退魔の巫女
待ち合わせの仕事の現場に現れた巫女姿の霊媒少女レイ。
カワイイ顔をして結構な毒舌。
悪霊が活性化する夜。
廃墟で除霊の儀式は迷走を始める。
レイの後を追って施設内に入った海将が、先ず驚いた事は、内部が異様に整然としていて、思ったよりキレイだと言うこと…。もう何年も放置されている筈なのに、廃墟の心象では無い。
この国の景気が良かったのはもう何十年も前の話だ。
その頃から管理人も無く放置されていたならかなり経年劣化していても不思議ではない筈なのに…。
時間が止まっている様に、その形跡が全く無い。
それだけで狐に抓まれたと言うか、不思議な世界に紛れ込んだ気分だ。
定期的に誰かが訪れて手入れでもしていたのだろうか?
「素人感丸出しね…」
仕切に照明を左右させて、視線を左右させていると、海将の不審を読み取った様にレイが呟いて来る。
彼女はこういった事態に馴れているのか泰然自若としたものだ。
手に持つ灯火が僅かにも揺れ動くことが無い。
「…何処に向っているんだ?」
レイに動揺している深層心理を見透かされて海将は慌てて話を逸らす。
その間、廊下の端に照明の電源を見つけたので、試しに押して見るが反応は無い。
電気は通っていない様だ。
「ミサトさんからは、どの程度説明を受けて来たの?」
「依頼のあらまし程度…。後は現地で落ち合う正規の職員に聞くようにと…」
「そう…。では先ず、地下のの配電室に向います。施設の配置は私が頭に入れて来ましたから。闇は魔性の領域です。送電を回復させれば必要以上に怯える必要は無くなる。…灯りは文明の利器ね」
「そこに行くまでが大変じゃないのか?」
「大丈夫。そこまでの経路に大した『曰く』は残っていないわ。強力な怨霊程、執着した曰くある場所から離れることが出来ない。…それ故に、その場所では絶対的な力を得る。絶対の安全は保障出来ないけど、照明を復活させて時間を掛けて追い込んで行きましょう。あと、報酬分の仕事をする気があるのなら私の後をコソコソと付いて回るのはヤメテほしいわね? 私の盾役で雇われて来たのでしょう? シッカリと職務を果たして欲しいものだわ」
「ア…、アア」
海将は慌ててレイの前に歩み出る。
小生意気だが正論とも思える。…しかし、廊下の先に見えるのは闇だけだ。
「ここから先、凶暴な悪霊も増えるわ。突然襲って来るかも知れないから。シッカリ、壁役果たしてね?」
「…そのつもりだけど、自分には闇しか見えない。君には何か見えているのか?」
「呆れた零能力者ね…。ミサトさんに霊視眼鏡を貰わなかった?」
言われて海将は思い出した。腰の収納を探ると、奇妙な文字が刻み込まれたバイザーを取り出し、掛けるが変化はない。徐にレイが海将の霊視眼鏡に手を触れた。刻み込まれた文字が淡い光を発したかと思うと、そこには、これまでとは違った世界が広がっていた。
「オワッ!?」
唐突な出来事に、海将は思わず声を上げていた。
「調整完了…。ラジオの周波数調整みたいなものよ。馴染むまでもう少し時間が掛るかも知れないけど、素質さえあれば、後は身体の方が勝手に慣れてくれる筈よ。そうすればもっと色々なモノが見えて来るでしょう。…けど今の処はこれで充分。彼方が運動神経だけの脳筋では無い事を祈るわ」
「これが、君の常時見ている世界…」
思わず呟いてしまう。今迄何も見えなかった宙空に、淡い光玉が揺蕩っている。それも無数に…。淡い光は形を変え時に帯の様に紐の様に…。まるで生きているかの様に姿を変える。
「形が不定形のなモノは霊力の残照よ。人であれ動物であれただの滓の様なものね。意志を残した霊体なら明確な形を持っているわ。ただ、意志はあっても意識は無い。生前の無念に振り回されているだけ。多くの者は嘆く内に勝手に消えて良くわ。問題は世間を恨みながら死の直前の意志や不幸に執着し、悪意を持って浄化出来ずにいる輩ね。…そう言った亡霊が糾合して悪霊化すると、普通の人間では手が付けられない程、危機な存在になる。…だから気を付けて、何を言っていても人の形を残している者は、まだ大丈夫だと思うけど、形が崩れて明らかに醜悪で人外の外見になっているヤツは相当ヤバい。…聞いてる劣等生君?」
