ガキでも大人でも、罪を犯せば罰は受けるもの
二章
地の底から湧き上がるような群集の足音で、大道寺は我に返った。目の前にはいくつものビルがそびえ立っている。彼は溢れかえる人ごみの中に、ぼんやりと突っ立っていた。呪文による苦痛はもうまったく感じない。すぐ横で一休の声が聞こえた。
「どや、シャバに戻った気分は? ここは渋谷やで」
気がつくと、渋谷駅前のハチ公像のすぐそばにいた。周囲には人待ち顔の若い男女が大勢いる。携帯電話をいじったり、隣の友人とおしゃべりをしたり、いつもと何一つ変わらない街の風景だ。まさにここは現世だった。
―本当に帰ってきちまったぜ・・・・・―
小さく息を吐いて一休の声がした方を見る。一瞬目を見開くと吹き出した。一休は法衣ではなく、黄色いTシャツにベージュの短パンをはいている。
「何だよそのカッコは。まるで若いモンの服拾ったホームレスじゃねえかよ」
大笑いする大道寺に一休はムッとした。
「ここは若者の街言うやんか。服装をそれに合わせて何が悪い。お前かて渋谷に合わせて着替えさせたったわ」
慌てて自分の服装を見た大道寺は愕然とした。生前はいつもスーツか着物であったのに、今はJジャンに白いTシャツ、ベージュのカーゴパンツを穿いていた。足元は白いスニーカーだ。
「何だこのカッコは!? 俺のイメージじゃねえ!」
しかし、一休は楽しそうに微笑んだ。
「似合うてるで。そうしてると、まるで渋谷にたむろするアンちゃんやないけ。誰もこれが大悪党のヤクザだとは思わんな」
そして微笑んだまま一休はさっさと歩き出し、エクセル東急前の横断歩道を渡り始めた。
「どこに行くんだよ」
頬をゆるめてミニスカートの女性を眺める一休の歩みは、いつの間にかスキップになっていた。軽やかに短パンの裾をひるがえしながら、追いかけてきた大道寺に素っ気なく言う。
「別にアテなんかないわ。お前は悪党やから、悪いことへの嗅覚は鋭いはずや。街を適当に歩いとったら、勝手に悪事に行き当たるんとちゃうか」
短パン姿の一休はとても短足に見えたが、歩く速度は異常に速い。大道寺は小走りにならなければならないほどだった。
「待てよ、おっさん! もう少しゆっくり歩けよ!」
振り向いた一休はジロリとにらんだ。本当に怒っているようだった。
「おっさんと言うな。一休さんと呼ばんかい。歴史上の有名人なんやから、頭の悪いヤクザでも少しぐらい尊敬せえよ。そうせんと、また術かけるで」
大道寺は心臓を握り潰されるような胸の痛みを思い出してゾッとした。
「一休さん、待てよ」
だが、言い直しても一休の足取りは少しも遅くならなかった。
1日中渋谷を歩き回った2人は、特に悪事に出会うこともなく、道玄坂で疲れ果て、道端に座り込んで缶ジュースを飲んでいた。
道行く人は誰も、彼らが室町時代の名僧と巨大暴力団の総帥だった男とは想像もしていない。時折、汚いものへの嫌悪感混じりの目で、チラリと見ていくだけだ。大道寺は一休をにらんだ。
「何で地べたに座って缶ジュース飲まなきゃならないんだ。道玄坂には旭誠会系の組の事務所があるんだ。そこに行きゃ上等のお茶でも飲ませてくれるってのに」
一休は自動販売機の横にあぐらをかき、のんびりと缶ジュースを飲んでいた。
「何をアホなことを。この世では、お前はとっくに死人じゃ。それに本来お前は78歳の老人なんやで。そんな年恰好じゃ、手下のところに行っても誰も信じてくれん。追い返されるのが関の山、下手すれば気の荒い連中に痛めつけられるわ」
「俺を? 上等じゃねえか。反対にぶちのめしてやるよ。そういや、せっかく生き返ったんなら、もう1度ゼロから暴れまわって新しい組を作るのも悪くねえな」
すかさず、一休は右手の人差し指と中指を顔の前に上げた。
「お前は人を救うために、この世に戻ってきた。もう悪事は許さん。今度悪いことをやったら腎臓破裂させたるわ。痛いで」
