体の大切な部分が徐々になくなっていく呪いをかけられた貴族令嬢の話
「___アア……ァ……あ……!」
鏡の向こうに映る顔を見て女は絶叫した。
そこには他でもない彼女自身の顔が映るはずだった。しかし、__
それは、到底、人の顔とは思えなかった。
顔には無数の切り傷が刻まれ、皮膚が所々焼け爛れたように捲れ上がっていた。彼女の本来の美しい顔を知っている者なら、今の顔を見て息を呑まないものはいないだろう。
「……ァ……あ……」
彼女はその場で崩れ落ち、そして理解した。
自分の人生は今、終わってしまったのだと。
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色とりどりの花々に囲まれた庭園にて、エラは椅子に腰かけていた。
彼女_エラ・ド・ホールはホール家という下級貴族の一人娘だ。彼女は、多くの種族が住んでいるこの国では珍しい、イシという種族である。イシというのは特に目立った特徴はない。
彼女はツヤのある黒い髪と黒い瞳を持ち、美しい容姿をしていた。
彼女の家は、上級街の一画にある。今は自宅の庭園で、ある一人の客人と優雅なティータイムを楽しんでいた。
紅茶の最後の一滴が、今までの穏やかな時間の終わりを告げる。客人は名残惜しそうにエラを眺めていた。
「どうされましたか?姫様。」
姫と呼ばれた少女はエラの客人だった。彼女は金髪で少し太り気味の体型をしており、顔にはうっすらとそばかすがあった。彼女の赤い瞳は、暖炉の火のような優しい色をしていた。
エラは下級貴族であるのにも関わらず、一国の姫の世話係であった。ある日、王立図書館で偶然出会い、姫が一目で彼女を気に入ると、次の日から世話係に任命されたのである。いきなりの大出世である。
だが、それは同時に貧乏くじでもあった。
姫様の母親はこの国の女王である。女王は非常に気性が荒いと評判だった。自分に対して少しでも否定的な事を言った者は皆拷問し、処刑する。趣味の合わないドレスを用意したメイドの目を針で刺し、料理が美味しくない日には料理人達の手を火の中に突っ込ませたという話をエラは聞いた事がある。また、女王は強力な魔法使いであり、多くの恐ろしい呪いを知っているらしい。この間は目をつけた使用人に魔法をかけると、使用人は犬のように四つん這いになって庭を駆け回り、女王はそれを見て笑っていたという。そのような恐ろしい女王と積極的に関わりたい人間は多くはない。エラも例に漏れず女王、並びに王家の人間である姫様との関係を持つことに不安を感じていた。
女王はあまりにも残酷で恐ろしい。だからこそ、優しい性格であるはずの姫様の周りには人は集まらなく、世話係という名目で友達係が設けられるわけである。
「実は私、エラに言いたいことがあったの。」
姫はピンっと長い耳を立てた。
姫はイシではなく、ノドムだ。
ノドムというのは、ほとんどイシと変わらない見た目をしているが、耳が長いのが特徴的な種族である。といっても、エルフやシルフなどのように特別な存在ではなく、イシと変わらない。耳がよく聞こえるなど、多少身体能力の差があるだけである。
「今度私の誕生日でしょう?それで、私のお誕生日のダンスパーティーにあなたをお誘いしたいと思ったの。」
「え……?」
エラは目を大きく広げた。姫の17歳の誕生日がもうすぐ来るのは知っている。しかし、誕生日会にお呼ばれするとは思っていなかった。毎年、姫の誕生日パーティーには貴族の限られた人間のみが参加を許され、盛大なパーティーが開かれる。
「姫様、それは私のような下級貴族の者が行くような所ではありませんわ!」
「でも、エラの家は元々は上級貴族でしょう?」
「それは……」
エラは苦い顔をした。
「なぜ姫様は私をダンスパーティーに誘われようと思ったのですか?」
「あなたのためよ、エラ。あなたは自分の家をいつか再興させたいと思っている。そうでしょ?」
「……え、ええ。そうです。」
「でも、あなたは積極性が足りないわ。意地でも身分の高い人と繋がって這い上がってやろうってガッツが足りないの!このままじゃいつまで経っても再興は叶わないわ。それに、エラみたいに素晴らしい人が日陰に隠れてしまうのはとても残念な事だと思うのよ。あなたは今は身分が低いかもしれないけれど、きっといつか高貴な身分の男の人と結ばれる事だってできるはずよ!だってこんなに美しいんだもの!それに優秀だわ!」
突然、姫に褒められて、エラは顔を真っ赤に赤らめる。姫はかなりエラの容姿を気に入っているらしい。
エラ自身も特に自慢できる物のない中で唯一少しだけ自慢に思っているのが自分の顔だった。
「姫様は私の事を褒めすぎです。成績だって、私はスクールで中くらいですわ。」
「とてもすごいわ!」
「すごくありません!勉強もお稽古も、ほとんど休まずに熱心に取り組んでいるはずなのに、何一つとして私の取り柄となるようなものはありませんわ。…才能がないんです。だから、あまり私の事を褒めないでください。」
「成績にはなかなか表れないかもしれないけど、熱心に物事に取り組む姿勢はとても素晴らしいものだと思うわ。以前に私はあなたに聞いた事があったわよね。『同世代の子達がもっと適当にこなしている中で何故あなたは真面目に勉強しているの?』って。その時あなたは『勉強して、お稽古して、優秀な人間になれば、叔父様や叔母様のためになると思ったから。』って言ったわ。」
エラはとある事情でおじさん夫婦の元で暮らしていた。自分の親でない二人に育ててもらった恩があり、彼女はいつか恩返しがしたいと考えていた。
