運命のいたづら
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女は不安げに言った。
「楽しくない?」
平日昼間のカフェの一角、窓際で一組の男女が話をしている。友人の紹介によって成立したこの若いカップルは、二人きりになることにおしりがムズムズするような座りの悪さをお互いが感じていた。
男は考え事をしているようにも、呆けているようにも見える表情で外を眺めていたが、女に声をかけられて、視線を女に戻し、そしてテーブルを見つめる。そこには飲みかけのアイスコーヒーが二つあり、水滴をまとって日の光を浴びる姿は、ありふれているが美しかった。男は視線を上げた。
「あそこにさ、オフィスが見える。」
先ほどまで見ていた外の方を指さして、男は言う。
「ガラスから透けて、働いてる人がたくさん見えるけどさ。その人のデスクを見ると、どんな人生を送っている人なんだろうとか、考えたりしない?」
どうやら男は呆けていたのではなく考え事をしていたようだと、女は気がつく。軽く肯定の相槌を打って、話の続きを待つことにする。
「そういう時、僕はいつも自分の職場のデスクを思い浮かべる。彼らとそう変わらない自分のデスクを思い浮かべて、彼らは僕のデスクを見て、僕の人生に思いを馳せてくれるのか、想像するんだ。」
「その見ず知らずの人は、あなたの人生を思い浮かべてくれるの?」
「思い浮かべてくれる人もいれば、思い浮かべてくれない人もいる。そんなことを考えてると、その人と知り合えたような気がして少し嬉しくなるんだ。でも想像は想像で、おそらくあそこで働いているあの人と、僕が実際に知り合う確率は絶望的に低い。」
「アンニュイだね」
「うん。アンニュイだ」
二人は笑う。
「そして、君のことを考えてた。あいつの紹介がなければ、君と僕との距離は、あそこで働く人と僕との距離と同じくらい遠かったんだなって。」
「私とあなたが出会えたのは運命的だって?」
からかうように彼女は言う。
「そこまでは言わないけど、似たようなことを思ってたら、君に声をかけられた。」
照れたように、男は笑う。すると突然、女は少しだけ身を乗り出して男にそっとキスをした。女はすぐに離れたが、男の唇には彼女の唇の感触がしばらく残っていた。
カフェのテーブルを飛び越えて届いたその柔らかさを、男はとても大切なものであるように感じた。。
「運命。うん、運命ね。もし私たちが運命のいたづらで出会うことが出来たなら、今度は私たちが運命にいたづらをしてあげなきゃね。やられっぱなしは良くないわ。あっ。」
心なし赤い顔をした女はそんなことを言って外を見て、突然手を振り出した。面白い考え方をする子だな、と考えていた男は突然手を振り出した女の視線を追う。するとさっきまで忙しそうにオフィスを行き来していた人の一人がこちらを向いて手を振っていた。
どうやら照れ隠しで外を見た女と、息抜きで外の風景を眺めていたらキスをするカップルを見つけてしまったサラリーマンの視線が、合ってしまったらしい。そこで女は視線を切ることなく、すかさず手を振ったのだ。
満足したのか、女は男の方を向いて今度は自慢げに聞いてくる。
「楽しくない?」
気まずそうにこちらに手を振ってくれたサラリーマンには悪く思いながらも、自慢げ瞳を輝かせて問うてくるこの子と一緒に、運命とやらをおちょくっていくのは楽しいかもしれないなと男は思った。
「とても楽しいよ。」
そう言って、二人は微笑みあうのだった。もう二人の間にはおしりがムズムズするような座りの悪さは感じられなかった。
四年後、男の職場のデスクの片隅には、小さな子供を抱えた夫婦の幸せそうな写真が飾られているのだった。
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暖かくなってきましたが、夜は少し冷えます。
お身体にお気をつけて。
ノリミツ