大道寺は慌てて両手を上げた。
「冗談だよ。もうあんな目に遭うのは御免だ」
そして、ため息混じりに小声で言う。
「クソ坊主が・・・・調子こいてんじゃねえぞ・・・・・」
ふて腐れる大道寺を尻目に、一休はうまそうに缶ジュースを飲み干した。もう周囲は日が暮れ始め、無数にある近くのラブホテルのネオンが賑やかになり始めていた。
ふいに2人から少し離れたところで、国産の白いミニバンが停まった。すると、どこから現れたのか、タンクトップにミニスカート姿の15、16歳ぐらいの金髪の少女が、サンダルの踵を引きずる耳障りな音を立てながらミニバンに走り寄る。
助手席側の窓から顔を出した、少女より少し年上ぐらいの茶髪の若い男に、何やら話しかけていた。小声で話しているようで会話の内容までは聞こえないが、大道寺と一休は少女が1万円札を数枚、男に手渡すところをはっきり見た。
しばらくすると少女はミニバンから一歩離れ、男に手を振っている。
「じゃあ、またね。連絡待ってるから」
「ああ。今日は、あと1、2回はあるかもしんない。あんまり遠くに行くなよ」
車が走り去り、少女はサンダルの音を響かせながら、文化村の方向に去って行った。
一休は不思議そうな顔をしている。
「あれは何やねん? 何で金を渡しとる?」
大道寺は少女の去った方をほんやり見ている。つまらなそうな顔だった。
「・・・・ただの売春だよ。男がネットで客を見つけてきて、金を欲しがってる女に紹介するんだ。女は客とトラブルがあった場合に備えて、用心棒代+紹介手数料として男に売上の何パーセントかを渡してる。やってることは完全に極道のシノギだが、奴らはどの組とも関係ねえ。ガキがサークルみてえなノリで自発的にやってんだよ。まったく、訳わかんねえぜ・・・・・」
薄暗くなり始めた路上で一休の目が光った。
「ずいぶん歩き回ったが、ようやくお前の出番がきたようやな」
だが、大道寺は素っ気なく首を横に振る。
「無駄だ。あれは“悪事から人を救う”っていうのとは事情が違うんだ。別に女は男から脅されて嫌々売春してる訳じゃねえ。ただ、小遣い欲しさに自分からやってんだ。男だって売春を管理しているようなつもりはない。遊びの延長程度さ。奴らは悪に苦しめられてるんじゃなくて、自分から好きで悪の世界に飛び込んでんだ。そんな奴らをどうやって救う? 今の世の中、悪い奴が良い奴を苦しめるような単純な構図ばかりじゃない」
一休は感心したような顔をしていた。
「少し見ただけで、ようもそこまでわかるもんやな。さすが悪事のプロや」
そして表情を緩めて、あごのひげをゆっくりなでた。
「確かに、この世は善人がいて悪人がいるという簡単なもんではない。悪とはな、どこぞからやってきて人間に襲いかかるもんやのうて、人間が自分の中で作ってしまうもんや。そして悲しいことに、人間はこれをやめられん。だが、心に悪を生み出すのは業としても、自分の価値観や道徳心で押さえ込むことはできる。だから、お前はあの若い連中が、自分の力で悪の心を押さえ込めるよう、ちょっとしたきっかけ作りをしてやればええねん」
少しうつむいて大道寺は一休の話を聞いていたが、顔を上げると唇を歪めた。
「さすがに一休さんだ。涙が出るぐらい優しいお言葉だね。でも、奴らが悪い心を自分で押さえ込むなんて、到底、無理な話だ。それでも、どうしてもやれって言うなら、俺なりのやり方、極道のやり方でやらせてもらう。そいつが一番手っ取り早くて効果的だ」
「極道のやり方? それは何やねん?」
眉をひそめる一休に大道寺は不機嫌そうだった。
「いちいち聞くな。こんな面倒くせえこと、さっさと終わらせてえんだよ。やり方が決まれば頼みがある。一休さん、氷とクーラーボックス、それに、ヤッパ用意してくれや」
「ヤッパとは何じゃ?」
「匕首だよ。短刀のこと。俺と付き合うなら、極道の専門用語も覚えてもらわないと困る」
