第2話 意気地なし
「好きな人の名前なんて、堂々と叫びなさい」
中学校へと続く道。
少女が言葉通り、声を張り上げた。
渉の方は、返す言葉を胸にしまう。
恋愛ごとよりも、目の前の彼女のことで、彼は、頭を悩ましていた。
道中、彼女の方は、喜怒哀楽の感情豊かに、にぎやかに話しかける。それは、弟を気づかう姉のようであり、仔犬のように兄にまとわりつく妹のようでもあった。
渉より彼女の方が、よほど人間らしい……
彼の疑惑は、ほぼ確信に違いなかった。
人でない者が、人に混じる。
その危険を人一倍、彼は知っているはずだった。
だから、悩む。
堂々巡りの思考は、結論を出すのを拒み続けている。
夜の中学校は、とても静かだ。
渉たち以外、まだ、誰の姿も見えない。
鉄製の重い扉は、しっかりと施錠されて、校内に入ろうとする者を拒絶していた。
渉が深刻そうに表情を曇らせていることに、彼女も気がついた。
「君が、意気地なしなのは、知ってたわ」
少女は、渉の両ほほに手をあてる。
彼は、ドキッとしてしまい、文句一つ言えなかった。
彼女は、自分の恋人のように、彼の顔を自分の方へと向けた。それは優しく、柔らかい力加減。それでも、彼には、力強く、拒めない思いがこもっているように感じられた。
「でもね、少しぐらい私を見てよ」
「大げさ!」
と彼は思った。
話している相手の顔を見る。
彼にとって、それは礼儀として大切であって、さほと重要とは思えない。それよりも、なによりも、受肉した(ほぼ間違いない)彼女を、いつ祓うかの方が、大切で、とても悩ましい。
渉の的を得ていない表情が、彼女は、とても気に食わない。
そう、とても、だ。
さらに、彼女は、かれの顔を引き寄せる。
それは、キスの距離。
さすがに、彼は、その距離に抵抗するも、今度は、彼女の力が強い。
そして、彼は、彼女の目を見てしまう。
「でもね、あの時、目が合ったの」
まさに、それは、今もだ……
彼女の手の震えが頬を通して、彼に伝わる。
だから、彼は、異性に触れられているからといって、こんな時に、照れている、自分を恥じた。
「だから、もっと、君のことを教えてほしい」
渉のひたいに、感触。視界は、彼女でおおい隠された。
これは、キスだ。
渉のひたいに、少女はキスをした。
唇をひたいに重ねた程度の軽いキス。
彼には、十分に衝撃的な出来事。
「好きな子の名前すら教えられない。そんなウブでネンネな君も、安心なさい」
「安心できない」
彼女から解放され、渉は、ひたいを手で拭う。
唇の感触は消えない。
「だいたい、そこじゃない」
彼女は「え?」となるのも一瞬、見事に聞き流した。
彼の心配事は、彼女と違う。
目の前で、さまざまな表情を見せる少女を、いつ祓う? かだ。
「君の好きな子なら、だいたい見当がついてるのよ」
「ああ、そうかよ」
本当に無邪気。
彼女の頭の中は、恋愛でいっぱいらしい。
いつ祓う? などと考えることが、渉にはバカらしくすら思える。
「この服を選んだのは君よ」
彼女は、スカートの裾をつかんで、中世のご令嬢のように振る舞う。
「最初に目が合ったのは君で、私は、この姿で受肉した」
渉の錫杖がジャンと音を奏でた。
少女の受肉が確定した。
「君、制服をきた女子中学生が好きなのね」
彼女は、クルリと一周をして、身をひるがえす。
「困った性癖ね。あら、でも、君も中学生だから……」
少女が、目を細め表情を一変させる。
妖艶な空気が漂いはじめた。
渉の錫杖を握る手に力が入る。彼は、自らの手に汗を感じた。
彼が、そうする前に、彼女の方が動く。
少女は、渉の握る錫杖の先をつかむと、杖の頭、大輪の飾りを、自らの胸に強く押し当てた。
「そんなことに、頑張る必要はないわ」
彼女は、もう一度、グイっと錫杖を自らの方へ引き寄せ、
「ほら、君なら、簡単なはずよ」
と「いつだって、始末できるでしょ」と言わんばかりだ。
それは、多分、技術的には、たやすいと彼は知っている。
受肉した霊魂を祓うのは、並大抵のことでない。
小学生でも出来るお使い程度の仕事すらこなせていない彼がだ……
できるだろうか?
嫌な記憶が、鮮明によみがえる。
土壇場で尻込み。
受肉体を祓う行為は、人を殺すことに等しい。
彼は、とても弱い、そして、意気地なしだ。
「心配しなくても悪さはしないわ」
そうは、言っても、彼女は、ここに、誰が来るのかを知らない。彼女が受肉体だと確定しても、彼は、やはり祓うことを躊躇した。
森宮家の血筋は、伊達じゃない。
成仏を願う経を唱えるまでもなく、力で押し切ることも出来る。
ただ待ってれば、他人が、彼女を祓う。
でも、あと少しで、皆が、ここへ来る。
彼は、そう思ってしまう。
「君以外なら……」
彼女の表情は、その言葉の続きを無言で代弁をする。
それは、霊圧などという異能ではなく、彼女の気迫から、彼は、そう感じた。
彼は、思わず生唾を飲み込んだ。
「なんで?」
「私を祓ったら、君の心は、きっと死ぬでしょ」
心が死ぬ?
「死ぬ訳がない」
渉は、そう、言い切れる。
だって、傷つきたくないだけ!
彼は、自分のことを、よく知っている。
いつだって、自分が一番大事なんだ!
彼女の言葉は、背中を押してくれた。
決着をつけようと決心を固めた。
なのに……
「ずるいな」
彼女が表情を緩めた。
喜怒哀楽。
誰よりも、彼女は、人間らしい。
「目が合う。手を握る。並んで歩いて会話する」
彼女は、錫杖から手を離し、人差し指を唇へ持ってきた。
「キスもしたしね」
渉の顔が赤くなる。
「目が合ったところからはじまった縁も、ここまで、くれば十分に利用して、人に紛れてみせるわ」
人の気配、話し声が聞こえてきた。
彼らが、ここに、やってくる。
「あら、君の好きな子が来たわよ」
近づいてくる人影は四つ。
影の形から、男女二人と子供二人と知れた。
渉が、彼女の言葉を否定するよりも早く、中学校の校門前に、皆がそろう。
神父とシスター、それに小学生ぐらいの男の子と女の子が、森宮 渉と少女の二人に加わった。
神父とシスターは、渉もよく知っている。
この場を取り仕切るのは、大学生で最年長の鴉神父だ。
「渉くん、早いね。それで、そちらの方は?」
渉は、言葉を詰まらせる。
彼は、彼女の名前すら知らない。
その程度の間柄。
なのに、彼女に動じる気配はなかった。