12 「黒猫の犠牲」
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12 「黒猫の犠牲」
扉の向こうでシェパードたちを待っていたのは人間の一個小隊と七頭の犬だった。
「なかなかやるじゃないか」
最初に口を開いたのはボクサーだった。ジョシュに咬まれた鼻先の表皮が口を動かす度にひらひらと動き、樹脂でできた骨が見え隠れしていた。シェパードはしっぽで指示を出しながらこの機を利用して疑念を晴らすことを思いついた。
「それだけ目の前でちらつくと、ちょっと走るにもいらいらして仕方ないだろう。海外製は安くていいが耐久性に欠けるな」
一瞬歯を向いたボクサーは次の瞬間笑った。
「おもしろいことを言う。生身の連中ならともかくサイボーグ犬はすべて中国製だ。シェパード、お前もだ。頭ん中のちんけなSDカードに収まった、ちんけな兵隊だった頃の記憶以外はぜーんぶ中国製なんだよ」
ここでボクサーが襲ってくれば暴れるだけ暴れて誰か一人でも通風口へ逃がそうと思っていたが、ボクサーは一瞬で冷静さを取り戻した。だがボクサーが中国政府もしくは中国企業と何らかのつながりがあることは分かった。
「そうか。おれはてっきり南アフリカ製の部品でできていると思っていたよ」
シェパードはそう言い返しながら、ほんの少し眼球を動かした。
「そうだ。南アフリカが中国から買ってこの国に転売した部品だ。ところでお前の探し物はこれか?」
ボクサーが勝ち誇ったようにそう言うと、その後ろから一頭の犬が姿を見せた。黒猫を口にくわえて。
「裏切り者はお前か、リオ!」
冷静さを失ったのはシェパードの方だった。
動かなくなった黒猫の姿を見せられて我を忘れたシェパード当人と、リオより半歩前に立っていたボクサー隊の生き残りは気づかなかったのだが、リオの姿を正面から見ていたシェパード隊のメンバーはリオの不自然な様子が気にかかった。かといってそれを態度に出してはボクサーに有利な情報を与えかねない。そこでダルメシアンのコルは興奮して巻き上がったシェパードのしっぽを思いっきり咬んだ。
「何をする!」
シェパードはサイボーグ犬であるから知覚はあるが痛覚はない。しかし場をわきまえないあまりの行動につい声を荒げた。
「この期に及んで仲間割れか?そんなに黒猫を返して欲しいなら返してやる。ほらリオ、くれてやれ」
リオはボクサーの指示どおり前に進み出ると、二隊のちょうど真ん中の辺りにその黒猫の遺骸を放り出した。そしてそそくさとボクサー隊の背後に姿を消した。うなり声をあげながら遺骸に近づこうとするシェパード。だがコルがしっぽを離さない。再び声を荒げようとしたその時ブルが周囲にだけ聞こえるようにささやいた。目をつぶれと。
それはラミーではなく、言ってみれば黒猫爆弾だった。正確には閃光弾だったが、至近距離で見た人間の隊は恐らく網膜を焼かれたことだろう。ボクサー隊の生き残り七頭はすべてサイボーグ犬であるため、通常の視覚が麻痺しても赤外線で生身を追うことはできる。ブルの指示でシェパード隊は生身の多い者を先頭にして例の通風口を走った。気がつけばリオも混じっている。だがそれをとがめる者はいなかった。
あの時リオは黒猫の遺骸を見せながら、しきりにしっぽを振り激しくまばたきをした。ブルはそのまばたきと二隊の距離から閃光弾を使うと推理したのだった。閃光弾ならやけど程度ですむ。彼らは喉のマイクで話すのでしゃべりながらでも走れる。しかしまだ誰も口をきいていない。いたたまれなくなったリオは自分から口火を切った。
「ボクサー隊は全員サイボーグです。赤外線が使える。地表に出るしかない。先に出ます」
そう言ってリオは先頭に出ようとした。
「待て。お前も生身が多い。ブルとキムに道を作ってもらう」
いつものシェパードの声だった。以前にもこんなことがあったなというようなことをシェパードが自嘲気味に言うと、
「それであんたは少尉に格下げになったんだったな」
と言ってブルはシェパードを追い抜き先頭に立った。その横顔は笑っているようだった。
再びシェパード隊に合流したリオが犬に記憶を融合されたのは海軍の施設においてだった。日本製のNPシステムに改良が加えられ、犬としての機能を損なわずに脳そのものがより高性能のCPUとハードディスクに置き換えられている。人型のリオはFBIの非公式職員として今も活動している。子供を使った自爆テロで胸から下はサイボーグとなった人型のリオは、鼻のきく犬種アイリッシュウルフハウンドのリオは定期的に同期して情報の交換を行っていた。この二人のリオが追っているのは陸軍と中国企業との関係である。
世間は知らないが国防総省は義勇軍内戦以来、陸軍を掌握できていなかった。FBIは内戦自体陸軍が引き起こしたものと考えており、内地担当陸軍将校の行動を徹底的にマークした。その中で浮かび上がったのがネバダ・プリズンである。国家安全保障省の縄張りになぜ陸軍関係者が頻繁に出入りするのか。FBIは非公式職員を送りつづけた。しかしネバダ・プリズンを調査するどころか、ネバダ州に入った時点で彼らは消息を絶った。ただリオだけが無事だった。それでも人型のリオの方は問答無用の銃撃により全身の七割を作り直すはめになった。
しかし二人のリオの活躍により、犬や猫との融合に成功して高い能力を示した者たちがネバダ・プリズン集められていることが分かった。その中でもひときわ体の大きいマスチフ犬とおしゃべりなドーベルマンが幾度となく出入りを繰り返していることもつかんだ。このドーベルマンは任務の朝にマスチフ中佐が咬み殺したドーベルマンである。マスチフがドーベルマンの役割を分かっていて殺したのかどうかは今となっては分からないが、これは大きな誤算だった。手詰まりになった二人のリオの前に現れたのが、あの不思議な黒猫ラミーだったのだ。
バックパックを隠した岩場で装備の点検をしながら、ここまでの概略を聞いた彼らは特に大きな反応はしなかった。その無関心をリオは自分に対する疑念の表れと受け取った。こいつの話は信用できない、そう思われていると。
「少尉…」
「心配するな。疑っているわけじゃない。むしろ分からないことが増えて困っているというのが実情だ。ただひとつおれの中ではっきりしたことがある。マスチフ犬の中身だったマクナイト大佐はまだ生きていて、裏で糸を引いている」
全員の顔が上がった。彼らの生みの親と思われていたマクナイトが黒幕もしくは黒幕に近い存在だというのはシェパード以外の誰も考えていなかった。皆固唾を飲んで次の言葉を待ったが、シェパードが語ったのは彼らの待つ答えではなかった。
「移動するぞ。衛星で追われているだろう。ボクサーたちもぼちぼち回復する」
だが彼らは思った。移動するのはいいが、どこへ?
ありがとうございました