異世界のカレー
世界の秘密を一つ
ここは、何時もの街とは違う場所。
神々が住まう天界である。
神社はあくまで天界と現世を繋ぐ中継地点。
神がいつも神社にいるとは限らないのだ。
そんな天界でも、朝は来る。
ヨリはゆっくりと目を開けると、のそのそと布団から這い出でた。
「ふあ〜ぁ。……あー、しんど。今日は仕事を分身に任せようかな」
顔を洗うが、まだ眠気の取れない目は今にも閉じてしまいそうだ。
こんな日は分霊を作り出して仕事を任せてしまおう。
そうと決まればすぐさま自分の分霊を生み出す。
ぽふんっ。
何とも気の抜けた音を立てて煙の中から現れたのは、もう一人のヨリ………と言うにはいささか小さい、幼児とも言える大きさのヨリだった。
「んまぁ〜?」
「よし、さぁチビヨリ。私の代わりに下で仕事をしておくれ」
「んまっ」
チビヨリは「ラジャー!」と言うように敬礼して小さな足で現世へと向かっていった。
ちなみに等身大の分霊も出せるが、今日は如何せん力が抜けて仕方がない。
まぁ、小さくても神である自分なのだから仕事はきっちりこなしてくれるだろう。
…………「んまぁー」としか喋れないけど。
さてと、もう一眠りでもするか。
髪を整えるのを諦め、また布団へと逆戻りするヨリであった。
自然に意識が浮上する。
今は朝の十時頃だろうか。
よく寝た身体は好調で、朝ごはんを食べずに寝たものだから元気よく空腹を訴えてくる。
「…………お腹減った」
だが、自分で作る気は無い。
今日は休日と決めたのだ。
どっかで食べる事を即決する。
「うーん、久しぶりにあの世界に行くか」
ヨリは布団を片付け、身支度を終わらせると庭へと出た。
向かうのは池。
池を覗くと、綺麗に澄んだ水がヨリの姿を写していた。
ヨリは池に手を入れ、己の霊力を流し込み掻き混ぜる。
するとどうだろうか。
今まで鏡のように風景を写していた池は、みるみる黒くなる。
その中ではキラキラと輝く光の粒とそれを繋ぐ線が描かれた。
星空と言うよりは回路のようなそれ。
光の粒は有り得たかもしれない世界。
繋ぐ線は分岐点から枝分かれした道筋だ。
そう、これはパラレルワールドと呼ばれる世界を集めた「世界線の縮図」。
ヨリは満足そうに頷くと、どの世界にも繋がっていない光を見つける。
この世界は、どのルートにも通じない言わばオリジナルの世界。
別に珍しい訳では無い。
この世界だって始まりは一つの光だったのだから。
「よし、行くか」
ヨリはその光を見つめていたかと思うと、池へと身を投げた。
光を通って出てみると、そこはとある街の上だった。
実体を持たないヨリは、ふわふわとゆっくり降りながら街を見渡す。
「いやーほんとに久しぶりだな」
ここは、花のような形をした国「ネモ」。
王国なのだが王政は機能しておらず、実質軍の最高司令官が政治を行っている。
昔、色彩戦争と呼ばれる大きな戦があった国だ。
いくつかの色で分けられた軍が、自らの領地を広げる為に闘いあった。
今は一つの軍が勝利し、復興途中だがそれなりに平和な国になっている。
今降り立ったのは、勝利した軍が元々の領地としていた街。
ここにはちょっとした名物があるのだ。
今日はそれを目当てに来ている。
「さぁて、服も変えたことだし。行きますか」
路地裏で実体化したヨリは店を目指して歩く。
「あ、これ美味しそう。すいませーんこれ一つくださーい!」
買い食いしながら。
何かの肉の串焼き。エビやホタテといった海鮮を焼いたもの。
冷たくて美味しいアイスのようなもの。
それらを美味しく頂き、ヨリはニコニコとご満悦だ。
「うんうん、食文化が似てるって最高!」
何処からどう伝わったのか、この国には醤油や味噌など日本食には欠かせない物が多くある。
食材も余り変わったものは見当たらない。
だが、モンスターであるスライムがいたり、不思議な能力を持つ者がいたりと、あちらとは違う点が存在する。
さすが異世界というものか。
「あ、あった。あの店だ」
ふと目の前を見ると食事処だろうか、何やら賑わっている店があった。
最近建てられたようで、珍しいものを提供すると有名になっているらしい。
外には長蛇の列が出来ていた。
ヨリは早速順番に並び、あの名物に思いを馳せながら暇つぶしに周りの会話を聞く。
何やら、「女スパイが入り込んでいたが、この軍には元々男しか居なかったから直ぐにバレた」とか。
「幹部の誰かが、一人の女を気に入り囲っている」だとか。
「たまに『ブオオオォォォォン!』と何かが凄い勢いで走っていくが、それは実は人間らしい」だとか。