目を丸くして、すぐさま大道寺をにらみつけた。
「何で短刀がいるんじゃ!? そんなモンで人が救われるんか?」
大道寺は地べたからゆっくり立ち上がり、厳しい顔をしている一休の顔の前で尻の埃をはたいた。
「礼儀を教えるんだよ。あいさつの仕方でも覚えれば、あんな奴らでも今より少しはマシになるんじゃねえか。頼んだもの、よろしく」
埃にむせんだ一休は、返事の代わりに咳き込んだ。
深夜近くになった道玄坂のホテル街の物陰で、大道寺と一休は息をひそめて獲物を待っていた。一休はこれまで見ていた道玄坂の現状に顔をしかめている。
「まったく、どないなっとるんじゃ、この街は。明らかに中学生、高校生の少女が何人もラブホテルに入って行くのに、それを誰も止めたりせん。わしも女は好きやけど、子供なんぞに手を出したことはないわ」
大道寺はベルトに差し込んだ匕首の位置が具合悪いのか、腰を妙にくねらせていた。
「うるせえ。渋谷を選んだのは、てめえだろう。ガキを見るのが嫌なら、銀座にでも行けばよかったんだ」
一休は大きなため息をつき、しばらく何も言わなかった。晴れているはずの夜空を見上げたが、ラブホテルのネオンが眩しくて星は見えなかった。しかし、ネオンの光は眩しくはあっても、決して美しくはなかった。
「・・・・短刀を手に入れるためにお前の家に忍び込んできたが、何じゃあれは? 刀、拳銃、手榴弾・・・・お前は戦争でも始めるつもりやったんか? あんなもんに囲まれとっては、奥さんも安心して眠れんやろうに・・・・・」
「心配するな。杏子は俺に負けないくらい気合の入った女だ。あんなもん見てもビクともしな・・・・・」
途中で言葉を切った大道寺の視線を追い、一休は文化村の方向から白いミニバンが走り寄ってくるのを確認した。減速して道路の端に停車した車に、少女が走って来る。
夕方見た少女とは別人だが、服装や髪の色は似たようなものだった。助手席の窓から顔を出した、例の長い茶髪の男と少女とが話し始めると、大道寺は動いた。
「行くぞ。打ち合わせ通りだ。うるせえ奴が来ないか、あんたは見張ってろ」
物陰から出た大道寺が少女のすぐそばまで近づいた時、金を受け取ったミニバンはその場を走り去った。助手席に座っている男は長い茶髪をかき上げており、大道寺のことなど気にも留めていない。
少女はミニバンと反対方向に歩き出した。サンダルの踵を引きずるように歩く、少女の後ろを大道寺はゆっくり尾行する。少し距離を置いて一休も動き出した。
少女が薄暗い路地の角に差し掛かった時だった。大道寺は歩く速度を一気に速め、追い越しざまに少女の手首をつかんで路地に引きずり込んだ。周囲にその様子を気にしている者がいないか、一休が注意深く見回している。
「何す・・・・」
声を上げようとした少女の口を大きく部厚い手で塞いだ大道寺は、落書きだらけのビルの壁に彼女の体を押し付け、舐めまわすような薄笑いを浮かべた。ヤクザが人を脅すとき特有の、粘っこい巻き舌で言う。
「お嬢ちゃん、静かにしてくれ。友達のことで少し話があるんだ」
突然の驚きと見知らぬ男への恐怖に、少女の目は見開かれている。顔を押さえた大きな手には徐々に力が入っていき、小ぢんまりした顔に食い込んでいった。
そのために少女は息ができなくなり手足をバタつかせる。しかし、大道寺の体と壁に挟まれて逃げることができない。履いていたサンダルが路上に転がった。ピンクのペディキュアが虚しく光る。
「あんたと組んでる茶髪の紹介屋はどこにいる? あんな奴らは悪さのアジトとして、どうせこの辺にワンルームマンションでも借りてるんだろ? そこを教えてもらいたいんだよ。あんたが知らないなら、知ってそうな奴を教えてくれればいい」
そして、呼吸ができずに青くなり始めている少女の耳元に、絡みつくような低い声でささやいた。
