに入り、リングの下まで進んだ。

 ジムに入った途端、リズミカルに物を叩く音とキュッキュッというすり足で動く足音、それに男たちの強烈な熱気が襲ってきた。鼻腔にワセリンの匂いを感じる。

 リング上はヘッドギアに練習用の12オンスグローブをつけた2人の男が、汗を吹き飛ばしながらジャブやワンツーの交換をしていた。コーナー下のトレーナーらしき中年の男から大声で指示が飛ぶ。

「坂本、何やってる! 打ったら動け! それワンツー! そこでダッキングからサイドに回り込め!」

 リング上の黒いタンクトップを着た男は、トレーナーの指示に忠実に動いていた。しかし、坂本と呼ばれたその男が相手のパンチをかいくぐって、あごに右ストレートを入れようとした瞬間、ほんの少しの差だが、相手が打ち下ろしたカウンターパンチを先に食らってしまった。坂本は尻餅をつく。

「バカ野郎! 上体を起こしたまま飛び込むからだ! 頭を下げて一気にステップインするんだ!」

「はい!」

 ダウンした坂本は頭を振ると、トレーナーに元気よく返事して立ち上がった。そしてファイティングポーズをとる。じりじりと相手との間合いを詰めて再び打ち合う距離に入ったとき、ゴングが鳴った。坂本とスパーリングパートナーはファイティングポーズを解き、軽くグローブを合わせた。

 コーナーに戻ってきた坂本はジムのスタッフからグローブを外してもらっている途中で、リング下で見つめる一休に気づいた。慌ててグローブを取り、リングから飛び降りて駆け寄ってきた。

「宗純さんじゃないですか! 来てくれるの待ってたんだから、ホント。いつもフラリとやってきて、いつの間にかいなくなるし。今どき携帯も持ってないから、連絡の取りようがないんだもん」

 一休は微笑みながら、申し訳なさそうに頭をかく。

「すまんのぉ。わしは放浪の僧や。修行のためには西やろうと東やろうと、風向き次第でどこにでもいかなならん」

 坂本は仕方ないという顔でうなずいた。

「俺、近いうちに試合するんです。今度の試合は半端ない。俺にとっては大一番だ。だから宗純さんにはどうしても招待席で見てほしくて、チケットをあげようと待ってたんです。今、時間ありますか? チケットはアパートに置いてるから、練習終わったら取りに戻ります。もうすぐ練習終わるんで」

 勢い込んで話す坂本の言葉に、一休は静かに首を振った。

「戻ってこんでもええ。一緒にアパートに行ったらええやんか。久しぶりにハルナの顔も見たいし」

「まあ、そうですね・・・・・」

 言葉を濁す坂本の顔は、一瞬曇った。だが、すぐに首を捻じ曲げ壁掛け時計を見たため、それ以上の表情はわからなかった。

「あと20分ぐらいで終わるから、そこの椅子に座っててください」

 そして、坂本は一休と隣にいる大道寺に頭を下げ、トレーナーのもとに駆けていった。2人は坂本がすすめてくれたジムの隅にある長椅子に腰を下ろした。一休は汗みどろで練習している他の男たちの方を見ながら言う。

「あれは坂本コウジ。歳は今のお前と同じぐらいかのう。1年半ぐらい前、人の世を旅しているときに知り合うた。あいつも元はヤクザや。それをやめてプロボクサーになり、会うた頃はボクサーとしての実力をメキメキつけてるときやった。稲吉会系の組におったとか言いよったかな。そういや、お前んとこと稲吉会とは、仲が悪かったんと違うか?」

 大道寺はぼんやりと猛練習をしている練習生たちを見つめていた。さして興味はないといった様子だ。

「昔はな。でも、ケンカを続けててもロクなことはない。ずい分前に手打ちして、今でも火種が完全に消えた訳じゃないが、とりあえず、お互いに尊重しあうって関係だ」

 一休はかすかにうなずきながら、あごひげをなでた。

「あの世界ではコウジは若頭の運転手やったとかで、そこそこ有望な奴やったらしい。けど、惚れた女ができてしもうた。それで、女のために真っ当に生きる決心して、ヤクザから足を洗い、子供の頃の夢やったプロボクサーになった。今のあいつは偉いで。プロと言うても、下っ端のファイトマネーは恐ろしく安い。だから、明け方から弁当屋で働いて生活費を稼いどる。地の底から立ち上がり、惚れた女を養って、自分の夢まで叶えようとしてるんや」

