怒り狂った女王
「レナード様、お願いです。もう一曲、最後の曲を共に踊っていただけませんか?」
「……俺たちは既に2回踊ってます。」
レナードは首をふった。
『初めて会った貴族は2回以上一緒に踊ってはならない』というルールがある以上、レナードとエラはもうペアを組んではいけないのである。
普段のエラならば、レナードに断られた時点で諦めていた事だろう。というか、まずルールを破ろうとすらしなかった。
でも、今だけは違った。どうしても、もう少しだけレナードと一緒に居たかった。
「誰が誰と何回踊ったかなんて周りは気にしてませんわ。それに、私達は外で踊っていたのですから益々何回踊ったかなんて誰も気づきません。」
「いけません、エラ様。お互い、新しい相手を見つけましょう。」
レナードはなおも首を縦にはふってくれない。
エラは、レナードがもっと柔軟な人間だと思っていたのでこうも頑なにルールを守ろうとするのが意外だと感じた。
でもどこか踏ん切りがつかない様子だ、とも感じた。
(……レナード様も迷っている……?)
エラはもう一押しすることにした。
「お願いですわ。レナード様とこのままお話をすれば、もっと何か、_自分にとって大切な何かが見えるような気がするんです……!」
「……」
エラはレナードの紅い瞳をじっと見つめた。まだ迷うように瞳が揺れ動いていた。
(レナード様は何をそう迷っているのかしら……?)
エラはレナードの態度に疑問を感じた。
万が一3回以上踊っているのが周りにバレても、そんなに気にされるような事ではない。最悪の場合を考えても、せいぜい浮いた噂が出回るだけだ。罰が下されるわけではない。確かにエラは噂されるのは嫌だが、レナードは気にするだろうか。
実は婚約者もしくは恋人がホール内に居て、その人に他の女と仲良くしているのを見られたくない、とか?いや、そんな人がいれば姫がレナードを自分に紹介しただろうか。そもそもレナードは誠実な人なのでそのような相手がいればちゃんと言ってくれるはずだ。
エラは意地でもペアを組むぞ、とレナードの手を掴んだまま待った。やがて、レナードが諦めたようにふうっと息を吐いた。
「強引なんですね。」
「やり返したまでですわ。」
レナードは雲が晴れたようにニコッと笑った。エラはホッと息をついた。
レナードはエラの手を取ると、ホール内に連れて行ってくれた。そこからは不思議と一瞬のように時が過ぎ去った。パーティーの最後の曲なので皆疲れ果てているのを考慮してか、踊りが簡単な曲だった。そのおかげで、エラはダンスに余裕をもてた。さらに、相手がレナードなので、間違えても嫌な顔一つせずにすぐにフォローしてくれる。外庭の時ほど、会話はできなかったが、エラにとって人生で一番ダンスが楽しいと感じた。
そして、華やかなフィナーレのメロディーが煌びやかに演奏されると、ホール中が一斉にキラキラとした魔法の光で包まれた。曲が終わり、響きが完全に消えきった。
エラはレナードに最大限の感謝の気持ちを込めて、スカートをつまみ、片方の足の膝を曲げお辞儀をした。
「また、お会いできますわよね?」
エラは不安になって聞いた。なんとなく、レナードと再び会う事はないんじゃないかと思ってしまった。
レナードは一瞬、_ほんの一瞬だけ寂しそうに顔を歪ませた。ずっと微動だにしなかった彼の長い耳が少しだけ下がった。
彼は何も言わずにエラの片手をとった。そして、
(……!!)
手の甲にキスをした。
ダンスパーティーの終わりに手の甲にキスをするのは、特別な気持ちがあるというサインに他ならない。
普段のエラならば、男性にそんなサインをされれば顔を真っ赤にしていただろう。どうせこの人は本当の自分を見ていないんだ、なんてネガティブな感情に浸っていたに違いない。
しかし、今だけは、ひたすら温かい気持ちになった。レナードが自分に向けてくれる気持ちが恋愛なのかはわからないし、エラ自身も彼をどう思っているのかよくわかっていない。ただ、ひたすらに嬉しくて、ありがとう、という気持ちばかりがエラの中でいっぱいになった。
しかし、エラはこの時、気がついていなかった。背後で数人の貴族がちらちらこちらを見てはヒソヒソと話をしていた。「おい、あれまずくないか?」とその内の一人が言ったがエラの耳には届かなかった。