レイが説明してくれている内に、言った端から明らかに生者とは思えない半透明の人影が数体、海将の前を横切って行った。…説明を聞きながらも海将の眼は思わずそれに釘付けになる。
動きは愚鈍で遅い。対処出来ない事は無い。しかし、敵意は無い様だ。彼に興味も無い様だ。
「話掛けられても受け答えしちゃ駄目よ!」
「取り憑かれる?」
「面倒くさいからよ。意志の疎通が出来ると思うと寄って来るわよ。幽霊の悩み相談するのが今日の私達の仕事ではないの。言われなくても判りなさいド素人。説明はこれで終り。進路は私が指示するわ。彼方は言われた通りに動いて、シッカリ私の盾役を務めて頂戴。ここはまだこの館の主の領域では無いけど、何が出て来るか判らいわよ。…動けなくなったら私は躊躇わず置いて行くからね」
自分の対する呼び方が次々と変わるが、好意的な物は一つも無い。
相手は正社員だ。気にしない事にした。
「でも、どうやって…」
「ミサトさんに貰った退魔服を着込んで来たのでしょう? その服にはミサトさんの術式が編み込んであるから、彼方自慢の格闘術で生者に対するのと同様に振舞って見せれば、余程強力な悪霊が現れない限り、充分に退魔効果がある筈よ」
「フ~ン…」
何だか実感が湧かないが、辺りに揺蕩う無碍に試してみる気にもならない。彼等もまた、今やっと安らぎを得ようとしている嘗て人であったものの思念の残証だと知ったばかりだったから…。
その後、彼等は施設の電源を回復する為に、施設地下にある配電室へと向かったのだった。
結構広い館だ。地上三階。地下一階。施設総敷地面積は庭園を除いて施設内に限定しても五千㎡は下らないだろう。…総部屋数は大小五〇と言った処だろうか?
洋館は東西に長い形をしており。
東の玄関から廊下が西に向って続いており。廊下に沿って部屋が配置されている。廊下の途中に上階に上る階段が、東と西に設置されていた。
「まるで学校の校舎みたいな構造だな…」
海将は率直な感想を漏らす。
建物の外観はともかく、内部の構造は学校の校舎を連想するとシックリと来る感じだからだ。
見聞の浅い彼の知っている広い建物なんて学校位のものだ。…とは言え、学校とは違いやたらと頑丈には造らている様だ。地階の内壁が、綺麗に積み上げられた剥き出しの天然石であると気付いたから尚更に、そう思った。…この建物を造った人は、出来るだけ長く後世にこの施設を残したかったに違いない。素人の彼にさえ、その意欲が伝わって来る様な堅固な造りだ。
配電室は彼等が入って来玄関ロビーの比較的近くにあった。東の階段から地階に降り。最初の部屋。扉を開けて中に入ると主電源のスイッチの場所は直ぐに判った。
ここまでは全てが順調だ。後ろを歩く霊体感知器にも特段の反応は無し。
施設に電気の供給が復活すると、建物内は一気に明るくなった。
ここに至るまでに幽霊館の住人達から大した妨害を受ける事は無く。
扉を開けた瞬間、悪霊に襲われることも無かった。
気負って警戒していた分、海将はかなりホッとしていた。
「気を抜くのは早いわよ新人君。…ここはまだ建物の入口付近なのだから…」
空かさずレイに窘められる。…相変わらず機械仕掛の様に表情が薄い。
「…地下は水道・空調・電気関係の機関管理室。…一階は、玄関や食堂や浴場、後は従業員の宿直・待機施設。…二階が宿泊客の個室。そして三階が施設所有者と、その家族が使用する私的空間。…各階に物置の空間も用意されている」
レイは、復習する様に呟いて頭の中を整理している。
レイが海将に対して会話のキャッチボールをしようとしないのは、今に始まった事では無いが、今の彼女はどうも様子がおかしい。
海将が、その事に気が付いたのは、その時だった。
彼女は何か、焦っている様な気がするのだ。…気のせいだろうか?