「私はその時、あなたは他の子と違うと思ったの。」
姫は興奮でますます長い耳をピンっと立てた。
「皆、身分の高い素敵な男の人と結婚したいとか、お金持ちになりたいとか、自分の事ばかりだと思うの。でも、エラは違うわ。叔父様や叔母様に対する献身的な想いはとても美しいと思う。だから、エラはとても素晴らしい人間だと思うし、機会を与えられるべきだと思うわ。」
「……でも、私のような者が行っても白い目で見られるだけです……。」
エラは少し口籠った。上級貴族の中に入っていくのは怖い。
だが、もっと怖いのは女王と近づく事になるかもしれないという事だ。そんな事、姫の前では絶対に言えない。
「それは……た、多少は我慢するしかないわ。そうすれば、上級貴族の殿方の目にとまるかもしれない。叔父様達だって喜ぶはずだわ。」
エラは押し黙った。自分のような人間がのうのうと高貴な集まりに参加するだなんて、あまりにも恐れ多い。だが、姫に叔父と叔母の名前を出されて、思いとどまった。
エラの実の父親はホール家の当主だった。エラの父は大酒飲みで金を湯水のように使い果たしだらしのない生活をしていた。ホール家は元々は上級貴族だったのだが、父親のだらしなさのせいで、下級貴族に降格されてしまったのだ。だから、今、エラの叔父は多くの苦痛や屈辱と闘いながら現当主を務めている。そんな中でも、叔父夫婦はエラを今日まで大切に育ててくれたのだ。
彼女は日々、どうやって育ててもらった恩を返そうか考えていた。もしかしたらこのパーティーで上級貴族と太いつながりを持てるかもしれない。そしてもしかしたら結婚だってできるかもしれない。
エラは叔父と叔母が喜んでいる顔を想像した。
「……無理に行動して危ない橋を渡るのは危険すぎるって思ってるんでしょ?そんなの単に失敗するのが怖いだけの言い訳に過ぎないわ。」
姫が鋭い事をいう。
確かに、このまま現状維持を続けてもホール家は永遠に下級貴族のままである。貴族界のいい笑いものだ。親のせいでホール家が辛酸をなめているのなら、後始末はエラが果たすべき役目なのかもしれない。
そこまで考えてエラはふとある物に目がとまった。
「____」
「どうしたの?」
姫は不思議に思って、尋ねた。姫には、エラが何もない所を見て驚いているように見えた。
「……赤い蝶が……。」
エラは一瞬視界の端に珍しい赤い蝶がヒラヒラと飛んでいるように見えた。
「蝶?」
「……よくない事が起こる時、見る事があるのです。」
姫はエラが見ている方向を見る。だが、何もない。
「……姫様、やはり、パーティーに行くことはできません。何か嫌な予感がしますわ。」
「そんな!きっと大丈夫よ!赤い蝶だって、私には見えないもの。エラは色々と心配しすぎよ。」
「……でも……」
「これが最後のチャンスになるかもしれないのよ?エラはもうとっくに結婚を考えても良い年齢だわ。いつまでも行動しないで、乗り遅れて、最後に叔父様達が悲しい思いをしてももう遅いわ。あなたはホール家の一人娘_最後の希望なのだから、勇気をだして、行動しなくちゃ。」
「……それは……」
「大丈夫、何かあれば、私が上手く立ち回るわ。一緒に行きましょう?」
エラは姫のキラキラした瞳に促されて、最後には弱々しく頷いてしまった。エラは再び赤い蝶がいた方を見たが、その時には既にいなくなっていた。
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姫が馬車に乗って帰ると、エラはさっそく叔父さんにパーティーの事を報告した。エラはパーティーに行く事に関しては不安を感じているものの、おじさん達はきっと喜んでくれるに違いないと思っていた。
しかし。パーティーの話をすると、叔父さんも叔母さんも顔を曇らせてしまった。
エラは不安になった。
「……姫様と勝手な約束をしてしまってごめんなさい。や、やっぱり、場違いな事よね、姫様のお誕生日パーティーに行くだなんて。」
エラが慌てて言うと、叔母さんが静かに微笑んだ。
「場違いだなんて思っていないわ、大丈夫よ。あなたが行きたいのなら行って良いのよ。ただ……」
エラは身構えた。
ただ、あなたは学がないから__
ただ、あなたは貴族としてのマナーがよろしくないから__
ただ、あなたはダンス下手くそだから__
ただ……
次に続くネガティブな言葉が次々と頭に浮かんでエラは真っ青になった。だが、おばさんの言葉はそのどれにも当てはまらなかった。
「_ただ、あなたはもっと自由に生きて良いのよ。」
叔母さんも叔父さんも困ったように微笑んでいた。
「……?」
エラには叔母さんの言葉の意図がわからなかった。
「自由って……? 突然何の事?」
「いいえ、なんでもないわ。とにかく、ダンスパーティーは行っても良いわ。ねえ、あなた。」
叔母さんの言葉に叔父さんも頷いた。
「うん、良いと思うよ。」
叔父さんにも快諾され、エラはパッと顔を輝かせた。
それからの数日はとにかく忙しかった。姫と一緒にダンスの練習をしたり、ドレスを新調したりした。
ドレスは元々持っているのに、特別なパーティーだからと叔母さんが購入してくれた。
ダンスの練習はきつかった。頻繁に城まで行って姫のダンスの練習にエラも付き添った。エラはダンスに自信がなかったが、姫の方が酷かった。エラは練習相手として夜遅くまで一緒に踊って練習を重ねた。おかげでエラのダンスも少し上達した。
そしてあっという間に数日が経ち、姫のお誕生日パーティーの日が訪れた。