其の陸 ~request to...~
時刻は十時頃、本棚の確認を終えた私は、畑作業へ出ているパパの元へと向かう。
本棚には絵本と一緒に数冊の歴史書、魔導書が納められていた。
「あれじゃあ、才能があったとしても魔術を覚えるのは苦労するわ」
部屋にあった魔導書は全て、基礎を理解した人向けの内容だった。
サーニャにどれだけの基礎知識があったのかは分からないが、魔術を使えていない所からすれば、基礎の勉強を飛ばしたのだろう。
「早く使えるようになりたいって気持ちは分かるけど、ね」
私には基礎の基の字も無い。パパへ『サルでも分かる』系の本を所望しよう。
「それと、もう一つのお願いは聞いてもらえるかな?」
パパは村で剣術の指南役として道場を開いているらしい。
四ヶ月あれば、無いよりはマシ程度の実力は付けられるだろう、という魂胆だ。
問題は、パパの許しが貰えるかどうか。
親心としては息子ならいざ知らず、娘に対しては過保護になりがちというもの。
魔法よりも確実に習得可能な剣術は押さえておきたい。
家を出ると、村の中央辺りで畑仕事をしている数人の影が見える。
柵を越え、畝を崩さないように駆け寄っていく。
周りの大人たちが額の汗を拭いながら笑顔で挨拶をしてくる。そのたび、律義に足を止め挨拶を返す。
体に染みついているため、意識とは関係なく動く。
客観的に見ても、礼儀正しい娘に映っているだろう。
村人たちからの信用も高そうだ。
「……おぉ、サーニャ。どうしたんだい?」
こちらに気が付いたパパが声を掛けてくる。
「パパ、お願いがあるの」
善は急げ、単刀直入に伝える。
「誕生日プレゼントの魔導書なんだけど、わかりやすいのが欲しいの……」
「あぁ、分かってるさ」
「えっ?」
返ってきた答えに困惑する。日記の内容から考えるに、サーニャはパパに魔術に関する相談はしていないはずだ。
「パパは、サーニャのパパなんだぞ? 娘の悩みくらい言われなくても分かるさ」
優しい笑顔を向けられる。また、胸の奥が熱くなる。
「夜に十歳のお祝いをしような。その時に渡すから、良い子で待ってるんだぞ?」
手に付いていた土を掃うと、頭を撫でてくる。
サーニャの苦悩を知っているが故に、涙が零れそうになる。
潤んだ目元を隠すため、俯き気味にパパへ近づく。
「まだまだ子供だなぁ、サーニャは」
そう言うとしゃがみ、抱きしめてくれる。
周りの大人たちが微笑ましそうに眺めているのが伝わってくる。
大学から親元を離れ一人で生活し、社会の荒波に揉まれるだけだった俺は、忘れていた。
親って、こんなに温かかったんだ……。
「……よし、パパは作業に戻るよ」
私の心が落ち着くのを見計らって、切り出してくる。
「あ、待って。もう一つお願いがあるの」
「なんだい、言ってごらん?」
正直、本題はこっちだ。
「パパの道場で、剣術を習いたいの」
想いを伝えた途端、表情が険しくなる。
吊られて私は眉間に皺が寄るが、真剣な眼差しを向ける。
そう簡単に許しが貰えるとは思っていないが、何としても入門をもぎ取らなければならない。
少しの沈黙の後、
「本気、なんだな?」
「……はい」
張り詰める空気に気圧されつつも、返答する。
「……はぁ、わかった。危ないことはさせたくなかったが、お前は一度決めると聞かないからな」
半分諦めたように、許可が下りる。
「ありがとう、パパ!」
「稽古は明日からだ、娘でも厳しく教えていくから覚悟するように。いいね?」
「はい!」
俺自身、スポーツは好きだったから、楽しみだ。
剣道の心得は多少あるが、あくまでスポーツ。身を守るにしてもこの世界では通用しないだろう。
明日の稽古を思い浮かべながら身を翻し、家へと向かう。
「魔術の入門書は無いが、今出来ることをやっておこう!」
* * *
去っていく娘を見送っていると、仕事仲間に話しかけられる。
「ジェイクさん、よく許可しましたね」
「いやぁ、本当はやめて欲しかったんですけどね」
頭を掻きながら、ジェイクは続ける。
「あの子は、母親に似て頑固なんですよ。やりたいと思ったことには素直で、正直で、まっすぐ突き進んでいくんです。止めたところで、独学で始めちゃうだけですから」
「そうでしたか、ジェイクさんも苦労されてますなぁ」
「いえいえ、バートンさんほどではないですよ。……さて、再開しますか」
見送りを終え、皆へ促す。
作業を再開していく中、ジェイクは一人、空を仰ぐ。
カエデ、見ているかい? 私たちの娘は逞しく成長してくれているよ。
どうか、遠くから見守っていておくれ……