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こんにちは、地縛霊です

 通学路の途中にほこらがある。


 ひっそりと物静かで、どこか寂しげな面持おももちが、歴史を感じさせる。古さゆえ、誰にも見向きされていないかと思えば、時折、真新しいお供えがあったりする……


 確かに、それは、世界の一部なのに、それが無くても、誰も困らない。それでも無くなるとさみしい。そんな、何処にでもありそうなほこら


 なぜか、その前を通ると、人知れずに、彼は、祈ってしまう。


 あの娘のしあわせを、そこに語りかけ願ってしまうのだ。


 それが、いつも、ほこらの前を通り過ぎる時にする、彼の習慣になっていた。


 今宵こよいは、少し違う。


 彼は、近所の中学校に、邪気をはらう、おつとめに向かう途中だった。それは、寺に産まれ、修行を積んでいれば、小学生にでも出来る、簡単なおつとめだった。


 中学生の彼にとって、その簡単なおつとめが、()()()の初めて。


 そこへ向かう途中、ここで、立ち止まってしまった。


「こんにちは、地縛霊です」

 女子中学生は、ほこらの前で、いたずらな笑みをたたえていた。


 季節は春。

 植物が芽吹く暖かな季節は、過ごしやすく、心を踊らす者も多い。


 それでも夜は肌寒く、どこか寂しさを感じさせる。


 昼間は、人通りの絶えない国道も、めっきり人影は減り、道路を行き交う自動車のヘッドライトが景色を流すようにして照らす。


 女子中学生の背後で雑木林(ぞうきばやし)が揺れている。その横には、どこにでもあるような、古い小さなほこらがあった。


 名もしれない、怪しげな神さまがまつられているかもしれない、古いほこらだ……


 そのかたわらに、彼女は、セーラー服を着て立っていた。


 彼が通う中学と同じ制服……

 それよりも彼女の容姿が、彼の目をひきつける。


 長い黒髪、月明かりでもわかる透き通るような白い肌。彼女の容姿を一言でたとえるなら、日本人形のような和風美人といったところだ。それは、一度見かければ、誰の脳裏にも焼きつくであろう容姿に違いなかった。


 なのに、わたるには、彼女の見覚えがない。


 森宮もりみや わたるは、僧衣姿で錫杖しゃくじょうを持ったまま、立ち尽くす。


 そもそも、いつから……


 彼の頭に浮かぶ一つの疑念。


 女子中学生の方が、先に口を開く。

「そんなに、見つめないでよ」


 彼女が、はにかむ仕草は、年相応に可愛らしく見えた。


 とはいうものの、わたるの方は、女子に不慣れで、気の利いた言葉一つ返すことはできない。


 世界は、とてつもなく広いが、今のわたるにとっての、それは、少女とわたるを含む、狭い空間のことだ。どんなに、思いを馳せても、現実は、目の前の手の届く範囲でしかない。


 初対面、しかも美人。そこで、女子と二人きり……


 普段なら、わたるの思考が飛んでしまう場面。

 今は、違う。


 気の利いた言葉は、出なくても、体は動かす。


 わたるは、地面を強く突いて、錫杖しゃくじょうを揺らす。杖の先についた、いくつもの錫製すずせいの輪がぶつかり合い音を出す。それは、坊主が邪気を払うために奏でる音。


 道路を行き交う車の音が戻ってくる。

 時の刻みが、元に戻った。


 わたるは、錫杖しゃくじょうでもう一度地面を突くと、片手は拝むようにして、経を唱えはじめた。


「Namas Sarvajñāya āryāvalokiteśvaro ……(ナマスサルバジニャーヤ、アーリャーヴァロー……」


 サンスクリット語のお経が響く。

 独特の音色が空気を揺らしはじめた。


 それは、故人をしのび、あの世へと送る葬式の場でも奏でられる言葉だった。


 月明かりがあれば、夜でも影はできる。

 少女の影を、月光が浮かび上がらせていた。


 中学生のわたるが、経を一心不乱に唱える姿は、なんとも意地らしい。彼女は、そう思う。


 それが、なんとも可笑しくて、彼女は、失礼を承知で、おなかを抱えて笑い出してしまう。わたるの方は、それを、素知らぬ顔で経を唱え続けていた。


 少女は、無邪気に笑い、こぼれ落ちそうになった涙を手で拭くと……


 おもむろに動く。


 少年の方へ、身体を預けるように……


 一歩前へ!