 そして、わずかに苦笑いした。

「ちょっとグズグズするとこもあるけどな」

 大道寺は練習生を真似て、座ったままシャドーボクシングをしていた。

「まあ、若頭の運転手してたんなら極道としては見所があったんだろうよ。それにしても、惚れた女と自分の夢のために人から殴られる商売選ぶなんて、今どき頭悪すぎだ。俺なら株の勉強でもして、ファンドを立ち上げるね。その方が割がいい」

 坂本をバカにした口調に一休はムッとした顔になる。

「一生懸命努力してる者を温かく見てやれんとは、ほんまに、つまらんヤクザやのお」

 今度は大道寺が眉間にしわを寄せた。大道寺はふて腐れると、練習を終えた坂本がやってくるまで一言も口をきかなかった。


 大道寺と一休、それに坂本の3人は住宅街の夜道を、取りとめのない会話をしながら歩いていた。小林ボクシングジムから坂本のアパートまでは15分ほどの距離だという。

 一休は先頭に立つ坂本に微笑んだ。

「ここにおる“大道”も、かつてはヤクザをやっとった。今では極楽に行くために心を入れ替えて、いろいろと、わしの手伝いをしとる」

 坂本は明るく笑って振り向いた。数年前まで暴力団員だったとは思えない、人なつっこい笑顔だった。

「極楽に行くためって言っても、大道さんの歳じゃまだ相当先の話でしょう。でも、こんなこと言ったら宗純さんに怒られるけど、大道さんはあの世界を続けていたなら、かなり出世してたんじゃないかな。なんか、内側から滲み出る迫力が本物なんだ。俺、昔、若頭のお供で本家の最高顧問って人に会ったことあるけど、顧問からも同じような迫力を感じたから」

 “大道”と呼ばれた大道寺は、面白くなさそうにズボンのポケットに両手を突っ込んだ。

「けっ。田沢のことかよ。あんなガキと一緒にされてたまるか。格が違うぜ」

 坂本は目を丸くした。旭誠会と並ぶ勢力の広域暴力団、稲吉会の最高顧問を、今日初めて会ったこの男はまるで知っているかのような口ぶりで、しかもガキ扱いしていた。

 田沢には伝説があった。まだ若い頃、旭誠会三代目を継ぐ前の大道寺剛三と些細なことから一対一の殴り合いになり、大道寺に深い傷を負わせながらも失神するまで殴られ続け、それでも一言の詫びも入れなかったという逸話だ。

 “大道”が何者かをいぶかしんでいる坂本の思いをかき消すように、一休は咳き込んで立ち止まり、すぐ目の前に建っている木造2階建ての古いアパートを見上げた。

「お前のアパートはここやなかったかな? 楽しいおしゃべりをしながら歩いてると、あっという間に着くもんやのぉ」

 なぜか急に不安げな目を見せた坂本は、窓に明かりがついているアパート2階の左端の部屋に視線を送ると、硬い笑顔を一休と大道寺に向けた。

「ちょっとここで待っててください。チケット取ってくるから」

 一休は不思議そうな顔をしている。

「ここまで来たんやで。ハルナに一目会うていきたい。今、おるんやろ?」

「ハルナは風邪ひいて今日は寝てるんです。うつったら大変だから」

 そう言って、坂本はアパートの外側についている鉄製の階段を駆け上がった。

 自分の部屋の玄関前まで来た坂本は、口を硬く結んでドアを開ける。6帖一間に小さなキッチンがついた室内は、明るい蛍光灯に照らされていた。蛍光灯の下で女が1人、布巾でちゃぶ台と言ってもいい小さな食卓を拭いている。

