03 「塩の湖」
ちょっとだけショッキングな状況が書かれています。苦手な方はバックしてください。
03 「塩の湖」
アイリッシュウルフハウンドは犬の中でも特に鼻が利く犬種であるため、リオの融合先がこの犬種であったのは決して偶然ではないだろう。そして犬になったリオの腹膜筋の上にシート型の金属探知機が内蔵されているのも偶然ではない。
人間だったときのリオはFBIの捜査官だった。ゲリラの潜伏先を探し出すための技術と情熱は右に出る者がなかった。内偵はリオ。そう決まっていた。タネを明かせば簡単なことで、彼の恋人がとある弁護士事務所のアシスタントをしており、そこの弁護士がしばしば拘束された自称『義勇軍』たちの弁護を担当していたというだけのことだ。そんな簡単な仕掛けはあっけなく壊れる。ある日指輪をしたままの彼女の左手がリオのもとに届けられると、後はお決まりのハリウッド映画的な展開となる。リオについての匿名の告発がなされ、怒りに駆られたリオは令状なしの家宅捜索を繰り返し、人ごみの中で不意に襲撃される。襲撃の手口は子どもに手榴弾を持たせての自爆テロだった。彼の右足、その右足にしがみついた子どもは飛散し、病院に運ばれた彼の体は左足の一部と損傷の激しい上半身だけだった。そして気がつけば彼は犬になっていた。
リオがどんな手を使っても見つけ出すことができなかった男。ゲリラの英雄、FBIの宿敵、天才ハッカー。誰も見たことがないその男の通称はラミーだった。今は黒猫になって彼の目の前で体を丸めて寝ている。かつての宿敵が目の前で寝ているのにリオには何の感情も湧かなかった。彼はいろいろな意味で去勢されていた。
ラミーがリオの視線に気づいて目覚めた時、彼らを積んだ輸送機はリトルフィッシュと呼ばれる干上がった湖に着陸した。この輸送機は疑似真空発生装置が取り込んだ空気を吹き出しながら飛行する構造であるために、涸れた湖底に析出した塩が大量に空へと舞い上がった。
「うわっ!」
「しょっぺえ」
「鼻がもげる」
とそれぞれに毒づいた隊員たちは急ぎ機体から離れて整列した。
「上がマイナス二十度で地上は五十度ってのは体がもたねえ」
ガブはやっと体を支えているという態で舌を出している。
「犬がこんなに暑さに弱いとは。もっとクーラーつけてやればよかった」
あまりしゃべらないポインターのジョシュはかつての愛犬を思い出し感傷的になっていた。
「ここからは人間様の感傷は捨てろ。しゃべるのもなしだ。これから出くわす連中は我々が元人間であることは知らない。電気棒で小突きまわされて檻に入れられるが決して逆らうな」
シェパード少尉の言葉で皆一斉に舌を引っ込める。
「少尉、我々の任務の概要をうかがってもよろしいですか?」
いつものおっとりした口調ではないブルの聞き様に、他の者は背筋を伸ばす。
「これから遭遇する野良犬狩りに捕まって実験動物にされるのが任務だ」
声は漏らさぬものの、皆が一様に目を見開いた。シェパードは続けた。
「実際には実験直前に研究所を制圧し、我々自身の手で実験を行う」
好奇心を抑えられず、ダルメシアンのコルが口を挟む。
「で、その実験とは?」
シェパードはひとにらみして答えた。
「それは実験の際に伝える。まずは当面しゃべるな」
その後彼らはただ粛々と野良犬、野良猫を演じた。
「こいつら、どうやって首輪外したんだ?」
「ひょっとしたら例のヤバい犬とか猫とかかもしれんぞ」
「お~こわ。よしよし。ほら、おとなしく入れ。着いたらおいしいペットフードとオーブンが待ってるぞ」
「あ~あ、かわいそうになあ」
そう口々に言いながら、彼らを見つけた係員たちは慣れた仕草で八頭の犬と四匹の猫を檻へと追い込んだ。冷静に考えれば犬と猫が一緒に捕獲できることを奇妙に感じたはずだが、久しぶりの大漁に気を良くした彼らは少しも疑念を抱いていないようだった。リトルフィッシュ周辺の砂漠は周囲を山に囲まれた盆地になっており、昼間の暑さは尋常でなかった。人も犬も猫もただただ太陽から逃れたい一心で、まるで協力し合うかのようにしてその場を離れた。したがって檻から出され水を与えられると、雑種のガブなどは係員が本当はいいやつなんじゃないかと思いはじめていた。
薄暗い専用の部屋に連れて行かれドアがロックされると、真っ先にリオが部屋中を探索した。怪しい金属反応は特になく、カメラも盗聴器もなかった。しかし何か知っている臭いが残っているような気がする。リオはそう小声で報告した。
「以前にここにいた犬の臭いかも知れんな」
シェパード少尉はそうつぶやくと、自分でもひととおり嗅いでまわった。そして黒猫ラミーに向かって、
「Wi-FiやBluetoothはどうだ?」
と尋ねた。するとラミーは首を横に振り、
「壁が厚すぎるか、独自の周波数帯を利用しているのか、とにかくここでは何も拾えません」
そう答えた。
黒猫のラミーはX線撮影をしても融合デバイスが見つからなかったことで有名だった。ホストである黒猫の脳と完全に融合した後でデバイスを除去したのだろうというのが医師たちの見解だったが、どのような経緯でそうなったのか本人も覚えていないようだった。その後、飛び交う電波から暗号化された情報を取り出し解析する装置を、ネバダ・プリズンで内蔵させられた。驚いたことに彼は何の訓練も受けぬうちから、装置を自分の意思でオンオフできるようになっていた。天才ハッカーは猫になっても天分を失っていなかった。皆のラミーへの注目が収まるとシェパード少尉が口を開いた。