「どうした?」
海将が聞くと、
「何が?」と、彼女の回答はにべも無い。
益々、気のせいかとも思う。だから、それ以上考えるのを止めた。
「取り敢えず、この館の主を捜しましょう。…各部屋を訪ね、照明を付けて反応を確認する。異変があれば、恐らく何か居るか、そうでなければ、そこが当り」
「得意の霊能で察知出来ないのか?」
「…ここはもう奴の腹の中も同じ。どっちを向いても不審だらけ」
海将が聞くと、意外にまともな返事が返ってきた。
取り敢えず二人は、再び地道な作業を続けることにしたのだった。
しかし、拍子抜けだ。名の知れたお化け屋敷と聞いて来たのに、今に至るまで、それらしき現象はまるで無し。…これまでの彼等は、闇雲に暗闇を恐れていただけだったのだろうか。未知の闇を恐れるのは人間の本能だ。…照明が復活すると恐怖も薄れる。
それとも知らぬ内に、悪霊が企てた計略の内に嵌め込まれるなんて事が在り得るのだろうか?
霊体に、そこまでの知能があるというのか?
考えても海将には判らない。レイの焦燥も或いは、その辺りに在るのかも知れなかった。
その頃の海将は、八つ当たりされなければ良いがと、その程度しか考えていなかったが…。
「どうゆうこと…?」
レイが焦りを隠さなくなったのは、施設内の最期の部屋の扉を開けて検分を終えた直後だった。
トイレの個室まで逐一回ったのに、施設に関わった人間に尽く呪いを及ぼしたと言われる程の強力な呪霊『館の主』が最後まで姿を現さなかったのだ。レイの思惑では、『彼』の過去の因縁がある部屋を割り出せば、どこかで『彼』と出くわす筈だった。
悪霊は、執着の元凶を潰さねば完全に祓う事は出来ない。
本体の霊体が遺留物の残留思念である事さえある。…彼等が退魔師と知って、意図的に、組織的に、海将達の裏を描き、臨機応変に姿を眩まし、罠に誘い込む程の知恵が悪霊にあるとは思えない。…呪いとは、そもそも触れる者総てに見境なく降り注ぐからこそ呪いと言われるのだから。
何の収穫も無く最後の部屋の扉を荒々しく閉めると同時、レイはこれまでとは打って変って感情を露にして不機嫌そうに言い放っていた。
「私の感知能力に全く反応が無いなんて在り得ない! …どうして、私の感応力が消えてしまったとでもいうの…? それとも…」
レイの言葉に驚然とする海将。…見るからに自意識過剰気味な彼女、自意識を支える根幹が崩れると存外脆いのかも知れないとも思える。
いつもなら彼女の冴え渡る感応力が、とっくに何らかの手掛かりを発見している筈なのに、全く何の成果も得られ無いと言うのは確かにおかしい。
思い掛けない不調は、足元の自信を揺るがす。
考えられる不調の原因としては、単純に彼女の体調悪化が上げられるが…。
そうでは無く、最悪な事態としては、レイ自身も気付かぬ内に敵の攻撃や接触を受けて、彼女の能力が封じ込められてしまっている場合だ。
俄かには信じられないが、その場合、この館の主は彼女の予想を遥かに凌いで、彼女よりも強大な力を持つ危険過ぎる存在であると言うことにもなる。…最早、悪霊レベルの話では無い。
並の人間から見れば神に等しい。人に災いを成す禍つ神と言う存在に…。
その瞬間、窓の外で激しい雷鳴が鳴り響いた。
一瞬にして施設内の照明が消え去り闇に包まれる。
水滴が激しい風と共に窓を打ち始めた。
天候不良だけに、どうも雲行きが怪しそうだ。
「一度、仕切なおしてみては?」
海将は即座に、レイに一度外に出て態勢を立て直そう進言した。
レイは意外に素直に、無言で首を縦に振り、その進言に同意し従った。
