其の参 ~endurance~
用意されていた朝食を頂き、時間は九時手前。
輪切りのパンに目玉焼きと、多少のおかず。
どれも元の世界で見たことあるものだった。
どうやらこの世界は、魔法が発達してはいるもののそこまでかけ離れている訳でも無いらしい。
「ごちそうさまでした」
俺の知識を活かすことが出来そうだと考えつつ、使った食器をささっと片付けておく。
満たされたお腹を撫でながら、腹ごなしにリビングの観察を始める。
対面式のキッチン、カウンター式のテーブルと三脚の椅子。左側に二階へ続く階段があり、その先にはシャワー室、洗面台、トイレ。
右奥には玄関、天井は二階の部屋と廊下がある場所以外は吹抜けという造りだ。
大きめの開閉可能な窓が正面、右の壁にあり、太陽光が室内を明るく照らしている。
カーテンを閉め切り陰鬱とした自分の部屋を思い出し、少し気落ちする。
「……私になったからには、健康的な生活を送らなきゃ、ね」
よし、と胸の前で小さくガッツポーズをとり気合を入れる。
そろそろ自室に戻ろうかと思ったとき、キッチンの片隅に小さな写真立てが目に留まる。
「これはパパと、ママ?」
色彩の無いセピア調の写真にはパパと仲睦まじそうに写る女性。どことなくサーニャに顔立ちが似ていることから母親で間違いなさそうだが、髪色がブロンドではなく黒系のようだ。
パパの顔が今より若く見えるのは写真のせいではないとすれば、撮影されたのはかなり前なのだろう。
「そういえば、まだ見掛けていないな……」
パパは畑仕事をしに行くと言っていた。
私がご飯を食べている三十分ほどの間、物音は聞こえなかった。
家の中には誰も居ないのだろう。
朝早くから出掛けているのか、もしくは……
「まぁ、時が来れば分かると信じよう」
家庭環境の問題にはあまり迂闊に突っ込むわけにもいかない。
「とりあえず、私についての情報を……」
集めようとした時、一つの壁に直面した。
ぶるぶるっと背筋が震える。
食事前の自室での一件から考えないようにしていたが、生活していくためにはそうもいかない問題。
「トイレに、行きたい」
起きてから一時間半が経過しようとしている。
朝ご飯を食べたことにより胃腸の動きも活発になった。
催すのは必然である。
「どうしよう、我慢の仕方がわからないよ……」
我ながら実に情けない声が出た。
体の構造は男女で違う。
今までは体に染みついた行動の一部として行われていたのであろう我慢という行為が、無意識から意識下へと移ったことにより対処出来ないものへと変貌した。
漏れる前に、トイレへ移動しなくては。
くぅぅ……と唸りながら下腹部を押さえつつ、縮こまろうとする背筋を必死に伸ばす。
唯一変わらない我慢の動作として、括約筋へ力を入れてみる。
しかし、前と後ろでは筋肉が違うため、若干足しになったかどうか程度の差でしかない。
内股になりながら、足元への警戒も怠らないよう少しずつ足を進めていく。
「女性の身体が、こんなに不便だったなんてぇ……」
男として二十余年を生きてきた者の主観的な判断でしかないが、そう感じたものは仕方がない。
「……あと、五歩」
一刻を争う事態。
にも関わらず、最も致命的な判断が『急ぐこと』という他に類を見ない状況。
「四歩、っ!」
ジリジリと躙り寄るように進んでいく。
「さ、んほ……っ」
踏み出すごとに大変な精神力を削られる。
「おねがいっ」
細い足場でバランスを取りながら歩くように身を捩じり、しかし両手は下腹部を押さえている格好で。
「間に合ってぇ……」
最後の一歩を踏み出し、ドアノブをガッチリと掴む。
「やった! 届いっ――」
戸を開けた瞬間、今まで全精神力を割き保っていた緊張感が、トイレにたどり着いた達成感、安堵感へと塗り替えられ――
――決壊した。