「教えてくれないと、お嬢ちゃんはこのまま“行方不明”になるぜ。渋谷で女が消えるなんて、別に珍しいことじゃない・・・」
呼吸ができないことと正体不明の男への恐怖で、生まれて初めて生命の危機を感じた少女は、涙ぐんだ目で何度もうなずこうとした。しかし、顔を押さえられているのでうなずくことができない。ついに目からは涙が溢れ、派手に引いていたアイラインが無残に溶け始めた。大道寺は急に猫なで声になった。
「教えてくれるかい? そうしたら、ここで解放してやってもいい。ただし、もう2度と、あんな野郎たちと付き合うんじゃないぜ。今度どこかで商売女の真似事してるのを見つけたら、捕まえて中国か東南アジアに売り飛ばす。あっちに行ったら死ぬまで客をとらされて、死んだら臓器移植の商品になっちまうんだ」
少女は返事代わりにポロポロと涙をこぼした。
道玄坂の西の外れにある古いワンルームマンションの1室。
8帖1Kの部屋には深夜というのに明かりが煌々と灯り、フローリングに敷いた擦り切れたカーペットに若い男が2人寝転がっていた。部屋の中は家具らしいものなどほとんどなく、家財道具と呼べるのは小さな冷蔵庫とテレビ、それに、テレビの横に置かれた背の低いテーブルぐらいなものだった。
2人の仲間に背を向けて、スマートフォンのタッチパネルを叩いていたリーダー格のケンは、長い茶髪をかき上げながら、うれしそうに口笛を吹く。
「おい、見ろよ。これ、かなりいいんじゃない?」
床に寝ていたツバサは上半身を起こして、四つんばいでケンの横に寄ってくる。その姿勢のままスマホの画面を覗いた。モニターに映る文字を声を上げて読む。
「“中限定7。制服なら8” こりゃあ相当いいんでないの? 中坊つったら誰がいたっけ?」
まだ床に寝転がったままのユウキは、ぼんやりした目で天井を見上げていた。
「サヤカ、アヤカ。あっ、レイナもそうじゃなかったっけ?」
ケンは軽やかに指を動かし、ネット上に返事を書き込んだ。
「レイナがいい。あいつなら制服着せれば、10万以上吹っかけても出すと思うぜ。パッと見は清純派アイドルみたいだから、ロリマニアにはたまんねえよ」
ツバサは声を上げて笑った。
「マジで? あいつ、この前、淋病になってなかったっけ?」
「知るかよ。女子中学生買ったスケベ野郎が、病気うつされましたって警察に駆け込むか?」
「それもそうだ」
ピンポーン
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。床に転がっていたユウキは面倒臭そうに立ち上がり、壁に取り付けてあるインターホンの受話器を取る。
「はい・・・・」
インターホンからは、やけに愛想のいい中年男の声が聞こえてきた。
「宅配ピザの配達でーす。受け取りをお願いしまーす」
男の声は関西訛りだった。ユウキは不審そうに言う。
「ピザなんか注文してねえよ。間違いだ」
そしてインターホンを切ろうとしたが、男の慌てた声がする。
「いえ、間違いやおまへん。ジュンナさんという若い女性から、こちらの部屋に差し入れとして注文を受けております」
ジュンナはユウキたちのグループが客を紹介している16歳の少女だ。何日か前、客が女の態度が悪いとかぬかして約束の金を払わなかったため、そいつを叩きのめして有り金全部巻き上げてやった。今日も近くで客をとっているはずだ。
ユウキはインターホンを切った。スマホに向かっているケンとツバサに何か言おうとしたが、2人ともスマホを食い入るように見つめている。
舌打ちしたユウキは仕方なく短い廊下に出て玄関までいき、ドアに付けられた覗き窓を見た。覗き窓いっぱいに人の良さそうな、黄色いTシャツの中年男の笑顔が広がっていた。鍵を外し、内側開きのドアを少しだけ開けた。だが、突然、ドアは蹴飛ばされたようなすごい勢いで開いた。
バンッ!