 女は玄関が開く音で顔を上げた。長い髪に白い肌、大きな瞳は潤んだように輝き、少し大きめの口がセクシーだ。男なら街ですれ違えば誰でも振り向くであろう美しい女だった。ただし、気になるほど痩せている。

 坂本に向かってにっこり微笑んだ女は、再び食卓に目を落とす。そして、食卓を布巾で拭き始めた。執拗に、何度も何度も。

「ハルナ・・・・」

 坂本は慌てて部屋に上がってハルナの手をつかみ、布巾を取り上げた。

「もう拭かなくていい。充分きれいだから」

 しかし、ハルナは坂本から布巾を奪い返そうと手を伸ばす。

「ダメよ。虫がいるじゃない。何度拭いても畳から上がってくるの。きれいにしとかないと、ご飯に入っちゃう」

「もういい・・・・いいんだよ・・・・」

 布巾をつかもうとするハルナを抱きしめた。だが、彼女は坂本の腕から逃れようともがく。坂本の目にはやりきれない色が浮かんでいた。妙に甘い香りのする体を抱いているうちに、その香りに打ちのめされそうになり、次第に目が潤んできた。

 ふと気づくと、半開きになった玄関ドアの隙間から一休と大道寺の顔が覗いていた。

 ハルナを抱いていた腕を放し、坂本は部屋の端にあるタンスの引き出しを開けた。中から試合のチケットを2枚取り出す。その間にハルナは坂本と反対側の部屋の隅に逃れ、膝を抱えてうずくまった。

「・・・・宗純さんが来てくれたんだ。あいさつしないか」

 坂本がうつむいたまま言うと、ハルナは細い首を伸ばし、軽く会釈した。口元に形ばかりのこわばった笑みがあった。

 チケットを持った坂本は、一休と大道寺を廊下に押し出すように部屋を出た。一休は眉間に深いしわを寄せている。

「・・・・ハルナ、またやってしもうたんか。もうやらんと誓うてくれたのに・・・・・」

 その言葉に坂本は泣きそうな顔になった。

「もう、これ以上は俺の力じゃどうにもならない。今度こそ、ちゃんとした施設に入れます。そのために今度の試合、絶対頑張らなくちゃいけない・・・・」

 差し出されたチケットを見て一休はギョッとする。小さな紙切れの一番上に“日本スーパーフェザー級 タイトルマッチ”と印刷されていた。

「これはどういうこっちゃ!? こんなん、やる予定なかったやろ?」

 真剣な眼差しの一休に、坂本は思いつめた顔をした。

「本来の挑戦者が練習中にケガをして、タイトルマッチができなくなったんです。今さら試合をキャンセルできないチャンピオンサイドは急遽、挑戦者の代役が必要になった。そこに俺が手を上げたんです。とりあえず俺、この前ランキング10位にやっと入ったから、挑戦資格はあるし・・・・」

 一休は心配そうな顔になっている。

「そうかてお前、いつか言うてたやんか。今の日本チャンピオンはどえらい強い。そのうち世界チャンピオンになるやろう。今挑戦したら、俺なんか殺されてしまうって。そんな奴とやって大丈夫なんか?」

 滲んだ涙を手で拭いながら、坂本は無理に笑顔を作った。

「ああ言った時より俺、強くなってるから大丈夫。最初は反対していたトレーナーも、どうにか許してくれたし。とにかく、俺はタイトルマッチのファイトマネーが欲しいんです。ハルナをちゃんとした施設に入れるには、まとまった金が要るから。そんな金、一か八かの大勝負で稼ぐしかない」

「コウジ・・・・」

 坂本は一休の手を握った。温かい手だった。

「俺、死に物狂いで頑張ります。俺とハルナの人生かけた大勝負、どうしても宗純さんに見届けてほしいんです」

 そして一休の手にチケットを押し付けると、坂本は再び部屋の中に入っていった。薄いドアの向こうで坂本がハルナに懸命に語りかけるのが聞こえた。時折、女の叫び声がする。肩を落とした一休は力なく歩き始めた。大道寺は声をひそめて言った。

