樹々のうた
晴れた日。雪景色は美しく、厳しく、なぜか寂しい。
しろがねの町並み、大樹、そこに息づく文化や人々は、彼ら自身にとっては特別でなくても、旅人にとっては白く眩しく映ることでしょう。
雪と氷と、旅人の口に綴られる前のお話です。
雪をかく音が響く。
基本は町の外壁の外にテントを張って宿泊する隊商だが、ここのような豪雪地帯ではそうもいかないものだ。私は扉から外に出るなり、その凄まじい寒さに身震いした。
こういった地域では、町の数は少なく、かわりに一つ一つの町が少し通常の町に比べ大きい。夜間の魔獣から町を守るための外壁も高く頑丈に作られており、隊商一行を泊められるような大きな宿もたいてい備えられている。ここも例外ではなかった。
「おはよう」
「おはようございます」
道行く人と挨拶を交わす。白い雪が朝日に照らされて眩しい。私は目を細めながら大通りに出た。
膨れるように降り積もった雪。それを削り取ったような大通りは人の足や馬車の轍で踏み固められている。私は滑らないよう歩幅を縮めて歩き出した。
町が大きく雪の中の移動も大変であるため、こういった町では天気にもよるが通常の倍ほどは滞在する。私は普段は行く町で知り合いなどは作らないのだが、そのため、ここでは顔馴染み程度は何人もできた。
そんなこの町も、天気に恵まれた今日の昼には発つ。もうこの景色を眺めることができないのは、なんとなく寂しいものがあった。
足の裏に氷を感じながら、家々を通り過ぎていく。屋根の角度が急で、それでもそこにしがみつく白い雪が好きだった。
横を通る蹄鉄の音。馬の息遣いが聞こえ、車軸のぎしぎし軋む音が追う。氷の礫を跳ね飛ばして、軽快に遠ざかっていく。大きな道には馬車が頻繁に走っているのだった。
道端に店を見つけて、ふらり立ち寄る。
「こんばんは。お茶ひとつ、あっついやつ」
「はい」
すぐに渡される。手早く会計を済ませ、大きめの湯吞みを受け取った。
再び歩き出す。
今日は晴れており風もなく、いい日だ。風が強い日はこのあたりで寒さに耐えきれず帰った覚えがあるし、雪が降っている日ともなれば、もはや宿から出ることもなかった。
格子状の通りを進み、やがて、大通り同士が交差する地点、つまり、町の中心部に辿り着く。
「ついた」
転ばぬよう気を付けて歩いた足を労わりながら、私は白い息を吐いた。
天を仰ぐ。
大樹だった。町一番の広い道同士の交差点、その大きなスペースすらも狭いと言わんばかりの巨大な幹。見上げるほど高く、その枝は四方八方に広がったものが凍りついていて、氷雪の色の空を描いている。
これが、この町の心臓だ。
伸び放題でどう考えても邪魔な場所にこそあるが、それでもこの一等地から木が撤去されない理由は語るまでもなかった。
「やあ」
ふいに後ろから声がかかって、私は振り返った。
「ああ、おはよう」
「おはよう」
隊商の仲間だ。
「ここにいると思ったよ。君はここが好きだね」
微笑まれ、私は目を逸らす。
「まあ、嫌いじゃないよ」
「それはいいんだけれど」
次に彼に言われる言葉――隊商の心得である――が想像できて、私は顔を顰めた。
「町や人に情が移ってはいけないよ」
「はいはい」
耳にたこが出来る。
「わかってるよ」
「なら、いい」
彼は目を細めて私を見て、次いで空を見上げた。
「魅入るのだって、分からなくはないさ」
町の中心に方位磁針がないなんて、僕たちにだって実際に見なければ信じられないもんな。
彼が笑って、その笑顔が寒さで強張っているのが分かった。
「……出発は昼だからそれまでに戻れって言いに来たの?」
「話が早いね」
彼は首を竦めてみせた。
「そういうこと。忘れてないならいいんだ」
「当然。遅れない、約束する」
「わかった。僕はそろそろ撤収の準備に戻るとするよ」
「そう。また後で」
私は雑に手を振る。
私は溜息をつかずにはいられなかった。彼が苦手な訳ではないが。
大樹の麓に置かれたベンチに、雪も気にせず腰かける。間近で見上げると、凍てついたような木肌にそれでも確かな生命の鼓動を感じて、私はそれが好きだった。
行く先々で町の人々の生きざまが見られるのが好きで、私はそれを他の町に伝えるために、隊商でいる。
ずっと手に持っていた湯吞みを傾ける。暖かい。胃まで熱が伝わって外気の寒さが実感できる、この瞬間すら愛おしかった。
次の町はどんな場所だろう、考えながら、私は立ち上がった。
凍る土、雪かきの音、銀世界。
何より好きなのは、今いるこの町のことを次の町でどのように話すか考える、この瞬間だ。
読んでいただき、ありがとうございました。