ユウキはドアの内側にまともに頭をぶつけ、後ろによろめくと廊下にうずくまった。
室内に飛び込んだ大道寺は、座り込んでいる男のあごを力任せに蹴り上げる。ユウキは吹っ飛ばされた拍子に床に後頭部を打ちつけ、何がなんだか訳がわからないままに意識を失った。
物音を聞きつけたツバサとケンが振り向いたところに、廊下で助走をつけた大道寺の飛び蹴りが炸裂した。ツバサは顔をまともに蹴られ、2メートル近く飛ばされて尻餅をついた。そこに回し蹴りが飛び、つま先がきれいな角度でこめかみに入った。ツバサは頭を抱えてへたり込む。
大道寺は一瞬の出来事に呆然と立ちすくむケンに素早く近づき、鳩尾に強烈な拳を叩き込んだ。うめき声を上げながら腰を折るケンの腹をさらに激しい膝蹴りが襲う。
苦痛と吐き気に見舞われたケンの襟首をがっちりつかみ、無理やり立たせた。大道寺はこの部屋に乱入してから初めて声を出した。落ち着いた、凄みのある声だった。
「これはカチ込みだ。渋谷は俺の庭だ。お前らは極道の庭で断りもなく商売仕切って、シマ荒らしをやったんだぜ」
そして、ベルトから匕首を引き抜いた。白鞘を見たケンの顔が引きつる。大道寺は鞘を抜かず匕首の柄の方で何度も顔を殴りつけた。気勢をそがれ完全に戦意を失ったケンは両手で顔をかばうが、それでも容赦なく顔や腹を殴られる。ケンはこんなに殴られたのは生まれて初めてだった。立っていることに耐えられなくなり、ついにうずくまった。
「・・・・・許してください・・・謝りますから・・・・・」
だが、大道寺は無言で匕首の鞘を抜き、抜き身をギラつかせた。
「極道のシマ荒らしといて謝って済むか、バカが」
言い終わると同時にケンの左手首をつかみ、あっという間に匕首の刃先を左手小指の第1関節に押し当てる。8帖1Kの殺風景な部屋に、大道寺の冷たい声が響いた。
「てめえのやったことにケジメつけろや」
ケンは恐怖のあまり目が飛び出しそうになった。
「やめ・・・・!」
叫び声の途中で刃は指に深く食い込んだ。しかし、人間の指はそう簡単に切り落とせるものではない。大道寺は心得た顔で匕首に全体重をかけた。鋭い切っ先が一気に沈み込む。
「ぎゃー!」
切り落とされた小指は、噴き出した血で数十センチも飛ばされた。座り込んだまま頭を抱えてその光景を見ていたツバサは、呆けたような表情になり、次の瞬間、恐怖で顔を歪ませて、立ち上るのも忘れて四つんばいで部屋から逃げようとした。
しかし、玄関には鍵がかけられ、その前に戸惑い顔の一休が立ちはだかっている。ツバサが振り向くと、後ろには血のついた匕首を握る大道寺が立っていた。
「逃げるな。お前もだ」
「た、助け・・・・」
全部を言い終わらないうちに、ツバサは股間を蹴り上げられていた。
明け方。狭いワンルームマンションには10人近い少女たちが集まっていた。室内は彼女たちの甘酸っぱい体臭と安っぽい化粧品の匂いに満たされている。どの少女も派手な化粧に肌の露出度が高い服装だった。
彼女たちはケンの携帯による緊急招集によって、急遽この部屋に呼び出されたのだ。少女同士は顔見知りだったり、そうでなかったりだ。
強引に招集をかけたケンに、最初、少女たちは口々に不満の声を漏らしていた。だが、部屋に着くと玄関で目つきの鋭い大柄な男に出迎えられ、部屋に入れば窓際に正座させられ、人相が変わるほど殴られてるケン、ツバサ、ユウキの3人を見て、緊急招集がただ事でないと察する。しかし、玄関前に大柄な男がいるため、1度入ると逃げ出せなかった。
普段は陽気な男3人は、無気力な顔でうつむいたまま一言も発しない。なぜか男たちは左手をバスタオルで何重にも巻いていた。バスタオルは薄っすら赤い。
ケンたちと組んでいた少女が全員集まると、玄関前に仁王立ちしていた大道寺は少女たちをかき分けて3人の男たちの横に立った。部屋にいる者全員の顔をにらみつける。威圧感のある視線に、少女たちの顔には警戒の色が浮かんだ。大道寺は命令口調だった。
「渋谷は俺の縄張りだ。昔からそうだし、これからもそうだ。だから、そこにたむろするお前たちは、必然的に全員、俺の女ということになる。という訳で今後、俺の許可なしに街で勝手に商売することを禁止する」
