悪役令嬢喫茶にようこそ
失せものは、探そうとすると、なかなか見つからない。
でも、不思議なことに、諦めかけたときにひょいと見つかったりもする――
今日は仕事が半休で、池袋にカレーを食べにきたはずだった。
東口のゲーマーズがあった場所にほど近い、ランチビュッフェで有名なお店だ。
個人的にはカレーよりも、野菜がたらふく食べられるから重宝しているのだけど、ちょうど設備点検でお休みらしく、僕は仕方なしにラーメン屋でも行くかと、周囲をさっと見渡してみた。
すると、妙な看板を見つけた。
喫茶店だ。雑居ビルの二階にあるらしい。
ただし、その看板には――『悪役令嬢喫茶』とあった。
僕はおそらく一分ほど、路上で鳥みたいに首を傾げていたと思う。
執事喫茶やメイド喫茶なら分かる。きちんとした、もしくは可愛らしい給仕をイメージできる。
でも、悪役令嬢にそんなイメージは一切ない。
むしろ、入ったが最後、徹底的に罵倒されるか、いじめられるか、何ならヒールで足蹴にされそうでちょっと怖い。
あるいは、そういう特殊な性癖向けのサービスなんだろうか……
「ごくり」
僕は唾を飲み込んだ。
もちろん、僕にそんな性癖はない。
だから、つい魔が差してしまったというべきか……
「行ってみるか」
僕は雑居ビルの狭い階段を上がった。
いかがわしいお店だったら、すぐに踵を返せばいいだけだ。
すると、二階のお店の前には――
まさにプロフェッショナルな老執事が立ち尽くしていた。
公侯爵以上の家に尽くしてきた、ベテランの執事長たる風格がある。
「あれ? おかしいな。ここって……実は執事喫茶だったのかな?」
「おや、いらっしゃいませ、お客様」
「ええと、悪役令嬢喫茶で合っていますか?」
「はい。ようこそ、お越しくださいました」
老執事はこなれた会釈をしてみせる。
「ところで、質問があるんですけど、いいですか?」
「何なりとお申し付けくださいませ」
「執事やメイドなら分かるんですが、悪役令嬢の喫茶店ってどういうことなんでしょうか?」
老執事は「ふむふむ」と小さく肯くと、失礼にならない程度の視線で、僕のことを上から下まで簡単にチェックした。
「失礼ながら、お客様は独身の方でいらっしゃいますよね?」
「はい、そうですが……」
「最近は、この国でも離婚率が増加しつつあるのはご存じでしょうか?」
「ええ、ニュースなんかでよくやっていますよね。それに、まあ、知り合いもしましたし……」
「おお、これは不躾な質問で、大変失礼いたしました」
「いえいえ、全く構いません」
僕が慌ててフォローすると、老執事は襟を正してから続けた。
「要するに、弊店は婚約破棄をしたい男性に人気があるのです」
「と、いいますと?」
「弊店のお嬢さまがたでもって、いわゆる離婚協議までのシミュレーションができるというわけですな」
「はあ」
「実際に、弊店では、自慢の婚約破棄コースを何種類かご用意しております。オプションもございますので、もしお客様が婚約破棄、離婚、もしくは異性と別れたいときなどには、最適なサービスをお届けできると自負しております」
それは本当に喫茶店なのかな? ただの興信所じゃない?
という疑問がすぐに生じたけど、よくよく考えてみれば、そういう離婚とかって静かな喫茶店で判を押すイメージがたしかにある……
「もちろん、面罵、痛罵や悪態が必要だ、というちょっとあれなお客様にも相応のサービスがございますよ」
「そ、そうですか……」
僕は「んー」と頬をぽりぽりと掻いた。
それから、さっきから気になっていたものを指差す。
「ところで、廊下の先にある、あのルーレットは何ですか?」
そこには、ぐるぐる回る円板に矢を投げて当てるタイプのものが置いてあった。ルーレット上には、第一王子とか、第二王子とか、あるいは魔王とか竜とか、幾つか役割っぽいのが記されている。
「弊店では、まずご入店時にルーレットでもって、ロールを決めさせていただいております」
「ほう、ロール?」
「はい。現在、十種類ほどございます」
「そんなに?」
再度、僕は目を細めてルーレットを見た。
「王子が多いように見えますね。第一から第五王子まであるのかな?」
「さようでございます」
「何であんなに分かれているんですか?」
「まず、第一王子は悪役令嬢にとって高嶺の花です。何せ次期国王でございますから、ちょっとした粗相が婚約における瑕疵になりかねません。そのため、第一王子は悪役令嬢と婚約するケースがあまりなく、ほど良い距離感がございます」
「へえ」
「逆に言うと、第一王子のロールを当てると、お嬢さまがたにちやほやされます」
それはむしろ悪役令嬢というコンセプトの崩壊では?