「あの女はシャブ中だぜ。それもかなり重い。放っといていいのか?」

「放っとけるか!」

 珍しく一休は感情的な声を出した。


 坂本のアパート近くの小さな公園で、一休はブランコに座っていた。横の鉄柵には大道寺が腰掛けている。昼間は子供たちが占領している遊具に、僧侶姿の一休と目つきの鋭い大道寺が座っているのは、かなり違和感のある風景だった。

 一休はほんの少しだけブランコを漕いだ。板を吊り下げる鎖が風に吹かれたようにわずかに揺れる。

「コウジは心の優しい、ほんまにええ奴なんや。初めて会うたのは夜の托鉢の途中で通りかかった、新宿のひと気のない駐車場やった。あいつは昔の仲間にどつきまわされとったわ」

「何で? あいつはもう極道やめたんだろ?」

 一休は懐を探るとタバコの箱を取り出した。1本抜いて口にくわえる。大道寺は目を吊り上げた。

「てめえ! 俺には金がないからタバコはやめろなんて言っといて、自分は隠し持っていやがったのかよ。俺にもよこせ!」

 わめいている大道寺に1本差し出して、一休は自分と大道寺のくわえたタバコに100円ライターで火をつける。

「タバコぐらい吸わんと、よう話さんわ・・・・」

 そして、夕方から広がってきた厚い曇で星も見えない、どんよりとした夜空を見上げた。

「あいつの女・・・・ハルナは覚醒剤と縁の切れん奴やった。コウジはハルナを立ち直らせるため、自分の未来をつかむため、組をやめてボクサーになった。だが、常習者はそう簡単に薬をやめられるもんやない。しかも面倒なことに、ハルナに薬を売ってたんはヤクザ時代のコウジの仲間やった」

 坂本はもうハルナに薬を売らないように、昔の仲間に頼みに行った。ところが、底意地の悪い昔の仲間は、真っ当な人生を歩いている坂本が気に入らず、話を聞くなり殴る蹴るの暴行を始めた。

 もちろん、坂本はボクサーなので本気になれば殴り倒すことはできる。だが、彼は一切手を出さず、ひたすら頼み続けていた。その態度が逆に相手の怒りの炎に油を注いでしまい、男は駐車場の隅にあったコンクリートブロックを引っ張り出して、商売道具である坂本の拳を潰そうとした。

 そこに止めに入ったのが一休だった。男は一休にも殴りかかってきたので、仕方なく叩きのめした。

 タバコの煙を吐き出しながら、大道寺は意外そうな顔をする。

「あんた、極道相手にケンカができるのか?」

 一休はタバコを根元まで吸うと煙を吐き出し、地面で火を消してから吸殻を紙に包んで懐にしまう。かすかに笑みを浮かべた。

「ちょうど托鉢中で金剛杖を持っとったからな。わしは戦国時代も幕末の動乱期も、自分の身は自分で守ってきた。本気で殺そうとする槍や刀の侍たちに比べれば、コンクリートブロックを持った現代のヤクザなんぞ、怖くもなんともない」

「そりゃそうだ」

 そう言って、少し一休を見直したような顔になった。そして、一休の目から次第に表情が消えていくのに気づく。

「傷ついたコウジを抱えてその場を立ち去ろうとすると、叩きのめした男がヨタヨタしながら起き上がってきて、『このままでは引き下がらん。コウジとハルナの人生を絶対にメチャクチャにしてやる』と言いよった。妬みむき出しの醜い目やったわ」

 大道寺は最後の煙を吐き、地面でタバコを踏み潰した。

「売人程度の野郎が言いそうなことだ」

 一休の目は冷たい光を宿していた。いつも飄々として軽口を叩いている一休が、いつの間にか不気味な空気を放っていることに大道寺は驚いた。しばらく言葉が見つからない。

 その時、どこからか犬が公園の中に入ってきて、大道寺たちを見ると一声「ワン」と鳴いた。静かだった分、犬の鳴き声はとても大きく響いた。大道寺が犬を真似てうなり声を上げると、首を傾げて公園から走り去る。大道寺は苦笑いをした。

