其の壱 ~awakening~
ジリリリリリリリリリリ――
「……んぁ?」
聞き慣れない音で目を覚ます。寝ぼけ眼で音源を探ると、どうやら目覚まし時計が鳴っているらしい。
「……いま、なんじだ??」
五月蠅いほどに鳴り響く目覚ましを止め、手に取った時計を見やると――
七時三十五分
「――やばっ、会社に遅刻する! 急いで支度、を……」
しなくてもいいか。
医者からストレス性の睡眠障害を診断され、仕事を辞めるべきだと助言まで頂いた。
たとえ処方薬を飲んだとしても症状を完全に抑えられる訳でもないらしい。
ということは、現状で出社しても勤務中に眠ってしまい理解のない上司に怒鳴り起されるのは明白だ。
ならばすることは一つ。
「二度寝しよっと」
そうと決まれば、飛び起きた勢いでそのまま降りたベッドに戻り、惰眠を貪ろうではないか。
「……ん? ベッド??」
昨日、俺は帰ってきた後にソファで寝た。
強烈な睡魔に襲われて、リビングに移動するので精一杯だった、はずだ。
そのはずなのに何故、ベッドで寝ているのか――
一度気になってしまえば睡眠どころではない。
惰眠を貪りたい欲求よりも現状を確認したい好奇心にも近い感情が上回ってしまう。
俺は、恐る恐る目を開き……現状を確認する。
思い違いなどではなく、確かにベッドの上だ。
負荷が掛からないよう柔らかく包み込むマットレス。
身体を覆う掛布団はその存在を感じさせないほど軽く、それでいてふかふかで暖かい。
俺の部屋にある煎餅マットとゴワゴワタオルケットには似ても似つかない。
あまつさえ枕元にはかわいいテディベアまで置いてある。
明らかに俺のベッドではない。
……まぁ一旦落ち着こう。状況を一つずつ整理しようじゃないか?
横たえていた身を起こし、ベッドの上から周囲を眺める。
ベッドのすぐ横にある出窓には可愛らしい小物が並び、窓の外では燦々と降り注ぐ日光が室内を照らしている。
俺の部屋の窓は病んでいる俺の内面を映し出すかのようにくすみ、それを閉め切ったカーテンが隠している。さらに言えば、出窓ではない。
入り口から向かって右側には本棚と机が並び、左側にはクローゼットとおもちゃ箱。木製の家具で統一されており、その全てに職人技を窺える装飾が施されている。
壁紙は淡い桃色に見たことのないキャラクターが散りばめられた模様。おもちゃ箱にはそのキャラクターと思われる人形が他の玩具と一緒に収まっている。
どれもこれも俺の家には無いものばかりだ。第一、この可愛らしい空間はなんだ!? 男が寝ていて良い空間とは思えな――
そこでふと、ベッドと机の間に置いてある姿見が目に入る。
そこには、壁紙と同じ淡い桃色に白い水玉模様のパジャマを着て、ブロンドの髪を腰辺りまで湛え、きょとんとした顔でこちらを見つめている……
見た目十歳前後の女の子が映っていた――
――まずいマズイ不味いマ味い! この状況は実にまずい!!
思わず姿見から視線を外そうと振り向く。
理由や経緯は全くもって思い出せないが幼気な女の子の部屋で二人っきり、しかもベッドを独占して熟睡していたなんて、誰かに見られでもしたら――
コンコンコン、と。
入り口のドアがノックされる。
「サーニャ、起きているかい? ……入るよ?」
戸の向こうから声が聞こえる。優しそうな中年男性を想像させる声色だが、此方を窺うように語り掛けてくる。
心臓が破裂しそうなほど激しく脈動している。記憶もなく、何かをしたわけでは無いが、見られるのは明らかにマズイ。いくら優しそうな声をしているとはいえ、多分あの女の子の父親だ。許されるはずがない!!
現状を打開する策に思考を巡らす一瞬!
出流の精神内に潜む爆発力がとてつもない冒険を産んだ!
布団の中へ潜ってもすぐに見つかる、クローゼットへ隠れるには時間が足りない。
どちらにしても見つかったら御仕舞いだ。
ならば! と。
ベッドの横にある出窓へ手を掛け、一気に乗り出す!!
「何をしているんだ!」
戸を開けて入ってきた男性が叫びながら胴体に手を回し、乗り出していた半身が再び室内へと引き戻される。
あぁ、終わった。詳しい事情も思い出せないまま、俺は社会的に死ぬんだ……
思わず涙が溢れてしまう。
「どうして、窓から飛び降りようとしたんだ……。そんなに昨日のことが嫌だったのかい、サーニャ……?」
男性は俺を抱きしめたまま涙を流し、こちらへ問いかけてくる。
……俺に?
理解が追い付かない。何故この男性は俺のことを見ながらサーニャに問いかけを……。
そこまで考えたところで、ふと先程見たものに疑問が浮かんでくる。
会社へ行こうと飛び起きた時、周りに女の子なんて居たか……?
そして、二度寝を諦めて部屋を見回し、姿見を見つけた時。
姿見は、此方を向いていなかったか……?
思わず男性の手の中から無理矢理抜け出し姿見の前に立つ。
そこには、先ほども見たパジャマ姿の女の子の姿が映っていた。
腰までのブロンドはふわりとカールしており、精巧な人形かと思えるほど端正で愛嬌のある顔。
目元を泣いた跡で赤くして、焦ったような表情で此方を見ている。
視線を姿見から下げ、自身へと向ける。
鏡越しに見たものと同じ淡い桃色に白い水玉のパジャマ。小さな手足。いつもより近い床。膨らみかけであろう細やかな胸。
「な……なな、なんじゃこりゃあああああああああああああああああああああああ!!」