再び懐中電灯の明かりを頼りに、玄関に戻り ガラス戸を開けようとするが、入る時には何の抵抗も無く開いた扉が、出ようとすると今度はビクリとも動かない。
「セイッ!」
試しに海将が蹴りを入れて見るが、扉は微動だにもしない。
加減したつもりは無い。この程度の木製の板なら簡単に吹き飛ぶ程度の力で蹴り込んだ筈だ。
しかし、これ以上、力を込めれば、下手をすれば、こちらの足が砕ける気がした。
海将は無言でレイに視線を動かした。
建物の外は既に嵐の様相を呈していた。
「どうやら完全に閉じ込められたみたいね…」
彼女は淡々と口にする。相変わらず表情は読めないが…。
「どうする?」
冷静を装って、取り合え得ず海将はレイに聞いてみる。
余裕が在りそうな処を見ると、まだ何か彼女には策が在りそうに思えたからだ。
これで思考を停止してしまう程、彼女はヤワでは無いらしい。
「…最終手段は最後に取って置くとして、何者かの干渉を受けて、私の感応が鈍らされていると言うことは、相手も私と接触して何らかの取引がしたいのかも知れない。…気になった場所が無い訳では無い。…もう一度、試してみる事にしましょう」
言うと即座に踵を返し、海将を置いてスタスタと歩き始めたのだった。
今さら彼女の独断専行に文句を言っても仕方が無い。…海将はその後に従った。
周囲の情景に変化は無い。注意しろと言われていた人型の霊体とも、さらに異形化した凶悪な怪異とも、遭遇した記憶は無い。目撃すらしていない。
この館の怪異も、或いはレイの存在を恐れて警戒しているのかも知れない。
侵入した人間に、高確率で呪いを与えている。かなり危険な存在だ。知能も生者並みに高いのかも知れない。…侮る事は出来ない。
レイは、海将の存在など意に介さぬようにスタスタと思い当たる目的の場所に歩いて行く。
表情は欠しいが今の状態を彼女なりに気にしているのかも知れない。
「…気にするなよ。不調の時は誰にだってある」
海将なりに気を使って言ったつもりだったが、返って来たのは彼女の無言の反発だった。
思い切り、不愉快そうな目で睨み付けられた。
鉄面みたいに無表情な、この娘にも、こんな表情が出来るのかと思った。
レイが向かったのは施設三階の奥、…恐らくはこの施設の所有者の私的な居住空間だった場所だ。
殺風景だが相変わらず廃墟とは思えない程の秩序と清潔さを感じる。
その一室に、大きいなピアノが残された場所があった。…逆に、それ以外には目立って何も無い単調な部屋だが、ピアノの横の壁には備え付けの古風な暖炉も残っている。…僅かながらに嘗て人が暮らして、使用していた様な痕跡も見て取れる。
部屋の外はもう嵐の様相を呈していたが、分厚い壁を隔てたこの部屋の中には、外の喧騒は全く響かない。…レイはピアノの前に足を止めた後、続いて暖炉に向って歩み、その前に腰を下した。
ひどく元気が無い。
レイは自分の霊能が消えてしまったとは思っていない。最も考えられる事例は、彼女が既に何モノかとリンクしてしまっている場合だ。…恐らく生前は自分と同じ女性で、悪意は無い。悪意を感じれば彼女が侵入を許す筈が無い。しかし、この世に、何らかの強い執着を残しているのは確か…。
死者が、この世に残すのはマイナスの感情ばかりではない。
他者への慈愛も強過ぎれば、残留思念となってこの世に影響を及ぼす。
何が起るか判らないが、彼女は思い切って、その感情に身を委ねて見る事にしたのだった。
「気休めなんていらない…」
海将に何の理も入れず、トランス状態に入った彼女は、唐突に何かを語り始めた。
追い詰められた。
悪霊退治の二人。
心一つにして窮地を脱出する事が出来るか?