 その一歩が、広くて勢いがいい。

 彼と彼女の距離が縮まる。


 その距離が、近い。

 少女は、少年に体に手が届く距離まで、一気に詰めた。


 だから、彼は、上体をそらし、それを嫌う。


 彼女は、彼を逃さない。前屈みになりながら、少年の片手を、両手で包み込むように捕まえる。


 この一瞬は、世界から切り離しても、一枚の絵画として整理する光景なのは、確かだった。


 そこで、時間が止まることを許さない者がいる。


 彼女は、彼の手を、両手で、包み込んだ瞬間、間髪入れずに言う。急に動いたことで、息を乱し、そのせいで、声は小さくなってしまう。それでも、彼女の声は、少年の耳には、はっきりと届いていた。

「ほら、温かいでしょ」


 彼女の吐息が、彼の手にかかる。


 お経が止んだ。


 彼の背後で車のエンジンが、国道を駆け抜けて、通りすぎた。


 少年の手は、彼女の手に包まれている。

 そこには、確かな温もりがあった。


「生きている……」

 少年の持つ錫杖しゃくじょう。その先についた錫製すずせいの輪が、わずかに動く……それは、ゆっくりとした、静かな動き。


 性別を超えた温もりは、生の証。暖かい血液が循環しているという証拠。


 彼にとっては、だからこそ厄介だった。


 受肉……


 彼の脳裏に浮かぶ言葉……


 神であれ、なんであれ、異界の者たちが、現世に干渉する手段の一つ。命ある肉体を、はらい、清めるためには、命を奪うしかない……


 それに、これが、霊脈をくぐり抜けた邪霊の仕業であれば、もっとたちが悪い。


 わたるの目の前にいる少女は、何者かが憑依しているのかもしれないし、はたまた、催眠の類いで操られたか……さもすれば……


 わたるが難しく考えているというのに、目の前の少女は、彼の方へ、顔を寄せた。

「嬉しいでしょっ」


 彼女の距離感がおかしい。


 近すぎる!


「だって、ほら、顔が赤いわよ」


 少年の顔が、一気に、みるみると赤くなっていく。

 そして、少女から離れようと、一気に体を動かした。


 あまり急な彼の挙動で、彼女は、一瞬、バランスを失ってしまう。


 彼女がバランスを失ったのは、ほんの一瞬のことだ。

 放っておいても、自身でどうにかできる程度のこと。


 少年は、少女を気づかって、彼女の両手に包み込まれた方の手で、握り返し、少女を助け、彼女のバランスを整えた。


 二人の目が合う。

 それは、少女にとっては、二度目の出来事であり、少年にとっては、初めてのことだった。


 少女は、自由な方の手で、少し乱れてしまった長い黒髪を、耳にかけるような仕草で整える。制服のスカートが、そよ風に揺れると、街頭が一度だけ点滅をした。


 誰もがする、何気ない仕草。

 それが、なんだか、とても不思議で少年は、見入ってしまう。


 女子中学生は、それ相応の少女らしい笑顔を、してみせた。

「君で良かった」


 少女の優しい眼差しに、意地悪の色が混ざると、

ほこらに願かけをするなら、想い人の名前ぐらい伝えなさい。わたるくん」

 と彼女は言った。


「想い人なんて、いない」

 わたるは、天を仰ぐ。


 彼が、人知れずにしていた願い。

 その想い。


 少なくとも、自称、地縛霊の彼女には届いていた。


 肌寒い夜。

 満月の柔らかい光が、二人を暖かく照らしていた。


 この時期、虫も、まだ少なく、夜の音は少ない。


 登下校の時間帯には、賑わいをみせる、この歩道。道脇にあるほこらに密かな願いを込めて祈る学生も実は多かった。もちろん、皆が、皆、歩きながら、視線をチラリとほこらに落としながら、人知れずに祈る程度。それでも、叶えたい大切な夢や解決したい悩みの数々。