そんな話を聞きながらクスクス静かに笑う。
やはり異世界の情報と言うのは面白い。
まあ、全部上で見ていたので知っているのだが。
改めて現地の人間から聞くと、また違った見方で何とも愉快だ。
そうこうしているうちに順番になる。
「いらっしゃいませ!こちらへどうぞ!」
給仕の女性に案内され、窓際の席へ通される。
店内を見渡すと、色々な客が美味しそうに何かを食べているのが見れる。
ランプがそれを照らし、なんとも暖かな印象だ。
「ご注文はお決まりですか?」
「はい、この『青の軍監修ネモカレー』を一つ」
「はい、かしこまりました!」
メニューを聞いた給仕はそそくさと奥へと引っ込んで行った。
この『青の軍監修ネモカレー』というのが、名物でヨリの目当てのものなのである。
青の軍とは、戦争に見事勝利した軍だ。
その軍の誰かが、このカレーを作って見せたのだとか。
何回か食べた事があるが、なかなか癖になる味である。
それに何より…………
「…シンさん?」
声を掛けられ、振り向くと一人の男がこちらを見ていた。
「………違いますよ」
「あ、女性……ヨリさんでしたか」
「いえ、違います」
違うと聞き、男は「あれっ?」という顔をした。
内心ヨリは焦る。
まさか軍関連の人間に会うとは。
実は、ヨリは自分の分霊を人間に生まれ変わらせ、下界に下ろしているのだ。
そうして数多くの世界の情報を集めているのである。
自分の分身だけあって容姿も名前も大体同じ。
兄弟を作ってやれば、大体双子だ。
そんな事はおくびにも出さず、ヨリは知らぬ存ぜぬを突き通す。
「すいません、人違いでしたか…」
男は納得出来ていないような顔で、首を傾げながら自身の席へと戻っていく。
ふう、危ない危ない。
察せられる通り、この世界の自分は青の軍に関わる人物なのだ。
この店が出来たばかりなのに、カレーを何回か食べた事があるのは、まだ試作品だった頃から食べさせてもらっていたからである。
記憶や感覚を同調させてしまえば、自分の身体のように体験出来るのだ。
そっと息をつくと窓の外に目をやる。
なんでもないような顔をしながら、心臓はバクバクと早い鼓動を打っていた。
いっけなーい、私ったらうっかりさん。
そんな事思いながら苦笑いしてみせるのだった。
「お待たせしました、ネモカレーです!」
そんな中運ばれてくるカレー。
軍が監修した名物『青いカレー』である。
「いただきます」
早速、ヨリはスプーンを持ち上げる。
まず飛び込んでくるのは目が覚めるような青。
真っ青なカレーと白い米とのコントラストはまるで海のようだ。
最初に見た時は面食らったが、慣れてしまえばどうってことない。
米とルウをスプーンにバランスよくのせ口に含む。
瞬間、花のようなふわりとした香りがスパイスの香りに隠れて鼻腔を擽った。
「んふー、やっぱりいい匂いだね」
この花のような匂いは、この地域で見つかったブルーペッパーという植物を使っているかららしい。
ブルーペッパーの実は刺激的な味の後に花の香りを出すことから、それを利用して色々な料理に使う試みがされているようだ。
次に訪れるのは、スパイスのピリリとした刺激。
熱さにも似た刺激が口の中を刺したかと思うと、今度はよく煮込まれた野菜と肉の旨みが流れ込んでくる。
咀嚼しよく味わってから嚥下する。
するとどうだろうか。
濃厚なコクの余韻にはスッキリとした後味が待っていた。
「あー、癖になるなぁこれ。まったりしてるのにしつこく無くて、お花みたいな香りも強すぎなくて食べやすいし。美味しい!」
柔らかく煮込まれた人参や鳥肉、じゃが芋。
それらと米を合わせながら次々に口に運んでいく。
にんじんの甘さは刺激される口を慰めてくれるし、肉はスパイスと相性が良くどんどんご飯が進む。
ホクホクとしたじゃが芋を割ってみると青さが表面から染みて何とも毒々しいが、ヨリは何故かこの毒々しさが好きだった。
変なのが好きだなぁ、とヨリ自身思っている。
夢中になって食べ進めていく。
カレーは何故こう夢中で食べられるのか。
ついつい食べ過ぎてしまうから困った物だ。
「ふう、ごちそうさま」
食べ終えて残ったのは青い色が残った白い皿とスプーンだけだった。
まだ食べ足りない気もするが、食べ過ぎたらまだ並んでいる客にまわり切らなくなるかもしれない。
ちょっと残念に思いながら、ヨリは代金を払い店を後にするのだった。
ヨリは人間である自分を紛れ込ませそれを楽しむくらい人間界が好きです
それには少し事情があるのですが、それはまた別の機会に