まあ、いいか。とにかく、女の子にちやほやされるのは悪くない。
「次に、第二、第三王子あたりのロールが弊店のシステムを一番お楽しみいただけます」
「狙い目というわけですね?」
「仰る通りです。ただし、第四、第五王子あたりになると、やや格が落ちます。お嬢さまがたの扱いも若干悪くなります」
「ほう。差別化をしているわけですか。なかなか細かいですね」
「ありがとうございます」
なるほど。これは一応、道理かな。
サービスにグレードをつけることで、次は第二で、いや第五で、となってリピーターになるのかもしれない。
「それから勇者、賢者のロールも人気でございます。ただし、王子とは違って、実績が必要となります」
「実績といいますと?」
老執事はにやりと笑って、人差し指と親指の先をくっつけた。
お金か。もしくは執事が言うには、良い大学・企業の学生証や名刺なども有効だという。何というか、悪役令嬢というファンタジーから脱して、すごく世知辛くなってきたぞ……
「ところで、魔王や竜というのは?」
「これは初心者には大変難しいロールとなっております」
「どうしてですか?」
「接客中の対応が良くはございません。何せ、魔王や竜ですからな」
「まあ、そうなるんでしょうね」
「しかしながら、追放後の《ざまぁ》のオプションが豊富です」
「…………」
そもそも追放って何ぞ?
悪役令嬢がお店でも辞めさせられるの? で、お店に復讐でもするの?
それとも、お客の方がバイバイされるのかな? それで「ざまぁ」とかって言われながら帰らされたらすげー嫌なんだけど?
「ところで、一番気になっていたんですが……たわし、というのは何ですか?」
「文字通りでございます」
「たわしになれと?」
「とんでもございません。新店オープンしたばかりですから、当たった場合はたわしをプレゼントさせていただいております。ただし、残念ながら、プレゼントのみで入店はできかねます」
「たわしゾーンがやたらと広い気がするんですが?」
「幸いなことに、現在、お客様も多くご来店なさっていて、ちょうど入店調整をさせていただいているところでございます」
ふうん。
まあ、入れないわけじゃないのか……
矢を投げるのにエントリー料としてまず千円かかるようだけど、こうして老執事と話をした限り、ぼったくり店じゃなさそうなので、とりあえずルーレットに挑戦することにした。
で、すぱっと、第四王子を当てた。
小さな頃から武道の嗜みがあるので、こういうのは得意なのだ。
「では、お客さま、こちらをご覧ください」
老執事はそう言って、タブレットを取り出してきた。
そこには、悪役令嬢たちの半身画像と、簡単なプロフィールがあった。
どこか既視感があるなと思ったら……キャバクラだった。
何というか、性格の悪そうなキャバ嬢が集まっただけのお店という気もしてくるから不思議だ……
「あれ? この白黒になっているお嬢さんたちは?」
「弊店でも人気のあるお嬢さまですが、現在は予定が埋まっておりまして――」
てか、人気の悪役令嬢って何ぞ?
そもそもからして、全員、《悪》のはずでしょ?