 各々の秘めた想い。


 真っ暗な夜は、静寂を保つ。


 停留所にバスが来た。

 圧縮空気が吐き出される音と共に、バスの扉が開く。


 帰宅を急ぐサラリーマンが、少年と少女を、平然と通り過ぎる。


 制服姿の女子中学生と僧衣姿の少年は、日常ではない光景のはず。帰宅途中のサラリーマンには、それが、見えていないようだった。


 少女は、可愛らしいくちびるの間から、白い歯を、のぞかせると、ニッと笑う。

「流石は森宮の次男坊」


 彼女は、わたるの術、隠遁の術式の出来栄えを、暗に誉めた。


 わたるは、口を一文字に結ぶ。

 視線は、彼女を捉えたまま。

 彼女の正体は……

「もしかして……」


 その先を少女が言わせなかった。


「女の子の手を、そんなに、強く握るものじゃないわ」


 ここで、初めて、彼は、少女の手をずっと握っていたのを思い出した。彼は、握っていた彼女の手を、振り払うようにして勢いよく引き剥がす。


 彼と彼女の身長は、さほど変わらない。

 わたるの方が、少し高い程度。


 彼の手に残る、彼女の手の感触は、身長差以上に、細くて柔らかいものだった。


 夜の冷たいそよ風が、少女が着ているセーラー服のスカートを軽く揺らしている。彼女は、楽しそうな表情を見せながら腰に手を当てた。


「それに、あいさつなら、最初にしたわ」


 わたるは、彼女の手を握っていた方の手のひらを眺める。確かに、そこには、彼女の温もりが残っていた。


「地縛霊……」

 彼は、今さらだと思う。

 そう、今さらだ。


 もっと、別の存在。ありえない高み。

 それを、彼は期待していた。


「そうよ。そこら辺、何処にでもいる。怖い、怖い、地縛霊なの」

 少女は、背中で手を組み前屈みで、わたるをからかった。


「一つだけ、教えてあげる」

 彼女は、人差し指を一本だけ立てると、彼の鼻のそばへと持ってくる。わたるは、その仕草に、あごを引くようにして耐えた。


「いーい、見えてるもの、聞こえる音、五感で感じることが真実とは限らないわ」

 彼女が人差し指を横に振ると、彼は、思わず目で追ってしまう。


 その動きが止まると彼は視線をほこらにやった。


 彼女に、悪霊のたぐいのような邪気はない。

 表情をコロコロと変える彼女は、無邪気そのもの。


 少女は、なぜかムッと頬をふくらませると、人差し指をグイッとわたるの目の前に突き出してきた。

「あと、もう一つ」


「えっ! 二つ目……」と彼は思うも、彼女の勢いに負けて口には出せない。


「神さまは、人の言葉を語らない。あれから見れば、人の営みなんて、砂つぶより小さい些事さじよ」

 少女は、言い切ると、せっかくの美人を台無しにして、鼻のムフーッと吐き出す息で鼻の穴を広げると、満足げなドヤ顔になった。


「まったく……」

 わたるは、ため息を吐き出し、

「とりあえず、送ってやるよ」

 と言い、ほこらに視線を移す。


 受肉した何かであれば、帰る家はない。

 そうであれば、はらう。


 邪霊受肉であれば、彼の手に負えないかもしれない。

 念の為、たもとの中で携帯電話を握った。


 あの時、みたいなことは、もう……


 失敗は、許されない。

 被害は、最小限。


 犠牲者はゼロ。それは絶対。


 だから、応援を依頼する。

 霊災の処理で退魔士の手が足りてないのは、彼も、重々、承知。


 それでも、事情を伝えれば、きっと……


 彼の決心が揺らぐ。


 それは、彼女のせいだ。

 彼女の表情がとても……


「とんだお人よしね」

 少女は、表情でありがとうと伝えてきた。


 女の子が、夜道を一人。

 これを、本気で気づかっている。


 そう、彼女は信じているようだった。


 それが、彼の胸に突きささる。


 とっさに出た、彼の言葉がこれだ。

「ここで、出会ったんだ、放って置けないだろ」


 別に嘘ではない。

 本当のこと。


 とにかく、出会ったんだ。

 だから、放っては置かない。


 わたるは、彼女に、急ぐようにうながす為、車道の方に体を向けると、錫杖しゃくじょうから、意に反して音が出てしまう。


 彼女は、それを意にかいさない。

「そんなことより、おがみやさん、今日は、初仕事でしょ?」


 彼は、彼女の方へ振り返る。

「おまえは、どこまで知ってる?」

「少なくとも、君の想い人の名前は知らないわ」


「だから……」

 少女は、彼の言葉を遮った。


「付き合ってあげるわ」


 わたるは、彼女の言葉を勘違いし、耳を赤くする。

 少女は、それを、見てみないふり。


「きっと感謝するわ」

 彼女は、わたるを誘うように、彼に背を向け、彼の先を歩く。


 そして、くるりと愛らしく振り返る。


「だって、縁結びは、得意だもの」


 彼は、彼女について行くしかなかった。


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