_音楽が終わったホールにカツカツッというヒールの音を大きく響かせエラに誰かが近づいてきた。エラは振り返った。
「……陛下。」
エラの背後に女王が立っていた。
レナードは緊張気味にすぐに頭を下げる。どこか青ざめているようにすら見えた。エラも慌てて頭を下げた。女王は明らかに平常心ではない表情だった。
エラはなんだか怖くなって体が震えた。
女王はエラの前に立つと、
____パンッ…!!
と平手打ちした。
エラは一瞬何をされたのか理解できなかった。
「…のっ泥棒猫っ!」
エラは訳がわからずに頬を打たれたまま、ただ突っ立っている。間髪入れずに、女王はまたエラの頬を打った。
「___っ」
エラは何がなんだかわからなくて、ひたすら怖くて仕方がなかった。
「陛下、落ち着いてください。誤解をなさって…」
「この私に命令するな!!」
静かに諌めようとするレナードに女王は怒鳴り散らした。
「この女狐は私の男を誘惑したのよ!おまけに手の甲にキスまでさせた!!」
(……『私の男』?)
女王の言葉で、やっと、エラは状況がなんとなく理解できた。
女王は夫_先王が亡くなって以来、新しい夫も恋人ももたずにいる。しかし、それは表向きの話で、女王には何人か『お気に入り』がいるらしいという噂をきいた事がある。周りが面白がって噂しているのを聞いた事があるが、正直エラは半信半疑だった。
「そ、それじゃ、……レナード様が……。」
エラは驚いてレナードを見るが、目をそらされた。
(そんな……。レナード様は女王様の事なんて一度もおっしゃってくださらなかったじゃないの……。)
一瞬、騙された、という感情がエラを支配する。
しかし、すぐに思い直した。『お気に入り』は表立った存在ではない。言いたくても言えなかったのだろう。
「陛下、これは新しい友に対する親愛の証です。深い意味はありません。」
「嘘をつけ!!」
レナードが弁明するが女王は聞く耳をもたない。後ろでは更にひそひそと貴族達が何事か話している。
『お気に入り』の存在はエラが聞いた事あるくらいだから、ここにいる大半の貴族も知っているのだろう。が、このように公の場で騒ぎ立てれば良い笑い物だ。女王だけじゃなく、それを諌めているレナードもだ。それでもレナードは顔色は悪いものの、落ち着いた様子でいる。対して、女王は子供のように泣き喚いていた。
「キスだけじゃないわ!外庭でその女狐と楽しそうに踊っていたじゃない!しかも、初対面で3回も踊った!!」
「……人に監視させていたんですね。」
レナードはここでようやく顔をしかめた。
女王はエラに向き直った。
「よくもずけずけとこの場に立っていられるわね。綺麗な顔して、人の男たらしこんで、まるで下品な娼婦みたい!」
「そ……そんな、……私、何も知らなくて…。」
「ああ、その顔よ!なんにも知らない、なんにも知らない。内心ではレナードをどうやってたらしこむか考えながら舌なめずりしていたくせに。下級貴族の分際で、身の程知らずにも程があるわ。ねえ、聞かせなさいな。あなたその純粋そうな顔で一体今まで何人の男を誘惑してきたの?」
「ほ、本当にそのようなつもりは微塵もありませんでしたわ!!レナード様とは本当に良いお友達になれると思っていました!!決して恋人などと邪な気持ちを抱いていた訳ではあいません!!」
____パンッ…!!
問答無用でまた平手打ちをされる。耐えきれずにエラは涙が溢れてしまった。
「この売女!!」
____パンッ……!!
「何が友人よ!!」
____パンッ……!!
「誘惑する気だったくせに!!」
____パンッ……!!
「ホール家を皆殺しにしてしまえ!!」
「お、叔父様達は何も…」
____パンッ……!!!
エラは恐怖と痛みで目がくらくらした。
その時、ふと姫と目があった。女王の右奥の方にいた。涙を流しながらブルブル震えていた。真っ青だった姫の顔が、エラと目があった瞬間更に青くなった。
「身の毛がよだつような恐ろしい呪いをかけて、地下の一番奥深くに閉じ込めて二度と日の光を浴びれないようにしてやる!!」
女王は大きく振りかぶった。エラは咄嗟に目をつむった。
しかし、女王の平手が止まった。
_レナードが静かに女王の平手を止めたのだ。
こんな小さな静止ではあったが、確かにそれは、『一国の女王に逆らった』事を意味した。
「……弁明は?」
「ありません。俺は彼女を愛してしまいました。ですが、彼女にはなんの罪もございませ…」
レナードは最後まで言葉を話さなかった。
エラの目の前で、一瞬体がぐらりとゆらめいたかと思うと、
__その場で倒れてしまった。
貴族の誰かが短く、悲鳴をあげた。
「レ、レナード様……?」
女王の手には魔法の杖が握られていた。床に転がるレナードの首からドクドクと赤黒い液体が流れていた。