と、ツッコミを入れたかったけど、僕は一人のお嬢さんに、つい目が引き寄せられていた。
「じゃあ、こちらのお嬢さんでお願いします」
「畏まりました。ただ、こちらのお嬢さまは新人で、不慣れですがよろしいでしょうか?」
「そもそも、出来たばかりのお店ですよね? 全員、新人なのでは?」
「さすがお客さま……バレましたか」
老執事は悪びれもせず、にこりとした。
もっとも、皆が新人といっても、トークやロープレに差があるのだろう。
もしかしたら、元キャバ嬢とか、メイド喫茶で働いていた娘とかも流れてきて、接客経験に差があるのかもしれない。
そういう意味では、僕はすれていない娘を選んだというわけか……
で、店内に入ってみると、カントリーハウス風というか、貴族館然とした意匠だった。黒革のロングソファに座って、待つこと数分――
「よろしいかしら?」
金髪ドリルのお嬢さんがやってきた。
しかも、僕の隣に一メートルほど離れて座ると、足を組んでみせる。愛想の一つも見せず、いかにも態度が悪い。
「こちらこそ、よろしくお願います」
「あなたごときに出すぶぶ漬けなどないわ」
しーん、と沈黙が流れた。
これじゃ、単なるたちの悪い京都人じゃないかな?
なるほど。老執事が注意してくるわけだ……
僕は思わず額に片手をやった。
すると、メニュー表がぽいっとテーブル上に投げられた。
食事とドリンクのメニューだ。オープン直後で安くしてあるのか、意外にも金額は良心的だ。
「じゃあ、もう遅いオムライスと、悪役令嬢コースター付のコーラで」
「私にオムライスなんて作れると思っているのかしら?」
「…………」
おうふ……
いったい、どうしろと……?
もしや、ゲームみたいにフラグ踏んで好感度上げないとダメなやつか?
ちなみに、よくよくメニューの説明を見ると、もう遅いオムライスは出てくるのが本当に遅いらしくて、退店時に出てくるのもざらだとか。食わせる気あるのかな?
「じゃあ、お嬢さま、いったい何なら出していただけるんでしょうか?」
仕方がないので、下手に出ることにした。
そういえば、僕は第四王子だから扱いが悪いんだっけ?
「…………」
「お腹が本当に減っているんだけどなあ……」
「……何が食べたいのよ?」
「このカレーでいいです」
僕はメニューにある一番安いカレーを指差した。
いかにもレトルトをチンしただけの具も何も乗っていないやつだ。
「ふん。別に、あなたのために作ってあげるわけじゃないんだからね」
ただのツンデレ喫茶かな?
と、まあ、そんなこんなで、塩対応が二十分ほど続いた――
もっとも、出てきたカレーは意外に美味しかった。
メニューの画像からじゃ分からなかったが、スパイスからきちんと作った、本格的なカレーだ。
しかも、このお嬢さまの手作りらしい。どうやらカレーだけはこだわりがあって、毎日仕込んでいるんだそうだ。てか、もうカレーの美味しい喫茶店でいいんじゃないかな?
実際に、食べてみると、スープカレーにピリッとした辛みがよく利いていて、香りがまず鼻腔をくすぐって、次いで喉とお腹を満たしていく。とても基本に忠実なポークカレーだった。作った人の性格がよく出ている。カレー大国となって複雑な味が好まれる日本ではあまり見かけない、本当にプレーンなカレーだ。
おかげでちょっとだけ涙が出てきた。
辛いせいじゃない。何だかとても懐かしい味だったせいだ。
すると、ちょうど食べ終わった頃に、老執事が声をかけてきた。
「お客様、そろそろお時間でございます」
僕は「ふう」と、ため息をついた。
まあ、これだけ美味しいカレーが食べられたんだから良しとするか。
「ところで、お客様。オプションで悪役令嬢を追放できますが、如何いたしますか?」
「……はい?」
「むしろ、追放後こそが本番といってもよろしいかと?」
それってただのデートクラブじゃないかな?