「犬が、あんたも怖い顔してるってよ」

 その言葉で一休の目の冷たい光は次第に消えていき、恥ずかしそうに頭をかく。

「わしとしたことが、つい落ち着きをなくしてしもうたかな」

 いつもの一休に戻ったことで、大道寺はホッとしたように軽く息を吐く。

「それで、そのチンピラはどうしたんだ? あんたがそんな顔をするんだ。ただでは済まさなかったんだろう?」

 一休は事も無げに言った。

「あまりに性根の曲がった奴なんで、コウジを先に返すと閻魔大王のところに連れて行ってやったわ。あそこまで歪んだ奴は、ほんまに地獄があるということを見せんと正しい道に目覚めん」

 大道寺の目は丸くなった。

「それって、殺したということか?」

「坊主が人殺しなんぞするか。あくまでも世間的には“行方不明”や。来年あたり、この世に連れ戻したるわ」

 この僧の逆鱗に触れるとどうなるか、改めて怪僧ぶりを思い知った。

 一休はふっと息を吐いて唇を歪めた。どういう風の吹き回しか、懐から再びタバコを取り出し大道寺にすすめる。自分も1本抜き火をつけた。

「まあ、あのチンピラのことはどうでもええ。問題はハルナや。コウジは覚醒剤中毒を治すために施設に入れたがってる。しかし、公的な施設に行けば警察への通報義務があるから、ハルナは治療を受けながら警察の取調べも受けなあかん。そうなると覚醒剤を売っていた、コウジのもとおった組に警察の捜査が入る」

 坂本は組をやめる時、指を詰める覚悟だった。しかし、組長や若頭はボクサーとしての成功を祈ってくれて、お咎めなしで送り出してくれた。それに恩義を感じて、ハルナを公的な施設に入れることを拒んでいた。恩人たちに恩を仇で返すことになると。

 しかし、民間の施設では通報はされないが、それなりの費用がかかる。

 大道寺はタバコの煙を深々と吸い込み、煙突のように夜空に吐き出した。

「・・・・女はもうかなりの重症だ。早く施設に入れないと取り返しのつかないことになる。それであいつは勝てる見込みはないが、まとまったファイトマネーが入るタイトルマッチに挑むのか・・・・今どき、とんだ演歌だね」

 一休は真っ直ぐに大道寺の目を見た。

「演歌のどこが悪い」

 大道寺は涼しい顔で、わずかに首を傾けた。

「悪いとは言っちゃいねえ」

 そしてタバコを地面でもみ消した。つま先を一休が無言でじっと見つめている。大道寺は渋々吸殻を拾い上げて一休に差し出した。一休は懐から先ほどの紙を取り出して吸殻を包んだ。

「で、俺に何をやらせようってんだ? どうせ、そのつもりなんだろ?」

 厳しい目で大道寺を見て、そして思案顔で腕組みをする。

「そやな。とにかく、一刻も早くハルナを施設に入れなならん」

「簡単なことだ。坂本を説得して公的施設に連れて行けばいい」

「コウジがそれを拒んどるから難しいんやないけ」

 今度は大道寺が思案顔になった。しばらくすると口を硬く引き締めて、今まで座っていたブランコ横の鉄柵から飛び降りた。

「ちょっと調べたいことがあるから、付き合ってくれ。調べた結果が俺の予想通りなら、あいつも考え直すさ」

 そう言って足早に公園の出口に向かう。一休はブランコを降りてその後を追った。大道寺は何かを企んでいそうな、不気味な顔で振り返った。

「朝使ったチャカ、まだ持ってるだろうな」

 一休は困り顔になる。

「なんや、また使うんかい。早う処分しようと思うてたのに」

「俺が片付けてやる。処分にちょうどいい場所が見つかるかもしれないぜ」

 困惑した表情で一休が公園の出口を見ると、先ほど大道寺が追い払った犬がこちらを見ていた。一休は手招きをしたが、大道寺が「あーあ。今夜の慰労会はこれでパーだ」と恨みがましく言うと、犬は首を傾げて走り去った。


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