「ここからが思案のしどころなんだが、まずはここを出て、この建物を制圧せねばならん。全員同時に実験室へ連れて行かれるのであれば、それを利用して一気に制圧するが、実際は一人ずつ順に連れ出されるだろう。それは徐々に戦力を削られることを意味する。そこでまずこのドアの向こう側の状況の探索と、施設を制御しているシステムへのアクセスを図る。アクセスできなければ昔ながらの方法で制圧する。ここまでで何か意見はあるか?」
すかさずブルが尋ねた。
「少尉殿、脱出経路を先に確保するためにもここの見取り図のようなものが必要です。その確保はラミーのアクセス待ちということになるのでしょうか?」
「何か不満か?」とシェパードが返すと、
「いいえ。情報が高度に暗号化されている場合、解析に時間がかかります。それを待っている間に足でも経路の確認ができるのではないかと」
ここでブルは自信ありげに舌なめずりをした。
「ブル、お前の体は破壊兵器の塊で、足の方はいまひとつじゃないか」
そう言って、からかうようにシェパードが身震いする。
「いえいえ、コル小隊と酒飲み猫ちゃんたちに走ってもらうのです。ついでに警備の人間をこの部屋まで連れてきてくれれば一石二鳥です」
「そううまくいくだろうか?」
シェパードは困ったように首をかしげた。一方、突然名前の挙がったコル小隊とラミー以外の三匹の猫ははじけたように顔を上げた。
「少尉、ドアの向こう側の廊下は無人です」
右前足の肉球をドアから離しながらリオが報告する。彼の肉球はどんな微細な振動も逃さない。シェパードの迷いは晴れた。
「よし。ブルの案で行く。ドアを出たら、ウォッカ、バーボン、シードルは三人一組で外部へつながる経路を探せ。リオとラミーは二人一組で探索。ラミーはシステムへのアクセスポイント、リオは過去に銃火器の使用がなかったかその痕跡に集中しろ。私、ブル、キムはここで警備員を仕留める。コル小隊は施設内をくまなく走って記憶しろ。足の良さを見せつけてやれ。警備に出会ったら攻撃はせず、ここへ戻れ。なるべくたくさん連れてこい。十五分だ。十五分後には全員ここへ戻れ。いいな!」
言い終わるとシェパード少尉は、ドアとドア枠の隙間を前足でひと撫でした。人で言えば中指にあたる指の爪が異様に伸びたかと思うと、高速で振動し鍵を破壊する。そういう仕組みになっていた。
明確な指示と目的は人を快活にするが、やはり犬という動物もその傾向が強い。それに加えて彼らは元兵士や警官であるから、ドアが開くと跳ねるように飛び出していった。その後ペルシャ猫のウォッカ、三毛のバーボン、白猫のシードルが用心深く、コル小隊とは逆の方向へと消えてゆく。だがリオとラミーはなかなか出て行こうとしなかった。
「もう人間だったときのわだかまりは捨てろ。お前らが頼りなんだ」
バセットハウンドのキムが耳をだぶつかせながら二人の間に首を突っ込んだ。
「いや、そんなんじゃない。静かすぎるんだ。本当にここに人間はいるのか?」
リオは自分が機能不全に陥っているのではないかと、しきりに自分の臭いを嗅いだ。
「少尉、本当に変です。何のノイズもない。ありとあらゆる電波が遮断されている。ここまで入念に遮断する必要がある場所はひとつだけです」
ラミーは驚きと疑念が入り交じったような目でシェパードを見上げた。
シェパードはラミーのその目に促されたようにつぶやいた。
「発電所の類いか」
大型IOP発電には二種類ある。地上三万メートルから四万メートルの上空でその高度を保ち続ける吸気ユニットが、イオン化した大気を集めるところまでは共通なのだが、その上空のユニット内で発電まで行って送電するタイプと、ユニットは上空の大気を集めるだけで発電そのものは地上で行うタイプとに分かれる。
シェパード少尉とその部下たちを運んだ輸送機はTAKEと呼ばれるが、吸気ユニットはこのTAKEを応用したものでありAHユニットと呼ばれる。TAKEは機体と姿勢制御用プロペラの表面が太陽光発電塗料で覆われている。その電力で進行方向に疑似真空を作り、吸い込んだ空気を圧縮、放出して推進力を得る。一方AHユニットは同じ原理で上空に浮遊しながら、ついでにイオン化した大気を取り込んでいるのである。いずれにせよ、ここが発電所であるのなら上空のAHユニットから続く、長いケーブルが見えていたはずだ。シェパードの疑問はそこにあった。
「発電所ならケーブルが確認できるはずだ」
彼は当然の疑問を黒猫にぶつけた。
「電子の供給源がイオン化した大気であれば、おっしゃるとおりです」
ラミーは意味深に答えた。
「他にも安定的な供給源があるのか?」
「はい。我々がこのような姿になる前から様々な方法が試されていました。しかし…」
ここでラミーは言葉を切り、シェパードの背後に目をやった。シェパードが振り返らぬうちからコルの報告は始まった。
「少尉、やはり人間はいたようですが、現在はおりません」
「どういうことだ」
そう言いながら、シェパードは目でブルとキムを先行させた。一方のコルは自分の乾いた鼻をなめながら言葉を続けた。
「ご覧になってご判断ください。ひょっとすると我々もやばいかもしれません」
ありがとうございました。