「アフターと仰ってください。都条例と風営法に抵触いたしますので」
「…………」
今度はさすがに「はあ」と、大きくため息をついた。
どうやら僕の選んだお嬢さまはあまり人気がないらしく、さっきからそわそわしている。オプションが入ると、色々と成績的に助かるのかもしれない。やっぱり世知辛いよね……
「分かりました。じゃあ、オプションも追加で」
悪役令嬢はテーブルの下で拳をギュっと握った。
ふふん、と勝ち誇ったような顔をしている。わりと分かりやすい娘だよね。
でもって、僕たちは連れ立って店外に出て、乙女ロードから立体交差点の五差路の手前で曲がって、堀之内橋までやって来た。橋下には山手線が走っている。
「一つ聞いていいかしら?」
「どうぞ」
「なぜ私を誘ってくれたの? お店ではあんなにひどい対応をしたのに」
「はは。ひどいっていう自覚はあったんだ?」
「悪かったわね。庶民なんかと話したことがないから勝手が分からないのよ」
「何だか、本物のお貴族さまみたいな話しぶりだね」
僕がそう言うと、お嬢さまは「ふん」と顔を背けてしまった。
同時に、また山手線がごたごたと下を走った。
僕は「はあ」と息をした。この東京は人が本当に多すぎる。
ここに比べたら、僕のもといた場所なんて牧歌的だったよなと思い出す。
とはいっても、そもそも僕はここに大切なものを探しに来たのだ――
「失せものって探そうとしても見つからないけど、諦めかけたときに、ひょっこりと出てくることってない?」
「何が言いたいのかしら?」
「何年かかったかな……やっと幼馴染を見つけられたってことさ」
僕はそう言って、彼女をまじまじと見つめた。
それから、ゆっくりと魔法を解いていく。認識阻害の魔法をかけていたからだ。
もっとも、この世界はマナが少ないから、どのみちもう維持できるかどうかギリギリだったんだけど――
「貴女をずっと探していたよ。本物の悪役令嬢さま」
僕が正体を現すと、彼女は目を丸くした。
「ま、まさか……本物の第四王子?」
「貴女を追って、この世界まで召喚魔法を使ってやってきたよ」
「馬鹿じゃないの? 私はここに追放された身なのよ!」
「知っているよ」
「ここはマナが少ないから移動魔法だって使えない! もう二度と帰ることはできないのよ!」
「それも知っている」
「じゃあ、何で来たのよ?」
「だって、僕は貴女のことをそれこそよく知っているから――その口ぶりは悪いけど、貴女が領民想いなのも、悪事に加担していなかったことも。あと何より、小さな頃からカレーを作るのが意外と上手いこともね」
「でも、私は婚約破棄されたわ」
「僕はわざわざ王家を勘当されてきたよ」
「本当に馬鹿じゃないの?」
「たしかにね。王家は本当に馬鹿だった。こんなに良い人を追放するなんてさ」
すると、彼女は、ぽろ、ぽろ、と泣き出した。
僕は彼女をそっと抱きしめた。
「もといた世界には戻れないけど、二人で一緒にいよう」
「……ええ」
「それにこの世界だって悪くはないさ」
何せ、カレーが美味しいからね。
僕たちは笑った。さっき食べたせいで体が何だかぽかぽかと温かった。
こうして、僕たちは日が暮れるまで、二人でこの街をたっぷりと楽しんだのだ。
☆ ☆ ☆
ちなみに余談――
僕たちがアフターを終えて、喫茶店に戻ると、
「お帰りなさいませ。お客様、お嬢さま」
「ただいま」
僕がそう応じると、老執事は口もとを手で隠してこそこそと話かけてきた。
「大変失礼ながら、忘れていたことがございまして」
「急にどうしたんですか?」
「オプションに購入権が含まれているのです」
購入権?
何だろう。彼女を買えってことかな?
いきなり人身売買みたいな違法な話を持ちかけてくるつもりかな?
と、僕がやや警戒していると、
「このような絵画はいかがですか?」
それはラッセンの絵だった……
秋葉原から駆逐されたって聞いたけど、こんなところにあったんかーい。
もちろん、そんな無駄に高い絵は買わず、彼女は喫茶店を辞めて、今では二人でまったりと暮らしています。やっぱり彼女が作ったカレーが一番美味しい。のろけでした。ちゃんちゃん。
(了)
お読みいただき、ありがとうございました。
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昨日出した新作短編の評判が散々だったので、きっと心が荒んでいたのでしょう。のんびりした作風で、勢いだけで書いてしまいましたが、後悔はしていません。そんなお馬鹿丸出しな作者ではありますが、よろしければ、今後もお付き合いいただけましたら幸いです。