第4話 灰色の校舎
暗い、暗い、暗い。
月明かりだけが照らす、灰色の校舎だった。
気がつけば、校舎の窓から部屋の明かりがもれている。
それに、足元の地面がゆるい。
渉たちのくつ底がヌルッと滑り泥を削る。
水たまりの気配。
季節外れの絶滅危惧種、アメンボが、糸のように細く長い足で、月夜を映す水面に波紋を描く。
校舎から迫る人影に、渉たちは、緊張を走らせた。その時、さやかは、雫をかばうようにして前に出る渉を横目にした。
彼女の誰の耳にも届かないつぶやき。
「だから、なによ……」
大人、そして男性の震える声。
「助けてくれ」
最年長二十歳の鴉神父が男性と向かい合い、彼の両肩をつかんで制止する。
その際、目線を渉とさやかに素早く順番に送ると、それぞれ、うなずいた。
鴉神父は、そのうなづきに、多分、教師だろうと思う。
さやかは、渉の方へ体を寄せ、
「どういうことかしら?」
と疑問を口にした。
渉とさやかは、この中学校の生徒だ。
雫はというと、ここの制服を着用している。
さやかは、それにキッとなる。
「だいたい、あなた、なんで、そんな格好で森宮と一緒なのよ」
さやかの標的が、雫へと移るも、彼女は、あいも変わらずひょうひょうとしていた。
雫が、
「これは、渉の趣味よ」
などとのたまうので、
さやかが、
「ヘンタイ」
と渉をにらむ。
絶賛脱線中の渉たちをよそに、鴉神父は、年長者としての責任を果たしていた。
「とにかく、落ち着いてください」
男性の息は荒い。
「こんなことになるなんて」
時々、断片的なことを口走っていた。
息が整うと鴉神父との会話が成立していく。
渉たちの背後、中学校の校門は、閉じられていた。
勝手に閉まる。
それも、人の手も借りないで……
一変した風景と合わせれば、ここが異常だと、誰もが勘づいている。
「とにかく何とかしてくれ。ここに、閉じ込められたまま、なんて……」
男性が肩を落とす。
鴉神父の背後。
校門との間にいる四人。
その内の彼女と彼女が騒がしい。
絶賛脱線中は、止まることを知らない。
「だいたい森宮さんじゃない? 雫さん!」
神崎 さやかは、雫の呼び方を決めかねていた。
彼女が森宮と口にする。
すると、渉が反応。
彼女は、それが気に食わない。
それよりも、なによりも、雫のセーラー服姿がもっともっと彼女をイラつかせた。
「だいたい、あなた、そんなスカートで激しい動きしたら見えちゃうじゃない」
さやかは、雫のスカートを指摘するも、彼女のスカート丈は、膝下で極端に短くはない。多少、飛んでも、下からのぞかないと無理というもの。
雫は、必死になって彼女を否定してくるさやかで遊んでいた。
だから、
「なにが?」
とさやかに聞き、彼女が言葉を詰まらせると、
もう一度、
「ねえ、なにが?」
とからかうように言う。
スカートがめくれて見えるものなんて決まっている。
それは、木から落ちたリンゴが地面に転がるのと同じ。
もはや、それは世界を構成する理と言っても過言ではない。
しつこい雫に、さやかは怒りを爆発させた。
「たがら、パンツ」
うつむき加減の小声。
気を取り直して大声でもう一度。
「パンツ!」
彼女は怒鳴りながら、まあ大抵、体操服の短パンをはいてるけどね、などと思ってしまう。
されど、夜の校舎に響く「パンツ!」がこだまする。
神崎 さやか、ここでゼーハーと、一息。
その様子に、いつになく、厳しい表情を向けたのは鴉神父だった。
さやかは、コホンとせき払いをしながら姿勢を正した。
口数を減らし、凛と構えれば、彼女も立派な淑女だ。
シスター姿の神崎 さやかは、黙っていれば、清楚で慈愛溢れる女性だ。
「ツンツンばかりで、いつデレるの?」
雫は、渉に、聞いた。
その声に、さやかが真っ先に反応。
渉は、さやかの圧に負けて、雫から目をそらす。
小学生ぐらいの男の子、たけるは、雫と、偶然、目が合う。おませな彼は、肩をすぼませ、利用の手のひらを上に向けて返事した。
「そうだ! いったい、いつ、ここから出れるんだ!」
あさっての方向で、火がついた。
校舎から駆けてきた男性。
今は、鴉神父と向かい合う形の彼だ。
「ここから、いつ、出れるのか!」
これが、男性の疑問。
「ここから、いつ、デレるのか?」
これは、雫の好奇心である。
デレてる神崎 さやかの姿は、渉には、想像もつかない。それでも、なぜか、鴉神父とさやかなら……
それは、それで、彼と彼女の勝手だと思い、その姿を思い描くのを渉はやめた。
それにしても、国語教師の国枝先生の狼狽が気にかかる。渉にとって、大人が体面を気にせずおびえる姿は、初めてではないが……
大人が、そうなる時、相応の事情があることは、理解していた。
もう一人、別の女性が加わってきた。
渉たちの担任で、二十代の理科教師、姫川先生だ。
童顔で可愛らしい顔立ち。
少し頼らない空気感は、男女を問わず生徒たちから、からかいの対象になっている。
夜だというのに、夜勤明けを連想させる髪の乱れようは、長い時間を連想させた。彼らが、ここに閉じ込められているとして、まだ、日没から数時間しか経っていない。
彼女は、神崎 さやかの方へ駆け寄った。
「神崎さんが来てくれたのね」
渉へは、おまけ程度の視線。
「これで、もう出れるのね」
さやかには、「デレる」と聞こえてしまうも、そこは、踏みとどまる。それでも、なぜか、耳が赤くなったのを雫は見逃さない。
雫が目を細めていると、姫川先生が、彼女に話しかけた。
「あら、あなた、どこのクラス?」
どこのクラスもなにも、雫の席は、中学校にはないはず。
「どこのクラスになるか、私は、知らないわ」
雫は、しれっと言ってのけた。
校門は、地に根を張った頑丈な壁のようにピクリとも動かない。不可解なのは、外側の掛け金が下され、そこに錠前が吊るされていること。
もっとも異常なのは、鴉神父の鍵が錠前に合わず役に立たないことだ。
最後に壁を乗り越えるという手段だが……
姫川先生と国枝先生の猛烈な反対と忠告により試すことはしていない。
彼らは、見えない壁の存在と犠牲者のことを、渉たちに伝えたのだった。