少女たちは大道寺の横柄な態度と言葉で、ケンたちが誰にやられたかを悟った。表情に不満を浮かべる少女もいるが、面と向かっては何も言わない。だが、全員が従っていないのは表情から見て明らかだ。
大道寺は彼女たちを見てニヤリと笑った。ケンの横に置いてあるクーラーボックスを開いて、中から3つの小さなビニール袋を取り出す。
「お前ら、これが何かわかるか? よーく見てみろ」
3つのビニール袋には、それぞれに赤黒い小さな肉片のようなものが入っていた。少女たちはポカンとした顔で見つめていたが、最前列に座り込んでいたユキという少女が、不意にケンたちのバスタオルが巻かれた左手とビニール袋を見比べた。そして、にわかに青ざめる。大道寺はユキの様子に気がついた。
「そこのパンツ丸見えのねえちゃん、お前はなかなか、いい勘してる。勘のいい女はタイプだ」
そして、ビニール袋を高く上げた。
「これは、この男たちの小指だ。俺のシマを荒らしたお詫びとして、飛ばしてもらったんだよ」
袋の中身を知った少女たちは悲鳴を上げようとした。しかし、大道寺のすさまじい、ひとにらみで息を飲み込む。大道寺は低く重い、有無も言わせない声で言った。
「文句のある奴は前に出ろ。そいつも同じ目に遭わせる。文句がなけりゃ返事しろ」
少女たちは青ざめた顔で、恐る恐るうなずいた。今度は大道寺はケンの方を見た。
「これが済んだら、初台の伊原医院ってところに行け。院長に旭誠会の大道寺から教えてもらったって言えば指をつないでくれる。もっとも、ヤブ医者だから、きれいにくっつくかどうかは保証しないけどな」
そして、ケンの前に屈み込んだ。表情のない洞窟のような暗い目で、腫れ上がった顔を覗き込む。
「指が治ったら、お前ら3人はセンター街のハンバーガーショップで働くんだ。そして、俺の女たちが勝手なことをしないように見張ってろ。たまに抜き打ちでチェックしに行くから、サボるなよ。もし、女たちが俺に断りなく妙な真似してるのを見かけたら、今度はエンコじゃ済まねえ。1週間かけて生きたままバラバラにしてやる」
ケンは泣きそうな顔になった。大道寺は顔を上げると少女たち1人1人をにらみつけた。少女たちは大道寺と目が合うと恐ろしそうにうつむく。
「こいつがバラバラになったら、その原因を作った女にはケンで作ったハンバーグを食わせてやる」
全員が顔面蒼白になった。中には気分が悪くなり口を押さえている者もいる。
パンッ
背後から突然聞こえた手を叩く音に、少女たちも男たちも飛び上がりそうになった。後ろにはいつの間にか一休が立っていた。一休は穏やかな顔をしていた。
「みんな、その凶暴な男の言うことがわかったな? わかったら、もう家に帰れ。そろそろ電車が動き出す時間や」
真っ先に立ち上がったのは、自分の指が入ったビニール袋を掴んだ3人の男たちだった。彼らは一刻も早く病院に駆け込もうと必死の形相だった。それに誘発されて、少女たちも我先に部屋を飛び出していく。30秒ほどで室内は大道寺と一休だけになった。
一休の顔からは笑みが消え、渋い表情になっている。
「窒息しかけの少女に指を切り落とされた男たち・・・・・これが“極道のやり方”か。何ともえげつないのう。皆が悪い世界から足を洗ってくれるんなら、多少荒っぽいことも目をつぶろうと思うてはおったが、こんなことでええんかいな・・・・・」
大道寺はケンが残していったタバコの箱から1本を抜き、口にくわえて、これもケンのジッポで火をつける。深々と吸い込んだ煙を煙突のように吐き出した。
「ガキだろうが大人だろうが、悪いことすりゃ痛い目に遭うのは当たり前だ。そんなことは極道だって知ってる。極道並みの悪さをすれば、ガキであっても極道と同等の罰が待ってる。そんなふうに躾けないとガキは悪の意味がわからない、と俺は思うがね」
一休は少し神妙な顔になった。
「“極道流”がええとは思わん。だが、お前の言うことも一理ある、かもな・・・・・」
大道寺は小さな流し台に吸殻を捨てた。タバコの火は溜まっていた水にシュンと情けない音を立てて消えた。2人は黙ってケンたちのアジトを出た。部屋から出ようとする2人の背中を窓から差し込む柔らかい朝日が包んだ。